intermission II

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原作軸(侑影)

・ちょい下品




 聞くところによれば、それは覿面の効果があるらしい。
 仕事に対するモチベーションが上がり、気持ちの切り替えが上手くいくようになる。人として落ち着いたと評価されるようになるし、身だしなみに清潔感があふれ、高い確率でバランスの取れたおいしい食事が約束される。のだそうである。
 侑は当然半信半疑、どころか「疑」が10割近くであったが、相手はいちおう先輩であるからはっきりとした否定の言葉を口にすることを避けた。俺むっちゃ大人や、落ち着きと清潔感のバケモノや、と自己満足しながら帰路に就いた。
 ありふれた彼女のススメである。侑の人生において学問の100倍は勧められたことで有名だ。女性誌のインタビューで「カノジョなんて気配もないなぁ(笑)」なんて受け答えをすることがファンの女性たちに気を持たせて不適切だとか、出来の悪い試合のあとボールかごを蹴り飛ばす未熟さは守るものがない私生活に起因するのだとか、とにかく侑は彼女がいないせいで散々な言われようだった。表ざたにしてはファンを落胆させるが、そこさえ上手くやればデメリットなんてひとつもないのだと人は言う。
 侑は読みかけの雑誌を黙ってサイドテーブルに伏せた。出版社から提供された自身の記事の掲載号だった。ホテルでの暇つぶしにと広報担当から渡されたが、侑の顔写真がよく撮れていること以外、特段有益な情報はなかった。

「あぇっす」

 相部屋のチームメイトが帰ってきた。この男は「っす」の部分があれば挨拶として成立すると思っている節があり、冒頭の母音が大抵あいまいだった。

「うわツラわる」
「なんすか、変わんないす」
「機嫌えぐいやろ自分」
「えぐいすね」
「誰、俺?」
「違うでしょ。メシ食いっぱぐれました」
「うそやん、取材長っ。ルームサービス取り」
「取ります。でも」
「あー、ビュッフェのおに宮メニュー食えんかったんや」
「です、最悪」
「そら同情すんで飛雄くん」

 ルームメイトはバッグをラゲージラックに置き、ジャージを脱いでハンガーにかけ、靴をスリッパに履き替えた。影山と相部屋の遠征は部屋が荒れなくていい。神経質な人間ではないけれど、影山の荷物は影山のテリトリーで完結するよう管理される。

「カレー頼んでいいすか」
「ええけど、魔法のランプみたいなん入って来んで、むっちゃサラサラしたやつ」
「あー、まあ、んー、違ぇな。寿司にします」
「はい出た生魚、悪い子やなー」
「今日で終わりっすよ。いいでしょ」
「ええと思うで」
「あざす」

 ぼそ、ぼそ、と眠そうな声で注文の電話を終え、影山は侑のほうを向き、鏡台の前のスツールに腰を下ろした。

「その雑誌」
「ん?」
「見ました。侑さんすげーかっこつけてました」
「かっこついとったやろ?」
「まあ。ちょっとイラっとしたけど」
「なんやねん、しばくぞ」
「そっち行ってもいいですか?」
「おん、ほんまに機嫌悪いな、さては」

 侑の指摘をさっぱり無視して、影山はスツールを立った。するするとそばに寄ってきて、べたりとベッドの上で膝を折る。

「飛雄く、うお」

 テーブルの上の雑誌を見やる瞳が物言いたげで、真正面から目を合わせるのではなくて、何かを睨める顔を間近で見るのも悪くないな、なんてことを考えていたら体重を投げ出すように抱きつかれてぐらりと体が傾いだ。

「重いでーす」
「重くしてます」
「……あ、お前シャワー済みの民ちゃう?」
「浴びました」
「うわもうやめろ、チンコ勃つチンコ勃つ」
「いいっすよ」
「ようないわ、寿司来るやん。ほんで食うやん」
「食いますね」
「待つんダルいわ」
「侑さん一回乗り気になると待つから」
「学習すな。ほんで俺を予約すな」
「あ、チャイム」

 少し体を離して、キスとも言えないような仕草で唇の端に唇をくっつけてから、影山はベッドを下りた。そのままドアを開けに行くと、親切にも食事のセッティングをしてくれるシステムらしく部屋の中にスタッフが入ってきたので侑は慌てて背もたれにしていた枕を抱いた。
 ありがとうございます、と影山が言い、制服姿の男性スタッフが影山を仰ぎ見てぎこちなく頭を下げる。その顔のいい男、このあと俺に抱かれる気でおるんやで、えろいよな、と侑は腹立ちまぎれのモノローグを内心で綴った。

「うまそ。いただきます」

 再び二人きりになったツインルームで、影山が両手を合わせる。
 言葉だけではなくきちんと手を合わせるところ、でも拝み箸はしないところ、スツールに腰かける姿勢のよさ、繊細な横顔、醤油の袋を開ける指の形がきれいなこと、あるいは指先についた醤油を舐め取る俗っぽさ。
 幾度となく自分がこの男のどこを好きになったのか突き止めようとしたが、いまだに真実味のある答えに行き着いた試しがない。そうこうしているうちに好きなところが勝手に増殖する。「わたし、好きになった人が『タイプ』になっちゃうんだよね」、さっきの雑誌に載っていたインスタグラマーがウインクしながらサクランボにキスする写真のキャプションで語っていたけれど、もしかしなくてもアレか、と恥ずかしくなる。
 バレーの外に恋人を持ち、気持ちを切り替えて、心を癒やせと人は言う。
 果たしてその架空の恋人は影山飛雄より宮侑を理解するだろうか?
 バレー本位に生きる自分を心の底から受容してくれるだろうか。どんな横顔でまばたきをするだろうか、ベッドに寝転んで話す眠たげな声は耳に心地いいだろうか、歩く姿は美しいだろうか、生き様は愛おしいだろうか。

「――ほんま、カノジョなんて気配もないなぁ。かっこ笑い」
「……なんか見たなソレ」
「大人気バレーボーラー、宮侑選手の最新インタビューより抜粋」
「あ、それか。詐欺くせぇ」
「この世で飛雄くんだけは喜べって。実質私信や」
「まあ、正直ちょっと気分いいです」
「なんやその顔」
「なんすか」
「むっちゃ可愛い。はよ食べ終わって」
「ハイ」
「……するやろ?」
「したい」
「気分ええな、マジで」

 この男を独り占めするより、そしてこの男に独り占めにしたいと願われることより興奮する他人との関係が侑には思い浮かばなかった。
 未熟でも、落ち着きがないままでもかまわないのだ。ボールかごを蹴った侑を言葉でたしなめる代わりに非難がましく尻を蹴って、結局侑と一緒に叱られてくれる、不出来で愛おしい好敵手がそばにいてくれるなら。