intermission II

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2022ハピバ(侑影)

・2018年秋(なので宮さん呼び)
・宮さんの目標は、Vリーグとのコラボイベントの影ナレトークより。

 


 

1)

 結局、要約するとやで。侑は会議のファシリテーターじみた口ぶりで、荒れに荒れた議論の決着を導こうと試みた。

 

「つまるところ誰が悪いと思う?」
「お前」
「お前」
「なんでやねん」

 

 リビングはしんと静かだ。割高な家賃と引き換えに優れた防音性能を備えた侑の自宅は、幅広なソファーに一人腰かけていると、時折、この世から取り残されたみたいな気分になる。
 高校卒業以来所属しているVリーグチーム、ブラックジャッカルはリーグ内でいわば中堅の位置にあった。寮の立地がよく、設備も申し分なく充実していたが、この夏社員としての雇用関係からプロ契約に移行した侑は早々に寮を出て、本拠地体育館から少し離れたベッドタウンにマンションを借りた。期待どおり、隣の部屋からチームメイトたちのにぎやかな談笑が聞こえてくることはなくなったが、共同生活に慣らされ切った侑は案外寂しがりやな可愛らしい性格をしており、静寂の中では、普段の気勢を半分くらい削がれてしまう。

 

「バラエティでやらかしたのもお前。このあとの撮影内容決めたのもお前。人選したのもお前です。どうぞ?」
「銀はもーちょい俺に優しくすべきやと思います、どうぞ?」
「銀、やっぱフキならおこわのが合うよな? 新作はこの組み合わせでいこうと思うねん」
「いやお前はノリと話を合わせんかい!」

 

 銀、とは、侑の高校時代のチームメイト、銀島結のハンドルネームである。現在は大阪でジムのインストラクターをやっていて、多少自由が利く契約形態を活かし、侑がプロ移行後早々に開設したYouMoveチャンネルをスタッフとして手伝っている。本職でトレーニングムービーを編集している日頃の経験を活かして器用に動画制作をこなす一方、動画内ではもっぱら画面外からのツッコミ役を担っており、ファンからは「銀さん」の愛称で親しまれていた。撮影の最少催行人員は侑と銀島の2人だが、今日は公式スポンサー「おにぎり宮」のケータリングが付いているお楽しみデーで(差し入れの見返りに動画のエンドカードに店のロゴを差し込んでいるから、侑がオフィシャルスポンサーと言い張っている)治も同席している。ちなみに治のほうはスポンサー活動に「兄弟でそんなんサムい」とあまり乗り気ではない。
 現在交わされている気の置けないフリートークも、侑をピンショットで捉えるカメラ撮影のもと展開されており、今日撮影する企画の前説として使用する予定だ。
 侑もお年頃のメンズであるから、自由な一人暮らしに憧れがあったのは事実だが、マンション暮らしを始める何よりの決め手となったのは自宅で動画撮影を行えるという圧倒的アドバンテージだった。
 侑には使命がある。宮侑が現役の間に、なんがなんでも「バレーボール選手、おもろいやん」と世間に認めさせねばならない。そのためのYouMoveチャンネルと割り切っていて、あえてバレーとあまり関係のない動画も多く企画し、スポーツファン以外にもリーチしようと試みている。今日も割合「関係ない」寄りの企画の撮影を行う予定だが、このあと登場するゲストと直前に共演したテレビ番組が原因で、想定外の事態が発生していた。

 

「一応弁明さしたるけど、『トゥンクスポーツ』で言うてた話は事実なん?」

 

 「トゥンクスポーツ」は、スポーツの「トゥンク」な瞬間を切り取る地上波の人気スポーツバラエティだ。近年一般層にウケのいい選手が増えたのと比例して天照ジャパンメンバーの出演機会が急増しており、「バレーファン御用達」番組の1つと化している。結果、幸か不幸か「Vリーグ開幕直前特集」と銘打たれた昨日の放送を侑のファンの9割5分は視聴していたと推計され、その影響は計り知れない。
 銀島の問いかけに、侑は不自然に手をくねくねともてあそびながら曖昧な仕草で頷いた。

 

「代表……はほんまに仲悪くはないねん。そこはガチ。ガチ絆、卍」
「卍要らんねん、あと仲は疑ってへんし。お前が『気軽にチューくらいしますよ』とか言うから世間は極めて正常に驚いたんや。訂正報道すんなら今しかないで侑」
「そうは言うてへんやん。ディティールちゃんとせーや」
「せやな。ツムは『飛雄くんに』、気軽にチューくらいしますよて言うたからな」
「言うてへん!」

