intermission II

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パラレル(日影)

・パラレル日影+烏養さん
・アダルト日向設定(日向年上)

 


 

「ツクツクボーシ! ツクツクボーシ! って鳴いてたのがさ、スイーヨ! スイーヨ! に変わるタイミングってなんか分かりますよね。アレなんでなんスかね」
「……いや、分かんねーよ」

 

 常連客の青年が繰り出す「田舎あるある」に、烏養は煙草を細く吐き出しながら顔をしかめた。
 暑い夏だった。今週になって、ようやくセミも「夏、店じまい」の風情を出してきたが、それでも台風のひとつも来なければ、当分余熱が続きそうな気配だ。烏養が店番をしているのは代々続く田舎の小さな酒屋で、夏場は日本酒の売れ行きが落ちるから、厳しい残暑はありがたくない話だったりする。

 

「で、お前はいつまでこの町でフラフラしてんだ?」
「うーん。そろそろ就活しようかなあ、とは思ってるんスよ」
「はいはい、思ってはいるんだな」
「そう。思ってはいるんです」

 

 袖まくりした肩から指の先までこんがりとよく日に灼けたこの23歳、いや24歳だったか、そのくらいの年の青年は、名前を日向翔陽という。高い建物なんて川べりの古い温泉旅館くらいしかない町では、この季節、昼下がりに近所をうろつくのにも難儀するが、いくら日ざしを気にせずひと夏過ごしたとて、こんなにきれいには灼き上がることはないだろう。
 実は日向は今年の春先までブラジルに住んでいて、天然の日焼けサロンで全身くまなく太陽に可愛がられて帰ってきた。就職せずにフラフラしているのは嘘ではないが、青年の佇まいは謎の頼もしさというか、生活力のようなものに満ちていて、「いずれ、自分の道を見つけて働きだすのだろう」「そして何かを成し遂げるのだろう」という感想を抱かされた。
 だからこうして「烏野酒店」のレジカウンター前で丸椅子に腰かけ、アイスバーの銀紙で折り鶴を作るおなじみの姿にも、深刻に眉を顰める者はいないのである。

 

「お前彼女いねーの?」
「今はいないっす」
「あ、ふーん」

 

 「今は」の「は」の言い方が手慣れていた。さては、なかなか充実した私生活をお送りのようだ。まあそうだろうよ。実際、醤油のおつかいに来た近所の中高生なんかによく聞かれるのだ。たまにここ座ってる男の人誰? めっちゃスポーツできそうな感じの。この前すっごい爽やかにあいさつされてちょっとキュンってなったんだけど。
 この辺に住んでるニートの兄ちゃんだよ。と教えてやるが、「え、遊んでくれそう(笑)」とのことで、彼女たちにダメージはないらしい。女心は難しい。世代を考えれば、少年時代の日向と彼女たちは学校なり地域の集まりなりで出会っているのではないかと思うのだが、どうやら当時の元気印わんぱくボーイと、今の日向が結びついていない節がある。

 

「おモテでいらっしゃるでしょうに」
「ぼちぼちですねー」
「お前ブラジル女子のほうが好みなの?」
「そういうわけじゃないっすよ。まあ、なんとなく……」

 

 日向が言葉を続けようとしたのか、濁そうとしたのか、判別のつかないくらいの絶妙な間合いで、店先のすりガラスの引き戸がガタガタと音を立てた。あの引き戸にはクセがある。引き手に指を引っかけて、少し浮かせてから横に引っ張ってやらないといけなくて、初見殺しにもほどがあるし、一度教えたところで2度目以降、上手く開けられるかは人による。4度目の来店となる彼はなかなか見どころのある青年だったようで、立て付けに不満を抱いた様子も見せず店内に姿を現した。

 

「ちわっす」
「おう、いらっしゃい。珍しいな、こんな昼間に」

 

 炎天下を歩いて来たのだろう。額に汗を浮かべた黒髪の青年は、酒屋のエアコンにほっとしたように息をついた。

 

「『萩の鷲』置いてますか? 切らしちまって」
「あるぞ。いくつ持ってく?」
「今日は2本……3本でいいです。今度車で来るんで、そのときケースでください」
「3本って結構な重さだぞ。この暑さだし、配達してやろうか?」
「いや、体力あるんで。余裕っす」
「おいおい、熱中症なめてんだろ。お前も乗せてトラックで送り届けてやるよ」
「でも店番は?」
「ダイジョブダイジョブ、こいつ置いてくから」
「こいつ……」

 

 黒髪の青年──影山飛雄は、そのとき初めて日向翔陽に視線を向けた。
 それで、おや、と思った。
 店に入ってから、影山が日向に注意を払わなかったのは、まだ納得がいく。影山はどうやら他人にあまり関心の向かない性分のようで、これまでに店に現れた際も、他の客と会話をしているのを見たことがない。今も、日向に向けた目線をすぐに逸らしてしまった。
 しかし日向は違う。知らない近所の女子高生にも、じいさんばあさんにも、まるで旧知の友人のように親しみやすいオーラを放ちながら声をかけるのが普段の日向だ。どうかしたのだろうか、と表情をうかがえば、観察するような目つきでじっと影山を見上げていて、その真剣さにぎょっとする。

