intermission II

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原作軸(ロメ影+牛影)

・2017年6月、ロメ影+牛影
・日程やリーグの組み分けなどが現実の大会とは大幅に違います、すみません

 

 


 

 

 リーグ1週目から順に、トルコ、アルゼンチン、日本。毎年いったい誰がゴーサインを出しているのだか、その年のワールドリーグ予選ラウンドも例に漏れず、体に厳しく、マイル獲得に優しい日程設計となっていた。第1週の3戦を2勝1敗で終えた日本チームは、予選ラウンド突破の望みを存分につないで、20時間近くかけアルゼンチンへ飛んだ。コルドバの会場近くのホテルに入り、時差に苦しみながら調整すること数日、アルゼンチンラウンド1戦目のセルビア戦もまた、無事勝利で終えることができた。
 明日は大一番のブラジル戦だ。タフな試合を覚悟し、ホテルの自室でプレー動画を確認していた牛島は、チャイムの音に顔を上げた。
 チームが滞在しているのは、敷地内に3つ立ち並ぶリゾートホテルのうち、最も南に位置するホテルだ。フロア借りなのでチーム関係者以外の出入りはほとんどないはずだが、海外のホテルで部屋のチャイムが鳴ると、つい警戒はする。あるいはもしかして同室の影山がカードキーを忘れて出たのだろうか、そういう迂闊な男ではないのだが、と首を傾げながらドアに向かうと、今度はドアを直接ノックする音が聞こえた。

「おーい、開けて」
「明暗さん?」

 聞き慣れたチームメイトの声に牛島は肩の力を抜く。ドアを開けると、5つ年上の先輩ミドルブロッカー、明暗修吾が片手を上げて立っていた。

「よう」
「なにか?」
「影山いる?」

 牛島より4、5センチ身長の高い明暗が、牛島の肩越しに部屋の奥をのぞき込む。

「いえ、いませんが」
「あ、やっぱり?」
「……やっぱりとは?」
「俺、さっきまで下のロビーにいたんだが、影山っぽい後ろ姿のヤツがふらふら出て行ってたんだよ。本人だったか」
「出て行ったって、外にですか?」
「外っちゃ外だが、まあ一応敷地内かな。3つのホテルの真ん中にプールサイドガーデンがあっただろ。あそこ、夜はライトアップされて、バーラウンジみたいになってんだよな」
「そこに影山が? まさか。用があるとも思えません」
「用はないだろうな。ところがだ。あいつ、1人じゃなかった。ありゃナンパだ」
「は?」

 目を瞠る牛島に、明暗はにやりと笑い、わざとらしく左右を見回して耳打ちした。

「ニコラス・ロメロ」
「……ロメロ?」
「隣にいたのは、間違いなくブラジル不動のエース様だ。どうやら明日の一戦を前に、うちの若き司令塔に話があったらしいな」
「……冗談ではないんですね?」
「圧! 圧出すな。いやマジだよ。あ、おい、牛島」

 牛島の判断は早かった。後ろ手に、壁に挿していたルームキーを引き抜き部屋を出る。

「迎えに行きます」
「おう、頼む。でもあんまおおごとにすんなよ」
「ええ、大丈夫です」
「……ホントかねえ」

 信用なさげな独り言が背中にかけられるが、気にしてなどいられない。一刻も早く見つけ出し、この部屋に連れて帰らなければ。


 影山は息をするのも忘れて傍らの男を見つめていた。彫りの深い、甘い顔立ちの男が、その眼差しでこちらをとろかそうとするみたいに影山の瞳をのぞき込んでくるので、目を逸らすことができない。

