intermission II

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原作軸(日+影)

・2018年5月、日+影。ちょっとお下品
・日向、影山過去の恋愛関係におわせあり(日向は女性と)
・地理的な問題を無視しています

 


 

 


 長らくインドアバレーを離れていた日向が、帰国後初めて現地観戦した公式戦はシュヴァイデンアドラーズと東日本製紙が戦う黒鷲旗の決勝戦だった。
 なんでも、日本代表合宿との兼ね合いで黒鷲旗には代表組が出場できないことが多いらしいのだが、今年はたまたま日程に余裕があり、トップチームメンバーもシーズン最終戦に出ることができているらしい。ということはつまり、あの男が出場する試合、という意味だ。Vリーグ参戦のためMSBYブラッカルジャッカルのトライアウトを受けることになっていた日向は、事前にあいさつに行った際にBJのセッター宮侑とすっかり親しくなり、チケットを融通してもらえることになった。BJは準決勝で負けてしまっていて、宮が個人的な招待用に買っていたペアチケットが余ったのだそうで、生・インドアバレーに飢えていた日向は二つ返事で同行を了承した。

 当日、宮とともに会場を訪れた日向を何より驚かせたのは、最上部までみっちり埋まった満員の客席だった。そもそも離日した当時より、会場の規模がひと回りやふた回りではきかないほど大きくなっているようなのだが、それでもチケットは即日完売で、宮いわく、「そら天下のアドラーズ様やし?」とのことだった。アドラーズ対EJPという好カードでチケットが売れないはずはない、まあ対BJほどではないにせよ、と宮は付け加えた。
 なるほど、日本では今、以前よりずいぶんバレー人気が高まっていて、常勝軍団アドラーズは優れた集客力があるのだなと日向は感心し、納得した。この理解は確かに間違いではなかったのだが、しかし、宮に先導されコートエンドの特等席にたどり着いた日向は、会場を見渡して自身の重大な認識不足に気がついた。

 

「侑さん。20番着てる人、多くないですか……」

 

 アドラーズの20番とは、つまり、影山飛雄の背番号だ。日向の認識するVリーグは、野球やサッカーと違い、それほどユニフォーム文化が定着していないイメージだったのだが、白いユニフォームを着ているファンがかなり多いし、中でも20番はやたらと目立った。この数年で増えたのだろうか。

 

「そら多いわ。去年史上最多枚数売り上げたらしいしな、飛雄くん」
「史上最多!? ま、まじでございますか」
「おん。え、何? びっくりするとこちゃうで」
「いやいやいや、びっくりしますよ……あの影山ですよ!」
「……はあ。翔陽くん、テレビとかネットとか見てへんの?」
「あ、えーっと、あんまり……。生活基盤整えるのにバタバタしちゃって」
「ほー……。そら、恐ろしく時代に乗り遅れとんなぁ。君の元相棒、日本で今一番チケット売れるアスリートの一人やで。親善試合で自由席まで売り切るし、雑誌の表紙やれば店から本消えるし、外もよう歩かれへんやろな、今」
「そんなバカな……!!」
「言うてCM見たことくらいあるやろ?」
「う、確かに、見ましたけども……」

 

 まあ、そう言う俺もそこそこアレやけどな、と宮は腕を組み直しながらアリーナの隅に視線をやる。ちょうど両チームの選手たちが会場に入ってきたところで、黄色い声の混じった、うねるような歓声が上がった。

 

「ある程度の想像はしてたんですけど、そんなだとは」
「まあ普通に国内でバレー選手やっとるだけやったら、こうはならんかったやろな」
「どういうことですか?」
「……オリンピックに出るっちゅーんは、ヤバイことやねん。俺らが思う以上に」

 

 何かを思い浮かべるように語る宮の横顔を、日向は見つめる。

 

「飛雄くんは、あんときからただのスポーツ選手やなくて、『国民の味方』になったんやろな。やっばいで。みんな『好き』から入んねん。ほんで、今人生最大のモテ期」
「モテ期!?」
「そーらそや。老若男女からモッテモテに決まっとる」

 

 見てみいアレ、と宮が指さす先に、黒山の人だかりがある。彼ら、彼女らがカメラを構える先にはアドラーズの選手たちがいるようだが、人が密集していてよく見えない。

 

