intermission II

【頂いたメッセージへのお返事⇒⇒23.8以降:「続きを読む」から、それ以前:スマホのリーダー表示かドラッグ反転でお読みください】

You●uberパラレル(9)牛影、日影(少し)

・牛影、日影
・<[]:>=配信のチャット欄。このパラレルでは、身長体重は高校生当時のもので進行しています。


 

 

 この日珍しいことに、ユーチューバの人気チャンネル「牛島若利(筋肉)」にてプレミア動画が公開される予定となっていた。通常牛島のチャンネルは週3本ほどの動画投稿をメインとして、金曜日限定のゲーム配信(生放送)との2本柱で運営されている。両者の折衷のような投稿形式であるプレミア公開(公開する日時をあらかじめ設定して動画を投稿する形式で、初回公開時に限りリアルタイムチャットが可能)を採用することは、これまでになかった。
 日頃のトレーニング動画などとは明らかに何か違う、特別な投稿であり、しかもその日は動画のあとに少し時間を空けて生配信も予定されているというので、ファンたちは大いに楽しみにして午後7時の公開時刻を待った。予約投稿された動画のタイトルは「???と???に潜入してきた」で、情報量が抑えられてはいるが、それでも最近漏れ伝わっていたさまざまな情報から詰め将棋のように空欄の語句は絞られて、「あれか?」「あれですか牛島さん?」と内容を半ば確信しているファンも少なくなかったようだ。
 芸術性にあふれた独特のカウントダウンムービーが終わり、画面が切り替わる。
 「ナイスバルク!」のコメントに迎えられ現れたのは、曇り空の屋外で、植栽を背景に佇むマッチョな男の姿だ。

 

「こんにちは。牛島若利だ」

 

 数秒、無言の時間が流れる。ピチチ、と小さく鳥が囀った。男の口上は「そうか、牛島若利なのか」と見る者を圧倒する説得力を持っており、それ自体はいつもと何ら変わりないのだが、牛島の視聴者たちは言葉を失って、目の前の光景に口元を覆った。
 画面に日付と「仙台市体育館前広場」のテロップが表示され、先刻の「詰め将棋組」の予想は確信に変わっていた。その日は仙台市の会場でVリーグの試合が行われており、宮城住まいの牛島が人と一緒に見に行った、と以前嬉しげに話していたのだ。「誰よその女!」とショックを受けた熱心なファンもいたらしいが、後にある男性が牛島とともに試合観戦に行ったことを明かしたため、彼・彼女らも安堵の息をついた、という経緯がある。
 ところで視聴者はそれどころではない。画面の中のマッチョな男は、屋外の爽やかな情景に不似合いなことに、黒いアイマスクで目隠しをしていた。

 

「今日は仙台市は仙台市体育館に来ている。ここをサブホームとするシュヴァイデンアドラーズというVリーグチームがあることはご存じの方も多いと思う。バレー好きが高じて取材を申し込んだところ、本日は特別に許可を頂き中で撮影させてもらえることになった。今日は牛島若利筋肉チャンネル出張版として、試合はもちろんのこと、催しやグッズ、『スタメシ』なども紹介していく。ぜひ楽しんでほしい」

 

 プロの動画投稿者らしい、安定感のある語り口でオープニングトークが終わった。
 目隠し以外に何ら問題がないことがかえって目隠しの異常性を浮き彫りにする絵面に、コメント欄は困惑の声で埋め尽くされていく。「有り体に言って、その手のいかがわしい映像に見える」「なぜだか分からないが、特定業界のゴーグルを着けた男優を思い出してしまった」、というのがコメント欄の平均的な見解だった。

 

「さて、分かっている。ご覧の映像に違和感を覚えている方もいるだろう」

 

 よかった、気付いていたか、とパソコンやスマホの前のファンたちは安堵した。今回の動画は牛島の長い腕を活かしたGoProによる自撮りではなく、遠目からワンショットで撮影されていた。つまり牛島の所属するクリエイター事務所の映像スタッフが同行しているはずであり、この状況をどうして誰も止めなかったのか、と多くが不審に思っていたのだ。牛島自身がおかしさに気付かないことについては、たとえるなら電車の遅延のようなもので、大変残念だがそういうものなのでしょうがないとして、業界トップの事務所までもが、となるとちょっと別の問題になってきてしまう。

 

「視聴者諸君、お気付きのとおりだ。太陽が南南東方向に出ている。つまり、今は午前中だ」

 

