intermission II

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原作軸(侑影+日)つづきのつづき

・侑影(→これ(完))

・2020年819の日

 




 影山飛雄が、侑の家のリビングで首を傾げている。

「俺、猫って不思議やなって思うねん」

 という、侑の発言を唐突に思ったせいだろう。その直前に猫の話をしていたわけでも、つけっぱなしのテレビでたまたま猫の特集が放送されていたわけでもなく、侑の単なる思いつきだった。それ自体は珍しくもない。影山は侑という人間を、脈絡のない発言をする人間だと思っているに違いないし、そのことをいちいち非難するほど几帳面な男でもない。珍しいのは、2年近く前に交際関係を解消した影山が、今年寮を出て一人暮らしを始めた侑のマンションに今現在滞在していることのほうだった。

「不思議? 触ろうとしたらすぐ逃げるからですか?」
「いやそれは飛雄くんだけや。ちゃうねん、猫ってかわいいやん。それ、よう考えたらおかしない? って」
「おかしいですか?」
「うん。人間の赤ん坊がかわいいのは分かんねん。赤ん坊は一人ではなんもできへんから、大人に守ってもらわんとダメやろ。せやから、かわいいなあ、面倒見たいなあ、って思わす見た目しとくんが効率的やし、理にかなっとる」
「はあ、なるほど」
「でも猫はちゃうやん。猫は猫が育てるんやし、猫が人間にとってかわいい必要ないやろ、て思うねん」
「そうかもしれないです?」
「な、おかしいやろ」
「はあ、まあ、そう? ですかね」

 影山がぱっちりとした大きな瞳で侑を見つめている。
 そうや、おかしい。影山飛雄が宮侑にとってかわいいのは変だ。理屈に合わないし、誰も得をしない。

「人が猫を飼うからじゃないんですか?」
「人が飼わんでも、あいつら、ほっときゃ野生で達者で暮らすやん」
「そうなんですか? でも、人に飼われたほうが、メシ楽そうですよね」
「まあそらそうかもしれん……けど、人が猫飼うようになって、せいぜい何千年とかちゃうん? そんくらいで世界中の猫が軒並み人の趣味に寄せてこーへんやろ」
「じゃあ、たまたまじゃないですか」
「たまたまなあ。たまたまでこんなん、おかしいと思うんよなあ」
「……どんなんですか?」
「いや、アレや、猫」
「宮さん、猫飼いたいんですか?」
「全然。全然や。猫はええねん」
「宮さん、適当にしゃべってますよね」
「ちゃうねん、これは、ええと、上の空やねん」
「それ適当って言うんじゃ……」

 のんびりと呟く男を前に、侑は一人眉を寄せて、重苦しいため息をつく。
 今コイツいくつやったっけ? 22か。出会って約6年半か。
 ――いや、君、寄せてきてるよな?
 侑は顔をしかめる。出会ったころと比べて。俺と付き合い始めてから。別れたあと、この2年くらいもずっと俺の好みに寄せてきとるよな、その顔面。
 昨年秋のVリーグ開幕から半年、ようやく2019・20シーズンが終わった。ブラックジャッカルとアドラーズ、それぞれの正セッターとしての激しいつばぜり合いの期間を経て、つい先日、今年の日本代表登録メンバーを集めた発表記者会見が都内で行われたばかりだった。最大のライバルとして丁々発止していた舌の根も乾かぬうちに合流し、さてこれから半年、再び影山と侑は手を取り合って支え合うチームメイトにジョブチェンジせよと世間は言う。
 なんだかなあ、と侑は思っていた。
 影山とのライバル関係は6年ずっと変わらずであるが、今年は影山の元戦友、日向翔陽の国内リーグ参戦でいっそう比較される機会が多くなった。年齢が上がり、代表での存在感を互いに増す中で、さて影山とどう付き合おう、なにせ元カレやし、と侑は複雑なものを抱えていた。
 そんな中だった。今日は、大阪の放送局で、代表チームの対談番組の収録が行われた。
 モンスタージェネレーションと呼ばれる世代を中心に8名が集められ、互いの印象などを語り合う無難な企画が行われたのだが、しゃべっているうちにセッター2人VSその他の構図が先鋭化し、最後には宮と影山で肩を組んで、スタジオを出て行ってしまう、という想定外の結末を迎えたのだった。
 ――翔陽くんほんまそういうとこのメンタル根っから打ち屋よな。こっちがむっちゃ悩んどるときに「テンション上げていきましょう!」とか平気で言うねん。テンションでどうもならんからコッチは悩んどんじゃ!
 ――それ牛島さんも言います。背中叩いて「切り替えだ」とか言ってくるんですけど、俺じゃないんですよ。牛島さんをどう切り替えさせるか悩んでるんです、俺は。
 ――うーわむっちゃ分かるわそれ!
 といった会話が続き、スパイカー陣は「セッター二人で徒党を組むな」とお手上げ状態で、しまいにはあの牛島が日向に助けを求めるほどだった。撮影終了後も半年分だか、2年分だかの愚痴が止まらなくなり、侑はつい、「飛雄くんこのままウチ来たらええやん」などと誘いかけていた。影山は少しだけ迷ってみせたあと、侑の誘いに乗った。
 侑への訴求力に優れた影山の顔を見つめ、おにぎり宮印のほうじ茶をずるずる啜っていると、今更ながらに軽率なことをしたのではないかと後悔が湧いてくる。時刻はもう午後8時を回っていた。もともと取ってあっただろうホテルに向かうなら、そろそろ潮時といえる時刻だった。

