intermission II

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原作軸(モブ影)

・2013年10月&2014年12月
・名ありモブ後輩(ねつ造)→→→影、山口視点
・訳あって、当初公開時のものからモブの名前を変えております。

pixiv格納済み



 山口たちが2年に進級した春、烏野高校排球部には6人の新入部員が加わった。「古豪」時代の烏野はかなりの大所帯だったようだが、近年は3、4人で落ち着いていたので、部室に初めて彼らをそろって迎え入れた日は、ずいぶん多いな、という印象を受けたものだ。
 6人という数字は、近年の平均値に、春高での活躍による求心力分を加え、練習が吐くほど厳しいらしいという風説の流布分を差し引いた数字として、いかにもほどほどだった。バレー部は帰るのがかなり遅いようだぞと噂されるその実態は、あくまで自主的な練習ではあるのだが、自主練習の参加率がかなり高いのは事実なので、あながち間違いとも言えない。実際に吐いているかは別として、吐くほどきつい日もままある。

 そんな脅しに負けず入部した6人の1年生は、概ね、バレーに熱心だった。程度の差こそあれ全員が経験者だったし、ポジションもだいたい決まっていた。
 ただ、1人例外を挙げるとするなら、文武両道の優等生、堅物というウイングスパイカーが思い浮かぶ。「堅物」は、「かたぶつ」と書いて「けんもつ」と読み、名は体を表すということわざを名字で体現する器用な後輩だった。彼は目立つほうではないが、学業は学年でも20、30位以内くらいにいつも入っていて、バレーを含めて運動もよくできた。その一方で、後輩たちの中で将来バレーを続けない人物を1人選べといわれたら、皆が堅物の名を真っ先に挙げるような人物でもあった。堅い物言いから浮かぶイメージにたがわず、練習態度は真面目だ。試合で手を抜くこともない。ただバレーボールは彼の本質ではない。そう感じさせる、薄情とは違う落ち着きが彼にはあった。

 そんな彼が、1年の秋、1つの事件を起こした。
 体育祭でのことだ。
 借り物競走に出場した彼は、自分の引き当てた紙を数瞬見つめて、まっすぐ2年生の待機テントにやって来た。

「影山さん」

 凛とした声で、彼はテントの中であぐらをかいていた影山飛雄に向かって手を差し伸べた。

「一緒に来てくれませんか」

 グラウンドは動揺をはらんでざわめいた。
 補足として、影山はこのとき、烏野高校の一番の有名人だった。春高でのバレー部の活躍は中継を通じ他の生徒たちに広く伝わったし、中でも影山はテレビで特に大きく取り扱われた。「ユース候補」の響きはきらきらしく、その後「候補」ではなく実際にユースに選ばれ、たびたび授業を留守にしては海外に赴き、テレビ局や雑誌のインタビュアーがカメラを持って学校を訪れることも珍しくなく、次第に「なにかすごい生徒がいるようだ」「影山飛雄という名のようだ」と学校全体に知れ渡っていった。
 バレー部の1年生が、かの影山飛雄を連れて行こうとしている。
 影山は「俺かよ」と顔をしかめて、しかし彼は案外と後輩には弱いたちであるので、おとなしく彼に手を引かれてゴールまで走った。
 話題性はそれだけで十分で、実際校内に広まったのはここまでだった。
 皆の関心はもちろん、堅物が引いた紙に何と書かれていたかで、「天才」とか「イケメン」とか「有名人」とか、諸説ささやかれたが、ゴール判定を行った体育教師と、あとから事実をただしたバレー部員を除き正解を知る者はいない。

「『好きな人』と書いてありました」

 堅物は帰りしな、ぽつりと問いかけに答えた。部室に居残っていた1年全員と、山口、月島、縁下は、呆然と後輩を見上げた。
 ――影山さんには言わないでください。
 彼はそう言い残して部室を出て行った。



 真面目で勤勉で寡黙な後輩は、思い返せば多少ばかり、影山との接点が多かった。彼は夏ごろからいわゆるウイングスパイカーではなく、オポジットに近い機能の選手へとシフトしていった。チーム構成に頭を悩ませた結果の判断だったが、オポジット入りローテーションのノウハウが烏野にはなく、堅物はコーチの烏養による口頭でのアドバイスと、影山のコート内外での指導によってプレーを学んだ。
 影山飛雄を知る機会は、他の1年に比べて多かったかもしれない。だがその程度である。彼はその後も影山への態度を変えることはなかった。あの場にいなかった、たとえば日向なんかはきっと最後まで気付かなかっただろうと思う。

