intermission II

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原作軸(日影、モブ影)

・2022年12月

 


 


 あまりのノンデリカシーさが3周ほど回って、粋な展開を招いた、と呼べる事態だ。

 

「奇跡的な鉢合わせに、乾杯!」
「乾杯!」

 

 舞台はローマ。熱狂のパラロットマティカ屋内競技場から北に数キロの位置にあるトラットリアで、数十名の大男たちが入り乱れ、当初はややぎこちなく、酒が進んでからは旧来の友人のように親しげに、酒宴を楽しんでいる。つい数時間前まで男子バレーボール世界クラブ選手権を戦っていた両雄、「アリ・ローマ」、「アーザス・サンパウロ」の選手やスタッフが一つ所に寄り集まってしまったのは、元をただせばアルバイト店員のちょっとした連絡ミスが原因のダブルブッキングだった。そして、店主がそのことに気付いたものの、彼の豪気が過ぎて一方がキャンセルされることもなく、結果として、常識では考えられない合同打ち上げが開催されることになったのだ。フルセットに及ぶ死闘を繰り広げた彼らにある種の共同体意識が芽生えていたことが功を奏し、ほかに行き先もなかったので、「まあ、いいじゃないか」と手を取り合うことになった。
 クラブチームという単位ではライバル関係にある彼らだが、世界最高峰の戦いに顔をそろえるトップアスリートの性質上、なんだかんだと接点のある選手が多かった。前年シーズンは同じリーグで共に戦っていたとか、ナショナルチームではチームメイトだとか、かつて宮城の片田舎の高校で運命の出会いを果たしていただとか。大男たちがひしめくには少し手狭なこのトラットリアに今夜、そうした関係の男たちが寄せ集められていた。

 

「ヒナタ、君、本当によく跳ぶよな。まさか君を高さで警戒しなきゃならないなんて思わなかった」
「えへへ、ありがとう! 実は俺、試合中だけ身長が2メートルに伸びるんだよね」
「ハハ、ちょっと信じそうになるレベルだよ」
「俺には分かる、ショーヨーは実は忍者か、前世がカンガルーなんだ」

 

 日向が腰を落ち着けている店の一角には、正方形のテーブルが3つ集めてあって、そこにサンパウロのチームメイトと、アリ・ローマのメンバーが合わせて5人顔をそろえている。ブラジルもイタリアも、トップリーグの平均身長は2メートルに迫り、彼らに囲まれていると日向は頭2つ分ほど沈んでしまう。
 出入口と通路を挟んだ隣のテーブルでこちらに背を向けて座る旧知の男──かつて身体的な優位を羨んだこと数知れないあの影山飛雄さえこの環境にあっては小柄な類で、コートの中で気軽に抱きかかえられている姿をすでに何度も目撃している。
 今はちょうど、日向のチームメイトである後輩オポジット、ガブリエルが影山の隣を確保して、熱心に何か言葉を交わしているようだ。


 ──ショーヨー。“トビオ・カゲヤマ”は英語を話せる?
 ──うーん……プレーンな単語ならいけると思うよ! ……た、多分。 
 ──そうか、十分だ。ありがとう。


 30分ほど前にそんな会話があって、7つ年下の勤勉な後輩は勇んで影山に突撃していった。セッターとの連係に課題感を持っている彼によれば、今日の影山のプレーにヒントを見出した、との主張だった。

 

「ジャポーネの相棒が気になる?」
「えっ?」
「トビオだよ。さっきからチラチラ見てるだろ?」
「アハハ……どっちかというとガビ──ガブリエルのほうが気になっちゃって」
「ヒナタと交代で出てた彼だね。大丈夫だよ、トビオは優しいから」
「んエっ?」
「ショーヨーが鳴いた! やっぱり前世はカンガルーだな!」
「か、影山が優しい!?」
「そんなに驚くようなことか?」
「ショーヨーだってめちゃくちゃ優しいぜ、負けてないぜ!」
「トビオって、はっきりモノ言うタイプだけどな。俺はケンカになるし、ソリが合わないね」
「リコ、トビオとのことはお前もお前だと思うぞ」