 

 定位置のソファーからすっくと立ち上がり、侑は仁王立ちした。
 とびおくん、という響きに胃の粘膜が呼応してぐにゃあとよじれたのが分かる。昨夜から突如現れた身体の異状だ。

 

「そないなこと言うてへん!!」
「いや、言うたか言うてないかでいうと『言うた』でfixやアホ」
「事実やったんか、嘘ついて視聴者騙したんかの2択しかお前にはない」
「嘘ではない! けどお前らが思てんのとは趣旨が全然ちゃうねん。ガッツリめのヤらしいチューや思てるやろ、違うで!」
「沖合で勝手にモメるな! もっと浅瀬でチャプチャプせぇ!」
「キスの程度で粘る時点でアウトやんけ」
「チューはしとる!」
「エンディング行けもう」
「待てや! まだ企画やってへん!」
「お前以外の全員企画どころではないねん。影山も家に帰らせたれや、気まずい」
「無理や、もうそろ着くし……っちゅうかお前ら早よ隠れんかい、ドッキリ企画やねんから」
「侑。ええんやな」
「何がや!」
「お前はライバルの影山飛雄と人目につかんとこで実はちゅっちゅちゅっちゅやってストレス発散してたでええんやな!」
「そうやで! 代表だなんだアホみたいにストレス抱えとる中で酒もタバコもクスリもせんと頑張っとんねん! 身内にちょーっとイタズラしてたから何や!」
「なんちゅう羨ましないメンタルタフネスや!」

 

 銀島と治は肩を竦めたり、いからせたりしながら、もう諦め半分なのか、洗面所と寝室へ手はずどおりに姿を隠した。観葉植物の陰に隠した無人の定点カメラに見守られる中、侑はカーペットに座り込む。

 

 ──バレーって代表の活動がすごく長いんですね。海外での生活はストレスも大きいんじゃないですか?
 ──へー。女の子と遊ぶのも一苦労やなあ。

 

 当たり障りのないスタジオトークのうちだったと思う。客観的に見れば多少失礼だったとは思うが、代表の中で「イケメン担当」というよりかは「モテ男担当」を割りふられている自覚があった侑は、ここで「いえ、そんな俗念はございません」と某牛島のように眉をキリっとさせる気概もなかった。モテ男の余裕を漂わせ、適当に流せばよい。そう思い、オーバーアクション気味の手ぶりを添えて述べた。

 

 ──まあ口寂しなったら飛雄くんあたりとっつかまえてからかっとるから間に合うてます。
 ──セッターの影山選手ですか?
 ──はい、飛雄くん。
 ──口寂しくなったら、とおっしゃるのは……えっと?
 ──気軽にチューくらいしますよ、まあ、別に、フッフ。

 

 スタジオの時空が数瞬止まり、ぐにゃりと歪んだことは侑にも認知できた。訂正報道すべきかと、それこそその瞬間は侑も考えたのだ。けれどいまひとつ、本事案の問題点が腹落ちせず、ごまかし方の要領もつかめなかった。
 だって、ちゅーするとき、飛雄くんも抵抗せーへんもん。
 顔をくっつけた時点で「されるな」と分かるはずなのに、じーっとこちらを見つめるだけで、まあちゅーしたあとに「何してんすか」くらいのことは言うけれど、それも惰性って感じで。大したことでもないみたいに流されるから、こっちも流され慣れてしまった。俺と飛雄くんの多数決は、いつだって満場一致で「キス、不問」だったはずなのだ。
 見計らったように、リンゴン、と厳かにチャイムが鳴った。
 トゥンクスポーツ放送以来、初めて顔を合わせることになる。顔を上げれば、時計は約束の時刻きっかりを指していた。

 

2)

「なあ、飛雄くん。俺には君しかおらんのよ。頼むで」
「はあ……」

 

 なんかもういろんなめぐり合わせが最悪やなとは思う。
 侑は心の中で嘆きながら、自ら立案したドッキリ企画を台本どおりに進行していた。

 

「出会ったころからずぅっと思てて。君来年海外行くやん」
「まだたぶんスけど、ハイ」
「もう今しかないやん。せやから……」

 

 自分でも自分が「付き合ってくれ」とでも言いだすのではないかと疑う迫真ぶりで、侑は再度影山に提案を重ねた。

 

