intermission II

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原作軸(モブ影デート番組)

・2018年6月、モブ影
・いけオジモブ俳優・行村(ゆきむら)越しに影山くんを愛でる回

pixiv格納済み




1)
 かけ声もなく、緩やかにカメラが回り始める。ナチュラルヴィンテージのインテリアで統一された開放感のあるカフェで、男――実力派俳優・行村は腕時計に目をやった。
 今日の撮影は、男には珍しくバラエティー番組の仕事だった。「ブラインド・デート」という半ドキュメンタリー風の番組で、その名のとおり面識のない二人を番組が引き合わせてデートの場を設け、その様子をスタジオでモニタリングする趣向になっている。これだけ聞くと「お見合い番組か?」と言いたくなるが、そうではない。番組に招かれるのはカップルを目指す男女ではないのだ。
 驚くべきことに、二人のうち一方は40代前後のイケメンないしイケおじ男性タレント、そしてもう一方は若い女性に人気のある「今、流行りの」男性が週替わりでキャスティングされ、丸一日を一緒に過ごすのだ。キャリアを重ね年かさになってきた男性タレントに、最新の「モテ男」から今女性に受けるモテポイントを学ばせ、芸の肥やしにしてもらおうというコンセプトになっている。
 この番組の出演オファーを受け、寝耳に水の行村は「つまり、男と一日デートするということか?」とコンセプトの入り口で躓いた。「ブラインド・デート」という若者に人気の番組の存在は耳にしたことがあったが、まだ始まって半年程度で、いまだじっくり鑑賞したことがない。男と男がデートをして、どう面白くなるのやら疑問だった。また、今年ちょうど40になる行村は、20代の女性との恋愛に絡む役柄も多く、まだまだ若者に置いていかれている、という感覚を持ってはいない。この番組に出演すれば役柄の幅が狭まってしまうのではないかと不安に思い、断ろうとしたのだが、そんな行村を思いとどまらせたのが相手方のキャスティングだった。
 影山飛雄、21歳。現役バレーボール選手。
 リオオリンピックで全国にその名を知らしめ、その後も最前線で活躍し続けている著名なアスリートの青年だ。行村は「なるほど、悪くない」とうなずいた。番組のウィキペディアを見てみると、若い男性のほうはアイドルにモデル、歌手、SNSインフルエンサーと、いかにも女性の扱いに長けていそうな経歴の人物ばかりだった。もちろん、イケメンアスリートとして知られる影山飛雄もモテてはいるだろうが、ぐいぐいデートを引っ張って、モテテクを披露してくるようなイメージはない。
 相手が彼なら、受けてみるのもいいかもしれない。最近とみに強くなったと話題の男子バレー選手に対するミーハー心もあり、結局男はオファーを承諾した。
 さて、事前に取り次がれたメッセージアプリで希望を尋ねてみれば案の定、テートプランを任せたいとの返答があり、男はしめしめと顎先を撫でた。
 影山飛雄氏の人気の秘訣については、ありがたく学ばせてもらうことにしよう。しかし、男行村、元来流行には敏感だ。得意のデートプランで影山青年を上手くリード、いやエスコートし、視聴者の女性に「行村さんとデートしたい」と思わせることができれば一石二鳥ではないか。

 約束の時刻は昼の12時ジャスト、残すところあと7、8分ほどである。まだもう少し時間があるだろう。そう行村が油断し、鞄から撮影中のドラマの台本を取り出したときだった。軽やかな真鍮のベルの音が鳴り、ステンドグラス細工の施された木戸がぎしりと開いた。

「あっ」

 テーブル席で立ち上がった行村を見止め、青年は声を上げた。「あ」? 「あ」って何だ。男が戸惑っていると、青年は軽やかな身のこなしでテーブルの間をすり抜け、行村のそばまでやって来る。

「すみません、遅くなって」
「ああ、いや、まだ時間前――」
「初めまして、影山飛雄です。シュヴァイデン・アドラーズでセッターやってます」
「は、初めまして! 行村です。俳優をやっています」

 勢いよく頭を下げた青年に、男は目を丸くし、礼を返した。準備していたあいさつとさっそく違うことを言ってしまった。
 顔を上げると、少し遅れて青年も顔を上げ、男の瞳をじっと見つめた。

「俺」
「はい」
「あの」

 俳優業界では高身長で売っている行村だが、さすがに相手はバレー選手、少し見上げる角度になる。
 イケメンアスリートという世間の評判は、決して「盛って」はいなかった。アスリートだからイケメンと呼ばれているわけではなくて、彼のバックグラウンドを何一つ知らなくても――「イケメン」なんて見尽くしてきた男から見てさえ、端麗、という言葉が脳裏に浮かぶ顔立ちをしていた。
 頬に日の光を浴び、わずかに透ける虹彩が碧くきらめいている。

