intermission II

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原作軸(烏影)

・2015年8月、烏影(烏養さん誕で公開したもの)
・家の間取り捏造。烏+影寄りですが目線が怪しいのでCPと言いたい




 何か特別、大きな不手際があったわけではない。上手くやれたとまでは言えまいが、編集でごまかせないほど下手でもなかった。と思う。
 低くうなり、スポーツドリンクで全身疲労の回復に取り組む烏養に、目の前の武田は「烏養くん、よく頑張っていましたよ」と嘘のない笑みで褒めてくれる。

「んー、そう?」
「ええ、初めてとは思えないほど、しっかり話せていましたよ」
「だといいんだが……しっかしまあ、慣れねえことすると変なところに乳酸がたまるな」
「はは、お疲れですねえ。でもこれからこういう機会は増えていくんじゃないですか?」
「だよなあ? 上手くやれるか自信ねえー……」

 本日、烏野高校はざわついていた。立派なカメラとマイクを備えた撮影部隊が、放課後学校に乗り込んできたからである。全国大会に顔を出すようになって以降、烏野高校排球部に取材が訪れることは珍しくはなかったが、それにしても今日は大所帯だった。それもそのはずで、今日の撮影隊は民放のプライム帯のニュース番組からのお出ましだった。この春烏野高校を卒業業したばかりのバレーボール選手、影山飛雄氏の来歴をたどる取材である。
 「恩師が語る影山飛雄(18)の肖像」と題し、インタビューを申し込まれた烏養は、断り切れずにこれに応じた。同時間帯のニュース番組として、一番に名前の挙がるような全国放送の帯番組だ。これまでなにかと理由をつけて、インタビュー対応を武田大監督に任せてきた。しかし、さすがに今回は突っ込んだバレー談義が必要ということで、「烏養くん、僕には荷が勝ちすぎのようです」と困り顔を向けられ、引き受けることにしたのだった。

「選手ってのはすげーよな。そこら辺でぷらぷら遊んでる年代のやつらが、急に有名になって、急にいっぱしのインタビュー対応やんなきゃなんねーんだからさ」

 部員たちも帰途につき、人のはけた体育館で、烏養と武田は並んで腰を下ろし、天井を眺める。

「本当にそう思います。日頃教壇に立っている僕も毎回気負ってしまって、上手く話せないというのに」
「いやいや、先生はうめーけどな。にしても、あの影山さえ、そこそこソツなくこなしてんのビビるんだわ」
「影山くんの受け答えはシンプルで無駄がないですよね」
「インタビュー短く終わらせる才能があんな、ありゃ」
「ふふ。烏養くんもどうですか、短く簡潔に打ち返す作戦」
「そりゃー……、そりゃー、ナシだな」
「ほう。その心は」
「……俺もまあ、かの影山飛雄選手には一家言あんだよなあ、残念ながら」
「ううん、なるほど」

 高校を卒業し、まだ4か月余りの影山飛雄少年に世間の注目が集まっているのは、先月まで開かれていたワールドリーグで、代表に選出されたばかりの彼が正セッターを食うほどの大活躍を見せたからだ。若く新しい戦力が現れると、それだけでわくわくさせられるものだが、主力のターンオーバー試合でアメリカ相手にジャイアントキリングを成し遂げたとなれば、ビギナーズラッと片づけるわけにもいくまい。
 我々は、とんでもない新人が羽化する瞬間に立ち会っているのではないか。そう勘づいた業界関係者が、秋のワールドカップまでに影山飛雄戦線で一歩抜きんでようという動きが活発化して、今の「嵐目前」ともいうべき状況になっている。
 彼の器を問われた烏養は胸を張り、答える。間違いない、当然だ、そうならなければおかしい。影山飛雄は、日本中に夢を見せるアスリートになるだろう。その証拠に、最初に出会った高1のころから、烏養の胸の高鳴りはやむことがなかった。世界がまだ彼を知らないのが歯がゆく、いつか訪れる鮮烈なデビューの瞬間が楽しみでならなかった。