 <え?><は?>の文字、それから牛島のメンバーシップ会員限定スタンプの多種多様な筋肉がチャット欄を流れていく。

 

「時刻は午前10時半。今日の試合は14時ゲームなので、会場にやって来るにはいかにも気が急いている。体育館の中を普通に取材するだけならば、一般開場後にファンの方の邪魔をしないよう留意して巡ることもできたわけだが、今回は特別な企画を用意していて、その都合で先入りさせていただくことにした」

 

 何だと思う、と牛島が強気に問いかけてくる。「プロの会場でサーブ体験? 残念だがそれは違う」と尋ねてもいない質問を勝手に受け付けては否定された視聴者たちは不本意な気持ちになった。さすがにこの状況なのだから、目隠しをして何かをするのだろうということくらいは察しがつくというものだし、あと視覚の都合で全く話が入ってこない視聴者の心情にもっと配慮してほしい。

 

「ヒントはこの目隠しだ」

 

 得意げに目隠しについて言及されるも、動画冒頭から数えて30テロップ分くらい遅かった。

 

「常から言っているとおり、俺は熱心なVリーグファンであり、この会場にも数えきれないほど足を運んでいる。そこでだ。俺が目をつぶっていても仙台市体育館を視聴者諸君にご紹介できる、というところをお見せしたい」

 

 牛島はジェスチャーを交えながら、通りがかった母子に「しっ、見ちゃダメ!」などと言われながらも、落ち着いた声音で真面目に今日の企画の概要を説明する。

 

「俺はこれから、目隠しをしたまま会場に向かい、チケットもぎり、いや『もぎられ』、グッズ紹介、フード紹介を完璧にこなしてみせる。仙台市体育館に来たことがない、という方もぜひ期待してほしい。この動画を見終わるころには、安心してVリーグの試合に足を運ぶことができるようになっていると約束しよう」

 

 あまりそのことを心配に思っている視聴者はいなかったし、どちらかというと目の前の男のことが心配だったが、動画はあくまで牛島のペースで進んでいく。

 

「さて、しかし、問題が1つある。俺は会場のつくりや店の並び等完璧に記憶しているつもりだが万が一ということもあるし、会場スタッフの方が俺を見て、介添えの必要を感じてしまう事態になっては申し訳ない。そこで、本日はある人物に動画の撮影をサポートしてもらうことにした。その人物とは企画撮影後に合流し一緒に試合観戦をする予定だったんだが、内容を話したところ『それ危なくねっすか』と手伝いを申し出てくれたんだ」

 

 引用部分で突然に口調がくだけ、コラボ相手に心当たりのある視聴者たちはさらに確信を深めると同時に、この先の展開を想像して頭を抱えた。

 

「というわけで、本日は特別企画兼、コラボ動画だ。その人物とはこのベンチ前で待ち合わせをしている。ただ実際に会ったことがなく、俺はあちらの外見が分からない。いや待て、知っていても見えないな。幸いなことに向こうは俺を知ってくれているから、声をかけてもらうことになっている。そろそろ時間のはずだが腕時計が見えない……」

 

 状況が状況ではあるものの、ここまで条件がそろってしまえばもう相手の名前を言ったようなもので、そのコラボ自体はとても喜ばしいことだったので、プレミア動画のチャット欄は大いに沸いた。

 

「牛島さん」

 

 画面の外から凛々しい声がした。

 

「こんにちは」
「こんにちは、影山の声だな。よく来てくれた。どうぞカメラの前に」
「うっす」

 

 画面の左端から、黒髪の青年がカットインする。牛島と比べても10センチほどしか背丈の変わらない、つまり一般的にはかなり長身の青年が牛島の隣に並び、牛島にじっと視線を送りながら、カメラのほうへ体を向けた。

 

「直接は初めましてだな。牛島若利だ」
「……。影山飛雄です。初めまして」
「簡単な自己紹介をしてもらえるか?」
「あ、はい。影山飛雄です。烏野窯ってところで陶芸やってます。セッターやってました。バレー好きなんで、今日楽しみです」
「ありがとう。金曜日のゲーム配信を見てくれているリスナーはなじみがあるはずだ。彼は本業のかたわら『ワールドバレーボール』というオンラインゲームのトップランカーを張っていて、俺にゲームのコツを教えてくれた人物だ。そして、本業の窯業のほうはというと、世にも美しい器をつくる陶芸界の鬼才だ。一度その目で見ることを強くお勧めする。概要欄に貼っておく」
「はあ……あの」
「うん?」
「ほんとに牛島さんっすよね?」
「牛島若利だ」
「っすよね……」
「どうした?」
「顔見えないんで。ギリ、牛島さんのパチもんかもしんねぇなって」
「……この上腕二頭筋をよく見てくれ。俺は牛島若利だ」