 

 チームメイトの諫言に不服そうに腕を組んでみせたのはアリ・ローマのミドルブロッカーだ。今日も影山とのコンビネーションで気持ちのいい速攻を何度もお見舞いされたが、確かにコートの中でもオラつき合ってはいて、聞けば影山と同期入団で、競い合うように研鑽を積んでいる間柄なのだそうだ。関係良好には見えないが、ある意味彼が一番正確に影山の性質を理解しているのかもしれない、と日向は考える。

 

「語彙の問題があるからなあ。けどプレーのことで後輩に相談されたときなんか、根気よく付き合ってるのをよく見るよ」
「ヌヌヌ……! 言語って重要だ……!!」
「ふうん、日本語だと印象が違うらしいな。とはいえ、飛雄って日本じゃ相当な人気者なんだろ? 日本人の観戦ツアーがよく来るけど、若い女性が大半を占めてる」
「それは本当。超有名人だし人気があって、つまり、日本の女性は謎に満ちてる!」
「そんなの万国共通だ。女性は難解な生き物さ」
「一理ある」

 

 例外なく身に覚えがあるのか、山と盛られた魚介のフリット・ミストをつつきながら、皆でうなずき合った。しばらくそうして舌鼓を打ったあと、先ほど異を唱えたミドルブロッカーの青年が、ぽつりと漏らした。

 

「トビオがファンの女子なんて相手にするかよ……」

 

 低く響いた声に、日向はぎょっとする。まるでそれまでの無言の「間」が、テーブルを囲む全員で、彼と同じ思想を分け合い形成されていたかのような歪な確信を感じ取って、日向はまじまじと青年を見つめる。

 

「アイツはバレーのことばっかりだ。そうだろ? 世間知らずだし、プライベートなんてあったもんか。アンタもそう思うだろ」
「へっ!? ま、まあ……。高校のときから、バレー一筋だったよ」

 

 グラスをテーブルに戻した勢いで唐突に振り返られた日向は、反射的に背を伸ばした。

 

「リコお前、今日カリカリし過ぎだぞ。何だっていうんだ」
「俺はいつもどおりさ。おい、アンタ!」
「は、ハイ!?」

 

 酔いも回っているのか、眼窩の深いリコ青年の据わった瞳に気圧される。

 

「アンタの後輩、気をつけたほうがいいんじゃないか」
「後輩って、ガビのこと?」
「そうだよ。アーザス・サンパウロとウチじゃシステムが違うんだ。トビオと何を話してんだか知らないけど、コンセプトに合わないバレー論を吹き込まれてるかもしれないぞ」
「う、うーん。大丈夫だと思うけど。あとでそれとなく聞いてみるよ、ありがと!」

 

 顔を上げ、再び影山の背中へと目を向ける。隣には相変わらずガビが陣取っていて、スマホを見ながら2人で何か話し合っている様子だった。
 まあ確かに、ちょっと気になるか。まかせて、とリコにOKのジェスチャーを添えて頷くと、彼は不機嫌そうにふいと目を逸らしてしまう。こんな調子で、影山は本当に大丈夫なのだろうか。

 

 

 かくして打ち上げも終わり、件の後輩を捕まえて尋ねてみると、彼は手のひらで顔を拭いながら今日の感想を熱っぽく語り始めた。

 

「参考になったなんて言葉では足りない。トビオ・カゲヤマはスタメンでもない俺の質問に一つ一つ丁寧に答えてくれた。コートの中とは別人のように穏やかで、知性的だった。尊敬できるすばらしいプレーヤーだと思う」
「そ、そうなんだ!?」
「連絡先も交換したんだ。これから互いに有益な意見交換ができると思う」
「ふ、ふーん! よかったネ!」

 