「うん、どうしましたか?」

 言い淀む彼に、男はなるべく落ち着いて聞こえるよう、柔らかな口調を心がけて尋ねた。

「俺、すっ……げー、腹減ってて」
「へっ?」

 カフェの静寂を破って、ぎゅるう、と大きく腹の音が鳴った。

2)
「さて、というわけで、スタジオには俳優の行村彰さんにお越しいただいています!」
「こんばんは」

 眩しい照明の中、行村はカメラに向かって微笑んだ。
 場面は変わって都内の撮影スタジオである。件のデートから1週間が経過した土曜の午後、行村は一人スタジオに招かれ、MCの芸人の男性とアシスタントの女性アナウンサーに左右を囲まれていた。
 「ブラインド・デート」という番組はデート後、こうして「イケおじ」サイドのみがスタジオ出演し、デートの様子をVTRで振り返って、感想や学びを披露するという作りになっている。ドラマや映画などの演技作品ではなく、こうして素の自分が出演する映像を見るのはまれなことで気恥ずかしく思う。だが今はそれより何より、イメージビデオのようなカットつなぎで最大限おしゃれに始まった番組の雰囲気を見事にぶち壊した影山飛雄があまりに面白く、笑いをこらえるので精いっぱいだった。

「意外な始まりでしたねえ!」

 MCの言葉に男はうなずき、そうなんですよ、と小さく語尾を震わせた。

「僕、いろいろ準備をしていたんですよ。若者に舐められちゃいけないと思ってるから、かっこよく決めてやろうと画策して。でも、全部吹っ飛びましたね」
「われわれもびっくりです。この番組、最初のアバンの映像って、お二方の顔をかっこよくパン、パンと映して」
「きらきらの画面に提供クレジット入れて」
「そうですそうです、すごくおしゃれに始まることに定評があるんですけれども。史上初ですね、この展開は」
「あのシーン、完全に初対面だったんですよね?」
「ええ、もちろん。事前にチャットツールではご連絡させていただいてましたけど、すごく体育会系的というか、きっちりしたトーンで話してくださっていたので、ギャップがすごかったですね」

 事前に提出したスマホのスクリーンショットがモニターに映し出され、行村は「こんな感じで」とうなずいた。影山青年は、「食えます」とか、「了解です」とか、ビジネス用途の敬語ではないが、チームスポーツの選手らしい歯切れのいい文章で返事をくれた。テレビ越しに見る影山飛雄は、どこかツンケンしたところのある天才セッターというイメージだったので意外に思った。
 これはもしかすると、冷たい人というわけではなく、単に年の割にしっかりしているだけなのかもしれない。そう思いながら会ってみれば、まさかの腹ペコ自己申告である。

「ちなみに、バレーはもともとご覧になっていたんですか?」
「それがお恥ずかしいことに、あまり熱心なほうではなくて。番組を見ていらっしゃるファンの皆さんには本当に申し訳ないですね。それこそ、全日本の試合がテレビで中継されていれば見る程度でした」
「じゃあ、影山選手のこともあまり……」
「もちろん、ニュースでお見かけしますし、CMにも出てらっしゃるので知ってはいましたよ。ただ、『若くてかっこいい選手がいるんだな』というくらいの認識で」
「そうでしたか。実は事前のインタビューで影山選手にも同じことを伺っていたんですが、あちらも似たような状況で。もちろん行村さんを知ってはいらっしゃいましたが、あまり普段テレビはご覧にならないということでした」
「はい。最初のお店でランチをしながら、そういったお話もさせていただきました」

 台本どおりの会話の流れを受け、アナウンサーの女性が話を引き取る。

「どんなやり取りだったんでしょうか、気になりますねえ。それでは、VTRの続きを見ていきましょう」


2)
 影山とのデート計画において行村が最も頭を悩ませたのは、食事をする場所のセレクトだった。苦手な食べ物はないと事前に教えられてはいたが、相手はアスリートだ。食事の内容に気を遣っているだろうから下手な店は選べない、ということで、アスリートの知人を頼り、味も素材も間違いのない店をなんとか選び出した。ランチに訪れたのは、新鮮な魚介をふんだんに使う創作イタリアンの店だった。