「今回の取材の件、影山くんとは連絡を取っていたのでしょう?」
「電話で話したよ。正面切って反対してきやがった、あいつ」

 そう言ってヘアバンドで留めた後ろ髪を掻くと、武田は切なげな表情で目を細めた。
 俺も年貢の納め時か。そう思った。
 烏養が取材を避けていたのは、人前でしゃべるのが好きでないのもあったが、金髪にピアスという自分の外見が、高校スポーツの指導者としてさぞ賛否両論を巻き起こすであろうことが分かっていたからだ。あんな田舎のヤンキーに子どもを預けるなんてと、烏野高校自体が批判にさらされかねない。
 ――取材好き勝手言ってやるからな。オンエア楽しみにしとけよ。
 スマホに向かってそう告げると、かつての教え子は電話口で、親しい者にだけ分かるささやかさで笑った。
 ――何言ってもらってもいいです。よろしくお願いします。
 電話越しにしゃべるのが久しぶりだったからだろうか、影山の声がやたらと柔らかいのが気になった。
 けれど、「髪は黒くしとくから、そこは安心しろ」と烏養が言うと、声音は突然、りんと張り詰めた。

「影山くんはなんて?」
「『嫌です』だとよ。あいつはワガママボーイか?」

 金髪のままでいいです。だめだっていうなら、取材断っていいです。
 急に切羽詰まらないでくれ、と烏養は焦った。
 気遣ってもらったところ悪いが、烏養は別段、金髪に強いこだわりを持っていたわけではない。大学生のとき、伸ばし始めた髪を遊び半分に自分で染めた。そもそもはメッシュを入れるつもりだったのだが、大学生の不器用な手染めでは雑誌で見るような仕上がりには程遠く、収拾がつかなくなったので諦めて全部金髪にしたのがきっかけだ。以降は惰性でなんとなく染め続けている。なにせ自営業だ、とがめられる機会がない。

「影山くんらしくない感じがしますね」
「だよな。責任感じさせちまったっぽいのは分かんだけど、『嫌』って言われると、私情感ハンパねーっつうか。アイツが年上の身なりに口出すイメージねーんだけどな」
「日向くんには髪を切るようにとよく言ってましたけど、日向くんですしね」
「そこはな。で、影山の反対むなしく染めちまったわけだが」
「黒もよく似合ってますよ」
「だろ? ま、元が黒だしなあ。俺もいい年だし、案外すっきりしてんだ。あとは、この頭見てあいつが落ち込まねえといいんだけど……」
「今回、影山くん本人は帰ってきてないんですよね?」
「らしい。まだ合宿中じゃなかったっけな」
「日本代表って大変ですねえ」

 ペットボトルに残った最後の2、3センチを一気に飲み干して、烏養は立ち上がる。

「帰るわ。また明日な、先生」
「はい、お疲れさまでした」

 今後のことを考えれば、自分はオンエアを見るべきだろうと思う。けれど何度想像してもいたたまれず、精神の均衡を保てる気がしない。まずはミュートで見てみよう、それから少しずつ段階的に、と作戦を練りながら、烏養はその日体育館を後にした。



 坂ノ下商店には、客の出入りする正面とは別に、家族の者が出入りする入り口がある。店舗脇の細い私道を抜けると裏庭に出るようになっていて、縁側のそばを少し歩いた先に、勝手口があるのだ。
 インタビュー撮影の数日後、その日も部活を終えて遅くに帰宅した烏養は、車を止め、荷物の入った布袋を抱えて砂利道を歩いた。さて、夕飯をとりながらビールでも飲むかと顔を上げたところで、縁側に腰かける人影に気付き、烏養は「ひっ」と声を上げた。

「なん……影山!?」
「お邪魔してます」

 いや、ギリ、お邪魔してないのではないか? と、どうでもいいツッコミが頭をよぎった。
 氷を浮かべたロックグラスを両手で抱え、部屋の外に向けられた扇風機に影山が髪をなぶられている。濃紺の半袖のシャツが、そこからのびる少し汗ばんだ腕が、夏だった。

