intermission II

【頂いたメッセージへのお返事⇒⇒23.8以降:「続きを読む」から、それ以前:スマホのリーダー表示かドラッグ反転でお読みください】

影山くんインライ話

・ややモブ影み

・夜9時、突如告知された影山飛雄のSNSでのライブ配信に、数万人のファンが駆けつけた。
・影山飛雄とインスタライブという概念が結びつかず、駆けつけた多くのファンは混乱状態にあった。2019年10月のことである。


 

 

 

「こんちは。『こんばんは』かそっち」

 

 何の前触れもなく、縦長の画面いっぱいに青年の顔が映り、配信が始まった。画面に映る青年、影山飛雄はイタリアはローマで活躍する大人気プロバレーボーラーである。日頃は試合会場で遠巻きに、あるいはテレビ番組の引きの画角で彼を見ることに慣れ親しんだファンたちは、身を乗り出して覗き込むような角度で現れた影山飛雄に驚愕し、瞬間的にではあるが、約半数の心臓が止まったという。

 

「いまそっち9時……? か。ちわっす。なんか画面すげえ。ぶわーってなってる」

 

 それまでも「イケメンアスリート」と紹介されることの多かった影山だったが、このインスタライブを機に、その三度見不可避の顔立ちがさらに世間に知られることとなった。フィルター要らずのしっとりとした白い肌と、どの角度から見ても隙なく整った顔かたち、ちらりと上を見つめる際の射貫くような鋭く美しいまなざしは、とりわけ影山飛雄の顔を知っているつもりだったライト層のファンに強い衝撃を与えた。

 

「アリ・ローマ所属影山飛雄です。バレー選手です。セッターやってます。今ここあの、ローマ……イタリアで、……はい。イタリアです。こっち昼」

 

 この影山定番の自己紹介に関しては、「いや、バレーボール選手だってことくらい知ってるよ(笑)」と、当たり前のことをあえて言うネタとして扱われることがもっぱらだが、今日ばかりは説明しておいて大正解だったと言える。たまたまライブ配信にたどり着いた視聴者の中には本当に「で、このイケメン何の人なの?」と思っている人が少なからずいたし、「影山飛雄スタッフ」のツイッターアカウントから飛んで来た生粋の影山ファンの中にも、「この美青年、確かにバレー選手だったな!」と改めて驚嘆している者が含まれていたからだ。

 

「あー……何から話すんだ? 待って。カンペもらったから見ます」

 

 なお、影山がこの日身に着けていたのは、後に「インライのあれ」として伝説となる首元がひどくゆったりとしたオフホワイトのワッフル編みニットだ。普段ユニフォームとインナーシャツに守られて人目に触れることのない鎖骨とその下の白い肌まで拝むことができ、やや物憂げな角度で顔をうつむけたとき、見る者に特定の情熱をもたらすとしてスクショとGIFが大量に出回ることとなった。

 

「あ、これか。こんばんは、影山飛雄です、プロバレーボール選手、22歳です……あ、22歳です。最初に、この配信をやっている理由を説明……そうか。言ってねえ。説明します」

 

 手元のタブレットに書かれた台本を読み上げては、時折スマホに向き直ってひとことふたこと話す。これを繰り返すので、影山の睫毛の長さと優美なまじりがことさら見る者の目につき、困惑とともに喜ばれた。

 

「俺のオフィシャルメンバーシップっていうのが始まるので、その告知の配信です。メンシ……は後援会みたいな感じです。特典として、専用サイトで会員の人だけ見られる写真とか動画とか公開すんのと、たまにグッズのプレゼントとか。あと応援ツアーの優先申し込みとか、も、予定してます。応援ツアーが決まってないんで、これはまだ約束できないんですけど。イベントもやる予定にしてます。おわ……これすげー喜ばれてますか? あざっす……あの、言いにくいんですけど……有料です。大丈夫すか? 『有料じゃないメンシない』。そうなのか。月500円の予定です。いや安くはねえ」

 

 不器用ながらも、リアルタイムでコメントを拾い、ファンと対話をしながら配信を進める影山に涙を禁じ得ない視聴者も多かった。入団当初からファンサービスが大の苦手で、笑顔を作るのに大苦戦し、サイン中の何気ない会話に行き詰まっては、熱烈なラブコールを受け流せずに当惑していたのが影山だ。そんな彼が今は、画面越しではあるが、司会を通じて等ではなく直接言葉を選んで返事をしているのだからすごい。影山飛雄がバレー以外の苦手なことを頑張って、この時間を設けている事実は、親でもない人々の親心に訴求するものがあった。