「一緒に出よ、Mワン」
「宮さん具合悪いスか」
「ピンピンや」

 

 「もし侑からお笑いコンビに誘われたら真面目でエエ子な後輩セッターはどうするのか?」というリアリティゼロのドッキリ企画を発案したのは前述のとおり侑だ。自称ボケたがりにもかかわらず、代表でツッコミ疲れに追いやられていることを天照ジャパン最大の闇と言い切ってはばからない侑なので、他人にツッコんで話を進めようなどという意欲から一番遠くにいる影山は、コンビに誘う相手としてどう考えても不似合いである。「もしかして本気で?」と疑う余地もない、サムネ出オチを狙った企画だった。
 しかし今日の侑は、影山の言葉を借りるなら、確かに具合が悪い。
 昨日放送のトゥンクスポーツを見た視聴者の反応の余波が心身に来ているし、玄関先に現れた「プライベートの影山飛雄」が、バキバキの彩度でそこに立っていて、慣れない酒に口をつけたときのような不調が脈拍に表れている気がしてならない。
 思えばアスリートウエア姿ではない影山と会うのはずいぶん久しぶりのことだった。あまり自分の外見に頓着しないイメージの影山だったが、CMにいくつも出演し、女性誌の表紙を飾るようになった今ではそうも言っていられない──というか、「オン」の時間が長くなって、他人に見られている自分が定着しているような感じがする。もともと白かった肌がいっそうつやめき散らかしているし、髪に天使の輪を常時戴冠し、明らかに一般人とは異なる洗練された雰囲気をまとっている。なんかバキバキや。平坦な風景の中で、一人だけ飛び出す絵本をやっているみたいに、侑の視界にせり出してくる。通されたリビングでもその佇まいは変わらない。コンビ結成の勧誘が、決死のプロポーズのように聞こえてしまう原因は、間違いなく影山の雰囲気にあると思う。

 

「俺お笑いよく分からないです……」

 

 このあんまり頭に血液を回してなさそうなオフ全開の言動がなければ、影山飛雄御大を家に上げている違和感に圧倒されてしまうところだった。

 

「説明したるわ。あんな、Mワンには『ナイスアマチュアで賞』と『ベストアマチュアで賞』っちゅうもんがあんねん。7000組、8000組て出場するコンビの中から、会場ごとに選ばれるんがナイスアマチュアで賞で──」

 

 思考停止気味の己にムチ打ち、侑は準備しておいた台詞をつらつらと述べた。うん、うん……とうなずきながら耳を傾ける影山は、相変わらず素直なエエ子である。今年のMワンのエントリーはもう終わってしまったし、予選の日程はVリーグの試合とだだかぶりであるからして出場は門前払い状態なのだが、そうでなければこのエエ子への義理として記念エントリーくらいはしてしまっていたかもしれない。

 

「そういうわけやから、俺らが目指すんは『ベストアマチュアで賞』な。ぶっちゃけ芸人さんはバカおもろいねん、俺らが付け焼刃でどうこうしても太刀打ちできん。そこは潔く割り切るでええねん。バレー選手の本気、アマチュアの本気を見せつけたろっちゅう話やねん」

 

 洗面所から顔をのぞかせた銀島が、ハンディカメラの液晶を薄目で見下ろし「無理やろ」の顔をしているので、ちったぁ隠せや、という気持ちになる。分かるけど。

 

「宮さん」
「ん、ハイ?」
「宮さんってすごいっすね」
「なんが!?」
「バレー以外の活動からバレーに還元すること考えてて、すげーなって思います。俺はそういうのできないっす」
「えっ、そ、そう? 微妙にそういうのちゃうねんけど……ってか君むっちゃプライド高いくせして俺のこと隙あらば褒めてくんの何やねん」
「バレー以外で張り合う気ないですよ」
「おー、おー、そのツラで……」
「だから、手伝えることあんなら手伝います」
「おー……、ありがとうな」

 

 侑とセットで「東西イケメンセッター」などとうたわれているのを知らないわけでもあるまいに、影山のバレー以外に関する自己評価は一貫して無に近い。そのくせ侑に対しては、自己肯定感バリ高の侑自身すら見逃していたポイントを器用に拾って褒めにつなげてくるので、時折「コイツ俺のこと好きなんちゃう?」と疑い、顎をさすってしまう。思えば侑が「ストレス発散」の相手に影山を選んだのは、影山は侑が何をしても大体のことは許容するだろうという安心感、ないしは慢心に操られたせいだったように思う。