 

「おら、日向、頼んだぞ」
「へーい。行ってらっさい」
「影山、車裏だから、会計終わったらついて来な」
「あざっす! 助かります、ほんとに」

 

 愛想はないが礼儀正しい青年を連れ、烏養はどことなく居心地の悪さを抱えたまま、坂ノ下酒店を後にした。



 影山と酒を送り届けて烏養が帰ってくると、「おかえりなさい」と手の中の小さな紙を振る日向に出迎えられた。

 

「なんだソレ?」
「北川味噌の納品書」
「やべっ、忘れてた! 今日の午後納品だったか」
「受け取ってサインしてそこの棚並べときました。あ、ちゃんと賞味期限古いやつ前に出してます」
「オウ……お前……いや、助かる。褒美にそこの甘酒やる」
「よっしゃー、あざっす!」

 

 まったく、この生活力というか、要領のよさと呼ぶべきか、いったいどこから来るだろうのか。
 家の冷蔵庫くらいに手慣れた仕草でショーケースから甘酒を取り出した日向は、アルミのふたをめくりながら、「烏養さん、あのさ」と元いたカウンターの丸椅子へと戻ってくる。

 

「うん?」
「さっきの『カゲヤマ』って、この辺のコなの? 初めて会った」

 

 ヤツでも、ヒトでもなく、「コ」という言い方に少し、引っかかる。

 

「あいつは川向こうの旅館で働いてんだよ。普段は朝イチで来るんだけど、今日は急用だったみてーだな。烏野旅館知ってるだろ?」
「あ、はい。夜になると、この辺あそこしか明かりついてないから、目立ちますよね。短期バイトなのかなあ? こんな田舎に珍しい」
「父方のじーさんの地元なんだと。帰省兼ねて住み込みでバイトしてるって話だ」
「ってことは大学生?」
「ま、だろうな。……やけに聞いてくるな、お前」
「ん? そうですか? うん、甘酒おいしいなあ。20……いや19歳ってとこかな」
「いやいや、すげえ気になってるじゃねえか」

 

 時折店で居合わせるグラマラス美女にも、そうした女性にウインクを投げられても、「自然の恵みに感謝」と手を合わせる程度で、立ち入った関心を示さない日向が、ここに来ていやに食いつく。

 

「なんだ。同世代のお友達探しか? つってもいくつか下だろうけど」
「んー、そうっすね。お友達もいいんだけど」
「なんだよ?」
「なんか、ピンと来ちゃいました」
「……うん?」

 

 まるで甘酒にでも酔ったみたいに、日向は目を細め、瞳の奥が見えないほどの深い笑みをつくった。あの気のいい青年の、底知れなさをうかがわせる表情に、烏養はごくりと唾を呑む。

 

「色しろ。目つきわっるいけど鬼美人。ひねてそうなのに純粋っぽい。肉付き完璧。うなじきれい。超イイ」
「……は? お前、まさかだよな?」
「いやいや、まさか」
「だ、だよな」
「前世からの因縁、とか、そういう感じですかね。感覚的には」
「ほんとか? っていうかどういう感じだそりゃ……」
「好みだなあ。好みじゃないんだけど。絶対好きなんだろうな、俺」
「おいおいおい、一応聞くが、影山を狙ってたりしねーよな!?」
「え! バキバキに狙ってますよ!」
「狙ってますよ!?」

 

 舌が空回り、冷や汗がたらたらと、幾筋にも分かれて背を流れた。
 日向翔陽という男を突如見失った烏養は呆然と彼を見下ろすしかない。男が好きだったのかとか、もうそういう話がしたいわけでもない。ただ、もはや何だかそら恐ろしいのだ。

 

 

 翌朝、坂ノ下酒店の立て付けの悪い引き戸は、異なる青年の手によって2度なめらかに開かれた。

 

「ちわっす」

 

 あとからやって来たのが影山青年で、すりガラスの向こうには彼が運転してきたらしい社用車の影がある。

 

「いらっしゃい。昨日お前に頼まれた分、そこに用意してんぞ」
「あざっす! もらっていきます。……あ」

 

 青年の瞳が自分を見つめる男の姿を捉えた。その表情を、舌なめずりするような、と烏養は思った。
 獲物を前にした肉食獣、なんてたとえでは物足りない。もっと貪欲に、強欲に、日向は影山の関心を奪い、ぶつかり合うことを求めている。

 ──烏養さん。ときどき店にいる、あの爽やかなお兄さん、名前何ていうの?
 女子高生の声が耳の奥に蘇ったが、今の烏養にはさっぱり答えが分からないのだ。