「影山、そういうの興味なさそうですけど……」
「あー、ほーん?」
「え、何すか?」
「自分はブラジル行って、こないこんがり焼けて。アッチでなんもございませんでしたっちゅうことないやろ?」
「いやいやいやなんてこと言うんですか! やめて!」
「せやのに飛雄くんはまだまだお子ちゃまやて? ほおん」
「イヤ何すか!?」
「飛雄くんもいろいろあるみたいやで。21やしなぁ」
「え……! ええ!?」
「夜聞いてみ。モンジェネ集めて飲み会や」

 

 あごをしゃくる宮に促されてアリーナを見やれば、コートサイドにぞろぞろとの両チームの選手たちが集まっていた。モンジェネ集めて、というからには影山のほか牛島や星海、同世代の角名に鷲尾に古森あたりに声をかけるつもりなのだろうか。牛島と言葉を交わす影山の横顔に、日向はごくりと唾をのむ。

 

 

 果たして飲み会などといって彼らが集まるのだろうか、と日向は懐疑的だったが、そこは時期がよかったことや、宮の手回しが周到であったことなどを理由に、驚くほどスムーズに同世代のメンバーが集まった。場所は宮がよく訪れているという酒蔵併設の居酒屋で、梁がむき出しで天井の高い、広々とした半個室に日向たちだけというありがたい環境だった。乾杯からひとしきり飲み食いをして、席割りも崩れてきたころ、宮にせっつかれて日向は影山の向かいに腰を下ろした。天然木のテーブルに、最初は鷲尾と古森がいたのだが、10分もすると彼らも席を外して、テーブルには日向と影山だけになった。

 

「対戦相手としてカッコよく再会するつもりだったんだけどなぁ」
「お前、チーム決まってんの?」
「これからトライアウト! まあ何とかしますよ」
「ふうん。つーか、お前真っ黒だな」
「急に!?」

 

 テーブルの上の日向の腕をまじまじと見つめ、影山はウーロン茶のグラスを傾ける。その、腕の白さに目を奪われる。
 気になっていたのは日向のほうだ。試合会場で影山を見たときから、あんなに色白だったっけ? と違和感を抱いていた。会うのは高校の部活以来だから、外でのロードワークが減っているだろう今多少変化が生じていても不思議ではないのだが、それにしても、やけに白々としていて、遠目だと発光しているようにすら見えた。

 

「俺も確かに焼けたけど、影山白くなってねえ? そんなだっけ?」
「俺は普通だろ」

 

 ん、と腕をテーブルに差し出すと、影山も日向の隣に腕を伸ばした。差は歴然だ。
 実家に帰ったとき、中学生になった妹の夏がイエベだ、ブルベだと母親と協議しているのを聞いたことがあるが、夏先生風に言うなら、その「ベース」が根本的に自分とは違う気がする。天井の明かりを跳ね返す日向の腕の隣で、影山の腕はマットに白い。つい指先で触れると、影山は「なんだよ」と顔をしかめた。

 

「なんか影山、影山なんだけど、なんかチガウ……」

 

 ひんやりとした肌から指を退けながら、日向は顔をしかめた。

 

「何がだよ。お前のほうが別人みてーだぞ。伸びてるし」
「んー、伸びたけど……。んー、なんとなくなんだよなあ」

 

 共に汗にまみれた相棒に言うのはなんとなく癪なのだが、洗練された、という表現が一番うまくあてはまる気がする。CMとか、出てるとこうなるのか。整えられた爪もきれいだ。いや、指先は昔からきれいだったけれど。
 ――飛雄くんもいろいろあるみたいやで。
 影山の長いまつげにつつかれるように、宮の言葉が耳によみがえった。
 俺は知っている。女の子はきれいな男が好きだ。しかも影山は体のほうは筋肉ムキムキで身長188センチだ。モテないわけがない。

 

「あのさ」

 

 日向はジンジャエールをあおる。

 

「影山何歳で童貞卒業した?」

 

