intermission II

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You●uberパラレル(8)ほんのり日影、月影、牛影

・影山くん定点観測、ほんのり日影、月影、牛影あり。<[]:>=配信チャット欄





 画面中央に一脚の椅子がある。
 左側に窓があり、光の加減か、窓外の新緑が、街なかのそれよりぐっと深い色合いを呈している。椅子の背後の壁面には、薄暗く見えづらいが鉄の架台が置かれているようで、そこに真白い器が隙間なく並べられている様が、季節を迎えたスズランのようにも見える。
 配信が開始されてから、約2分が経過した。マイクは衣擦れとスニーカーの靴音を拾っており、この工房に人の気配があることを伝えているが、まだその姿はカメラに捉えられていない。
 無予告に始まった配信ながら、視聴人数は1秒ごとに増え、今3000人を超えようとしている。たまたま配信がおすすめに出てきた者、配信サイトの通知で気付いた者、日向翔陽のSNSから飛んで来た者など経緯はさまざまであるが、「烏野窯」チャンネル初の生配信とあって、少なくない視聴者が、両手を握り合わせ、固唾を呑んで、その男が画面に現れるのを待ち望んでいた。

「あ、コメント見えねえ」

 男を待つ間、静かに、しかし絶え間なく流れていたチャット欄が、一気に加速する。
 これまで、「日向のゲームチャンネル」を中心とした他の配信者の配信から以外ほとんど聞くことができなかった声が遠くに聞こえ、視聴者の期待感は最高潮に達する。

「……スマホ見りゃいいか」

 背の高い青年が、ふらりと画角に現れる。粘土だろうか、青年は所々に汚れの残る黒いシャツを身に着け、スマホを片手に中央の椅子へと腰を下ろした。

「こんちは」

 青年がそう挨拶すると、ついに4000人に到達した視聴者たちが、あふれ出る感情を思い思いに文字に託し、チャット欄に濁流を生み出していく。この青年、影山飛雄の姿を初めて目にした視聴者も多くいたようで、言葉にならない感情爆発が沸き起こっている。

「烏野窯の影山です。初めまし……て?」

 これまで、このチャンネルに投稿された作業動画は影山の顔が映らない角度に設定されていたため、こうしてカメラに向かって語りかけるのは初めてのことだった。「緊張したほうがいいのか?」と影山は他人事のように考え、「いや、適当でいいな」と、また他人事のように思い直した。

「ここ工房。普段作業してるとこです」

 緩く両手を上げ、自分の背景について、雑に説明をする。
 太ももの上に置いたスマホを見下ろし、影山は配信の状況を確認するが、コメントの数が多く、会話のキャッチボールをするには、かなりラグがあるようだった。影山は、日ごろ目にしている日向翔陽の配信の様子を思い返し、少し時間がたてば落ち着くだろうと考え、話を先に進めることにした。

「えっと……。うちの窯いろいろ作ってんスけど、最近はこういう……透かし彫りするやつ、蛍手っていう技法があって、これ使った器よく作ってます」

 影山は少し離れた作業台に手を伸ばし、最近作ったぐい呑みを掲げ、小さく振ってみせた。

「かわいいスか?」
<[日向のゲームチャンネル]10000円:>
「いつもは、作業の垂れ流し動画たまに上げるくらいしかしてなくて」
<[日向のゲームチャンネル]10000円:>
「けどこの前あの、日向に……日向っていうヤツ、なんか小せぇのがいて、そいつのチームにワルバリで負けて、罰ゲームで生配信するってことになったんで、今してます」
<[日向のゲームチャンネル]10000円:暴言系配信者ですか?>
「日向? 別に暴言じゃね……なんでお前のコメント赤ぇんだ? あ、ワルバリっていうのは、バレーのゲームです。オンラインの。セッターやってます。バレーはやっぱおもしれえ」
<[日向のゲームチャンネル]10000円:>
「やっぱ赤ぇな。で、えっと。今日は配信なんで、説明しながら作業します。……なるべく。乾燥させた素地に穴開ける、たぶんすげー地味な配信です。陶芸興味ある人は見てください。ゲーム……はやんないです」
<[日向のゲームチャンネル]10000円:質問コーナーしませんか?>
「質問とかあんのか。ありますか。作業見たほうが早いと思う。俺の歳? 24です」

 高額スーパーチャット、通称赤スパでの日向のアピールにより、影山はそれから少しの間、視聴者たちの質問に答えた。曰く。
 身長何センチですか?
 ――180ちょい。
 ゲーム動画を上げる予定は?
 ――無理です。パソコンのスペック足りない。ワルバリ重い。
 今度のワルバリの大会はエントリーしますか?
 ――時間ないから大会とかは出ないです。
 アーカイブ残りますか?
 ――残さないです。
 彼女いますか?
 ――この質問多くないスか。いないです。
 俺のこと好きですか?
 ――好きじゃねーよボゲ。
 結局陶器と磁器の違いってなんなの? キミの説明毎回分かりづらいんだよね。
 ――うるせえな、日にかざして透けるほうが磁器だっつってんだろ。つーか、なんでテメーも赤いんだ?

