intermission II

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牛影(原作軸未来)

牛影AD時代

 


 

 あいつのことは好きにならないと思っていた。
 本当だ。嘘をついたわけじゃなく、当時はとても真剣に。

 

「説明してくれへん……」

 

 ハイボールのグラスを傾け、宮侑は目を据わらせて牛島を睨める。カウンターの向こうで彼の兄弟、治がかつら剥きをする手つきはよどみなく、侑と違ってこの会話に興味がないかのようであるが、彼が飲んでいるのもまたハイボールで、やはり趣味嗜好はよく似ているようだった。

 

「俺、絶対飛雄くんとアレがアレすんでって言いましたよね? そしたら『影山はない』って言いましたよね?」

 

 影山を好きだとメールで教えたら、侑から鬼のような着信が入り、「おにぎり宮」へと呼び出された。店には当然店主の治がおり、自然な流れで牛島の秘密は彼にも知られることとなったが、口が堅そうであるのでまあいいとしよう。
 侑とテレビのインタビューに共に臨んだ際、恋愛事情についてのちょっとした嘘を見抜かれ、牛島が同性愛者であることは早々にばれていた。特定の相手がいないことも話していたからだろうか、侑は牛島の好みの男性像を特定することに熱心であり、事あるごとに「ありや、なしや」を聞いてきた。さて、アドラーズに影山が入団することが決まり、影山はどうなんだと聞かれて「なし」と答えた牛島に、侑はそれはそれは納得いかない様子だったのだ。

 

「ツムはなんでそんな自信満々やったん」
「ユースんとっからの付き合いの俺に言わせれば、や。飛雄くんはなんかモテんねん」
「そらモテてへんほうがおかしいわ、あのスペックで」
「いや男にやで」
「男ぉ?」
「なんやろなーアレ、年上と年下に特効持っとる感じで、ごろんごろんや。距離感バグらすヤツ何人見たか。ほんでどうですかて牛島くんに聞いたら、『ない』って。一刀両断や」
「牛島くんは、それはなんでなんです?」
「もともと知らない仲ではなかったから、今さらと思っていた。なにより影山は、なんというか、ちゃんとしているだろう」

 

 日々ランニングに取り組み、自主練を行ってはまめに片づけをし、日誌をつける影山の背中を思い浮かべながら牛島が言うと、侑が「ちゃんとぉ? 飛雄くんが?」と疑問の声を上げた。

 

「ほぉかぁ?」
「あいつは自分で自分の面倒をみられる。アスリートとして自立していて、意志も強い。素晴らしいことだが、その分、お互い踏み込まないままでチームメイトをやれると思った」
「ほんまに飛雄くんの話しとる? よう見てくださいよ、ガバガバやであの子」
「牛島くん、ツムがうるさくてすみません。分かりますよ、世間的な『トビオくん』のイメージって実際そんな感じやもん」
「ええ、ほんまぁ?」
「せやで。18から代表やっとるし、しっかりして見えるわ。お前が歪んどんねん」

 

 3年あまりチームメイトとして影山と付き合ってきた今の牛島には、侑の言うことも、治の言うことも理解できる。
 影山は日本代表のメンバーでくらべてみてもトップクラスに自己管理能力の高い人間だとやはり思う。気分でルーティンを崩すことがないし、調子が悪いときでも、自分を最低限の状態まで引き上げるのが上手い。自分に対して当たり前に厳しいから、同じように自分を律したい牛島にとっては気持ちよく付き合えるビジネスパートナーだ。
 と、これは牛島が影山に対してもともと持っていたイメージで、実際当たっていたのだが、過去の侑はそうした説明になかなか納得しなかった。


 ――おおん。俺は好きになってまうと思うけどなぁ。今までの話総合したら、ガッツリ牛島くんの性癖に当てはまっとるし。
 ――性癖とか言うな。なぜだ。きっと好きにはならない。
 ――牛島くん、あんな。あの子にも「気を許す」っちゅう制度があるんですよ。まあ話はそっからや。

 

 侑の意味深なセリフをもってその会話は終わった。

 数か月後、高校に籍を残したまま影山はアドラーズに合流し、めきめきと頭角を現した。自然、牛島との接点の多さはチームで指折りとなり、かなり早い段階で、相互にストレスのない関係が構築された。気兼ねなく言いたいことが言える。前後の経緯を省略して話したい部分だけ話しても、誤解が生じづらい。廊下で行き会って、話を切り出そうと言葉を探していたら「あ、色紙。おけす、あとで部屋に」これだけ言って去り、のちほど期待どおりに部屋にサイン色紙が届けられていたときなんか、色紙のへりを撫でながらしばし笑みをこぼしてしまった。
 まさしく「気持ちよく付き合えるビジネスパートナー」のようである。
 予想どおりではあって、ただ想像していたよりももっと、影山という男は居心地よく牛島の生活に登場した。違和感なく己のテリトリーに溶け込んできて、邪魔をされず、むしろいくらか暮らしがスムーズになっている気さえする。影山ってずっと前からチームにいたみたいだよね、というチームメイトのつぶやきに牛島もひどく共感した。
 最初の半年くらいは、そういう関係だった。
 好きとは違うけれど、たとえば新幹線の隣席が影山だと少しほっとする。苦手な種類の番組の撮影も、影山と一緒なら、それを仕事ではなくて休暇の延長のように感じる。その温度感を影山も共有しているのが分かって小気味いい。たしか、このような感想を抱くに至り、一度侑に報告を入れた気がする。

 

 ――影山はいいな。なんとなくだが、いい。
 ――ほれみい! 好きになってもうたんちゃうん!
 ――それは違う。好きにはなっていない。
 ――抵抗すなや!! 俺の賭け……いや、牛島くんの幸せのために!