 ガビ少年19歳がそんなふうに語っていたことを伝えると、影山はリビングのソファにもたれたまま、口元を緩めて肩を竦めた。最近影山はこういう笑い方を覚えたみたいで、ちょっとエロいな、と日向は思う。
 用意周到な日向翔陽は、本日チーム宿舎のホテルではなく、影山の家に泊まる了承をあらかじめ得ていた。合同打ち上げは想定外だったが、解散したあとはごくスムーズに、教えられていた住所にタクシーで乗りつけ、家主の影山に迎えられたのが10分ほど前のこと。
 チームメイトといがみ合っているらしい様子を酒席で見聞きし心配しないではなかったが、後輩の心酔したような語り口を参照するに、影山の外国語でのコミュニケーションそのものに課題があるわけではないようだ。

 

「お前あいつと仲いいの?」
「あいつって、ガビ?」
「そう」

 

 暖房の利いた一軒家で、ブランケットにくるまりながら影山はグラスをあおる。中身は日向が飲んでいるものと同じ、水で希釈した健康的なシロップドリンクだ。
 物差しを狂わせる2メートルの大男たちはそばからいなくなったが、日本の住居にいるときのような手足を余らせるそぶりがない分、影山が一回り小さく見える。

 

「ガビすげー真面目だからなー……バレー以外の話はあんましないけど、まあそこそこ。あ、日本語教えたときは結構興味津々だったな」
「ああ。それでかよ」
「何ですか影山くん?」
「あんま変な言葉教えんなよ」
「いや教えてませんが!?」
「そうか? すげー口説かれたけど。知ってる日本語総動員って感じで」
「はいィ!?」
「おいこぼすな。小学生かボゲ」

 

 グラスを持ったまま立ち上がった日向に、影山は流れるような罵倒とともに顔をしかめてみせた。
 蹴り飛ばして寄越されたラタンの箱からティッシュペーパーを取り出しローテーブルを拭いながら、日向はガビ少年の顔を思い浮かべ、焦点が合わずに頭を抱える。

 

「く、口説かれた? 何言われたのお前?」
「あー……うつくしいです、とか、すきです、とか。あと良いカンケイになりたい、って」
「あ、あのガキんちょー!! カタブツと思ってお前のとこに送り出した俺がアホでした!」

 

 年若いながらも浮かれたところがない──というガブリエル青年への理解は極めて一面的だったようで、まさか、たまたま周囲に好みの男がいなかっただけとは思いもしなかった。そして彼の好みがよりによってこの影山飛雄だなんて、日向史上まれに見るめぐり合わせの悪さだ。

 

「そりゃあ日本語にも興味があっただろうなあ!」
「……必死でかわいかったな、あいつ」
「だー! ダメダメ、絶対ダメ!」
「なんで」
「あいつ、お前の好みな気がする……」
「ならいいじゃねえか」
「全然よくない!」
「……今日。お前。家に来ないつもりなのかと思った、てっきり」
「そんなわけないでしょーが! まあまあ……嘘、かなり楽しみにしてたんだからな。久しぶりだし」
「……エロガラス」
「影山もだろ!」
「まあ、否定はしねー」
「お前さ、実は結構遊んでるよね……」
「気が向いたときだけ。お前だって好きにやってんだろ」
「俺は女の子とだけですよ」
「だから何だよ」
「たしかに」

 

 日向と影山が初めて「そういうこと」をしたのは、高校3年の秋のことだった。日向のブラジル行きも影山のVリーグ入団も決まったころで、今に遠く離れてしまうことを強く意識しながらの、余裕がなくてカッコ悪い初体験だった。
 次にそうした関係を持ったのはブラジルから帰国後の2019年で、間を置いたせいで会うたびむやみに盛り上がって、あの頃が一番「恋人」に近いような関係だった気がする。けれど、その後お互いの離日を機に、オリンピックを挟んで疎遠な時期が続いていて、日付は飛んで今日が「その次」となる予定だった。
 その間お互い浮いた話が何もなかったわけもなく、要するにセフレに近い関係が断続的に続いている──というのが、日向と影山の正確な現在地だ。干渉を嫌がる影山の言い分がもっともな一方、10代そこそこの後輩においそれと手を出されては面白くない日向の情緒にも、一定の同情の余地があるというわけだ。