 

 ねっとりと二の腕を撫でてみせる牛島に向かって、いや目隠し外せよ、という冷静なコメントが大量に投稿された。「そんなにちゃんと牛島さんの上腕二頭筋覚えてないスね」と影山青年は首を傾げるが、一応目を細めてのぞき込んでいるあたりに生真面目さ、ないしは天然ぶりが見て取れる。
 過去影山が出演したゲームのイベント動画は公開期間が終了しており、牛島のファンには、影山の容姿を知らない者が多かった。画面に颯爽と現れた美貌の青年は彼らを歓喜させたが、それもつかの間、何のボタンを掛け違えたら観測に成功するのか分からない不可解な映像が垂れ流されており、牛島のコアなファンたちほど影山に対し申し訳なさを感じたという。

 

「それにしても、気になるな」
「何がですか?」
「お前がどんな姿でそこに立っているのか。背が高いんだな。声の聞こえ方でなんとなく察せる。180センチくらいか?」
「え、すげえ! 牛島さん頭いいっすね」

 

 誘拐事件に巻き込まれた頭脳派エージェントのようなセリフは一見かっこよさげだったが、依然として目隠しを外せばいいことに変わりはなく、影山青年が早くもこの事態に適応し始めている事実がさらなる不安をあおる。

 

「今日はよろしく頼む」
「うす。よろしくお願いします」

 

 影山の指摘どおり、そういえばこの男が牛島という確定情報のないまま企画はスタートしてしまうようだ。牛島のピンショットの間不足していた常識的なツッコミが影山から供給されることは残念ながらなさそうだった。

 

「俺、どう手伝ったらいいですか? 腕つかみますか?」
「そうだな。できれば俺が先導する形にしたいんだが」
「あ、それもそうっすね」
「手を」
「はい」
「つないでいいか?」

 

 <よくない><よくない>とコメントが連打されるもむなしく、牛島が差し出した左手に、影山青年は少し首を傾げながら、右手を重ねた。

 

「これで大丈夫ですか?」
「ああ、大丈夫だ。……影山」
「はい」
「職人の手、だな」
「うす?」

 

 ぎゅ、と牛島の手が影山の手を握り込んだところで、画面は明転した。

 

 

 場面が切り替わる。真っ白な部屋で、1人掛けのソファーに深く腰掛けた男の姿が画面に映し出される。

 

「目隠しをしていたのが逆によかった」

 

 ろくろをこねるような手つきで何もない空間を撫で、男は語る。

 

「あの指先から世界……いや宇宙が広がっていくのが目に浮かぶようだった。俺の知らない宇宙だ」

 

 それが、影山飛雄との出会いだった。筋肉質な男はそう締めくくった。もったいぶった演出のわりに、どうやら内容は薄かった。

 

 

 特に説明もないまま動画は仙台市体育館での企画へと戻った。なお、インサート映像に関する説明はこのまま最後までない。
 目隠し探索パートは全編取れ高の連続、すなわち自信満々だった牛島の期待に反して散々な失敗の連続だった。当然ながら、いくら何度も訪れている場所といっても什器の配置や距離感を完璧に把握しているわけがなかった。アドラーズファンに大人気のマンゴー&バタフライピーのスムージーを壁際の自動販売機に向かって注文した場面など特にシュールな絵面となっていて、憐れむような顔つきで影山が売店に向かい、スムージーを2つ注文するシーンは演出も相まって非常にシュールなものとなった。

 物販やイベント会場などを曲がりなりにもひととおり巡り、画面は体育館のスタンド席へと切り替わった。アリーナ以外は自由席であるから、通常はゲームの流れが見やすいサイドライン沿いの席が優先して埋まっていくが、この日は「影山のお薦めで」二人はエンドライン中央付近の席に腰を下ろし、GoProに姿を映した。

 

「エンドライン側が好きというのは、どことなくセッターらしさを感じるな」
「そうっすね。横からだとやっぱトスの動き見づらいんで。エンド側は動き出しのテンポとかも追いやすいのがいいですね」

 

 ここで、動画上では「テンポ」についてのおびただしい説明文が「一時停止推奨」として表示され、プレミア公開リアタイ勢の動体視力への自信を損ない、再び二人の会話に戻っていった。

 