「お昼、普段より遅かったです?」

 影山の空腹状態に鑑みて自己紹介を早々に終え、注文を済ませてから、ようやく二人で向き合って腰を落ち着けた。グラスの水で喉を潤した影山は、「そうじゃないんですけど」とかぶりを振った。

「駅出てそっちから歩いて来て、そしたら店の4、5メートル手前からすげーいい匂いしだして。ドア開けて、『あ、ダメだ』って思いました」
「いい匂いしすぎて?」
「はい。急激に腹減って無理でした」
「……そっか」

 指で鼻先に触れ、吹き出しそうになっているのをごまかす。
 初対面の自分相手にこれほど素直でいいのだろうか、と心配までしそうになる。
 番組の趣旨に沿って考えるなら、飾らず、斜に構えない振る舞いが女性に好まれていると解釈するべきだろうか。だが行村がそうであったように、スポーツを追いかけることにさほど熱心でない者にとって、影山飛雄というアスリートはあまり雄弁な人物ではない。試合中の怜悧な司令塔のイメージと、時折コマーシャルで目にする美しい顔立ちの印象があまりに強く、しかしその程度でも、「なんとなく好き」にはなれてしまう。世の女性たちは影山飛雄の内面も踏まえて、どこにひかれて好きと言っているのか気になるところだ。

「それ、台本ですか」
「え? あ、ええ。しまった、片づけるの忘れてたな」

 影山に指摘され、足元の荷物かごを見やる。予想以上に影山が現れるのが早かったので、慌ててしまいうっかり台本を仕舞いそびれていた。はみ出していた台本を鞄の中に片づけていると、「すごいッスよね」と影山がつぶやいた。

「すごい? 何が?」
「覚えるんですよね、それ。ぞっとします」
「はは、褒めてもらっちゃった。慣れですよこういうのは」
「そうなんですか。でも、大変そうです」
「長台詞の脚本だと、大変なこともたまにあるかな。でも、影山選手も普段覚えることは多いんじゃないですか。相手チームの研究をしたり、戦術を覚えたり、いろいろありそうですよね」
「いや、そういうのは全然。慣れだから。あ」
「はは、じゃあお互い、頑張ってるなってことで」
「……うす」
「ドラマとか見る機会あります?」
「すみません、あんま……。俺寝るのすげー早くて」
「へえ、やっぱりそうなんですね。身体が資本ですもんね」
「あ、でも、朝ドラ? のはちょっと見ました。昼飯のときに、寮のテレビで……ん? じゃあ朝ドラじゃねーな……」
「朝ドラで合ってますよ、昼に再放送をやるんです。ふふ」
「そうなんですか。すみません、俺テレビのことすげー疎いんです」
「とんでもない、むしろ新鮮で楽しいです」

 またも笑いをこらえているうちに、サラダとスープ、パンが運ばれてくる。
 影山の白い手が伸び、フランスパンを手に取った。きめの細かい、それでいてはりのある肌が日の光を浴びるのを、吸い寄せられるように目で追ってしまう。

「――手、すごくきれいですね」
「手? そうすか?」
「はい。驚きました。男性でここまできれいな方なかなかいませんよ。あ、もしかして特別なお手入れをされてますか?」
「俺セッターなんで、手はメンテします。なんか……そうっすね。完璧に」
「完璧に……。そうですか」

 その一瞬、影山のまとう雰囲気が変わった。呑まれた、と思った。恐らくは行村のフィールドであろうこのおしゃれなイタリアンレストランで、その瞬間、ずるりと彼の世界に引きずり込まれたような寄る辺なさを味わう。行村はその地平を知らず、影山はそこで、己の両足で背を伸ばして立っている。刹那の間に、違う世界に住む人間なのだと気付かされる。

「影山選手はかっこいいですね」
「え?」
「ご自身の仕事に対して、油断がなくて」
「全然普通っすよ。それより、行村さん」
「はい」

 初めて名を呼ばれ、男は不意に緊張した。名前をきちんと覚えてくれたのだな、と思うと嬉しくなる。

「俺、年下だし、呼び捨てでいいです。敬語も要らないです」
「ほんと? 確かにちょっと『影山選手』は堅苦しいですよね。そうだな、『影山さん』にしようかな。普段、先輩とかからは何て呼ばれてるんですか?」
「影山って呼び捨てにされることが多いです。あとは……下の名前、呼び捨てか、『くん』付けの人もたまに」
「飛雄くん?」
「ハイ。たまにっていうか、一人っすね、それは」
「気になる。誰?」
「宮さん、分かりますか? 宮侑」
「分かります、同じセッターの。へえ、彼だけ『飛雄くん』なんだ。そっか。うん、それは避けたほうがよさそうだな」
「えっ、何でですか?」
「僕……俺の勘。よし、『影山くん』にします。落ち着く」
「てか、あの、敬語も」
「そうだね、分かった。タメ口にしよう。影山くんも敬語じゃなくていいよ。今日は特別な日だし、友人ってことで」
「え!? そ……れは……いや、ムリです。だめっす」

