intermission II

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WJ30号

影山くんと影山くんを包む世界がまぶしくて愛おしくてどうしようもない1話でした。

言葉が追いつかない。世界のすべてがそこにあったとしか言えないです。

 

399話「化身」

きっと一生忘れないサブタイトルになりました。

これをおいてほかに、

影山飛雄の生きざまを言語世界につなぎとめる言葉があるでしょうか…

 

 

 

作品の途中、いつのころからか、影山くんはモノローグが減っていたと思います。

寡黙な影山くんは、少し推し量るのが難しい人になって

読者が主観を置く日向のそばを離れ、遠ざかっていくのと同時に

反比例するように、存在が凛と研ぎ澄まされ、手がつけられないほどに純粋さを増していったようにも感じました。

 

日向がどれほど努力し、上達し、バレー選手としての高みに至ろうとも

影山飛雄と同質になることはないのだと思いました。その、落差を感じた先週と今週でした。

影山くんは、日向があこがれ、恨み、愛し、人生を懸けて突き進まずにいられないバレーボールそのもので、一生そこで、むてきの輝きを放ちながら、

日向翔陽に、バレーボールは好きかと

「もっとやろうぜ」と問いかけ続けるのだと思いました。

 

影山くんが歩くのは、誰もが共感できるような

努力友情勝利のメインストリートじゃないかもしれない。

影山くんを見つめる視線には畏怖が混じり、

大衆にとって、理解の及ばない存在であり続けるのかもしれない。

でも、そんなのどうでもよくなるくらい、掛け値なしに唯一無二でした。

影山飛雄のいないバレーを選ぶことはもうできない。

 

 

メタな話なんですが、

あの1話の荒々しくてあどけない「ライバル」の姿から、

今のこの手の届かないほどの遊離感につなげ、

「化身」として峙つ存在感をこうも読者に納得させるの、

訳が分からないほどすごいと思いました。

影山くんがただの天才ではなく、傷ついて苦しんで悩んでもがいて今日まで生きてきたことを疑うべくもなく知っているのに、

この人がバレーの化身だと、

ハイキューにおける絶対の物差しは影山飛雄のありようなのだと本能で納得してしまいました。

 

 

お返事、また改めさせてください。すみません💦

 

 

ハイキュー怖いな。永遠に想像を超えてくるな…

大好きです。たまらない。

今日のために読んでいたのではないかともう何度思っただろうか…。

 

 

 

ばかみたいなことを言うんですが

この説得力のために影山くんはこんなにも美しく成長したのかな

と思いました。

 

いつもそばにいる一人のバレーボーラーの青年が

ときどきどうしようもなくバレーの化身に思えてしまうとき

人はどうすればいいのでしょうか。

この場所にはバレーを愛している人しかおらず

バレーという競技を

ボールを繋ぐ、ただそれだけのスポーツを愛してやまない人たちが

それを誰かの人生のありようとして見せられたとき

その人に対しても、また愛情以外何を向ければいいんだろう。

 

 

 

影山くんは日向がどんなに上手くなっても、その強さを心地よく思える人で

日向の成長を誰よりも待っていたのは間違いなく影山くんですよね。

影山くんが楽しそうにバレーしてて嬉しいです

よかった

本当によかったです。ほかに望むものはないです。

 

もっとやろう。もっともっと、できることなら永遠にやろうぜ。まじでまじで。次の息のしかたが分からない。