「やはり、かなり本格的にバレーをやっていたんだな」
「牛島さんみたいな感じではないですよ。高校も最後までやってなくてキャリア浅いし」
「怪我か?」
「いえ、祖父が亡くなって窯継いだんで、途中で引退っすね」
「そうだったのか。若いのに職人として熟練しているのはそういうわけだったんだな」

 

 少ししんみりする場面だった。実際牛島は悪びれることもなくしんみりしていたし、耳から入ってくる情報に集中し、影山の気丈さに胸を打たれた視聴者も少なくなかった。しかし。

 

「よければ、いつか一緒に運動をしよう」
「あざっす……」
「どうした」
「牛島さん、それ外さないんすか」
「目隠しか」
「そうっす」

 

 ここまで耐えに耐えた視聴者たちが、よくぞ言った、とコメント欄で沸き上がる。

 

「外しどきを見失ってしまった」
「いつでもよかったと思うけど。じゃあ、今でどうっすか」
「視聴者諸君もそろそろ俺のこの姿に慣れ、別れが惜しくなるころではないか、というのが気にかかる」

 

 牛島の深謀遠慮に<いえ別れたいです><むこう10年は大丈夫です>と視聴者は必死の声を上げる。なにせ動画を見始めて10分はたつのに、いまだチャンネル主の顔を見ていないのである。

 

「動画のことは分かんねーからなんとも言えねえな」
「ああ。俺もそれなりに長いが、いまだによく分かっていない」
「ただ牛島さん、それ試合見えねえっすよ」
「……ん?」
「見ないんすか、試合」
「見たいな」
「じゃあ外したほうがいいっすよ」
「たしかに」

 

 影山がうなずき、それが見えたわけではあるまいが、牛島も呼応するようにうなずいた。

 

「外すことにする」
「どうぞ」
「いや待て」
「どうしたんスか?」
「ようやくお前とも対面というわけだな」
「そういえばそうっすね」
「緊張してきた。画面の前のみんなもそわそわしてきたんじゃないか?」
「牛島さん以外にはずっと見えてるっス」
「……そうか。そうだな。おい、抜け駆けはよくない」

 

 牛島は画面に向かって指をさし、例によって多数の視聴者を困惑させた。

 

「では一息にいってしまおう」

 耳元のゴムに骨太な指をかけ、男はようやくアイマスクを外して、自身のファンたちの前に顔を見せた。視聴者たちが、よかった、この不審者はただの不審な牛島だったと安堵の息をついたのもつかの間、画面の中の牛島が、一点を見つめて動きを止める。
 目を奪われる、という慣用句の見本のように、牛島はまばたきをやめ短く声を漏らした。

 

「そうか」

 

 このとき、プレミア公開動画のチャット欄は「『そうか』とは?」の声であふれた。当然だ。ネット上の知り合いと初めて直接会って、第一声が「そうか」は意味が通らない。ただ牛島らしさが感じられるばかりである。

 

「そうか」
「う、ウス……?」
「なるほどな。いや、なるほど。そうか、そうだな」

 

 視聴者たちは「そうか!」「そうか……」「そうか?」等、与えられた「そうか」の活用に励むが、画面の中の牛島はおかまいなしに、影山を穴が開きそうなほど見つめている。

 

「牛島さん?」
「……お前はなぜ陶芸家として顔出しをしていないんだ?」
「えっ顔すか? ……別に要らねえかなって」
「なぜ。もっと表に出るべきだ」

 

 他人に対し、お前はこうすべきであると言い切ってしまうあたりが牛島の牛島たるゆえんだ。視聴者の中にははらはらと心配した者も多少いたが、影山青年は気にしたふうでもなく小首を傾げる。

 

「俺は器楽しんでもらえたらそれでいいっす」
「お前の器は確かに美しい。言葉などなくとも、器一つで雄弁に世界観を伝える魅力を持っている。だが俺は今お前の姿かたちを知って、烏野窯作品の芸術としての重大なコンテクストを理解した」
「コン……言葉ムズいっす」
「気分を害していたらすまない。俺は何も容姿を売りにすべきだと言いたいわけではない。お前という人間が生み出した、それも器の魅力を理解する大切な手がかりだ、ということだ」
「はあ……そうなん、すかね?」

 

 青年はどうやら自分の見目のよさにも極めて鈍感なたちらしい。過去、日向翔陽のゲームチャンネルに登場した際の発言によれば、むしろ悪い方向の思い込みが彼の中で定着しているようで、牛島の回りくどい表現では「さてはこの男、俺の顔が好みなのだな」というシンプルな真実にたどり着くにはかなりの困難が予想された。