「大丈夫。これはジュースだよ。お酒じゃないから安心して」

 影山が手にしたシャンパングラスを絡め取るみたいに自分のグラスをこすり合わせて、偉大なる世界の英雄が微笑みかけてくる。

「偶然の出会いに。乾杯」
「かんぱい……」

 グラスを鳴らし、自身のグラスに軽く口づけてから、男――ニコラス・ロメロは淡い小麦色の液体をあおった。しゅわしゅわと炭酸のはじける音ばかりがはっきりと耳に届いて、影山を呆けさせる。ガーデンプールのそばの、ウォーターヒヤシンンスのソファーは少し硬くて落ち着かない。
 彼との出会いは、ちょうど30分ほど前にさかのぼる。夕食後、腹ごなしに敷地内を軽く散歩してエントランスに戻ってくると、中庭からふらりと現れた長躯の男が、長いリーチで唐突に影山の腕をつかんだ。驚いて振り仰げば、目を疑わざるをえない人物の顔がそこにあり、影山はぶしつけに彼の苗字を呼んだ。ロメロ、と呼ばれた男は笑みを深くし、さらに驚くべきことに、「やあ、トビオ」と影山の名を呼んでみせたのだった。

 影山とニコラス・ロメロに直接の面識はない。いや、昨年のオリンピックで日本はブラジルと同サイドで対戦していて、共に試合に出場していたので接点はあるのだが、対戦相手としてネットを挟んで向かい合い、試合後に握手を交わしたにすぎない間柄なので、まさか彼に自分が個体認識されているだなんて影山は想像もしていなかった。しかも日本はセットカウント3-1で敗戦を喫していて、常勝軍団の彼らを苦しめたとは言い難い戦績だった。影山自身の出場時間も、試合全体の半分程度にとどまっていたはずだ。

「日本チームはサウスタワーに泊まってるんだな。俺たちはイーストタワーだ。すてきなホテルだよね」
「うん……」
「どうしたの? 浮かない顔だな」

 足元に点々と置かれたコットンボールライトのほか光源のないプールサイドはなんだか心もとなかった。ふと、ここが日本から遠く離れた異国の地であることを意識すれば、背筋にぞくりと不安がよぎる。まっすぐ戻るはずだった部屋の明るさを思い、そこにいるはずの、知り尽くしたチームメイトの横顔を思う。

「ミスターロメロ、俺」
「ニコラス」
「に」
「うん」
「ニコラス」
「いいね。何?」

 大きな手のひらに頬を撫でられ、触れられた右半身が竦んだ。この人は、他人との距離が特別近い人なんだろうか。それとも、ブラジルの人はみんなそうなのか。影山の頭はちっともうまく回らない。

「ニコラスはなぜ、俺を知ってる?」
「忘れないさ。日本はいいチームだった。飛雄のセットもサーブも素晴らしかったよ」
「ありがとう……びっくりした」
「オリンピックで戦ったときから、君と話してみたかった。あれから君のプレーもたくさん見たね。それでますます興味を持った」
「……どうして?」
「自分では分からない?」

 影山は首を縦に振った。もちろん、ロメロが影山を評価しているのだという話の風向きは分かるし、うれしいと思う。だが、ニコラス・ロメロほどの最高峰のスパイカーに、そして至高のトスを打ち続けてきただろう彼に、選んで自分が肯定される理由は謙遜するまでもなく不明だ。どうして、と影山はもう一度尋ねた。

「君は愛に満ちている」

 ロメロの指先が、影山の眉間に触れた。視界が翳る。指と指の隙間から、男がこちらを見つめている。

「バレーに注ぐ愛。それだけじゃない。バレーボールが俺たちプレイヤーに与える愛が君の中にある。不思議だ。君の中に、海のように在る」

 指先は、眉間から鼻筋をたどり、頬をかすめて、唇に触れた。
 ロメロの瞳の中で、オレンジの光が燃え盛る。

「バレーを愛する君は、必ず俺を愛するよ。だからそのときは与えてくれ。俺には、君のトスを打つ機会を積極的に選択する意思がある。そのことを覚えておいて」

 延焼する。もらい火が、ロメロの瞳に映る影山にも燃え広がって、影山をうなずかせる。

「ニコラス」
「うん」
「ずっと好きだった。地球の裏側からずっとあなたのプレーを見ていた。テレビの前で、一人きりになった俺に、あなたはバレーの楽しさを教えてくれた。ずっと。あなたはスーパースターだった」
「……飛雄」