 断られそうな気はしたが、案の定で、影山は困った様子で強くかぶりを振った。本当に困惑しているようなので、ここは大人しく引き下がることにする。

「だめか。ちょっと特権を得ようとしちゃった」
「とっけん、ですか」
「レア感あるかなって。せっかくのデートだし?」
「……すみません。慣れてなくて」
「そうなんだ」
「――デート」

 ためらいを含み、「するの初めてです」、と言葉が続いた。
 我知らず、手からぽろりとパンが滑り落ちていた。

4)
 ボールを手にした影山が、「いいんスか」とそわそわしながら呟くのがかわいかった。
 昼食を終え、二人が徒歩で移動した先は、廃工場を改装して作られたレンタルスペースだった。都内でもいっとう天井が高く、バスケやバレー、フットサルなどさまざまな競技に対応している。
 あまり自分のことを話すのが得意でない、バレー以外のことに興味も薄い影山と日中何をすべきか考えた結果、いっそバレーをやってしまえ、というのが行村のたどり着いた作戦だった。とはいえ、行村は素人だし、二人きりではできることに限りがある。今日は、バレーの初歩の初歩、彼らが日ごろ社会貢献事業としてやっている「ちびっこバレー教室」のようなつもりでバレーを教えてほしい、と頼むと影山はひどく驚いてみせた。

「どうかな。俺のバレー経験、高校の授業までで終わってるから、だいぶ手を焼かせてしまうと思うんだけど」

 レストランを出る前、次のデートプランを教えて、行村は頭をかいた。
 プロのアスリートである影山に対し、失礼な提案ではあったと思う。断られればやむなし、と覚悟を決めて切り出すと、影山はこちらが戸惑うほど目を輝かせ、快諾したのだった。

 レンタルスペースではウエアの貸し出しサービスがあって、Tシャツとハーフパンツというスポーティな服装に着替えたのち、撮影が再開された。

「今さらなんスけど、俺教えるのすげー下手です。大丈夫ですかね……」

 バレーボールを手の中でもてあそびながら、不安そうに影山が言う。
 そうして軽くボールに触れているだけでも様になっていて、この人の本業はこれなんだな、と思わされた。先ほどまで身に着けていたミリタリー風のダボついたジャケットも似合っていたが、シンプルな服になればそれだけ体の線が出て、日ごろの鍛錬が文字どおり透けて見える。このかっこよさを引き出した行村の功績については、視聴者に対して「どうだ」と言いたい気持ちだ。

「大丈夫。正直、間近でバレーしてるところ見られたら大満足のパートなんで」
「まじすか」
「やっぱり予想外だった? もっとアクティビティー的なものも考えたんだけど、ケガ怖いしね」
「俺映画とか、水族館とか? そういうのかなって。話もらったときにネットで調べたら、でーとぷらん? で出てきたんですよね」
「ああ、奥の手だよね。会話しなくても成立するし、そういうの」
「そうですね。寝そうっすけど」
「せっかく影山くんと出かけるのに、そういうのもったいないなと思ってさ。今、大正解だったなって思ってる」

 映画や水族館やプラネタリウムでお茶を濁してきた過去のデート遍歴を思い返しながら、行村は本心からそう言った。それで、影山とのデートをすでにかなり楽しみ始めている自分に気付く。

「何かできるようになりたいこととかありますか」
「うわ、贅沢。そうだなぁ……あ、試合前のウォーミングアップで、2人組でトスして、打って、レシーブしてって交互にやるのあるよね」
「あーはい。対人っすね」
「かっこいいので、あれやってみたいです」
「練習っすよ、あれ。いいんですか?」
「はい、ぜひぜひ」
「OKです。多分最初から全部やんのはムズいんで、レシーブとスパイク順番にやりましょう」
「おお……」
「え? なんすか」
「なんかかっこいいなって。思いました」
「え、分かんねえ」
「イイですイイです。あとでスタジオでしゃべっとく」
「じゃあオンエア見ますね」
「うん」

 この箇所には、のちのインタビューでばっちりインサートが入り、行村は理由を説明した。思い付きで申し出てしまったものの、対人パス練習にはレシーブ、トス、スパイクのすべての要素が含まれる。なかなか強欲なリクエストだったなと気付いて、あっさり承諾した影山に感心してしまったのだ。