 

「そういうのあんま向いてねえと思うんスけど……牛島さん?」
「うん?」
「一生目合うなって思って」
「そうか、その……つまり、こんなに美しい人だと思わなかったんだ」
「へ?」
「違う、いや、筋肉がな。全身のまとまりがとても美しい。継続的に質のよいトレーニングをしているのが服の上からでも見て取れるし、元々の骨格がギフテッドなそれで、筋肉が見事に映えている」
「あ、あざっす?」

 

 牛島奥義、「筋肉誤魔化し」が入ったことで、牛島の内心の動揺はますます明らかなものとなった。ちなみにこの動画の配信後、「ギフテッドなそれ」はチャンネルの流行語となり、脈絡なく使い倒されることとなる。

 

「トレーニングは仕事の合間に?」
「そっすね。仕事、体力勝負なんで半分ついでです」
「そうか。腹斜筋で大根をすり下ろすタイプというより、実用目的で体を鍛えているというわけだな」
「大根……は、そうっすね、おろし金でおろしてます」
「……そうだな。それがいいだろう」
「うす」

 

 これまでの傾向として、牛島は緊張が高まると筋肉ジョークが出がちであることから、牛島のテンパり具合を察した視聴者たちは同情を覚えつつも「もう少しなんとかならないだろうか」と内心顔を覆った。

 

「街なかで偶然出会っていたら声をかけていたかもしれない。食生活やボディメイクで心がけていることなど、ぜひ聞いてみたい」
「……特別なことはしてないんですけど」
「そうか」
「牛島さんって人の動画見て、真似してます」

 

 横顔をカメラに向けた美しい青年が、画面のなかではにかみ、上目遣いに牛島を見つめる。
 やぶへびとはこのことだ。
 牛島は言葉を呑み、チャット欄は再び「そうか」で埋め尽くされた。
 数秒二人は見つめ合い、言葉を言い交わしたが、その部分が動画に載ることはなく、ぱっと画面が切り変わって「スタメシのお勧めの食べ方は?」のテーマトークが視聴者に届けられた。
 そうして20分ほどの動画が終了した。動画の最後に、途中カットされたコアすぎるバレー談義部分の動画投稿が予告され、とりわけバレーボールファンの視聴者を喜ばせた。



 目隠し中のぐだぐだが嘘のように、取材企画部分の動画はテンポよく進んだ。特に「スタメシ」紹介のコーナーは充実しており、牛島らしい筋肉視点のコメントだけではなく、通い詰めている牛島ならではのチョイスでいちおしメニューを取り上げたり、「プラスチックケースのフタを上手く押さえながら手にソースを付けずにそば飯を食べきる方法」といったライフハックを紹介したりと、Vリーグファンにとっても実用的なパートとなった。
 さて時刻は19時20分を回り、事前に予告されていた生配信の枠がすでに立っていて、配信開始時刻は20時に設定されている。視聴者たちは食事をとったり風呂に入ったり、あるいは動画で興味を持ったVリーグの試合のチケットを取ったりと思い思いに時間を過ごし、定刻を待った。金曜の夜なので通常はゲームの生配信を行う枠なのだが、普段なら使用するゲームの情報などをきっちり登録してある配信情報欄に今日はゲームの記載がなく、どうやらいつもと様子が違う。概要欄には代わりに一言、「ゲームをするかもしれないし、しないかもしれない」と、牛島らしからぬ優柔不断なコメントが記載されていた。
 20時ちょうど、例によって1分も遅れることなく生配信が始まった。画面は、柔らかい色合いの間接照明に頬を照らされた牛島のワンショットだ。

 

「こんばんは。牛島若利だ。見てのとおり、主に筋肉を喜ばせる活動を行っている」

 

 幸いなことに、この生配信では目隠しの装着はないようである。ムーディーな橙色の照明と、筋肉質な体のラインを強調するぴっちりとしたトレーナーの効果によって、全くいかがわしくないかと言えばそんなこともなかったが、なんであれ目隠しをしていないという事実は重要だった。

 

「19時公開の動画は見てもらえただろうか。かなり盛りだくさんの内容だっただろう。動画を見てさっそくVリーグのチケットを取ったというコメントもあったな。うれしいことだ。ぜひ一度足を運んでみてほしい」

 

 いつもなら、事前にピックアップしたファンからのメッセージを画面に映して返答していくスタイルを取っている生配信だが、今日はタブレットでも見ているのだろうか、手元に目を落とし、牛島は配信のリアルタイムチャットに触れていく。

