intermission II

【頂いたメッセージへのお返事⇒⇒23.8以降:「続きを読む」から、それ以前:スマホのリーダー表示かドラッグ反転でお読みください】

原作軸(侑影with日向)

・侑影with日向(日影の方向きでないかも)
・2018年8月





「日向、それ、やべーヤツかもしんない」

 ジャージのファスナーを上げる手をわざわざ止めて、2つ年上の先輩、木兎は深刻な面持ちでそう言った。ロッカールームでの他愛無い雑談に思わぬシリアスを返されて、日向はTシャツから顔だけ出した体勢のままうろたえた。宮侑に食事に誘われたと話しただけなのだが、いったいこれは何事か。

「やべーヤツって何ですか? 俺、ちょー暢気に行こうとしてました。なんならこの足で」
「……スーツとか、着たほうがいいかもなあ」
「ええぇえっ!?」

 自主練習時間の終わったブラックジャッカルのロッカールームは三々五々で、日向、木兎を残してほとんどが帰路についていた。トライアウトを終え、入団は決まったものの、日向はまだ寮に入っていない。仮住まいとして借りているマンスリーマンションは、駅チカな分体育館からはアクセスが悪いので、練習着の入ったリュックを抱えたまま、日向は約束の店へ向かおうとしていた。支給品がまだ届いていないため、リュックは私物でロゴもないし、邪魔になれば最悪ロッカーにでも預ければいい、と気楽に考えていたのだ。

「ツムツムに誘われた店どこよ?」
「あ、えーっと……、地酒と創作和食の店『かげぼうし』だそうです。木兎さん知ってますか?」
「知らない! でもなんか高そうじゃねえ!?」
「た、確かに……」

 ラインの画面に目を戻し、日向は顔をしかめる。そう言われると、そうかもしれない。貼りつけられた「食べガイド」の写真もなんだか妙に薄暗く、意味深な雰囲気が漂っている。
 今日の練習中のこと、休憩時間に日向は侑に呼び止められ、「話あんねんけど、メシ行かへん」と誘われた。「食事に行こうよ、話もしたいし」ではなく、「話があるので、食事に行こう」という手順であったことが今さら気になり始める。練習後、侑は「現地集合な」と言い残して早々に帰宅したので、そろそろ寮についているはずだ。スーツとは言わないまでも、ジャケットくらいは羽織ってくるかもしれない。

「でも木兎さん、なんで『やべー』なんですか?」
「俺さ、ツムツムと同じチームになったばっかのころ、最初に言われたんだよなあ。自分のセットで決めらんないときに、調子悪いって言い訳すんなって」
「オウ、マジですか」

 知ってはいたが、歯に衣を着せる文化圏にないらしい侑の物言いに日向は閉口する。年上の木兎でそれなら、忌憚ない意見をスムーズに述べられる自分はいったいどうなってしまうのか。

「なんか、まあ分かんないけど、高校のときのイメージ強かったっぽい? 日向も高校のときとは違う! ってーのをアピールするといいかもしんない」
「なるほど! 師匠、勉強になります!」
「おう! 健闘を祈る!」

 ビッと親指を立てられ、日向もサムズアップを返した。
 何はともあれ、Tシャツにジーンズというわけにもいかなくなった。日向は急ぎ足でロッカールームを飛び出し、一路自宅を目指したのだった。



 無論、侑がそんな経緯を知るわけはないが、だからといって夜再会した侑の服装がTシャツとジーンズである必要はないのではないか、と日向は世の不条理を思った。

「え、翔陽くん、汗だくながらもフォーマルな着こなしやん。どないしたん」
「これには訳が……お気になさらず……」
「おん。そこ座り」

 店は地下に向かう階段を進んだ先にあり、食べガイドの写真よりいくぶん明るく、想像よりぐっとカジュアルな雰囲気だった。格子戸の半個室の部屋を案内されて、日向は言われるがまま侑の向かいに腰を下ろした。突き出しのたこわさと、注文したウーロン茶が届いてから、ようやく日向は息をついた。

「ここ旨いねん。サムんとこほどとは言わんけど、何食うてもだいたい当たりや。好きなん頼み」
「あ、うっす。じゃあカツオのたたきと、シーザーサラダと……」

 緊張があろうとなかろうと腹は減る。日向は筆書きのメニュー表から好きに注文をして、軽い乾杯のあと、ウーロン茶で喉を潤した。

「あのー、侑さん?」
「うん」
「今日って話があるんスよね、俺に」
「んー、まあ……あるっちゃある」
「えええ? どういう感じですか」
「あんねん。あんねんけど、もし見極めついたら本人に聞かんでもええかなっていう」
「本人って俺ですか?」
「うん」
「いやいや、サクっと聞いてくれちゃっていいですよ、俺答えます!」
「まあ、もうちょい場をあっためてからでええやんか。そのぉー、センシティブな話題やし」
「せんしてぃぶぅ?」