「なんでここにいんだ!?」

 車のエアコンで引いていた汗が、一気に額から噴き出した。4か月ぶりの影山だ。たったの4か月。それなにに、もう2、3年は会っていなかったのではないかと錯覚しそうになる。

「あっち、表で待ってたら、烏養さんのお母さんが声かけてくれて、こっちに通してもらいました」
「いやそうじゃねえ」

 もちろん、なぜ東京にいるはずのお前が宮城の田舎町にいるのだと問うたつもりだったのだが、影山の発した「烏養さんのお母さん」というフレーズが妙に脇腹を痛くし、烏養は不明瞭に言葉を濁してしまった。

「日が落ちたっつっても暑いだろ、上がってりゃよかったのに」
「いや、そんなでも。麦茶もらったし」
「まあとにかく入っちまえよ。今からそこの部屋エアコンかけてメシ食うから」
「はい」

 歯切れよく返事をしたくせに、影山は縁側に腰かけたまま、黙って烏養を見上げている。
 学生時代と変わらない、一度も染められたことのない黒髪が、柔らかく風に揺れる。

「なんだよ」
「変っす」
「何が」
「髪」
「変ではねえだろ!」
「変です」

 からんと氷のぶつかる音がした。
 グラスを板張りの縁側に預け、靴をひっかけ立ち上がった影山が、ふらりと烏養の目の前に歩み出る。

「嘘言いました。変ではないです」
「……だろうが?」

 卒業式の日、店先へ最後のあいさつに訪れたその日まで、まだまだ守ってやらねばならない、あぶなっかしい少年だと思っていた。大学に行かず、これからすぐに社会にもまれる影山を心配した。やっていけるのか、お前、大丈夫かよ?
 けれど、信じられないほど、たった数か月で見違えた。中継で見る影山が妙に大人びて見えたのは、画面越しだからでも、見慣れないユニフォームを着ているからでもなくて、この短い期間に彼が様々な困難にぶつかり、この社会と闘ってきたからだったのだと知る。

「言っただろ。俺もきっかけを探してたんだよ」

 長い睫毛に縁どられたまぶたが、伏せられ、「そうですか」と影山はつぶやく。

「あんま頭皮に負担かけて、ハゲても困るしな」
「……そうっすね」
「いや別にいいだろが」
「いいですよ」

 いいのかよ。妙な間が生まれたのを誤魔化すように、丸い頭を撫でた。生意気な元教え子は、身長が10センチも高いので、随分腕を伸ばさなければいけなかった。



 家に入ると笑顔の母親が寄ってきて、「ちゃんとおもてなししなさいよ! 元教え子っていっても、今は立派な社会人の方なんだからね」と言い残して自分の部屋に上がっていった。
 全くそのとおりだなと烏養は思った。母は正しい。夕食は済んだかと尋ねると、食ったけど食えますと言うので影山の箸を用意した。
 烏養は、影山が持ってきてくれたビールを、影山は麦茶を飲みながら、おふくろの味を二人で分け合う。影山が来たので料理が追加されたらしく、いつもより品数が充実していた。

「お前、俺の髪確かめるために来たわけじゃねえよな?」
「じゃないですけど、それもあります」
「あのなあ」
「放送見ました。インタビューあざっした。烏養さん見ましたか?」
「……俺のとこは飛ばした。お前のインタビューとか、うちのバレー部のとこは見たぞ」
「そうですか。まあしゃべったの烏養さんなんで覚えてるか」
「いや、それが記憶が曖昧なんだよな……。緊張してたし、けどインタビュアーの人上手くてさ、つい予定にないこともぽろぽろ話しちまった」
「そうなんスね」
「ちなみに俺何言ってた?」
「えっと……」

 影山が突然目を泳がせるので、烏養は身構え動きを止めた。

「変なこと言っちまってたか……?」
「変ではなかったですけど……あんなふうに烏養さんが思ってたって知らなかったんで、ちょっとびっくりしました」
「な、え!?」

 影山が少し照れているように見えて、烏養は冷や汗が背を伝うのを感じる。まるで酒癖の悪いオッサンだ。酔って要らないことを口にして、次会ったときに気まずくなるアレだ。

「そのー……昔からお前は絶対世界に通用すると思ってたし、実際そうなって嬉しい、みたいなことを言ったはずなんだが」
「そう……っすね。そんな感じでした」
「今ちょっと間があったよな!? マジで何言ったんだ俺は!?」
「俺がまだ高校生のとき、国際大会見ながら、セッターが急に出られなくなって、どうのこうのって」
「ぅあっ……」