 

「あー、なんか飲む? 君がケータリングでよう飲んどるほうじ茶あんで。たまたまやけど」

 

 そういえば、今自分は初めて影山を自宅に招いているな、という突然の気付きがあって、侑は違和感に襲われた。ドッキリ動画をどういう編集にするつもりなのだか我ながら計画性がないが、手持無沙汰に負けて立ち上がると、後輩気質の影山が「手伝います!」と腰を浮かしてくる。
 言うて、ライバルである。それでなくても、優勝争い対抗馬1位のアドラーズメンバーには気安く家に誘える人間があまりいない。今後とも牛島あたりを家に招くことはないだろうという体感予測があって、それは基本的には影山にも当てはまるはずで、企画がなければ一生こんな機会はなかったかもしれない、と思う。
 よく考えると、企画のことなど知らずに呼び出された影山は、さぞかし「何事か」と驚いたことだろう。何も言ってこないが、Mワンの誘いという理由でどこまで納得できたのだか不安だ。

 

「茶請け何かあったっけ、と」
「あ、俺、持って来ました」
「は?」
「寮の近くに旨い和菓子の店できたんス。食いませんか」

 

 キッチンの天袋を探る手を止め背後を振り返ると、後輩がカウンターキッチンの中で紙袋を差し出していて、侑は見えない壁にぶつかったかのようにノックバックし後ずさる。

 

「何しとんねんキミ……!」
「あ、和菓子嫌い……じゃないですよね。普段食ってるし」
「ちゃうねん! なにをそんな、ちゃんとしとるんや……」
「え、……かしこまり過ぎっすか?」
「そうやない、ウンコ!」

 

 侑は水回り共用の引き戸を開け、キッチンに影山を残して逃げ込んだ。排便宣言を受けてこの事態に備えていたのか、銀島のカメラが狙いすました高さで構えられており、侑の切迫した表情を余さず映像に収めることに成功する。

 

「なんでこないええとこでウンコやねん」
「ウンコちゃうわ。いったいあの子は何をキチンと育てられとんねん!」
「キレ方独特すぎるやろ」
「もうほぼ彼氏んちにお呼ばれした彼女やんけ」
「飛躍エグいな。天照ジャパンかお前」
「天照ジャパンやねん奇遇にも。あかんもう……動画どないすんねん。このあとボケツッコミの分担とコンビ名決めなあかんのに」
「いやもう無理やで。諦めてネタバラシしたれや。ただでさえストレス発散でキスぶっかましてくる先輩に家呼び出されて、あっちのストレスいかほどや思とんねん」
「飛雄くんがストレスやと……?」
「そうや? てかほんまによう家呼べたなお前。下心ビンビンにしか見えへんで」
「オイ擬態語慎重に選んでくれ」

 

 狭い空間でわちゃわちゃとモメていると、木戸を外側からノックする乾いた音が聞こえてくる。

 

「宮さん」
「は、はいー?」

 

 便器にハマっているはずの侑が洗面所前から返事をするのはおかしいのだが、つい咄嗟に猫撫で声で応じてしまい、侑はカメラの前で頭を抱えた。

 

「宮さんもほうじ茶でいいっすか?」
「お、おん、ええよ」
「うっす」
「ま、待って、どこに何があるか分からんやろ。待っときや」
「大丈夫っす。治さんに聞くんで」
「……治ぅ!?」
「おい、アホツム」

 

 影山の語尾が遠ざかるのと入れ替わりに聞き慣れた兄弟の声が聞こえたと思ったら、仕切り戸が引かれ一瞬にして視界が開ける。料理人だからなのか、異様に様になる腕組み姿で治が立っていて、その背景で影山がヤカンを火にかけていた。

 

「何を客人ほったらかして迷惑系YouMoverのコメ撮りやっとんねん」
「迷惑系ちゃいますけど!」
「お前な。もうちゃんとせえよ、いろいろ。あの子大事にする気あんのか、ないのんか、はっきりせんかい」
「お前に言われんでも分かっとる……!」
「早よ行け」

 

 背中に遠慮のない衝撃が加わり、侑は恨めしく2人をにらみながら、コンロを見守る影山のもとへと歩を進めた。

 

