intermission II

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治影、原作軸

・AD時代治影
・侑の話を結構する

 


 

 

 和食は出汁で決まるのだそうだ。
 サーブトスによって、打つ前からあらかじめ、サーブが決まっているのと同じように。
 治の説明を聞きながら、そういえば治は、制限時間の8秒間をたっぷり使ってサーブを打つ選手だったなと影山は思い出していた。あの間合いを嫌う選手は多かったが、影山はその限りでなかった。なにせ、4秒で打つより、8秒で打つほうがバレーを長く楽しめる。
 イベントへの登壇終わりにおにぎり宮を訪れた影山の目の前には、本日のシメ「鶏ごぼうおにぎりの出汁茶漬け」があり、今日の優勝を約束している。数あるメニューの中でも影山が特に気に入っている一皿だが、他のおにぎりの誘惑も非常に強力で、シメに至るタイミングまで腹の余裕を残しておけるかは五分五分といったところだ。今日は一日を通じたマネジメントが上手くいった。鶏肉とごぼう、しいたけと、よく味の染みた油揚げらしきものが食感のアクセントになっていて、地上で出汁茶漬けという食べ物がなせる美味さの極致を体現している。

 

「ごめんな影山、騒がしくして」
「へ? いや、全然」
「嘘やん、聞こえてへんかったんか」

 

 本日の閉店時刻まであと15分ほど。先ほどまでカウンターの中の厨房で他の客の相手をしていた治が席までやってきて、ゆったりとした手つきで2人分の茶を注ぎ、目の前に腰を下ろした。

 

「あ、聞こえてはいました」
「ふふ、どないなっとんねん」
「美味すぎて。集中してました」
「そっか。君がイヤな気持ちになってへんならええわ」
「……えっと。大変すね」
「俺のことはええんよ。ほかの客の手前、ちょっとな。ってだけ」

 

 ついさっきまで、カウンター席には若い女性客2人が座っていた。顔の割れやすい影山を治が気遣い、少し奥まった席を案内されていたので、彼女らからやや離れた席で影山は会話を漏れ聞いていた。
 途切れ途切れの会話を聞くかぎり、2人のうちの片方が店主の治に熱を上げていたらしいのだが、影山は「そうか」と事象を理解したきり、それに対する特別の考察は行わなかった。

 

 ──一度でいいんです。お店の外で会ってもらえませんか?

 

 なんか、そういう感じのことを何度か言っていた。私、ここを出たら○○駅から帰るんです。駅まで、少しの間だけでも。
 22時を回っていたし、女性だけでは夜道が不安だ、というニュアンスが暗に込められていた。──というのを、その後の治の受け答えから影山はやっと理解した。

 ──そういうことはできひん。みんな大事なお客さんやから、差ぁつけたないんです。ごめんな。もしタクシー必要やったら言うてください。

 柔らかな口調ながら、内容としては至ってはっきりと、治は彼女らを断った。帰り際には、「また来てな」といつもどおりの調子で見送り、しかし引き戸が閉まると、何かを振るい落とすように短く息をついていた。のを、一応、影山も目撃してはいた。

 

「それ好きなん?」
「へ?」
「鶏ごぼうの出汁茶漬け。よう頼んでくれるよな」
「ウス! すげー美味いっす。ほかのとこで何食ってもこの出汁の味しないです」
「せやろ。企業秘密のカタマリやねん」
「あと食感? が面白いス」
「ええ、初めて言われた。何の食感?」
「たぶん、揚げ?」
「ふふ。サカナクションみたいに言うやん」
「え、サカナなんすか?」
「や、違う。忘れて。鰻天の出汁茶は食うたことあったっけ?」
「それ……すげー気になってるんすけど、たまにしか来られねーし、来られねえ間ずっと食いてーなって思ってるから、ついこっち頼んじまって」
「ん、そっか」
「鰻美味いスか」
「美味いで。後悔はさせへん」
「……次」
「おん」
「たぶん」
「はは。怪し。影山いつまでこっちおるん?」

 

 湯呑を両手で包み、治はじっと影山を見つめる。

 

「明日には東京戻ります。用事、昼間のイベントだけだったんで」
「とんぼ帰りか。バレー以外もほんま忙しいな」
「いや。治さんの店行けそうだなって思って、二つ返事」
「……ほんまに?」
「はい」
「そうやったん。なあ、そういうときは連絡しや。新メニューづくりのために臨時休業とか、たまにあんねんで」

 

 影山がまばたきをし、「連絡」とおうむ返しにすると、治は「連絡」、と卓上の影山のスマホを指さした。

 

「ラインでええよ」
「ライン知らないです……」
「せやな。ほな、交換しよ」

 

 はあ、とうなずいている間にてきぱきと治が操作をして、魔法のような手さばきで友だち一覧に治が追加されていた。

 

「あざっす」
「なかなかの手際やったな、今の」

 