 

「あざっす。あのー……金かかるんで慎重に決めてください。で、告知1個終わりっすね。まだあって。えっと……今年もカレンダーが出ます。で、いや、そう、毎年個人で出してもらってて、去年はアドラーズから出てたんすけど、今年移籍して、んでこっちの写真もあんまねーんすよ。で、マネジメント事務所の人たちが話し合って、撮って出そうってことになったらしくて撮りおろしのが出ます」

 

 つまり私服カレンダーか、と察したコメント欄が狂喜乱舞する。

 

「スタジオで撮ったのは1個もないです。普通にトレーニング中のとか、こっちで街中うろうろしてなんかいい感じに撮ってもらったり。スナップ風って言ってました。あ、だから季節感全然ないっす。夏に息白いのあってちょっとそこは、はい。勘弁してください。多分次の年は大丈夫です。出るか分かんないですけど」

 

 今年のそれはとんでもなく売れるだろうから、来年のカレンダーも間違いなく発売されるであろう、とファンたちはゆとりを見せる。

 

「すっげーしゃべった……まだ20分? ですか。やべえ」

 

 落ち着かない様子で部屋の中を見回し、スマホタブレットと目線を移して、影山はカメラを見つめ、腰を浮かせながら言った。

 

「水取り行ってきていいっすか。ちょっと待っててください」

 

 影山の姿が消え、テーブルの一部とソファー、そして奥の壁が画面に映る。家具や壁紙などは白と木目の落ち着いた色合いで統一されていて、まるで撮影スタジオのようだが、席を立った影山はキッチンにでも向かったのか自由に水をくんでいるようである。戻ってくる途中でどこかをぶつけ、「いて」と遠くから声が聞こえてきたのが、影山がそこに存在している気配を感じさせて、筆舌に尽くしがたいよさがあるとして、これもまた脱法ドラッグのようにネットで出回ることとなった。

 

「戻りました。ここすか? 家です。一軒家借りてる。広いです、家族で住む用すね本当は」

 

 影山はグラスの水で喉を潤しながら、コメントに目を走らせる。

 

「メシ? 作ります。『えらい』……えらいっつーか、作らないと選択肢狭くて飽きる。でも近所のトラットリア美味いっすよ。メニュー読めねえから毎回賭けなんすけど、美味いもんしか食ったことない。『読めないの大丈夫ですか?』、大丈夫じゃないっすね。店の人に俺がメニュー読めてねーのバレてて、注文するたびすげー顔で『本当にそれを注文するのか!?』って聞かれる。でも美味いもん出てきます。そうっすね、からかわれてる。つーかなんかすげー子ども扱いされてる気がすんだよな。いいけど」

 

 このライブ配信の環境に慣れてきたのか、影山の口調が少し砕け始める。会社の広報が行うインタビュー未満、初めて出演するテレビのスポーツコーナー以上の落ち着き、といったところだ。

 

「告知もうないっす。『洗剤のCM出てませんか?』あ、出てます。多分俺の名前どこも出てないと思うけど、すげー洒落た家で洗濯だけしました。あ、大丈夫です、聞かれたら言っていいって言われてるんで。撮ったの結構前で……多分6月くらい? か。新商品のイメージモデルってことで――」

 

 この時点で、台本らしい台本はすでになくなっており、実質影山のフリートークタイムとなっていた。そうしたことが大の苦手な影山は、CMの件を乗り切ったあと、コメント欄で質問を募集することにした。

 

「『チームで仲いい選手』。まだ難しいすね。んー、ルカ? プレー面では上手く息合わせられるようになってきたけど。『海外組の誰かと連絡取ってますか』。牛島さんとはこの前しゃべりました。ビデオ通話して……あれ、3分くらいで話すことなくなったな。あとはお互い普通にそれぞれ……暮らしました。だから面白い話なんもないです、すみません。牛島さん部屋の電球替えてましたよ。え、面白いのか。牛島さんが電球替えるの、まあ確かにちょっと面白いか」

 

 のちに牛島から「面白いか?」とメッセージが来て影山はひやりとすることになるが、この時点ではまだそのことを知らない。

 

「『試合の動画見た』? いいっすね。見てください。サブスクやってなくてもハイライトとか見れんのか。へえ。まあ暇あったらフルで見てください。多分結構面白いです。『寂しくないですか』。寂し……くねえこともない。くらいです。たまにすげー懐けぇなって思う」

 