 侑が飲んでいるのは日向と同じウーロン茶のようだが、酒でも入っているみたいに侑のトークにはキレがない。けだるげに考え込む様子は、生来の二枚目さもあいまってすこぶる女子受けがよさそうであるが――とそこまで考えて、「もしかして」と日向は一人ピンと来る。話題とは、バレーの話ではなくて、恋愛関係のそれなのではなかろうか?
 あんなぁ、俺実は、女優のブリュンヒルデ玲子ちゃんと付き合うとるんよ。たまたま、知人の紹介という名の合コンで知り合うてな? ブリュ子が試合見に来とったり、俺らがデート出かけたりしとんの見かけても見逃したってな。
 とか。とか。あり得そうだ。ブリュ子? いや玲子かもしれない、多分玲子だろうが、仔細はともかく、侑の私生活がそういう華やかな世界に開けていても日向からするとなんら不思議ではない。モテていそうだ、バカみたいに。

「日向翔陽、秘密は守れますよ!」
「……ほん。そ?」
「アレ?」

 バットが空振りした感覚に日向は首を傾げた。そういう話ではないのだろうか。日向に聞くこととは、いったい何なのだろう。
 その後、雑談をしながらカツオのタタキとサラダ、エビのしんじょをおいしく頂いた。すき焼き用の卓上いろり鍋が届き、「場があたたまった」と定義するには程よい頃合いとなったころ、侑は落とし蓋をめくりながら、「翔陽くんさぁ」と平板な口調で言った。

「うっす」
「高校んとき、飛雄くんと一緒やったわけやんか」
「……はい」

 思いがけない名に、日向は虚を衝かれる。言われてみれば、侑と日向は影山を挟んで語ったほうが分かりよい関係にあるが、このところ直接関わり合う機会が多かったため、その発想がすっかり抜け落ちていた。影山が話題に上るということはつまり、やっぱりバレーの話なのかもしれない。これは、木兎の見立てを正解とみるべきか。

「どんな関係やった?」
「関係? ど、どーっすかねぇ」
「仲よかった? そうは見えへんかったけど」
「あー……はは、そうっすね。仲よしではなかったです。まあ、でも」

 烏野高校の校舎を吹き渡る風に、ぶわりと頬をなぶられたような感覚だった。ひらひらと舞う桜の花びらの向こうに影山がいる。卒業式の日、あれ以来会っていない。「また」と約束を口にした自分を見つめ返した、柔らかなまなざしが、まぶたの裏に鮮やかに浮かび上がる。

「特別な関係、ではあったと思います」
「んう、んぐ、ほーん」
「侑さん?」
「ええで、続けて?」
「いや、続かないです」
「特別なって何やねん。何をしたらキミはそれを特別と呼ぶん」
「何をしたら? 難しっ! えーと、その……た、魂が?」
「魂が!?」
「えええ食いつき!」
「俺のことはええねん、はよ言えや」
「や、だから、こう……魂のレゾナンス的なそれです」
「わっかりづら。何の暗喩やねん」
「暗喩じゃないです。バレーすげー楽しかったですっていう、そんだけです」
「嘘や」
「何がです」
「キミ、飛雄くんと付き合うてたんとちゃうん?」
「……ハイ?」

 すき焼き鍋の、落とし蓋の縁から立ち上る湯気とともに、ゆらりと時空のゆがみが生じるのを日向は目撃した。
 付き合う。その単語の一般的な用法を、日向は思い浮かべる。
 己と影山に対し、当てはめるべくもない。

「侑さん、もっかいオナシャス」
「別に、ちゃんと口約束があったかとか、そういう話ちゃうねん。キミらが再会して、やっぱ俺らコイツやなってなって、ワー盛り上がって、よろしくやるんか、そういう話や」
「え、ば、バレーの話ですか?」
「はあ? バレー関係ないわ。分かるやろここまで言うてんねんから。ヤってたんか、ヤってなかったんか、そんだけや」
「は……はあああああああ!?」
「ちょ、声デカッ! ブラジルの皆さんに語りかける声量やめろ」
「いや、俺がおかしいみたいに言わないでくださいよ! ヤ……や、やるって、そういう意味ですよね!?」
「セックスしとったんやろ、ちゃうんかい」
「してませんよ!!」
「え……ほんま?」
「あの、侑さん? 影山とですよね? 俺とアイツですよ。二人とも男ですよ……何言ってるんですか?」
「キミそんな頭カッタいタイプちゃうやろ」
「ええ、ええええ、本気ですか。いや、偏見はないつもりです。でも本気で俺と影山がデキてたって思ってるんですか!?」
「普通にそれは疑うわ。疑うやろ。3年一緒におって、特別な関係とやらになって、ほんまに……ほんまに何もなかったん」
「なかったです……?」
「ちゅーも」
「しません」
「ハグも」
「ハグ……え、したか? したかもしんないです。でも普通に『オエーイ』みたいなやつですよ。『ッシャオラァ』みたいな」
「そうなん」
「はあ……ええ……?」
「ほんじゃま、今日ここで聞いたこと全部忘れてくれる?」