「そこいてください」
「ハイ」

 指示を残して影山が離れていき、7、8メートル進んだところで立ち止まった。

「レシーブからいきましょう」
「お、ハイ。レシーブからなんだ」
「はい。俺、レシーブできないヤツにはトス上げねえんで」
「えぇ……」

 ここで、オンエアではBGMが消えた。静寂の中、影山が緩くボールをドリブルする音だけが、エコー付きで響き渡る。

「何スか?」

 むやみやたらにいい声が、凛と耳をかすめた。
 緊迫感が、なぜだかよかった。
 撮影中は激しく肝を冷やし、他人の専門分野に不用意に立ち入った無遠慮を後悔したが、全編見終えたうえで、行村一番のお気に入りのシーンがここだった。

「いえ……レンタルスペースのくだり全カットのリスクを感じているだけだよ」
「あ……あーいや、レシーブが基本だって話です。順番つけるならまずレシーブだって俺は思ってて、普段はそう周りにも言ってますけど、行村さんがヘタだったら上げないって意味じゃないです」
「下手だったらっていうか、絶対下手なんだよな」
「教えますよ」
「うん……やばい。すげードキドキしてる。すっげードキドキしてる! でもこれ何のドキドキだろう? 普通にビビっているせいなんじゃないか」
「ここ時間どのくらいありますか?」
「1時間くらいかな」
「了解です。俺プロフィール見たんですけど、行村さんて中高バスケやってたんですよね」
「してました。弱い弱い弱い! この状況に対して、部活バスケ弱いよ」
「そんなことないです。俺、今でも自分が一番成長したのは高校の部活だったと思ってます」
「あぁ……そうなんだ」
「足」
「ハイ」
「もうちょっと開いてください。腰落として。……よろしくお願いします」
「よろしく……お願いします」

 見よう見真似の、形だけはそれらしいフォームで、男は身構えた。
 影山がしゅるりとボールを回す。てんてんとついて、両手で胸元に抱え、行村に向かって目の端でにやりと笑ってみせる。バレーボールはまるで、彼のいたずら仲間かのようだった。21歳のプロフェッショナルの、競技への愛着を感じさせる笑顔だった。


 その後、1時間たっぷり使って指導が繰り広げられたが、教え方は決して厳しいものではなく、「説明が下手」と自称する割に、1つ1つ実体験に基づく理論が紐づいていて説得力があった。行村の、主にレシーブ能力は短時間の中で確実に上昇し、思わぬ達成感を得ることができた。
 影山が行村に、彼を取り巻く優秀なチームメイトのような能力を求めているわけではないことは明らかで、ただ単純に、バレーボールを楽しむのなら真剣にやったほうが面白いという彼の考えが前提としてあったらしかった。

 スタジオで、このセクションで学んだモテ要素は? と問われた。
 行村は中空を仰ぎ、そうだなあ、と顎先をさすった。
 地道な努力のできるところ。自分に厳しいところ。意外と歯に衣着せないところ。そのくせ礼儀正しく、ごく当たり前に他人に敬意を払えるところ。
 全部、なんら、一般的な要素ではなかった。「今どきのイケメン」のいったい何パーセントがこの要件を満たしているやら疑問しかない。
 あげつらったのは単に行村が好ましいと感じた影山の振る舞いだった。デートの撮影から数えて7日。あんなにいたずらっぽくてかっこいい青年が、デートは初めてだったんだな、と考えるといまだに背筋がぞくりとするのだから困った話である。


5)
 レンタルスペースでのバレー講座を終えたあと、少しタクシーに乗って、ショッピングモールを訪れた。大型のリゾートホテルの近くにあり、ハワイのアラモアナセンターを思わせるような、開放的で南国感あふれる街並みが魅力のスポットだ。ハイブランドショップが多いせいか、落ち着いた客層なのも行村の気に入っているポイントだった。

「すげぇ。ヤシの木ある」
「なー。あ、でもどうだろ。あの葉っぱはシュロかもしれない」
「しゅろ?」
「ヤシの仲間で、寒さに強いやつ」
「へえー……」

 天候に恵まれて、空は抜けるように高かった。夏に向かう季節の中、じわじわと気温が上がり、お互い着てきたジャケットは脱いでしまった。ヤシの木がしおれてしまうほど寒い季節のことなんて記憶の彼方だ。