「宮さん」
「なん?」
「付き合ってたこと日向に言ったんスね」
「えっ、ん!? ……まあ、おん」

 行儀よく、大人しく、後輩らしい振る舞いで侑の家で過ごしていた影山が、突如「内輪」の顔になって、侑はうろたえた。その顔でじっと見つめられると困る。キスとかエッチとかした記憶が噴き出してきて、普通に性欲を感じる。

「あかんかった?」
「ダメっていうか、言わなくてもよかったんじゃねーかって」
「いや、無理無理。翔陽くんああ見えてむーっちゃ察しええもん。絶対バレとった」
「そういうもんですかね」
「そういうもんやって!」

 実際、後になって言われたのだ。
 付き合ってたとか絶対嘘だと思ってたけど、ほんとだったんですねと。
 日向はまた、味気ないコーヒーを飲んでいた。周囲を見回し、冷や汗をかきながら、どこを見てそう思ったのかと尋ねれば、「侑さんじゃなくて、影山」と、日向は紙コップをあおった。
 ――影山の体の触らせ方、変でした。
 何それ、怖い。
 日向の察しがいいのはもしかしたら、影山に関してだけなのかもしれないが、いずれにせよ「そのうちバレる」と踏んだ侑の判断は正しかったわけだ。

「飛雄くん、まだサムの店行っとるん」
「行ってます。カレーうまいっす」
「なんっでやねん。おにぎり食えや」
「食ってます。どっちもうまいです」
「すーぐサービスしよってあいつ。ほんま、そんで、胃袋つかまして。腹立つ」
「なんでですか」
「知らん。いっつも最後はあいつが持ってくんや。結局侑くんって他人に関心薄いよねーちゃうぞほんま」
「……宮さん、俺、宮さんにふられましたよね?」

 その顔に喜怒哀楽のどれも示さず、真顔でそんなことを尋ねてくるので、侑はつい意地になる。

「いや飛雄くんやん」
「なんでだよ。違います」
「今日会えるーって聞いて、会われへん言うから諦めて、ほんでサムの店行ったら飛雄くんおってしかもサシ飲み真っ最中。浮気やろ」
「浮気じゃないです。俺飲んでねえし。試合で負けたあとにあんたと会うの嫌だったんです」
「俺よりサムに会いたいときがある時点で浮気や!」
「会いに行ったんじゃねえっす、メシ食いに行ったんです」
「ホテルのビュッフェで食うとれ金満チーム!」
「きんまんって何ですか。治さんの店のほうがうまいです」
「なんでサムだけ名前呼びやねん、それもクッソ腹立つんじゃ!」

 売り言葉に買い言葉で喚き散らすと、影山は目を丸くして、むにい、と唇を尖らせた。
 イイ形に歪んだ唇を眺め、「ああ、やったわ」と侑は目を細める。

「なんすかそれ」
「なんが?」
「名前、気にしてたんですか」
「いや、してへんし?」
「侑さん」
「いや勿体ぶれや! さらっと呼ぶなアホ!」
「侑さん」
「なんや!」