 

 この関係が変化したのは、影山が出場機会を増やした秋の天照JAPANでの活動を通してのことだった。侑の言う「気を許す」というシステムが、突如猛威を振るった。
 影山と言えど、代表選出初年度はしんどそうにしていた。翌2016年はオリンピックに選出される、つまり日本トップツーのセッターにまで上り詰めることになるのだが、その地位をもぎ取っていったのが前年のワールドカップで、本当に18の少年が? と半信半疑の評価の中影山は悪戦苦闘することになる。

 若手集団に属する牛島も決して安泰な地位にあったわけではないが、代表にたった一人選出された同郷で同チームの後輩を人並み以上に気にかける程度の余裕はあった。
 2セット先取を返されてフルセット負けした練習試合のあと、長時間ミーティング室にこもっていた影山が、普段の倍ほど重力のかかっていそうな覇気のなさで廊下に姿を現した。食事会場から戻る途中で影山に出くわした牛島は、珍しく「大丈夫か」と心配の言葉を口にしていた。
 牛島と不自然な距離を空けて廊下の端で立ち止まり、影山が上目遣いにこちらを見てくる。

 

「影山」
「うぇあぉぉおぅ」
「……ん?」
「んぁおぉぁああぅ」

 

 謎の音声を発しながら、影山がふらふら歩く。明らかに人語ではなかった。幼児退行というより、不機嫌な猫のなき声のような、すべての音に濁点を伴う発声に少なからず牛島は動揺した。

 

「んぉおお……」
「か、影山。どこに行く」

 

 牛島が歩み寄ると、廊下を数歩まっすぐに歩いた影山が、不意に進路を折って牛島のほうへふらりと体を向けた。

 

「んぉおおお……」
「どう、どう」

 

 顔をしかめておんおん唸る後輩に慌てて、牛島が思わず手を伸ばすと、影山は両手を体側にそろえたまま、肩口に頭から突っ込んできた。びくともせず衝撃を吸収した牛島は、自分の胸元にひっついた青年を見下ろし、ゆるくその腕を撫でた。

 

「影山」
「うぇ」
「打ち合わせ、随分長かったんだな」
「う……」
「食事はとったか?」

 

 こくんと小さく頭が縦に動いた。

 

「……無事か?」

 

 また、こくんと頷く。
 過去のこの日よりも、影山の行動態様に詳しくなったのちの牛島に言わせれば、この影山は理性を精いっぱいかき集めて我慢していたのだ。思いを言葉にすれば、泣き言になってしまいそうだったから。大会までに解決できる見通しの立たない課題が山積し、彼の優秀な頭脳をしても、道がひらける観測が持てなかったのだと思う。

 

「俺がスパイクを全部決めれば解決するか?」
「ん……んぅ……。うしじまさん、って」

 

 いささか呂律が怪しくはあるものの、なんとか言語機能を回復したらしい後輩が、胸元で言葉を重ねる。

 

「なんだ?」
「どこにいても牛島さんだ」
「……それは、そうだ。俺は俺だからな」
「そう……っすね」
「影山?」

 

 体を離し、牛島の胸元を見つめたままの影山の指先が左腕をたどり、控えめな手つきで、牛島の手のひらを握った。

 

「もう少し悩みます」
「ああ。困ったら俺に高いトスを上げるといい」
「真顔だ……」
「嫌か?」
「嫌っすね。……でも」
「ん?」
「最悪それで」
「ああ。そんなに悪くないぞ」
「……そうかも」

 

 言葉で肯定しながら、どこか恨めしげに牛島の指を揺すって、影山は自分の部屋へと戻っていった。胸元に残った影山のぬくもりを思い返しながら、むず、と心が揺れるのを感じた。
 相変わらず元気を取り戻したわけではないようだったが、その後の部屋での様子などチームメイトに聞いても、人の稜線が曖昧化した影山に遭遇した者はいなかったようだ。

 気を許すというシステム。
 牛島の脳裏に侑の言葉がよみがえった。俺はどうやら、そこへ行き着いたらしい。影山飛雄は牛島の前で、ちょっと間の抜けることがある。甘えてくることがある。構ってやると、影山がそれで、もう少し頑張ってみたりする。
 豆電球をひねり、ソケットの奥へと捻じ込んだみたいに。牛島と影山のあいだで何かが噛み合い、明かりが灯った。そう感じた出来事だった。

 

「影山はとてもちゃんとしていて、自分の面倒をみることができる人間だ。でもその一方で、あいつは何も拒んではいない。影山飛雄の世界は開かれている。宮、お前が言うように、あいつが気を許した相手には、ちゃんと居場所がある」
「ほぉー……」

 

 口の端から今にも酒をこぼしそうな危うい手つきで、侑はグラスをあおった。

 

「まあ、色白やし、睫毛長いもんなぁ」
「話聞いてへんかったんかお前」
「おっぱいと太ももムチムチやしなあ」
「丹念に体を鍛える勤勉さは好ましいが、人を好色男のように言うな」
ノロケのパート長いんじゃ! でも賭けは俺の勝ちやぞ! なんかムショーに腹立つけど!」
「へえへえ、寿司おごったるから絡み酒やめろや。すいません牛島くん。今日なんでも食べてってください」
「……ありがたいが、お前もお前だ。一口乗るな」
「はは、すんません」

 

 深まっていく時間とともに、牛島の理性はゆるみ、つい饒舌になってしまう。
 それを冷やかしては影山攻略に知恵を巡らせる双子に牛島は苦笑しながらも、「ああ、今度やってみよう」なんて、結構真剣に考えるのだった。