 10分ほどそうしていたが、質問はとめどなく投稿され、いっこう落ち着く気配がなかった。影山は諦め半分に頭をかき、「作業の合間で答えられるの答えます」と断ってから、作業台へと自身とカメラとを移動させた。

「これ乾燥させた素地です。花器っすね。乾燥はわりとしっかり。これに穴を開けます」

 色白の、形のよい手が、すらりとした細身の器をつかんでカメラに見せてくる。撫でればサリ、と心地よい音がしそうな、素朴な印象の素地が配信画面に映った。

「ポンスで穴開けていきます。えー、開け方は……その、好きなところに?」

 チャット欄の遅れの程度を理解した影山は、言い終わると、コメント欄が影山の話に追いつくのを少し待って、再び口を開いた。

「ポンス? ポンスこれ。アタリはつけないです。俺が開けたいとこに開けるだけっすね」
<[日向のゲームチャンネル]10000円:テーマあんの?>
「日向。それ金払ってんだろ。やめろ」
<[日向のゲームチャンネル]:じゃあやめる。だが俺は俺のために投げ銭をし、俺の心を満たしたことを報告する。今は幸せを感じている>
「お前ほんと何なの。テーマは、木漏れ日っぽい感じにしたい。窓際に飾ると映えるように作る」

 影山は工具を右手に持ち、素地の表面を撫で、いざ力を込めようとしたところで手を止めた。
 手を動かさないまま、ちらりとカメラに視線を投げ、一言呟く。

「黙るかも」

 次の瞬間、ふっと雑音が消え、予告どおり、影山はそれなり黙り込んだ。削り始めてから30分ほど、画面の中の一人の青年が黙々と作業に取り組む様子を、5000人近い視聴者が見守った。尖った工具が乾燥した粘土に穴をうがつ音、削れてこぼれた白い土を払う慣れを帯びた指の動き、少し彫り進めては窓の明かりに器をかざして、光のこぼれ具合を確かめる青年の横顔。それだけだった。刺激的なスーパープレイも、気の利いた面白エピソードトークも、チャット欄へ一瞥くれるホスピタリティも何もない、ただ職人のこだわりに満ちた丹念な時間が静かに流れていった。

「……終わり。このあと素焼き。やべ、結構経ってんな……まだ見てる人いんのか」

 首を傾げながらスマホのスリープモードを解除した影山は、しばし画面を眺めたあと、小さな声で「増えてる」と呟いた。

「やべーか。やべーよな。あの……こうなる気はしたんですけど、やっぱほったらかしになる。配信向いてねーな俺」
<[日向のゲームチャンネル]:お前、正直最高です>
「日向まだいんのかよ。お前は変だから参考にならない。適当言うな」
<[月島蛍]:その調子で夜まで続ければいいんじゃないの>
「だからなんで月島もいんだよ。こんなもん延々垂れ流しても誰も見ねえだろ」
<[日向のゲームチャンネル]:見るよ?>
<[月島蛍]:見るけど?>
<[グッチー]:見まーす!>
「なんで全員いんだよ……」

 山口まで配信を見ていたことに影山はもはや感心し、黒髪を掻き上げ、腰に手を当てて短く息をついた。

「じゃあ俺ここで仕事してるんで。好きなことしてください」

 影山の言葉に、視聴者たちは湧き上がった。天候もよく、お出かけ日和の週末の午後を家で過ごし、わざわざ影山の作業を見届けんとする人々の気持ちは影山には分らなかったが、どうやら配信継続が望まれているのは事実らしいし、と思考を放棄する。

「――あ、そうだ。先月、東京のカフェでイベントやったんスよね。来た人いますか?」

 作業動画の概要欄でぐだぐだな説明をした以外、告知をほとんどカフェ側に任せてしまったイベントの存在を思い出し、影山は口を開いた。烏野窯の食器を使ったランチコースを数量限定で提供するというもので、影山の説明に日向が注釈を加えた告知画像が出回った甲斐もあってか、事前販売チケットはすぐに完売し、1週間の追加期間も含め大盛況に終わったのだった。
 行けなかった、気付いたら売り切れていた、などというコメントに交じり、ちらほらと参加報告も見られた。