 今日も影山の瞳は青く澄んでいた。侑の趣味に寄せに寄せた、みずみずしさと色っぽさの同居する白い顔が侑に向けられていて、ぐらりと目眩を覚える。
 そして悟る。飛雄くん、まだ俺のこと好きなんや。
 愛着のにじむまなざしに今にも白旗を掲げそうだ。
 まだ好きです、と言われたら、また付き合いませんか、と言われたら。

「ええよ、言うて」

 二つ返事でOKしてしまう未来しか見えない。
 影山がうなずき、口を開く。

「俺今日泊まってもいいですか?」
「なん……なんでやねん……」

 腹に来ると覚悟していたパンチが顎に入った感覚だった。侑はテーブルに倒れ込んで、もう一度「なんでやねん」と喘ぐ。

「今からホテル行くの面倒だし……」
「俺んちホテルちゃうぞ!」
「だめですか?」
「ええけど!」
「あざっす」
「なんなんほんま。手出されても文句言えんよそれ」
「言いません」
「はぁ? 本気なん?」
「はい」
「そんっっなエッチな子に育てた覚えは……やばいむっちゃある」
「はい。俺、侑さんと別れたあと誰ともしてないです」
「いやいやいやなに積極的に理性壊しにきてるん。え、ほんまに言うてる?」
「言ってます」

 テーブルに倒れ伏したまま、侑は影山の後ろ頭に手を伸ばした。体を起こしながら引き寄せると、簡単に体重を預けてくる。

「なあもうほんまにするけど。ええの? 先にヨリ戻す手続き踏まなあかんのんちゃうかな」
「明日でもでいいんじゃないですか」
「明日はもう答え出てもうてるやんか……」

 諦め交じりに抱き締めると、自分とよく似た背格好の男が、しっかりと筋肉のついた腕で侑の体を抱き返してくる。

「宮さん」
「名前で呼べや」
「これで最後にします。1つだけ」
「なん」
「俺、宮さんのライバルも、チームメイトもやります。この先ずっと。だから、宮さんもやってください」
「何言うてんの? ……ええよ。喧嘩しててもエッチしよな」

 抱き締めたまま、もつれるようにラグに押し倒すと、影山が「なんかちがいます」と顔をしかめたが、それも侑にとって理屈に合わないほどかわいくてしょうがなく、侑はとうとう笑ってしまった。



「ほんでな、朝キッチンで湯沸かしとったら、後ろから飛雄くんがひっついて来んねん」
「はあ……」

 代表合宿出発前の最後のチーム練習日。侑の正面に座り、先日までの休暇の一部始終に耳を傾けていた日向翔陽は、ケータリングのサンドイッチの具を尻からボロボロとこぼし、いやサンドイッチのどちら側が尻かは知らないが、とにかくボロボロと皿の上にこぼし、「なんて?」と声を震わせた。

「どないしてんと思って聞いたら、『侑さんは俺が侑さんのこと好きなのすぐ忘れるから』、『アピールです』やって。あの飛雄くんがやで? ビビり散らかしたでほんま」
「その前に、俺としては『あの侑さんが』何言ってんだって話なんですけど……」

 卵とハムをフォークですくい、暗澹とした表情で日向はそれを口の中に押し込んだ。こんなにおいしくなさそうに物を食べる日向を侑は初めて見る。

「また付き合うんですか?」
「おん。もう別れんと思う」
「へ、へえー」
「そういえば俺、人とヨリ戻すん初めてや。飛雄くんってほんま不思議やわ」
「いや、だから、侑さんもなんですって……」

 どんな逆境でもめげないメンタルタフネスの持ち主と評判の日向が顔をうつむけ、「このあと俺どんな顔して影山に会えばいいんですかね」と絞り出すのを見て、侑は今さら「もしかしてショック?」と気遣いを見せる。

「ショック……とは違うんですけど」
「おん」
「俺の立場複雑すぎません……?」
「せやろか」

 アイツにお祝い言ったほうがいいですか、と顔を覆って悩み始める日向を前に、侑は首を傾げながら、「なんやゴメン」と頭をかくのだった。