「飛雄くん」
「ウス」
「ごめん。俺しかおらんて言うたけど、サムと、銀島結覚えとる? あいついてたんよ」
「全然大丈夫っす。銀島さんだったんスね。すげー久しぶり……あ、俺あいさつ」
「ええねんええねん。そんなもんあとで。ヤカンの火見といてや」
「うす。目離したらダメっすよね」

 

 たぶん、太古の昔に家庭科の授業とかで言い含められたことを21歳になった今でも真面目に守っているんだろう。カタカタと音を立て始めたヤカンを真剣に見つめる後輩の丸い頭を、なんとなく撫でてしまう。
 影山はやっぱり抵抗しない。角部屋の明るいキッチンで、侑に頭を撫でられながら長い睫毛を伏せる後輩の存在が、侑の心にすっぽり収まるみたいで心地いい。

 

「飛雄くん。ボケとツッコミどっちがええ?」
「どっちのほうができそうですか」
「その発言がもうボケとるよなぁ。君は生粋のボケや」
「ウス。じゃあそっちで」
「フッフ」

 

 洗面所から、恐らくいまだ回り続けているカメラのことも半ば意識的に忘れて、侑は影山の腰を抱き寄せ、隣り合う肩にもたれた。ヤカンが音を立て、白く煙る湯気を吐き出し始める。

 

「この家静かっすね」
「せやろ。防音物件やねん」
「へえ、そんなのあんのか」
「睡眠大事やからな」
「たしかにそうっすね」
「湯、沸いてきたなあ」

 

 手を伸ばして火を止め、影山がティーバッグを投じた急須に、湯を注ぐ。所帯じみた空気感に侑の口元は自然と緩んだ。別にストレスなんて感じてないけれど、飛雄くんにちゅーしたいな、と思う。

 

「なあ、コンビ名何にしよか」
「さっき治さんに案もらったっす」
「へー、何?」
「『セッターズ』です」
「ぅおお何やそれダッサ!! 絶対に嫌や!!」

 

 あまりの衝撃に我に返った。全身の細胞が決起し抗議デモを敢行しそうなくらいちゃんとダサい。治が嫌がらせで吹き込んだのは明らかだった。
 影山からようやく体を離し洗面所に乗り込もうとした侑は、ちょうど廊下に出てきた2人に押し返され、リビングへと連行される。

 

「はいどうもー、セッターズのセクハラ好きのほう、宮侑でーす」
「銀お前! 俺は認めへんぞ! シャレオツで『ン』が入ったコンビ名にするんや!」
「セクハラ受け入れんなや。あとブレイク芸人のジンクスやめろ」
「ほんなら、影山好きなバレー用語とかある?」
「……用語っすか。『吸い込み』っすかね」
「流行らん流行らん! そんなコンビ絶対流行らん!!」
「吸い込み気持ちええよな。俺も好き」
「おいサム! 下ネタやめろや」
「シモはお前や」

 

 隠れていた撮影部隊が登場し、無事ネタバラシとなったはずが、皆こぞってMワンネタをこすり続けたため、なんと影山はドッキリでコンビに勧誘されたことに気付かないままこの日を過ごし、帰宅した。
 間もなく、「ネタ合わせしよか」が影山を誘う際の決まり文句になったが、後にこれを知った治はゲテモノ食材でも食べさせられたかのように気持ち悪がり、関西人として激しく非難されたのだった。

 


3)

 それからしばらく、こと影山との関係について治と銀島から風当たりの強い時期が続き、撮影したドッキリ企画も「問題作」「波紋を呼ぶ可能性あり」として世に出ないままPCの奥底に寝かされていたが、侑と影山の関係のほうは順調に緊密さを増しつつあった。

 

「今日はねたあわせじゃないんスか?」

 

 指定した時刻にホテルのエントランスに姿を現した影山の私服に満足しつつ、侑は頷いた。左胸にポケットがある以外何の装飾もない厚手のTシャツにブラックジーンズという出で立ちだが、影山の場合、上質でシンプルなものを着るのが正解に違いなく、「こういうのでええねん、こういうので」という感想を抱かざるを得ない。
 今日はリーグ開幕前の合同取材が都内のホテルで行われ、各チームの選抜メンバーが全国から集まり、一堂に会していた。取材会場は随分な盛況で、天照ジャパンの躍進をきっかけとした男子バレーへの関心の高まりが見て取れた。
 さて、昼過ぎにイベントが終わるとそこからは三々五々で、遠征組の侑はもちろんタダで帰阪するつもりは毛頭なかった。Vリーグの顔として同じく出席していた影山を誘い、「コンビとしての大事なアレや」と一切要領を得ない文句で約束を取り付け、出かける準備万端だ。