 

「みんな動画を見てくれていたようだな。ありがとう。俺も改めて見たが、感想として、一人でやらなくて本当によかった。放送事故以前に、物損事故が多発していた可能性が否めない。……<影山さんはどんな方でしたか>。そうだな。影山の話を少ししようか」

 

 そこで牛島はちらと目を上げ、含みを持った笑みを浮かべ、また顔を伏せた。

 

「俺自身があまり芸術に造詣がないのでこんな言い方をしていいか迷うところだが、彼自身、彼の作品に似ている人だなと思った。余計なものがない。鋭く研ぎ澄まされていて、……美しい」

 

 牛島の瞳がカメラの上方をまっすぐ見つめて、ぴたりと止まる。
 そこに何があるのかという疑問が、牛島の背景の、ピントが合わないながらびっしりと何かの並ぶなじみのない棚と組み合わさって、視聴者にアハ体験を与えた。

 

「今日の配信について説明しよう。俺は今、宮城県のとある工房にお邪魔している。背後に白くぼんやり見えているのは乾燥中の磁器たちで、乾燥が終わると、今度は『素焼き』の工程に移る、という段階なんだそうだ」

 

 牛島が体をずらしたことで、カメラのピントが奥の木製の棚に合い、視聴者たちが目を凝らそうとすると、また牛島の大きな体に阻まれた。視聴者たちを振り回すのを楽しんでいるみたいに、牛島は口元に薄い笑みを浮かべた。

 

「──本日は烏野窯からお届けしている。そして俺の向かいには当然、彼がいる」

 

 牛島を映していた配信画面にもう1つ、異なる画角の映像が登場する。画面は縦に2分割され、左側に牛島、そして右側に黒髪の青年が映し出された。

 

「まじか」

 

 カメラ、牛島、カメラ、テーブル、とふらふら視線をさまよわせながら、影山が居心地悪そうに肩をすくめる。視聴者たちは<どりゃあああああああ>とか<うおおおおおお>とか、意味をなさない叫び声を上げ彼の登場を喜んだ。

 

「窯主の影山だ」
「かまぬし」

 

 歓喜の声の中に<生主みたいに言うな>とのツッコミが交じった。

 

「改めて、影山、先日は動画への協力ありがとう」
「こっちこそお邪魔しました。役に立ってたか微妙っすけど」
「いい試合でよかった」
「っすね。楽しかったっす」
「仕事場に押しかけてすまないな。実はダメ元のオファーだった。快諾感謝する」
「今ちょっと落ち着いてるんで、全然。わざわざこんな田舎まで、あざっす」
「なに、取材先としてはかなり近いほうだ」
「あ、取材だったんスか?」
「……いや。いや、違うな。来たかっただけだ。配信じゃなくてもよかったんだが、そのほうが声をかけやすかった。ユーチューバを盾にしたわけだ。俺らしくないことをしたな」
「そうなんですか?」

 

 先日来牛島が伝えあぐねている機微に影山はごく鈍感で、おっとりと首を傾げるばかりだ。二人の表情を同時に視界に収めている視聴者にはもどかしい。

 

「そうだ、お前の動画もかなり見させてもらった」
「え? 嘘だろ。ちゃんと動画作ってる人に見られるのなんか恥ずかしいっす。俺が作業してるだけだし」
「お前がプロフェッショナルだからあれでいいんだ。作業用BGMとか、ASMRとか、そういったものは今まであまり触れてこなかったんだが。案外生活になじむものだな、うちのリビングで垂れ流している」
「げ、まじかよ。あざっす」
「日が落ちるとこのアトリエも随分印象が変わるな」
「そうっすね、今は間接照明とかつけてますけど……周り森なんで、夜はほんと真っ暗っす」
「このキャンドルホルダーももちろん、ここの窯で?」
「はい。でもこれほんとはキャンドルホルダーじゃなくて、そば猪口なんスよ。失敗したヤツはこうやって工房で使ったり……いや映すな、失敗作なんで!」

 

 卓上のカメラを蝋燭の入ったカップに向ける牛島に影山は慌てた。例によって透かし彫りの加工を施されたカップは、ゆらゆらと揺らぐ蝋燭の光を透かし、一枚板の作業台に淡いオレンジの輪をつくっていた。

 