 確かに操作がスムーズだったな、と思って影山は頷いたが、治の意図はどうやら違っていたようで、少し考えるような顔つきをしてから、「あかんあかん」とかぶりを振ってみせた。
 たった今影山が友だちになったのは、店の公式アカウントとかではなくて、たぶん、完全にプライベートのアカウントなのだと思う。見覚えのある──なんて表現では済ませられない、今もまなうらに焼きつく稲荷崎のユニフォームの胸元がプロフィール写真として円く切り取られていて、背筋をぞわっと覚えのある感覚が走った。

 

「影山、今日タクシーで来たん? ホテル分かっとる?」
「大丈夫です。ここから一番近い駅の真ん前の、デケェとこだから」
「ステーションホテル? ほなあとで送っていくわ」
「……へ?」
「ん?」
「い、いや、……おぉ?」
「どしたん、顔おもろ。あ、もしかして女の子ら断ってたから?」
「おお、はい」
「あんな。君は別やで」
「べつ……すか?」
「理由は聞かんとこか。君は別。とにかく送るわ」
「……あ、あざっす?」
「っふ、ええよな、君のそういうとこ」
「はあ……」

 

 そもそも「影山は旧知の仲だから」、と言われてしまえば頷くしかなかったのだが、治はあえてその言い方を避けたような気がした。それ以上話す気が本当にないのか、話は違う方向へ折れていく。

 

「せや。この前君のインタビュー見てん。あれ、どこの局やったかな」
「あざっす。たぶんテレ日のですね。侑さんも出てたから」
「別にツムのついでに見たんとちゃうで」
「そうなんすか?」
「まあ、ツムもようしゃべってたけど。影山、一人では外食ようせん言うてたよな?」
「はい、基本寮かホテルなんで。一人で出歩いたりはあんま……ここだけです」
「そうなんや。わざわざありがとうな」
「なんか、禁断症状みたいなのがガッて来るんす」
「あかん、依存症状……もしかして、あれか」
「……あれ?」
「出汁にあの粉混ぜとるせいかもしれへんな……」
「粉っ!?」
「──ふっふ。冗談やって」
「くそ、……びびった……」
「ごめんて。そんな信じる?」
「治さん、真顔で嘘つくから分からないです。一瞬でTUE申請まで考えました」
「はは。TUEってあれやろ? ドーピングにかからんよう薬の申請しとくやつ。申請すなよ」
「ここのメシ食えなくなったら困るんで」
「うーん、悪い気せえへんよなぁ」

 

 出汁茶漬けを食べ終えて手を合わせた影山に、治は頬杖を解いて「はい、お粗末さん」と目を細めた。
 気付けばもう、閉店の時刻を過ぎていた。注意していたつもりだったが、どこかでふと気を抜いてしまったらしい。ゆっくり食事をしてしまったことを申し訳なく思い、会計を申し出ようとする影山を前に、治は店じまいを急ぐ様子もなく、椅子に深く腰かけたまましゃべりだした。

 

「なあ、ツムのことやねんけど。結構君にメーワクかけとるよな?」
「え? ……あ、インタビューっすか?」
「そ。インタビューがっちゅーか、あれがええ例やなって。たぶん気ぃ許してるんやろなぁとは思うけど、君への絡み方だいぶウザなってない?」
「まあ……いや、そうすか?」
「怒ってええねんで。ゴメンな」

 

 影山にとってみれば、良くも悪くも侑の態度が高校時分から変わったという印象はなく、自分が困らされている認識もなかったが、治が営業時間をオーバーして影山に付き合っている理由をなんとなく察し慌てた。身内のことだからきっと敏感になって、時間を取ろうとしてくれたのではないか。

 

「別にイラついたりしてねーんで、大丈夫です。たまに言い合いみたいになることはありますけど、……全然、それは言い合いだし」
「インタビューで言うてたことまんまやん。ほんまにそうなん?」
「俺結構思ったことそのまま侑さんに言ってるし。なんかスミマセン、むしろ」
「いや、謝るようなことではないよ」
「そうか。分かりました。治さんって侑さんのことすげー心配してるんすね」
「いや……まあ心配してへんわけやないけど、ちょっと違うんよな」
「じゃあ分かってなかったっす」
「ふっふ。俺は、ツムのああいう性格矯正したろーとかは残念ながら思てへんねん。諦めとるとも言えるし……家族やからな。俺自身は折り合いついてて、根本的に許容しとるわけ」

 

 年齢の近いきょうだいがいなかったせいだろうか、治の感覚をうまく自分自身に当てはめることができなかった影山は、あいまいに頷き返した。

 

「でも『トビオくん』は違う。君に俺みたいな許容は求められへん。ライバルやしな、ぶっちゃけもっとギスってもしゃーないと思う……。でも君はツムとあんな近くにおれて、俺は君に許されとるツム見ると、なんや不思議なくらい満足すんねん。俺はあいつを、正しくなくても、歪んどるなりの真実味があるヤツやと思っとるから」

 

 ごめん、話長なった。そう言って、話を切って立ち上がろうとした治の腕を、影山は思わずつかんでいた。自分は、想像力や表現力の全般において大きな課題がある人間らしい。分かっているから、日頃は少しでも場に相応しい表現をしようと工夫をしているのだが、このときは言葉を捏ねる余裕がなかった。

 