 

「おん。言うてネタ合わせしたことないけど。ほな行こか」
「どこ行くんすか?」
「今日はコンビとして不可欠なアレや」
「アレ?」
「宣材写真や!」
「洗剤?」
「君今絶対なんか洗たやろ。ちゃうで、適当な撮影スタジオ借りて、二人並んで写真撮んねん。ま、俺らが普段チームで撮る広報用の写真とおんなしやな。極論壁白けりゃええねんけど」
「サイトとかに載るやつスか」
「せやな。Mワンて、エントリーすんのにコンビのツーショット写真が要るんよなあ」
「あ、そうなんスね」

 

 具体的な行き先は説明しないままだが、ホテルを出て歩きだした侑に影山は大人しくついてくる。アヤシイ歓楽街でもらくらく連れ込めそうな従順ぶりだ。

 

「飛雄くん今日何時までいけんの?」
「何時でも大丈夫です」

 

 食い気味に返ってきた答えに、侑は少し驚いて隣の後輩の顔を見やった。確か、侑は「午後空けといて」くらいのニュアンスで誘ったと記憶している。

 

「え、そうなん?」
「ウス」
「アドラーズ寮て門限何時?」
「門限大丈夫です」
「大丈夫て何!?」
「寮出て一人暮らし始めたっす」
「え……えぇ!? 聞いてへんで! いつから?」
「先週です。海外でいきなり一人暮らしキツいかもってチームの人に言われて、確かにって思ったんで」
「急すぎひん!? えっらい思い切ったなあ」
「物件が急に空いて、バタバタでしたけど、なんとか」
「ほ、ほうかー……」

 

 もともと今日はそんなに遅くなるつもりはなかったし、侑には大して影響のないニュースのはずなのだが、心は不思議と高揚していた。何とは言わんけど、ええニュースのような気がする。影山が一人暮らしをしているのはいいことだと推定される。何でとは言わんけど。

 

「あんな、飛雄くん」
「はい」
「実は君に謝らなあかんことあって」
「はい」
「今年のMワン、もう出られへんねん」
「ウス。知ってます」
「えええ!?」

 

 再び、食い気味の返事があり、侑は地下鉄へ向かう階段の途中でよろめいた。とっさに影山の腕をつかむと、体幹の丈夫な後輩はしっかりと踏ん張って侑の腕をつかみ返して、体を支えてくれる。自己申告どおり影山は落ち着き払っていて、適当に話を合わせているわけではなさそうだった。

 

「今日日向に聞きました。あいつも出たかったらしいです」
「それもなんでや!」
「気にしたら負けっす」
「ほんなら……君はいったい何をモチベーションにここにおるん。俺が言うのも何やけど」
「……宮さんといられるのは変わんないんで」
「へ……」
「誘ってくれたのうれしかったし」
「ほんまに言うてんの……な、なんで?」
「それは俺が言いたいっす」
「なんでチューしたんってこと?」
「ハイ。まあもういいんスけど」
「まあもういいことある?」
「腹決めたんで。宮さんが俺にしてほしいことあんなら、付き合います」
「腹決まり過ぎやろ」
「要らなかったっすか」
「いや。むっちゃ助かるし、今年いちトゥンクスポーツやった」

 

 数段飛ばしで階段を下り、踊り場で立ち止まる。影山はやはり侑にならい、侑の望むように、目の前に向き合って立った。

 

「ベタでキモいこと言っていい?」
「いいっすよ」

 

 返事はまたも食い気味だ。

 

「俺とコンビ組も」
「いいっすよ」
「人生的な意味で」
「人生的な意味で。はい。あと俺んち壁白いっす」
「え?」
「すげー白いっす」
「俺むっちゃ察しよくてかつ思っとること全部口から出るタイプやねんけど、宣材写真撮るっちゅう建前で飛雄くんの家上がってええよって話よな?」
「そうです」
「お邪魔せん理由ないで。上がらしてもらうわ」
「どうぞ」
「うわーテンション上がる。まあまあエッチなことしたろ」
「全部言い過ぎだろ」

 

 顔をそむけた影山の耳元が赤く染まっていることに気付いた瞬間、また今年のトゥンクが更新された。こうなると、もう何も怖いものなんてない。眠らせていた動画も早々に投稿して、細かいことは全部「まあ、相方なんで」で押し切ってしまえばいいのである。