 

「お前今いくつだっけ……」
「お前が26なんだから25以外だったら怖いだろ」
「あんさ、年々エッチくなっていくのやめない……? 何食ってんの?」
「何だそれ。お前の感想?」
「む、むかとぅく……えぇえぇ、俺の感想ですとも」

 

 他の男と何がどう違うのかと問われても、きっと具体的にあげつらうのは難しい。いわゆるイケメンなんて世に掃いて捨てるほどいるのに、顔を合わせると、顎先の角度ひとつとっても、ああやっぱり影山飛雄は特別だなと思わされる。それが年を取るたびエロエロになっていくのだから、このまま放し飼いにしていいものか? という、道徳心にも似た使命感が湧き上がってきてしまう。

 

「付き合ってもねーのにうるせーな」

 

 さしてうざったくもないのだろうか。影山の台詞は抑揚がない。

 

「じゃあ付き合うから口出ししていい?」

 

 グラスを置いて、向かいの影山のそばに移動して腰かけると、素っ気なく目線を逸らされる。

 

「……お前あんま会えねーからヤダ」
「え、そういう理由?」
「そりゃそうだろ」
「えっちすぎんかお前……」
「普通だろ」
「あのー……まさかとは思うけど、合理性を追い求めた結果、チームの中でってことないよネ……?」
「…………ない」
「間ァ!! おっまえさぁー!?」
「うるせえな」
「公私は分けなさいよ!」
「分けてる。ほっとけ」
「そんなら俺と代表期間中『ナシ』なの意味分かんないだろ!」
「いろいろあんだよ俺にも」
「ケチケチケチ! そういうことなら俺だって……んむ」

 

 ソファーに深くもたれた影山に、後ろ頭を捕まえられ、日向は唇を奪われた。どうせ説明するのが面倒になったのだろう、と思いながらも、「キスしたくなっちゃった?」と問いかけたくなるような、色気にあふれたまなざしで見つめられて背筋に興奮が走る。

 

「ヤる気あんの? お前」
「あるに決まってんだろぉ……!?」
「やろうぜ」

 

 ああもう、こいつ。そのままソファーに引きずり込まれ、日向は3年ぶりの真白い体にたちまち没頭した。

 

 

 翌日、ローマはフィウミチーノ空港から飛び立つブラジルチーム戦士たちを、アリ・ローマの選手たちが見送りに訪れ、空港の利用客たちを驚かせながら、再会を誓った。
 名残惜しそうに影山と抱擁を交わすガビを引き剥がし、なんとかチームメイトへと引き渡した日向は、少しもったいつけながら、影山に手を差し出した。

 

「またな」
「おう」

 

 さっと引かれそうになった影山の手を引き留め、手を握り合わせたまま、日向はひくりと口角をゆがめる。

 

「どいつ」
「……教えねー」

 

 十数メートル離れた場所で談笑するローマの選手たちを横目に、日向は記憶にスキャンをかける。

 

「オポジットのロレンツォ? セッターのサントニオ……!?」
「はずれ。勘悪ぃなお前」
「なんですと!?」
「……まあ。昨日のでしばらく我慢してやらないこともない」
「えっ」
「トビオ! お前も一緒にバールへ行くんだろ?」
「ん。行く。待って」
「影山! さては……さては結構よかったな……!?」
「久しぶりだったせいだろ」
「いやいや、俺の実力がアップしてたんだぞ! 認めろよ!」
「うるせえ。またな」
「こんにゃろ、……また、絶対な!」

 

 適当に手を振ってチームメイトの人だかりに埋もれていく影山を見送りながら、日向は頬を両手で覆った。
 あいつ実は俺のことかなり好きだよな、と日向は思うのだが、なにせ天邪鬼の影山のこと、向こう10年くらいは意地でも認めないに違いない。