「堅物は、影山のことまだ好きなの?」

 最後の春高目前の合宿で、山口は湯船で肩を並べる後輩に尋ねた。ちらりとも恋情の気配を見せない後輩を前に、「もしかしてあれは、何かの勘違いだったのではないか?」「そういう意味での『好き』ではなかったのではないか?」と山口は考え始めていた。しかし。

「はい。好きです」

 後輩は山口の顔を振り返ったあと、湯船の反対のへりを見つめて静かに言った。
 直前、山口は自分の現在の恋愛事情を冗談交じりに話していて、だから、この「好き」の意味には誤解などあろうはずもなかった。

「ずっと好きです」

 山口さん、覚えてたんですか。こちらからすれば、忘れられるわけがない話だというのに、後輩は心外そうにした。あの体育祭の日から今日までの1年余りを、ひたむきに影山を思って過ごしてきたのだと感じさせる、恬淡とした声音だった。

「そっか……影山のどういうところが好きなの?」
「……難しい質問です」
「あ、ごめん。なんだろ。なんとなく好きだなー、みたいな?」
「いえ。……どこが好きなのか、1000個答えろと聞かれたほうがありがたい。という意味です」
「マジか」
「まじです」
「じゃあ、じゃあそうだな、1000個のうちの、最初の1つを教えてよ」
「……山口さんってすごいですよね」
「何が!?」

 自分の理解の及ばぬところを褒められ山口は首を傾げるが、後輩は「前から思ってました」とばかりに落ち着き払っている。よくは分からないが、「キャプテンされてるの納得です」との弁まで付いてきた。

「じゃあ、えっと、そうですね。――あれだけの才能を持っていて、人はあんなにも丹念に生きられるものだろうかというのは、いつも思います。もっとズルができれば楽だろうに。どんな1秒も一瞬も、影山さんにとってはちゃんと意味のある人生の一部分で、どれだけ苦しくても逃げない。あの人のそういう、人生に対する意地の張り方が好きです。何かのせいにしたり、言い訳を作ったりせずに、ちゃんと生きようとしているところが、愛しいです」

 後輩は、そう言い切ったあと、1つじゃないですねこれ、と拳を口元に当てた。

「そっちこそすごいね……」
「え、何がですか?」
「17、まだ16だっけ? 16歳で、そんなハッキリ誰かを選べるのが」
「……『選ぶ』という言い方が合ってるか……。俺は、影山さんに気持ちを伝えるつもりはないんです。ズルい片思いですよ」
「え、そんなことないって! どうして? 言わないの?」
「影山さんが俺を好きなら別ですけど、そうじゃないので言いません。あの人の人生には、これから俺みたいな、手前勝手な片思いをする人間がたくさん現れると思います。そして、ズルができないあの人をきっと困らせる。それは嫌なんです」
「そうかな……。いや、なんとなく、言いたいことは分かるけどさ」
「だから、あの体育祭の借り物競走は大悪手でした。あんなことすべきじゃなかった。でもあの日、砂の中から封筒を拾って、『好きな人』と書かれているのを見たとき、俺は影山さんのことしか考えられなくなりました。あの人以外の手を握って走りたくなかった。……好きでたまらないんです。でも、俺は影山さんが一番大事にしているものを、影山さんと同じようには愛せない。あの人を幸せにするのは俺じゃない」

 後輩は、タオルで顔を覆って天を仰いだ。
 そんなことないよと言ってやるべきなのかもしれない。本人に確かめる前に諦めるなんてもったいないよと。でも、分からないのだ。山口はそういうつもりで影山を見てこなかったから、恋愛という面において、この後輩のほうが影山を正しく理解している可能性は十分ある。
 大事な春高の前に、こんなことを言わせるべきではなかったのだろうか。
 山口の胸に後悔が垂れ込み始めたとき、堅物は顔を拭いながらタオルを取り去り、「聞いてくれてありがとうございました」と目を細めた。

「ちょっとすっきりしました。一生誰にも話さないかもって思ってましたし」
「ううん、グイグイ聞いてごめん」
「はは、今さらですよ」

 後輩は苦笑して肩をすくめ、踏ん切りをつけるように、風呂から出て行った。

 結局彼は、影山が部を去る日を迎えても、とうとう自分の気持ちを伝えることはなかった。
 彼が影山と恋人になる未来は本当にありえなかったのか、山口には知る由もない。
 けれど卒業式の日、泣きそうな顔で現れた後輩は山口を丁寧にねぎらったあと、握り締めていた右手を山口の前でそっと開いた。
 1年半も前に、冗談半分に言っただけなのに、覚えててくれたんです。きらりと輝く第二ボタンをまた大切そうに握り締め、「十分です」と微笑んだ後輩の目に嘘はなくて、それならばと、山口も彼の選択にうなずくことにしたのだった。