intermission II

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原作軸(牛影み)

・2016年10月、牛影み
・AD犬吠埼くん捏造

 




 まあリラックスしてねと微笑んだ昼神に、青年は目を見開いたまま「むりです」と即座に首を振った。

「この、状況で、うぷっ、リラックスは無理です!」
「おお、吐くな吐くな」
「緊張するようなメンバーじゃないだろ。な、影山」
「ウス」
「年もそんな変わんなくね?」

 場所は都内某所、居酒屋である。といっても、集まった5名の中に酒を傾けている者はおらず、乾杯は全員ウーロン茶で済ませ、お通しからサラダ、魚の焼き物までを健康的にこなしてきた。
 アドラーズ寮から交通の便が良く、自然派志向のメニューがアスリート向きだとチーム内で評判上々の店なのだが、オーガニックを感じさせな顔色で青年は背筋を伸ばし切っている。青年――犬吠埼輝直は、再び首を振りながら続けた。

「昼神キャプテンに、『小さな巨人』星海さん、『あの』影山さんに、うっ、うう……牛島さんまで」
「おい『小さい』って言ったか!?」
「あのって何だ」
「俺がどうかしたのか」

 さっそく収拾のつかなくなるテーブルを、昼神福郎は「まあまあ」と制して理解を示した。

「いやいや分かるよ。犬吠埼くんはオポだから、やっぱり今の高校生から見ると、牛島って憧れだろ」
「そ、そうっ、そうです!」

 犬吠埼青年は首を激しく縦に振り、アフロの残像で「そうなんです」と力強く答える。高校3年生の彼は、来年からVリーグのシュヴァイデン・アドラーズに加入することが内定している。先の春高県大会で惜しくも敗退したので、その慰労を兼ね、今日はチームの一部のメンバーと懇親会が行われているのだ。
 この内定者との懇談は、内定者が春高本大会を控えていない場合限定で毎年秋に行われていて、そのときどきのキャプテンと、キャプテンが選ぶ「今、旬な男」が同席者として選ばれる。犬吠埼青年に関して言えば、全日本で活躍中で、同ポジションの先輩として目標となるだろう牛島がまず選出された。また、身辺調査の過程で、今年の夏ごろオリンピックを見ていた彼が「牛島さんがヤバいのか影山さんがヤバいのか分からなくなってきた」とツイッターで3回ほど呟いているのが発掘されたため、真相解明のため影山も呼んでやってはどうかと半笑いの平和島が言い、2人目が決まった。
 さて、ここで昼神は迷った。このまま締め切り、3人対1人で行くのもいいだろう。交際費だって無限ではない。だがしかし、昼神一人で牛島と影山をさばききれるのか? と考えると不安が残った。ミドルブロッカーのソコロフに相談すると、「それは、いかにもやめたほうがいいでしょう」との助言があった。「ならば、一緒に来てほしい」と昼神は重ねたが、ソコロフ尊人はかぶりを振った。「星海を連れていくのがいいと思います」と彼が言うので、今度は昼神がかぶりを振った。「フィクサータイプを入れたいんだよ。飲み会のステ値5のやつ」。するとソコロフは悟ったように目を細めた。「牛島と影山をそろえた時点でそれは無理でしょう」。正論に昼神はたじろぐ。「ならばいっそ星海を連れていき、『こちらマイペースですが?』と『圧』を出してくほうがいい。そう、思います」。
 あとから冷静になって忖度したところによれば、恐らく他人事だったのだと思う。

「犬吠埼くん、今何歳? 18?」
「2月生まれなので17です」

 そんな心無いやり取りを経て今日の会席があるなど知る由もない高校生が、はきはきと答える。確か身長は193か4か、そのくらいだった。アフロ部があるのでもっと高く見えるし、高校生にしてはしっかり体もできているようだ。将来有望な後輩が入ってきて、キャプテンとしては素直にうれしい。

「そうか。じゃあ、影山と2つ差? 影山19だよな」
「ウス。2っすね」
「大差ないな。俺からすれば、どっちも年の離れた後輩って感じ」
「そんな、俺からすれば、影山さんは雲の上の存在ですよ」
「自信持ってくれよ、うちが取ったんだからさ。そういえば影山、インハイの試合見たんだろ? どうだった?」
「見ました。なんか普通より……えっと、い……いぬ、いぬ」
「いぬ、ぼうさき、です」
「うろ覚えなのかよ」
「犬吠埼って、千葉にあるだろ、地名で」
「星海さん物知りっすね」
「普通だろ。お前、本当に勉強ダメだな!」

 きっぱりと星海が言い切って、影山も「確かにそうでしょうね」という顔をしている。後輩の前ではもう少し格好をつけていただけるとありがたいが、どうせすぐに剥がれるメッキか、と思うと塗り直す気にもなれない。

「普通より、どうだったんだ」

 静かにウーロン茶をあおっていた牛島が不意に尋ねて、本題を忘れていたらしい影山が「そうだった」と目をしばたく。

「いぬ、ぼうさき……の、趣味。わんのすきなのか」
「ワンノスキナノカ?」
「何語だ」
「しゅ、趣味ですか?」
「割り気味の――ネットから離したトスのほうが好きなのかと」