 少し黙り、遠く日本に思いを馳せていると、「俺とも会えないですもんね」というコメントが流れ、影山は目をしばたいた。

 

「『俺とも会えない』? え、誰だ。知り合いですか? すみません、写真ちっさくて分かんねー」

 

 そう問いかけると、少し間を空け、同じアイコンの人物が再びメッセージを投稿した。

 

「『ファンです。会ったことありませんが心はいつもそばに』……クソ……。あ。言ってないです。広報さんに怒られる。……もう怒られねーか。おい、喜ぶな。なんでみんな……『大好きです。もっとキツめでも大丈夫です』……好きっすか。そうすか」

 

 影山は軽く眉間に指先を当て、以前からの疑問について考える。こんなに多数のファンと直接言葉のキャッチボールができる機会もそうそうない。

 

「あのー……ありがてえ。んだけど。たまに素直に喜びにくいのあんだよな。同じ服買いましたとか。あ、えっと……服っていうか、下着? それは男ですね。多分年下。『どこで?』、体育館で。直接。最初会ったとき高校生だったと思うけど、最後デカくなってたなあいつ。ファンって言ってもらうのありがたいんですけど、なんかよく分かんねえ」

 

 初めは、「憧れの人と同じ服を買いたくなる」というありがちなファン行動に抵抗感を示されたかと思いむせび泣いたファンたちが、「下着」の一言を聞いて復活し、困惑でコメント欄を加速させる。そんな中に、「それ俺です。ちゅっ。今ちょうど穿いてます」というコメントが交じった。

 

「おいお前か。穿いてますじゃねえよ。『拾われた!? この勢いならいけるかと。すみません』、おいアスリートの動体視力なめてるだろ。コメント全部見えてますよ。てか知ってる人多くないですか、俺が着てる服がどこのかとか。俺も知らねーの多いのに。どこで知るんすか、そんな。パンツのウエストのところが映ることある? ……気をつけます。『気をつけないで』……どうなりてえんだお前。もう絶対映らないようにします。見るな。買うな。せめて俺に言うな」

 

 「こっそり穿きますね!!!!」と、「こっそり」という割に力強いコメントに影山はやや気圧され、「……頼む」と諦め半分に呟いた。ファンというより、部活の後輩に接するような感覚だった。

 

「あの、ほかなんか、そういうのありますか? 俺あんま周り気にしてないから、やらかしてねーか怖いです。『熱心な現地のおじさんカメラマンいますよね』。あー……あー、はい。インスタに上げてる人。へえ、知ってる人多いんですね……。『知り合いですか?』、んー……知り合いか。目が合うと投げキスしてくるから覚えました」

 

 影山の返答に多数のファンが絶句し、空間が歪む。「熱心な現地のおじさん」のインスタにお世話になっているファンはかなり多い。プレー中の写真だけでなく、試合前にチームメイトとボディランゲージを交えひそひそと何やら会話している姿や、試合後のストレッチ中の写真など、彼のアカウントはファン垂涎の写真の宝庫だ。そうしたものは、日本にいるうちは熱心な追っかけファンのコミュニティーがあって写真や動画がシェアされてきたが、イタリアにまで渡って毎試合追いかけられるファンはそうそういない。必然的に現地ファンが頼りとなり、そんな中で彗星のごとく現れたのが彼で、最初はアリ・ローマのさまざまな選手を撮って上げていたのだが、影山の写真は日本ファンがやたらと食いつき評判がいいので、自然と影山の写真が増えていったというわけだ。

 

「投げキスされます。大丈夫です、よけてます。ループ軌道で投げてくるんで、落下地点見切ってよけてる。あんまちやほやしないでください、すぐ調子乗るんで。……ん。ありがたいっすよね。なんかバレー詳しくなってきてて、試合後コメントしてくる。グラッツェっつって別れるんすけど、今日つまんなかったとか言われると普通に考えちまう。そういうの含めて、興味持ってくれんのいいっすね。ありがたい」

 

 目尻を柔らかく細めて、影山は時計に目をやった。そろそろ45分ほどが経過しようとしている。告知の仕事を無事終え、ファンとの交流もなんとか形にできたことで、影山はほっと胸を撫で下ろす。反省点は多いが、なんとかこの先もやっていけそうだ。

 

「じゃあ、今日はここまで。来てくれてありがとうございました。また……次はメンバーシップの企画で何かやると思います。あざっす。あざっす。カレンダーよろしくお願いします。じゃあまた。おい見えてんぞ。『今度は二人で会いましょうね』じゃねーんだよ。終わります」

 

(おわり)