「『真実味』っていうのたぶん、俺分かります。宮さんとは本当の話ができる。と思う」
「──ふふ。ほんまの話かぁ。ほーか。胸襟開いて話せる、てことかな」
「胸筋すか。胸筋は……頑張れば開くかもしれないです、ちょっと」
「待て待て、字ぃ違うわ絶対、なに開こうとしとんねん器用にも。──っふふ、はは!」
「え、どういうことスか!?」
「はは、おもろ、君天才ちゃうか。あー、あかん好き。なあ、胸筋は大事に閉じときや」
「はあ……え?」
「……送るわ。」
「……え!?」
「聞き間違いやで。引き留めてごめんな、ホテル行こか」

 

 どこかうっとりとした表情で言葉を重ねる治に気圧され、影山が「あ、はい」とうなずくと、「語弊あるよなあ」と治は嬉しそうに肩をすくめた。

 

 

 店を出て数十メートル歩いたところで、治は思い出したふうでもなく、ふと切り出した。

 

「せや、朗報? かな。今度こっちで代表の合宿あるやろ」
「はい、12? 13日くらいから、大阪」
「13な。おに宮でケータリングすることになってん。体育館のほう」
「え、マジすか?」

 

 寒さの残る夜風の中、影山の声が弾む。

 

「紅白戦の日の試合後食だけな。ホテルの夕食まで間空くやろ?」
「そうっすね。いつもサンドイッチとか菓子パンとか、軽食用意してもらってます」
「そ、そこにうちがゴハン出しいくから、ようさん食べてや」
「……最高っす」
「ふっふ」

 

 最近のケータリング事情を話し込んでいるうち、いつの間にか駅も行き過ぎて、ホテルの目の前まで送り届けられていた。

 

「ほな、ここで」
「はい」

 

 アプローチの手前で立ち止まった治に、言葉もなくゆったりとほほえみかけられ、影山は体の奥でわずかに体温が上がるのを感じる。
 思い出すのは常連客の彼女たちのことだ。おにぎり宮ののれんをくぐりにくくなるというのは、人生において、非常に大きなリスクだ。きっと意を決して治を誘ったに違いない。影山自身も日頃ファンから熱心な愛の言葉を贈られては困り果てている立場の人間だから、治の気苦労が思いやられはするのだが、一方で治のおにぎりを愛好する者として一定の同情心も浮かんでくる。
 いいのだろうか。こんなふうに、自分は治に特別扱いをされて。
 いや、そんな大層に思い悩むほどのことでもないか?
 ふと影山は首を傾げる。もともと知り合いなのだ。そのよしみでホテルまで送ってもらっただけ。だが、まあ、知り合いと言ってもあくまで「居合わせる」関係に過ぎなくて、一緒にどこかへ行ったりだとかするような仲ではなく、影山が治の客になってからのほうが関わりとしては深い。
 つまりどちらかと言えば、知り合いというより客と店主の関係なのではないか?
 つまり、やっぱりちょっとマズいのではないか? と、いっそう悩みを深くする仮説に行き着いた頃合いで、不意に治に名前を呼ばれた。小首を傾げて影山は治を見つめる。

 

「なあ、飛雄くん。1個訂正しとくわ。俺が兄弟思いの優しい人間に見えてもうてたらアレやから」
「はい?」
「俺、むっちゃズルいんよ。さっきの話、要は、ツムのこと使うて好みの人間探ししとるっちゅー話やから。ツムのとげとげ受け入れてまうような、脇甘くて、芯が強くて、ちょっと怖がりな……あー、エエ子。が、俺の好み」
「エエ子……すか」
「うん。君」
「う、俺!?」
「そう」
「俺、絶対いい子じゃないっす……」
「好みの話やから、そこも。まあそれ抜きにしたって、君はエエ子やと思うけどなあ」
「身に覚えないっす……」
「君いちいち語彙おもろいな。あんな、好きな子にいじわるするヤツも世の中にはおるけど。俺は普通にひいきする派や。超ひいき。ずぶずぶに甘やかして、胃袋掴んで、俺以外選ばれへんようにするんが性に合っとる」

 

 一般人と向き合う場合としては珍しく、自分とほとんど背丈の変わらない青年に、柔らかく頭を撫でられ影山は呆ける。厨房で小鍋を揺する見慣れた右腕を思い浮かべて、それと自分の頭上にある手のひらとが結びついてから、遅れて、顔に血が上ってくる。

 

「楽しみにしとってな、飛雄くん。あー、合宿のケータリングの話やで?」
「え、た、楽しみっす……」
「ふふ。君照れたりするんやなあ、調子乗りそやわ。おやすみ、またな」
「……ウス」

 

 ホテルの建物に入るまで治に見送られ、影山はいくらか息の上がったままチェックインを済ませた。
 部屋に入るとスマホにラインが届いていて、荷解き前の荷物を放り出して、影山はその通知をタップした。
 「君の好きなものいっぱい教えて」。
 句読点なく綴られた文章が余裕のない声音を思わせた。つられるように影山の胸もぎゅっと詰まって、スマホを握ったままその場に座り込んでしまったのだった。