 急に記憶がよみがえる。いや、正確に言うと、烏養の俺スゲー妄想シリーズに該当するものがあった。よくある、「教室に急に強盗が入ってきてカッコよく立ち向かいヒーローになる俺妄想」の類だ。
 設定はこうだ。国際親善試合で突如、セッターの選手が出られなくなる。信じられないことにサブの選手もサブのサブの選手も負傷中で出場できない。このままでは興行ができなくなってしまう、というところで、観客席に座る影山に白羽の矢が立つ。アリーナに招かれた影山が、ぶっつけ本番で司令塔を任され、大活躍の末にチームを勝利に導くというものである。
 どこまでしゃべったか、そしてどこまで放送に乗ったか分からないが、いずれにしろやばいヤツの発想である。

「悪い」
「いや。でも観客からセッター連れてくるくらいなら、コンバートで出すんじゃないっスか」
「くっ……俺もそう思う。そういう問題じゃねえが」
「はあ……」
「なんかあんだろ……そういう、シンデレラストーリーへの憧れっつうか。俺は、そんなことが起きても、お前はマジで活躍すると思ってたんだ。ワールドリーグ見て今、やっぱそうだったんじゃねえかってむしろ確信を深めてる。――知ってるか、俺は元セッターでさ」
「もちろん、知ってます」
「すげーセッターはこんなことができんだって世界が気付く瞬間がたまんねーんだよ。烏野高校が誇るお前は、日本が誇るお前で、バレーをもっと自由にできる。その可能性がたった18の影山飛雄の中に夢みたいに詰まってて、これからみんな、お前を知っていくんだぞ。わくわくしてしょうがねえよ」
「烏養さん」
「……悪い。今のは気持ち悪かった」
「あの、それテレビで丸々言ってました」
「ああぁぁぁ」

 顔を覆って、烏養は畳に転がる。勢いよく倒れ込んだ烏養を心配し、影山がテーブルを回り込んできた。

「大丈夫ですか」
「平気」
「ならいいですけど……」

 倒れ伏した視界に、元いた場所に戻っていこうとする影山の腕が映る。片手で顔を覆ったまま、烏養は思わずその手をつかんで、影山を引き留めていた。

「烏養さん……?」
「いいんだ、髪なんて」
「え?」
「金髪もまあまあ似合ってたって自分で思うぜ。でも、染めてやるよ、俺はこれから黒でいい」
「……いいんですか」
「今までは、金髪にしてても、せいぜい坂ノ下に来る客にからかわれる程度だった。店に来んのはだいたい顔なじみで、そうじゃねーやつも、顔なじみの誰かの知り合いだ」

 烏養という人間を知り、理解を示してくれるコミュニティ。それが烏養の生活圏だった。
 手のひらにじっとりと汗がにじむ。

「でも、俺の世界は開かれちまった。金髪じゃぐだぐだ言われるかもしれねえ。こだわりねえから染めんだ。それでいい。問題は俺の世界をお前が広げちまったことだ。聞いてくれ、驚くべきことに、オリンピックすら俺にはもう他人事じゃない」
「……はい」

 りんとした影山の声が頭上から降ってくる。目元を覆う手を外し、頭上を見上げると、蒼い夜空を背負った影山が、澄んだブルーの瞳で烏養を見つめていた。

「リオは遠いから、来られないかもしれないけど、関係ない。烏養さんがどこにいても、俺がどこへ行っても。俺のバレー、一番近くで見ててください」

 何もない夜空に、打ち上がる花火が見えるみたいだった。
 盛夏、ありふれた平日の夜のこと。
 俺の髪は黒く、世界はこんなにもまぶしい。俺の人生にお前がいる、ただそれだけのことで。