「影山くんは、海外いろいろ遠征してるよね。どんなところ行った?」
「高校のころにメキシコ行きました。あとバーレーンとか、チェコ、ブルガリア……アメリカとかポルトガルとか……あ、あとブラジル。いろいろですね。この前までやってた大会勝ち抜けてたらフランスだったんですけど」
「あ、ネーションズリーグか」
「はい。……詳しいですね」
「いや、ごめん、予習した」
「あざっす。なんかきょうしゅく、です」
「いえいえそんな。遠征先で観光とかできるの?」
「ほとんどしないですね。ホテルの周りウロチョロするくらいで。だから今すげー新鮮です」
「そうなんだ。ここすごくハワイっぽいんだよね。なんか日常から解き放たれるっていうか、気持ちが晴れる」
「そうすね」

 すれ違う買い物客たちが、行村と影山に目を留め、そっと逸らして通り過ぎていく。撮影隊は目に入っているだろうが、さりとて何の番組だろうと納得のいく組み合わせでもないので、さぞかし不可解に映るだろうなと思う。

「ここでは何しますか?」
「うん、ベタに買い物しようかなと。今日の思い出になるようなものが欲しいのと、あと服だな」
「服ですか?」
「今日、最後に行きたい場所があるからそれ用にね。まだ内緒」
「そうですか」
「……影山くんすぐ受け入れるよね」
「え、そうスか」
「うん……不安にならない? って、俺が不安になってりゃ世話ないけど」
「そういえば似たようなこと周りの人にも言われます。変な受け入れ癖がある、とか」
「受け入れ癖か。素直ってことかな」
「や……ちょっと違うんだと思います」

 揺らめく水面のようなシュロの葉の影を頬に映しながら、影山はふと遠くを見つめる。

「俺は、あんま……想像力がなくて。だから、たとえば変なこと言われたとしても、疑う根拠がないっていうか。へー、そうなんだって普通に思う。俺が知らないだけで、そういうこともあんだろなって」
「無関心……なのかな」
「そうかもしれないです。あんまよくねーの分かってるんすけど」
「いや、そんなことないよ」

 石張りの小道をスニーカーがかすめる、さりさりという心地よい音がゆっくりと止まった。影山青年が、静かに言葉を待つように、行村を見つめる。

「心地いい無関心もある。それこそ、寛容とか、受容とかと隣り合わせのさ。俺は君とは初対面で、他人で、きっと考え方も随分違うけど。君は君の世界を生きていて、その隣で、こうして少しだけ触れ合いながら、俺も俺の好きな歩き方で歩いてるのが居心地いいよ」

 こうして、と、小さく指先に触れた。影山は少しだけ目を見開いて、それからそっと眇めた。

「そうですか」
「うん」
「あざっす」
「お礼を言われることじゃない」
「……ん」

 くすぐったそうに青年は少し肩をすくめる。
 今日、最初に出会ったときより少し柔らかく微笑むようになった彼を、いつくしむような思いで見つめている自分がいた。

「行村さんって」
「うん」
「顔かっこいいっすね」
「顔? 今!?」
「すげー見られたから」
「ま……何スかそれ」

 何百、何千回と言われてきたありきたりな褒め言葉に、これ以上ないほど行村は照れた。

6)
 積極的にハワイにかぶれてイベントスペースでドリームキャッチャーを作り、手土産を手に入れて、それから服の買い物を済ませると、空には茜色が差し始めていた。つい先日夏至を迎えたばかりではあるが、時間が時間だ。簡単な夕食を終えるころには、淡い藍色の空が頭上に広がっていた。
 先に着替えと注文を済ませ、白木のチェアに寝そべっていた行村は、通路の向こうからふらりと現れた青年の姿にしばし呆けた。

「ヤバいっす」
「……え。え? 何が」
「貸し切りって聞きました。そんなことできるんですか」
「うん。まあまだ6月だし……」

 薄く透ける白のジップアップパーカーを羽織った青年は、水着の裾からその長く美しい足を惜しげもなくさらしてこちらに歩いてくる。行村が今日の最後のデートスポットに選んだのは、ホテルの上階にあるナイトプールだった。若者の集まるきらびやかなそれとは違い、プライベートビーチの様相だが、準備されたドリンクはしっかりストローが曲がりくねっているし、貝殻型の浮き輪が水面を漂っている。

「足長いな……」
「……普通じゃないですか?」
「いやすげー長い。俺もうちょっと足隠れると思って選んだんだけどな……」
「そうなんですか? でも別に大丈夫です」
「うん……」

 大丈夫。そうだろうか。視聴者は、果たしてそう思ってくれるだろうか。デート中に選んだ水着を着せるというのは、影山が女性だったらBPOに一報が入る案件のような気もする。

