intermission II

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まだ悩む

すみません、昨日の記事、ちょっと違うなと思ったので非公開にしました。
まるきり考えが変わった!ということでもないので小説の中とかで今後回収しますね…。
今日は「自己主張の強いセッター」の話を!ぜひしたく!


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鷲匠監督が飛雄に対する評価を高めたらしいことにニヤニヤがとまらないです…
アタッカーとしてもいけるかも…というのは
性格が丸くなったからこそ出た発言ぽいなあと思いました。
影山くんがアタッカーとして優れているというよりは、
根本的なバレーセンス、バレー勘みたいなのがイイので、
それをセッターにできないからと捨てるのがもったいない、
ならばアタッカーでも…という趣旨のように思います。

白鳥沢の鷲匠監督に関して予想どおりだったところと意外だったところがありました。
 
・予想どおり→影山は(確かに丸くなっているが)自己主張の強いセッターなのでいらない
・意外→選手にとって白鳥沢に来るのが幸せかどうかを、選手獲得の基準の1つにしている
 
しみじみ、強豪の監督らしい、哲学を感じさせる1ページだなぁ~と。
ただ少し
「奴にはセッターへの強~烈な拘りを感じた 奴なりのな/ウチに来ても幸せじゃねえべ」の解釈に悩みます。
 
これは、(a)白鳥沢に来て(アタッカーになって)も、(セッターができないので)幸せじゃない
なのか、(b)白鳥沢に来て(「拘り」を曲げた形のセッターをやって)も幸せじゃない
のどっちだろうな…。うーん文の流れからすると(a)くさいか。
いずれにせよ、影山くんはバレーが好きだけれど、ただバレーがやれれば幸せでいられる(それがアタッカーとしてでも、今と違うスタイルのセッターとしてでも)…というわけではないらしい。

どうでしょう
影山くんがセッターじゃなきゃヤだ、というのは1巻で明言されていることなので、これは鷲匠監督の勝手な忖度ではなく、ハイキュー内の(あくまで、仮説としての)真実と捉えるべきでしょうかね…


昨日保留にしていた、「自己主張の強いセッターとは?」について整理し直しました。
影山くんの語るセッター論をちょっと、以下に書き出してみます。

「俺は!セッターです!」
「テメー!」「セッターはチームの司令塔だぞ!」「試合中いちばん多くボールに触れるのがセッターだぞ」「支配者っぽくていちばんカッコイイだろうが!」
「テメーの好きなスパイクだってセッターのトスがなきゃ打てねーんだぞ!」

「(でっかい試合をエンド側から生で見ると)セッターの超早ぇトスがよく分かる」「コートの端から端までギュン!って敵のブロックの目の前をボールが過ぎて」「おいそれほんとに打てんのかって思うんだけど」「トスの先にはスパイカーが跳んでてよ」「打つんだよ、ドカーンつって」「確かにスパイカーはかっこいい。けど」「敵のブロックをあざむいてスパイカーの前を切り開く」「難しくてかっこよくておもしろいのがセッターだ」

なんかもうこれが答えのような気がする!
このセリフたちを見て聞いてってしてるとなんかじいちゃん泣けてきます・・・。
影山くんの思いがあまりに純粋で、澄み切ってて、ゆがみなくて
こんなにもまっすぐな気持ちを向けられているセッターというポジション、その概念が羨ましくなるくらいです。

影山くんにとって、
セッターとはスパイカーの前を切り開く存在で
それが好きなのは、
難しくてかっこよくておもしろいから。

影山くんはいつだってスパイカーの前を切り開きたいんだなと。
影山くんにとっては、切り開いてこそのセッターなんだなと思います。

以前ここで書いたことの繰り返しになるんですが(この■くそ長い感想■)
「自分の力でスパイカーの前を切り開いてやりたい」、それこそが鷲匠監督の言う「奴なりの拘り」で、「自己主張が強い」とはその意味なのではないかと思います。

最終的に勝利できれば、スパイカーがスパイクを決めることができるなら、
セッターがブロックを剥がさなくてもいいと、そう考えることができるのが白鳥沢に適合するセッター(及川さんや、白布くんのような)で、

そうじゃないのが影山くんなのかな。というのが、とりあえず私の結論です。
これはブロック剥がしだけのことではなくて、
セッターの職責というものにどれくらい欲張りか、と言い換えてもいい気がします。

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ここまで整理がつくと
「牛影むりじゃねえか!!」
って!なります!けど!
こっから悩むのが楽しいんじゃーーーーーいけるいけるいける
また原作沿いでなにか書かなきゃ!と思った本日です。
おやすみなさい。