「どこが失敗してるんだ? 全く分からないな」
「穴の開け方ミスってるとこあるんすよ。そば猪口とかマグ使いだと耐久性的にもちょっとヤな感じの」
「なるほど。燭台としてなら問題はないということか?」
「問題ないわけじゃないっす、気に入らねえ開き方してる。でも……まあこうやって使うならそんな悪くねーかなって思ったんで置いてます。ネットインっすね」
「ネットイン?」
「こういうの、そう呼んでます。ミスったのがかえって効果的なこともあるし、普通にイマイチなときもあるけど。でもネット越えてるから、ナシじゃないっつーか」
「なるほど。お前はやはりいいな」
「え、なんすか」
「いい。このキャンドルホルダーもいい。ずっと見ていられる」
「それはもういいっすよ。牛島さんにはこれあげます」
「……なんだ?」

 

 少し身をかがめ、影山が白い物体を取り出した。ずい、と卓上を進み出た淡く輝く器に牛島は目を丸くする。

 

「50万人おめでとうございま……した。のヤツです」
「まさかチャンネル登録者数か?」
「はい」
「そうか、ありがとう……手に取っていいか」

 

 もちろん、と影山が頷くので、牛島は影山の顔と、差し出されたタンブラーをじっくりと見比べ、手に取った。縦方向に不規則に面取りされた酒器はパールの釉薬が施されていて、アトリエのあたたかな光を全体にまとっている。

 

「美しいな」
「あざっす」
「シンプルで装飾がないだけに、造形の美しさが際立つ。美しい。とても洗練されていて、手のひらになじむ」
「牛島さん手ぇデカいんで大きめにしました」
「そうか。お前はすごいな」
「誰が見ても手はデカいっすよ牛島さん」
「そういう意味じゃないんだが……。本当に美しい。普段お前がやっているのは技巧的に複雑な作品が多いように思うが、こういうものを作られると、基礎の質実さや地力の強さを感じざるをえない。素人が見て、素直に美しいと感じられるのがすばらしい」
「あ、あざっす……」
「視聴者諸君、あとであらゆる角度から舐めるように撮影し写真と動画をシェアするので安心してくれ。……だが、それにしても意外だ」
「何がですか?」
「この手の祝い事は、動画投稿や配信活動を行っている者たちの独特の文脈があって、その外にいる者にとってはあまりピンと来ないものだと俺は想像している。お前はどちらかというと、われわれの理の外側にいると考えていた」
「ことわり……のそと……?」
「お前がたとえば自分のチャンネルの登録者数を気にするとは思えないし、投稿者の有名無名で動画の感じ方が変わる人間でもない、ように見える。だから、節目と捉えて気にかけてくれたことが意外だ」
「あー……あんまちゃんと意味分かってねえっぽいんですけど。ちょうど牛島さんがここ来る話が決まったころ、記念配信がおすすめで出てきて、なんかすげーなって思ったんで、バッとこねてガッて焼きました」
「ガッとか」
「ガッとです」
「そうか。……小難しいことを言ってすまない。ガッと焼いてくれてありがとう」
「うっす。どういたしまして」

 

 影山の擬音まじりの説明に目を細めていた牛島だったが、その太い眉をぴくりと動かし、タンブラーを卓上に戻した。

 

「……さっきからバイブが鳴っているな」
「げっ、さーせん。聞こえてたんスね」
「マイクは拾っていないと思うが。大丈夫か?」
「ラインだし大丈夫です。誰からかも、あー、分かるんで」
「通知も見ていないのにか?」
「差出人と用件大体分かります、大丈夫です、ほっといて」
「……日向翔陽か?」
「あんたから名前出んのかよ……」

 

 影山は手のひらでぬるりと顔を拭った。それから腰元にちらっと視線を送る。おそらく、ポケットにでもスマホが入っているのだろう。

 

「認識している。お前と親しいゲーム実況者だな」
「親しくはないっす」
「俺のことに触れている『切り抜き』も見た。この器の件か、そもそも俺がこうして訪ねていることについてか。さては、歓迎されていないのではないか?」
「う……気にしないでください、全然」
「気にはしていない。知っていても今日の予定を変えるつもりはなかった」
「あ、そうっすか」
「お前はいいのか?」
「牛島さんが来るって話はしてあります。そしたらあいつも絶対来るって言いだして聞かねえから」
「了承したんだな」
「うす」
「仲がいいな」
「よくはないっす」
「ラインを確認するといい」
「え、今っすか?」
「ああ。そのほうがいいと思う。日向翔陽も配信中なのは分かっているはずだ。それでもお前に伝えたいことがあるんだろう」
「絶対しょーもねー話だと思うけど……」

 

 そう言って、影山はスマートフォンを取り出した。机の上に置かれたスマホの画面に、おびただしい量の通知が表示されている。

 