 ぐつぐつぐつ、と鍋の煮える音を聞きながら、日向はぽつりと「無理でしょ」と返した。侑はすっかり虚無の表情になっているが、さすがに無理でしょう。
 日向は当然考える。なぜ侑がそんな勘違いをしたのかを。

「侑さん、もしかして」
「翔陽くんが悪いんや」
「何かしましたか俺」
「最初に会うた高1んときから、どんどん自信に満ち溢れていきよって。日本? 抱いたぜ、みたいな、今ホラ、そういう顔やん」
「俺スケールでっか」
「ブラジルやら行って。マッチョになって帰ってきて、……飛雄くんが自分のこと待ってて当然て、思てたんとちゃうんかい」

 そう、恨めし気な口ぶりで侑が言う。まるで、恋のさや当てで貧乏くじを引いた男のようにうち沈んでいる。

「……侑さん、まさか影山と付き合ってるんですか?」
「付き合うてへんわ、アホ言いなや」
「じゃあ何なんスかこの会話」
「たまにエッチしとるだけ。セフレやセフレ」
「おい」
「ハイ?」
「なあんだセフレかって……なるわけないでしょ……」

 何が合コンだ。ブリュンヒルデ玲子だ。このイケメンアスリート、とんでもないヤツ引っかけてるぞ。
 日向は声を潜め、テーブル越しに身を乗り出す。

「本気で言ってますか? 合意ですか!?」
「合意に決まっとるやろ。別にそんなお互い必死なわけちゃうで。『今日どないする?』みたいな。ほんで……」
「ほんで!?」

 実際に、最近あった会話を思い返していたらしい侑が唐突に黙ったので、日向もついあわてて、不慣れな関西弁を発してしまう。

「ほんでどうしたんですか」
「あー、いや。ええわ」
「よくないですよ! 続きは!?」
「まあ、『どないする?』言うたら、『帰ります』言うたなアイツ先月そういえば」
「そういうこともあるでしょうよ。なんで俺影山の肩持ってんのか分かんないけど」
「せっかくどっちも東京で、久ぁしぶりのオフやで? そんな話ある?」
「影山もいろいろあるでしょうよ! 知らないですけど!」
「なんで帰るん? 変やろ。泊まれや。遊び相手の多い飛雄くんはお疲れかもしれんけど!」
「遊んでるわけないでしょ! アレッ? 俺影山!?」
「せや、飛雄くん、そうやって首振って。『ほな、泊まるよな』て言うたら、『前回ほんとヤバかったから、手加減して』……って……言うてきたわ……」
「ぎゃあああ! 照れないでください!」
「いやむっちゃ! むっちゃかわいかってん! アイツほんま何なん!」
「知りませんよ、俺今日何しに来たんですか!」
「その日やその日! 朝6時くらいに目ぇ覚ましたら、隣で飛雄くんがごそごそスマホいじっとんねん。どしたんって言うたら、『日向、BJ入るってほんとですか』やと」
「あ、プレスリリース出た日か……」
「うっれしそうにまあ、ほかの男の名前呼びよって。『嬉しい?』て聞いたら、『べつに』やって。なんで俺に隠すねん、そこの機微!」

 ノロケを聞かされに来たのかと思ったが、一応、侑なりに懸念点はあったらしい。思いがけず、影山が日向のVリーグ参戦を喜んでいたことを知ってしまった。なんだあいつ、ちょっと可愛いとこあるじゃねーか、などと考える。

「侑さんどうしますか。影山俺のこと好きかもしんないですよ」
「うっわキレそう……。もうトス上げへん」
「えっ嘘! 怖ッ! でも真剣な話、同じポジションでそういうの、どうなんですか。ギスギスしたりしないんですか?」
「そういうのもなんも、別に付き合うてはおらんもん。ムカつくときはエッチせん……することもあるけどもや」
「どうなってんだこの人ら」
「ずっと一緒におんねん。好きなとこも嫌いなとこもあるけど、許せんとこはもうない。おんなし時代に生まれて、セッターどうしで、ええときも悪いときも、飛雄くんと別には生きられへん。そういう未来はもう要らん」
「……おおう」
「翔陽くんと元サヤなって、俺に素っ気なくしてきよったらほんまキレそうやから、阻止しよ思て。ちゃうならええわ。心配して損した」
「俺影山となんもなくてよかったです」
「おん。ほんじゃま、仲よくしよな翔陽くん。ケツと尻どっちが好き? 俺はケツ」
「お尻大好きじゃないですか」

 わずか数年の離日期間に起きた思わぬ変化に、日向は唖然とするしかない。10代の子どもだった自分たちが、成人し、大人社会に分け入っていく激動の時間を別々に過ごしたのだから、大きな変化も当然なのだが、まさか影山がこんなに重たく誰かに愛されているとは思いもしなかった。

「ていうかもう付き合ってますよねソレ……」
「イヤ付き合ってはおらん!」

 煮え立つすき焼きは食べごろを過ぎ、鍋の中ですっかりくたびれている。結局木兎の予言どおり、特大火力の「やべーヤツ」を食らってしまったな、と日向は嘆息したのだった。