「メシ食いました? 旨いでしょ。イベント終わりましたけど、いつ行ってもクソ旨いんで、近い人行ってみてください。コラボもまたいつかやります」
<[日向のゲームチャンネル]:お店のホームページはこちらhttps://……>
「お前たまにすげー役に立つな。コメント固定しとくんでよかったら」

 影山がまたしゃべりだしたことで、チャット欄は活気づき、「次の生配信なんていつあるか分からないぞ」と焦る視聴者たちがこぞって質問を投稿し始めた。

「質問……じゃあ最後に少しだけ。日向の印象? 小さい。月島はメガネ。山口は、バレー選手だったら、多分サーブはフローター。工房見学やってないです。ワルバリイベントはもう出ないと思う。ってかあれ俺たまたま会場にいただけっスよ。家バレ? 大丈夫です。工房の敷地一帯、関係者以外入れないから。先週の土曜? ……ああ、はい。バレー見に行きました。なんで知ってるんですか?」

 影山が目を留めたのは、「つかぬことをお伺いしますが、先週土曜Vリーグ見に行かれませんでしたか?」というチャットだった。先週の土曜日、ちょうど1週間前のことだが、宮城で地元チームのホーム戦が行われていたので、影山も会場に足を運んだ。

「中継映ってましたか?」

 それともランク戦を休んだからそう推察されたのだろうか、と首を傾げるが、チャット欄のざわめき方を見るにどうやらそうではないらしい。「誰と」という質問があふれかえるので、影山は正直に答えを発表した。

「牛島さんと」

 少しのラグのあと、驚嘆と、歓喜と、それからごく少数の悲嘆の声が一気にあふれた。

「え、何? 牛島さんで通じてますか。筋肉すげぇ牛島さん」
<[日向のゲームチャンネル]:会ったの? 生身で?>
「生身以外の選択肢なんだよ。ねえだろ」
<[日向のゲームチャンネル]:ないけど! どっちから誘ったんですか?>
「いいじゃねーかどっちでも」

 流れていくコメントの文脈から、牛島が昨日の配信の雑談の中で、「人とバレーの試合を見に行った」というところまで話していたらしいことを影山は理解した。なお、影山たちの耳には入っていないが、「誰かと一緒に観戦するのはやはり楽しいな」と牛島が頬を緩めていたため、一部ガチ恋勢が吐血し、先ほどの影山の報告で蘇生したとのことである。

「この話もういいか? あっちの迷惑かもしんねーし」
<[月島蛍]:ていうか君って誘えば外出てくるんだ?>
「いやモグラじゃねーんだよ。おい、時間ねえしコッチの続きやんぞ」

 影山は一度作業台を離れ、素焼きの器と、液体の入った鉢を持って戻ってきた。

「これはもう穴が開けてあるやつ。この穴に透明釉をさしていって、蛍手の透けてる部分作るって作業があるんで、やります」

 まだまだ雑談を聞きたい気持ちと、新しい工程を見られる喜びに揺れる視聴者をよそに、影山は淡々と準備を進める。日向は牛島のアーカイブを掘っているし、月島は仙台の美味しいショートケーキの店を探しているが、影山のほうは知る由もない。

「俺集中するとほんとカメラ忘れると思うけど、勘弁してください。こっから先は本気で垂れ流しです」
<[日向のゲームチャンネル]:よっしゃ恋!>
<[月島蛍]:うわ……>
<[グッチー]:日向! 字間違えてるよ!!>
<[日向のゲームチャンネル]:えへへ、いっけね!>
「じゃあやります。あ、日向俺今日ランク戦行けねーから」
<[日向のゲームチャンネル]:マジでぇえええええ!?>
「業者来るから。シルバーに落ちんなよ。じゃあな」
<[日向のゲームチャンネル]:マジか……。デュオ募集@1オナシャス>
「人の配信で募集すんな」

 その後、6000人を超え、まだまだ増えていく視聴者に見守られながら、影山はカメラが回っていることを本当に忘れて4時間ほど配信を続けた。刻々と傾いていく日ざしの中、顔をうつむけ作業に没頭する青年の姿はそれだけで絵になり、他人の気配を欲して見始めた視聴者の午後を食いつぶしたり、技術向上を志し配信を開いた同業者の新しい扉を開いたりした。非公開となることが予告されていたこの配信を、こっそりと録画していた輩ももちろんいて、擦り切れんばかりにリピートされたのち、ようやく日向や月島の作業用BGMとして機能し始めたのだった。



引用元:
彫り加飾 蛍手花器(烏野窯)※アーカイブは非公開