「プール久しぶりに来ました。すげー泳ぎたい」
「いいよ泳いで」
「ドリンク飲んでからにします」
「うん」

 ウッドチェアの間に置かれた小さなテーブルには、すでに二人分のマンゴージュースが用意されている。初めは酒を飲もうと思っていたのだが、きゅっと唇を尖らせて悩んだあと、マンゴージュースを選ぶ影山がかわいかったのでつい真似たのだ。

「行村さんプール好きなんですか?」
「うーん。まあまあかな」
「はあ」
「若者のデートっぽいかなって、頭に浮かんで。俺もそうだけど、影山くんもきっと気軽にプールに行ける立場じゃないだろうから」
「そう……っすね。あ、だから俺久しぶりなのか」

 影山と並んで腰を下ろす。男の手に持つには愛らしすぎる電球型のグラスを互いに持ち上げ、目を見交わした。

「さて、何に乾杯しようかな。『二人の出会いに』とか照れちゃうもんな」
「俺はそれでいいっすよ」
「ホント? いやどうだろ……。影山くん何かない?」
「どういうのがいいっスか」
「んー、何か、今日よかったなって思うこと。二人にとって」
「……じゃあ」
「うん」
「今日、すっげー晴れましたね」
「ぶっ、ふははは! 晴れてた! すっごく晴れてたな、確かに」
「なんか違いました」
「いや、すげーいいな。デートはそれに尽きるよほんとに。昨日で梅雨明けなんてラッキーすぎる。よし採用」

 丸いグラスの底を触れ合わせ、行村は目を細めた。青年の、少しつり上がった猫のような目尻が男の視線を奪う。

「かんぱ……い?」

 青年が首を傾げる。我に返った行村は、駆け足に「今日の快晴に」と呟き、グラスを鳴らした。
 薄い唇がストローをくわえ、もったりとしたマンゴージュースを吸い上げた。
 行村の視線に気付いた影山が、不思議そうにこちらを見返してくる。
 瞬きするたび、ぴったり美しい角度で見開かれる瞳に、1秒ごとにとりこになっていく気がした。

「――影山選手って、きれいですね」
「ん、え?」
「最初に会ったときから思ってました。きれいな人だなって」
「……あ、あざっす。あの、敬語……」
「俺は今日、ズルをして一足飛びに影山選手とのデートにこぎつけてしまったけど、影山選手さえよければ撮影が終わってから、改めて知人からスタートして仲よくなりたいです。こうしてまた二人で出かけられるくらいに」

 考えが追いつかない、という様子だったが、影山はゆっくりと男の言葉にうなずいて「はい」と唇を動かした。

「……嬉しいです、ありがとう」

 放送に乗ったのはここまでだった。あとはスタジオに戻り、やいのやいのと行村がMC陣に冷やかされることになる。
 約束を取り付け、今日の取れ高が十分であることを確信した行村は、隣に身を乗り出したベンチの上で深々とため息をついた。

「行村さん……」
「いやごめん、ヤバイな俺。必死過ぎ」
「さっきの、最後のって演技ですか?」
「違うけど、どうして?」
「だって……あんなこと言われないっスよ俺、普段」
「きれいだって? そうか、意外。周りの人シャイなのかな」
「カメラ回ってるからああいう言い方したのかと思った」
「まさか、逆だよ。もし撮影中じゃなかったら俺」

 腕をつかみ、耳元で囁いた言葉に影山は飛びのき、ジュースを置いて逃げ出してしまう。

「どこ行くの!?」
「泳いできます!」
「行っていい?」
「来ないでください!」

 パーカーごとプールに沈んだ影山が行村の手を逃れて泳ぎ、漂っていた貝殻型の浮き輪にたどり着いて、上半身を乗り上げた。

「へんなひと」

 濡れた髪が額にはりつき、ほんのりと朱色に染まった目元が、その隙間からのぞく。
 ――もし撮影中じゃなかったら俺、きっとキスしてたと思う。
 その言葉が放送に乗ることはなく、一連の追いかけっこが、映像だけ提供バックで流れ、視聴者を大混乱させたのだった。


6)
 スタジオが拍手に包まれ、クレーンから正面へとカメラがスイッチされる。

「いやあ、濃いデートでしたね、行村さん!」
「そうですね。普通に楽しんでしまって、大丈夫だったか心配してたんですが、いい感じにまとめていただいて。ありがとうございます」