 手のひらが後ろ頭を撫で、そっと頬を寄せられた。

「光栄だよ」

 髭にちくちくと頬を刺され、影山はくすぐったさに目を細めた。

「さあ、そろそろ君を、今の君のヒーローに返さなきゃ」
「……え?」
「お迎えだよ、飛雄」

 身体を離された影山は、ロメロに目顔で促されて、自らの背後を振り返った。

「こんばんは、ニコラス。お会いできて光栄です。日本のオポジットの牛島若利です」
「こんばんは、若利。こちらこそ」

 いつからそこに立っていたのか、すぐ後ろに牛島がいて、影山の肩を自分の後ろへ押しやりながらロメロに向かって進み出る。

「あなたと酒席とは、うちのセッターはずいぶん幸運な経験をしたようだ。できれば私も同席したいところですが」
「もちろんかまわないよ」
「ただ残念ながら、そろそろタイムリミットのようです。我々は部屋に戻って在室の確認を受けなければならない」
「そうか。遅くまで引き留めて申し訳ない。飛雄、すてきな時間をありがとう」
「ニコラス、俺のほうこそ」

 立ち上がって軽くハグを交わし、その瞳を見上げると、彼は「明日は負けないよ」と目を細めた。

「我々も負けない。あなたを尊敬しているからこそ、全力で挑む」
「ああ。わくわくするね」
「――おやすみ、ニコラス」
「おやすみ、飛雄。若利も」
「おやすみなさい」

 ロメロの視界から二人が消えるまで、牛島の手のひらがずっと背に触れていた。
 サウスタワーに戻りエレベーターに乗り込んでから、牛島は深々息をついて「お前、何してる」と唸った。つい反射で「すみません」と謝ると、牛島はまたため息をついて、「さらわれるかと思った」と疲れ果てた様子で言うのだった。


 部屋に戻ってひとごこちついていると、マネージャーと、次期キャプテンとの呼び声高い明暗が点呼のためそろって部屋を訪れ、影山と牛島の在室に安堵の様子を見せた。

「おう、いるな」
「影山ロメロと逢引きしてたってマジ?」
「あいびき……? 肉ですか?」
「いやなんでもない。俺が馬鹿だった」
「会いはしました。下で偶然」
「すげーなそれ。戦術リークとかしてねーだろうな」
「英語で……?」
「俺が馬鹿だった。あったかくして寝ろ」
「ウス」
「牛島お疲れ」
「お疲れさまです」

 あほらし、と漏らしながら出て行く二人を見送って、なんとはなしに牛島を見やれば、向かいのベッドから牛島もこちらを見つめていて、正面から視線がかち合ってしまった。

「――何を話したんだ」
「えっと……褒められました」
「そうか」
「あ、もしかしたら、いつかアドラーズに来てくれるかもしれないです」
「どういう脈絡だそれは」
「説明難しいです……」
「全くついていけない」
「すみません」

 影山が眉間にしわを寄せていると、牛島はおもむろに立ち上がって、影山の隣に腰を下ろした。いやに近いので、試合中に2枚替えされて、二人でコートアウトしているときのようだ、と思った。

「俺はエースになりたい。こいつは何かやってくれると、人をワクワクさせるような」
「……はい」
「だから、誰よりまずお前だ。お前が俺を選ばなければ俺は打てない。チームでも、全日本でも」
「はい」
「アドラーズに来るというなら、ニコラス・ロメロとでも争う。2連続でも3連続でもお前に俺を選ばせてみせる。俺が必ず一番の信頼を勝ち取る。覚悟しておけ」
「はい。――もう、してますけど。わくわく」
「そうか。この先一生の話だ」
「牛島さん」
「なんで笑った」
「嬉しかったです。やばい。明日絶対勝たねーと」
「当然だ」

 ロメロがしたより、少しだけ遠慮がちに頭を撫でられ、影山はまた笑った。嬉しいのかと聞かれて影山がうなずくと、牛島は身を乗り出して、そっと影山の頬に自分の頬を重ねては「困ったな」とつぶやいた。