 添えられた低い声による解説に、犬吠埼は目を見開いたまま「ああ!」と漏らした。「トスを割るのが好きなのか」、と言いたかったらしい。明らかに言葉足らずの影山の言葉を、まるで分からない理由が見つからないみたいに、牛島が通訳してしまう。返事を口にするまでの数秒の表情の変化で、犬吠埼青年が、そこに横たわる機微を正確にくみ取ったのが分かった。

「――少し離したほうが好きです。でも、こだわりはありません」
「そうか。分かった」
「犬吠埼のプレーの評価聞いてんのに、なんでこれからやる連係の話してんだよ」
「あ、そうっすね」

 星海の冷静なツッコミ、いや一番の問題箇所をツッコミそびれてはいるが、それに対し、影山は「いいんじゃないですか」とあっさりだった。

「いいか」
「スイング速ぇ。Vの中だとパワータイプってほどじゃないですけど、戦える威力はあります。今っぽいっすね。ちゃんとしてる」
「あ、ありがとうございます。あの……」

 犬吠埼の視線で気が付いた。テーブルのはす向かいで、牛島が影山の横顔を見ていた。何かを求めるでも縋るでもない。ただ推し量るように。
 昼神はふと思考に呑まれる。いつからだっただろうか、牛島若利が影山飛雄から目を離さなくなったのは。
 スパイク一つ、ディグ一つ、相手チームの守備の小さな変化、会場の照明、夕食のこと。天気のこと。影山が、自分の世界を取り巻く出来事をどう受け止め、何を思ったかを、牛島は見届けようとする。今このときも、今日も明日も、この先も恐らくずっと。

「とても光栄です。今日、お会いできてよかったです」
「……ああ」

 全員に向き直り、改まる犬吠埼に、昼神は確信を深めて頷いた。やはり、今年も我がチームは優秀な人材を採用したようだ。



 駅まで犬吠埼を送り、家路を急ぐ健康優良児2名を見送って、昼神は弟の親友とコーヒーショップのイートインで向かい合っていた。

「賢そうだな、あいつ」
「犬吠埼ですか。そうっスね」

 ノンカフェインのミルクティーを小さな体に似合わぬ豪快さで流し込みながら、星海は頷いた。

「『光栄です』って言葉出るか、普通」
「俺も光栄ですって最近インタビューでよく言いますよ」
「いやそうじゃなく」

 影山の放った「割んの好きなのか」に対して、牛島は「割れた」ではなく「割り気味の」と翻訳をした。実際、犬吠埼が好むのは「やや」ネットから離したトスであり、言葉の補い方から、犬吠埼は牛島もまた自分のプレーを事前にチェックしていることに気が付いたのだろう。
 そして思考は巡る。牛島が、自分の後輩として入ってくる犬吠埼というオポジットに注意を払い、警戒していることを彼は喜んだのだと思う。本日、とうとう最後まで「いぬぼうさき」とつっかえずに言えなかった影山に対し、終盤「TERUです」で場を収め続けた辺りから人のよさもうかがわれ、協調性のある良識的な後輩が入団してくることに安堵を覚える。

「あいつらっていつからああだっけ」
「シーズンファイナルじゃないですか」
「ああ、そうかも」

 星海と解釈が一致し、昼神は頷いた。確かに、今年のシーズン終わりからプレーオフにかけ、アドラーズは難しい試合が続いた。苦しいときほどボールの集まるオポジットと、負荷の選択権を持つセッターは、意識の共有度が露骨に試合の結果を変える。影山が牛島に負荷をかけ慣れ、牛島が影山に求められ尽くせるようになったのは2月、3月ごろのことだったと思う。二人はもちろんバレーが上手いので、最初からそれなりに器用に合わせていたが、牛島も影山も、そうした通り一遍の関係に満足しなかったことが、アドラーズの数年ぶりの優勝の原動力になったはずだ。チームの勝利に二人ともが強い責任を感じていたし、互いが責任を分け合う関係になることを、どこかのタイミングで受け入れたように見えた。
 影山の前にもセッターはいて、牛島のほかにもアタッカーはいるのに、牛島と影山の関係は少し変だった。

「犬吠埼もいつか影山とあんな関係になると思う?」
「思わないです」
「だよな。ウチのことにしても、代表にしても、あいつらって何か背負ってるんだよな。閉鎖的っていうのとは違うけど、二人で目配せして、確かめながら進んでる感じで」
「影山がオポに私情で差つけるとは思わないけど」
「それは分かる」
「そもそもタイミング微妙なんじゃないですか。牛島さんも影山も海外志向だし、そのうち二人して出てくでしょ」
「ドライだな。でも、おっしゃるとおりだ」
「でしょ」
「光来も海外行く?」
「行きたくなったら行く。今は考えてないです」
「そうか」
「何ですか?」
「いや、別に。よろしくどうぞ」
「福郎さんも人のこと言ってる場合じゃないですよ。活躍しないと幸郎がラインでヘラる」
「げ、知らなかった。頑張るよ。俺は弟には弱いから」

 マグカップの最後の一口を飲み干して、「さて」と昼神は立ち上がった。

「なるべくたくさんのもの残していってもらわないとな」

 アドラーズに彼らがいるうちに、と心の中でつぶやき、いくばくかの物寂しさを覚えながら昼神はトレーを返却口に戻した。
 出入口で追いついてきた星海が、「逆じゃないですか」と肩をすくめた。

「逆?」
「犬吠埼が成長して追い出すくらいでいい。でしょ?」
「……本当に『光来くん』は頼もしいな」

 小さく大きな背を叩きながら、昼神はふふ、と笑った。