 スタジオの客席は女性ばかりで、一様に興奮した様子で周囲と言葉を言い交わしている。彼女たちを代表するように、隣の局アナの女性が口元を手で覆い、「私、どきどきしてしまいました」と恥ずかしそうに目を細めた。

「なんて言うんでしょう。お二人が、本当にカップルみたいに見えてしまって。とっても甘酸っぱい気持ちです」
「ハハ、なんだかすみません。これ番組の趣旨に合ってますかね?」
「ちょっと危ういんで、一応、学びを披露していただいてもいいですか?」
「そうですね。20も年下の若い子をナイトプールに誘うのは、よくない」
「ははは!」
「何ですかそれは!」
「今の若い子って、ほんとにいい子が多いので。年上に誘われるとイヤと言わずについてきてくれちゃいますから、大人は理性を大事にしてください」
「参考になります! いや、モテテクどこいったんですか!?」
「ないですないです、テクってこないところがかわいかったですね」
「逆にですか」

 笑いに包まれるスタジオで、少し間を置き、アシスタントの若い男性がカンペをめくった。アシスタントの女性がそれを読み上げる。

「さて、というわけで見てまいりましたが、ここでもう1本、見ていただきたいVTRがございます。撮影後、影山選手にインタビューをしてまいりましたので、こちら見てみましょう」
「い、インタビューですか」

 台本にない流れに行村は驚き、ぎくりと背に緊張を覚えた。デート後、影山とは簡単なお礼を送り合った程度で、踏み込んだ話は何もしていない。行村としては、できれば影山と継続的な関係を持ちたかったが、あちらは間髪をいれずに次の合宿が始まってしまって気軽に連絡ができなくなってしまったのだ。
 MCのV振りで、窓際に置かれた1人掛けのソファーがモニターに映し出される。
 黒い人影が横合いから現れ、長い足を持て余すように、そこに腰かけた。
 現れたのは、日本代表のジャージ姿の影山だった。合宿中に、ホテルで撮影したのだろう。
 デートのご感想を教えてください、とテロップが右端に出る。
 画面の中の影山は、ついさっきシャワーを浴びたばかりなのか、血色がよく、髪は洗いざらしだった。行村の胸はざわりと波立つ。

「楽しかったです。行く前は不安しかなかったので、自分でも意外です」
 ――あれから、連絡は取りましたか?
「いや、その日のうちだけですね。なんかその……送りづらくて」
 ――行村さんにはどんな印象を持ちましたか?
「いろいろスマート? だなって思いました。頼りっぱなしだったんですけど、自分ができないこと何でもできて、大人だなって。……でも、変な人でした。なんで俺に……あんな、なんつーか、優しいっていうか。変な人」
 ――行村さんは、撮影後ぜひ今後も付き合いを続けたいと話していました。影山さんの率直なお気持ちを教えてください。
「はい。俺でよければまた。次は俺が何か考え……ちょっとそれは、ハイ。相談で。あの、でも……」
 ――何でしょうか?
「俺が言うのも何なんですけど、これこういう番組でしたっけ……」



「やっぱ違うよね……」

 スタジオの3人が「あなたも気付いてしまいましたか」、という面持ちになったところでVTRが終わる。

「まああの」

 MCがわざとらしく咳ばらいをし、背筋を伸ばした。

「長く番組をやっていると、こういうこともあるでしょう。次回は、普通の『ブラインド・デート』をお送りします。また来週!」
「ま、また来週ー!」


 自宅でオンエアを見守っていた行村は、ハイボールをがぶりとあおった。
 番組は、締まらない雰囲気のまま、強引に終了した。駆け足のスタッフロールが流れ、気を取り直すように次回予告が始まる。翌週は中堅お笑い芸人とティックトッカーの組み合わせでお届けするらしい。
 ――見てましたか。
 意を決してメッセージには、早寝早起きの生活態度を反映し、翌朝ようやく既読がついた。
 ――俺見られてないんですけど、昨日からラインやばいです。
 だろうな。としか言いようがない。番組はかつてない反響を集め、感想でSNSは大盛り上がりで、たくさんの人の口にのぼったことだろうと思う。とりわけ番組の最後で影山が語った「行村氏に優しくされた」という、恐らくは何かをごまかした言葉の真相をめぐり、ネット界隈は大紛糾していた。
 「変な人」がトレンド入りし、関連ワードとして「行村彰」がサジェストされるに及び、それなりの何かが失われてしまった気がするが、行村は気丈だった。
 ――それはそうと、もしよければ、今度お食事いかがですか。
 こう書き送れば、影山が「はい、ぜひ」と返事を寄越すのだから、少々の犠牲も呑み込めるというものだ。