 出来心だった。お互い大人になった今なら少しくらい、影山とそんなことも話していいんじゃないかと思った。
 もしかすると、自分のほうが早かったりして、ほんのちょっとだけ勝ち誇った気分になれたりするかも。そういう、高校時代の部室までの徒競走のような、しょうもない対抗意識だった。
 ところが。

 

「は?」

 

 影山は、ぴくりとも表情を動かさず、首を傾げて聞き返してきた。

 

「なに?」
「い、いやその……あ、聞こえなかった?」
「おう」
「そ、そっか」

 

 顔に血が上ってくる。いや聞こえていたと思う。声量と騒がしさを慎重に比較するに絶妙に聞こえていたはずだ。だが影山はしらばっくれている様子でもない。「まさかそんなことを聞かれるはずがない」という頭があるせいで、うまく聞き取れませんでした、という様子に見える。めちゃくちゃ恥ずかしい。

 

「なんだよ。もう1回」
「や、だから……えっと」

 

 どうする。言うしかないのか。日向はパニックだった。

 

「影山くんは、童貞いくつで捨てた……?」
「……おまえ」
「サーセン! サーセンいいかなって! そういう話もしちゃう関係になっちゃったりとかするのもいいかなって! 俺らもハタチ超えたしさ、ちょっと浮ついたことも話したいじゃん! 気になったんです! ごめん! バカ!」
「おまえは」
「ハイ!」
「すんだなそういうこと」
「え!? う、その、アアッ! 言うんじゃなかった!」

 

 宮さんのバカ! 日向は理不尽な恨みを抱く。
 いろいろあるって言ったじゃないですか! こういう話振ったら、「なんでお前に言わなきゃいけねえんだよ」とか言いつつも、いついつ頃じゃねーのって教えてくれるくらい、アダルト影山になったかと思ったじゃないですか!
 宮は、「いろいろある」との謂いに続けて、このように回想した。
 俺も聞いてん。飛雄くんて普段処理どないしとる? って。ほどほどに他流試合しとる? って。そしたら、なんやろ、手応えある感じ? ダイヤル式の金庫で、当たりの数字見つけたときみたいな。「えっ」って顔されて、そっから完黙。なんっも話さへん。でも絶対なんかあるわ。もしかすると、翔陽くんにやったら話すかもなぁ。
 最悪だ。もうちょっと自分の頭で考えて、影山向けにカスタムしてから質問すべきだった。

 

「ぢぐしょう。ヤケ食いだ」
「なんなんだお前」
「影山さぁ、かのじょいんの……?」
「……いない」
「いたことは?」
「ない」
「えっ?」

 

 シイタケのステーキが口にたどり着く前に落下する。
 べちょ、と鈍い音を立てるシイタケを見つめ、日向は「つまり?」と自問する。
 話をややこしくしてしまうのが、日向も彼女がいたわけではないということだ。すべてはわずか数週間の出来事で、あれを交際と認めるのは難しい。影山にもそういう出会いがあったのだろうか、と考えてみるが、あまりにも影山らしくなく、想像がつかない。
 答えを求めるような気持ちで顔を上げて、影山と目線を合わせる。
 外もようよう歩けないくらい人気者になった影山なのだ。もし行きずりの女性とワンナイトラブでもしようものなら、スキャンダルとしてすっぱ抜かれかねない。危険だし、影山はそんなことしないと思う。
 しかし、だとすれば、宮はいったい何の「当たり」を引き当てたというのだろうか。

 

「か」
「なに」
「彼氏、でもいいけど」

 

 白い肌、整った、きれいな顔立ち。管理の行き届いた隙のない体。
 可能性を口にしたとたん、そのすべてが、違う示唆を帯び始める。
 老若男女から、モテモテの影山。髪形も変わって、洗練され、いやに端麗になった影山。――ああ、たぶん当たりだ。当ててしまった。

 

「お前何言ってんだ?」

 

 日向の問いに、しかし、恬淡とした声が応じた。

 

「いねえよそんなの」

 

 目を細め、影山がステーキを口元に運ぶ。肉汁があふれて、少しだけ笑みの形を作る、影山の口の端をたらりと濡らした。
 美しい指先がそれを拭うのを、日向は世界が逆向きに回り始めたかのような倒錯の中見つめた。この心臓を打ち付ける高揚の正体は、いったい何なのだろうか。