「んだこれ。おい日向、配信の実況をラインですんじゃねえ」
「感想が書かれているのか?」
「みたいです……最初のほう、何通かは文章になってるけど」
「用件は?」
「『タンブラーずるい』。クソしょうもねえ。あと牛島さんに……伝言って」
「読み上げてくれ」
「『牛島さん、もしお酒を召し上がるのであれば、不肖日向、愛車を転がしお迎えに上がりますよ。安全運転には自信がありますのでお任せください』。なんでアイツが迎えに来るんだよ」
「ここは公共交通機関で来るのが難しいからな。俺が車で来ていると踏んだんだろう。時間も遅い。酒を飲んだとしても、お前の家に泊まるなというわけだ」
「想像力豊かすぎんだろ。泊まるとか泊まらねえとか」
「泊めてくれるか?」
「え?」
「確かに夜も更けてきた。急な話だが、泊めてくれるというならありがたい。何より、お前と長く過ごせる」

 

 牛島はテーブルの上で、スマホを操作する影山の手を包み込んだ。影山は目を瞠り、画角の端でぎりぎりその状態を把握したコメント欄が悲鳴と雄たけびで埋まる。

 

「いいっすけど……」
「いいのか?」
「はい。え? 大したもてなしはできないですよ」
「かまわない。それより、……ふふ、お前は案外、押しに弱いんだな」
「そんなこと……、牛島さん?」
「──冗談だ。安心してくれ、最初から飲酒するつもりはなかった。今日のところは大人しく帰ることにしよう。そろそろ本当に日向翔陽が駆けつけそうだしな」

 

 手首を撫でる牛島の手を見下ろし、影山はまばたきをしながら「あいつ東京っすよ」と言いながらもうなずいた。牛島は知らなかったが、まさしく日向からサングラスを装備し愛車のエンジンをふかす様子を捉えた動画が送られてきていたところだった。

 

「日向翔陽。安心しろ、お前の邪魔をするつもりはない。だが、たまたま俺も、多少の機会に恵まれているようだ。悪く思うな。俺も新たな友人を得て嬉しい」
「俺だけ置いてかれてねえか、なんか……」

 

 間髪をいれずに、<牛島さんディスコ教えてください>と日向からスーパーチャットが飛び、牛島は配信上で了承のうえ、ツイッターのDMですぐにそのリクエストに応じた。
 ラインを通じて「日向翔陽、帰宅」の報が入り、影山も何となく、ほっとして息をつく。

 

「さて。今日はどうしようか」
「酒飲まねえなら、なんかゲームとかしますか? ワルバリの配信は機材的に無理なんすけど」
「せっかくこうして会っていることだし、アナログゲームでもやらないか? いくつか持ってきている。雑談がてらにできるような、軽いものだ」
「うす。いいっすね」
「本当は、ホラーゲームでもやりたかったんだが」
「ホラゲ? そういややったことねーな」
「そうか、今度ぜひやろう」

 

 オフコラボでホラーゲームは定番といえばそうだが、そこはかとない下心を感じられなくもない。影山のホラー耐性はいかばかりかと、チャット欄がざわつき、考察を始める。

 

「次は俺の家にしよう。PCゲームを配信する機材もそろっているし、おすすめの筋肉レシピで食事をふるまうこともできる。トレーニングをしてもいいな。何より──」
「はい?」
「日向翔陽は俺の家を知らない。ぜひ、うちに泊まっていくといい」
「え? いんすか。あざっす」

 

 影山はそう呑気にうなずいて、牛島が手元カメラの準備をするのを手伝い始めた。オセロにトランプ、立体四目並べなど、平和なゲームを平和に遊んでこの日の配信は終わることになるのだが、会話の途中に怪しげな「匂わせ」台詞が交じるたび、その裏でエンジンをふかしたり切ったり、ふかしたりちょっと宮城に向かって出発したりしていた男たちがいたことを、二人はとうとう知らないままだった。

 

 

引用元:
影山(窯主)とVリーグに潜入してきた【牛島若利】(牛島若利(筋肉))
特別版だ。お邪魔するぞ【牛島若利】(牛島若利(筋肉))

50万人ありがとう。お礼に50のポーズを贈る【牛島若利】(牛島若利(筋肉))

夜だしドライブしね?(日向のゲームチャンネル)
夜だしドライブしね?2 w/月島(日向のゲームチャンネル)
夜だしドライブしね?3 w/月島、山口(日向のゲームチャンネル)