intermission II

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日影(原作軸、春高後)

・日影
・モブ視点



・日影



 日向翔陽は裏表のない男である。
 明るく、誰とでも親しげで、万事においてフットワークが軽い。例えば教科書を貸してほしいとか、誰かを紹介してほしいとか、そういう簡単な頼み事をしたいとなれば、まず、「日向に聞いてみようかな?」と顔が浮かぶような人物だ。

「な、頼むよ、日向先生」
「うーん。そう言われてもなあ」

 その、はずなのだが。
 昼休みの教室にて、いつものフッ軽ぶりはどこへやら、日向はさっきからずっとこの調子だ。困ったような、悩んでいるような、それでいて自分の中ではすっかり答えがでているかのような、曖昧な表情で紙パックのジュースをすすりながら、手元のガラケーに目を落としている。

「しゃべったことないから、直接は声かけづらくてさ」
「まー、あいつ、顔怖いもんな」
「そそ、イケメンなだけに。なんかオーラあるよな」
「イケメン? えー、そうなんかなー」
「顔いいじゃん。しかも将来マジ有望なんだろ? サイン欲しいっすよー」
「要るぅ? それ」
「欲しいですぅ」

 そう。俺がクラスメートの日向翔陽に切り出した頼み事とは、彼の所属するバレー部のチームメイト、影山飛雄のサインをもらってくれないか、というものだった。つい先日、冬休み中にバレーの全国大会が行われて、近年無名に近かったらしい烏野高校排球部は目覚ましい活躍を見せた。もともとバレーにあまり興味がなく、また自校のバレー部にどんな生徒がいるかもよく知らなかった俺や同級生たちだったが、テレビやネットを騒がせたその下剋上劇に、はからずも大熱狂したのだった。
 俺や男友達はもっぱら、1年生で、しかも低身長な日向のハイジャンプとスパイクに度肝を抜かれ大熱狂したのだが、テレビの実況解説が訳知り顔でやたらと名前を口にしていたのが、影山飛雄という3組の生徒で、聞けば全日本ユース候補だというから驚いた。
 バレーど素人の俺には、彼の務める「セッター」というポジションの機微や巧拙は直感的に分かりづらく、当初は「なんかすげーらしい」とありがたがることくらいしかできなかったが、大会も最終盤になってくると、さすがにその上手さとやらが体感できるようになってきた。なにせスパイクが決まる。トスを上げる体勢がえげつないし、「ツーアタック」とかいうのも毎回絶妙に虚をつかれるタイミングで繰り出される。「コイツ、やばいのでは?」と俺が気付いたころには、近隣の席の女子たちが「やばーい」と黄色い悲鳴を上げ、エビに反りになって絡まり合いつつ身悶えしていた。

「ってかさ、影山ってイケメンなの?」

 半端に話の腰を折り、日向は記憶をたどるように目線を斜め上に向ける。

「2組の田沢とか、4組の三木みたいなのがイケメンなんだと思ってた」
「あー、まあ、分かる分かる。濃い感じな。男はああいう系憧れるよね」
「影山は違うじゃん」
「うん、どっちかっていうとキレイ系だわ」
「きれい系? うーん、そー、うーん……」
「なんだなんだぁ? 日向って実は影山とあんま仲よくないの?」
「え? あ、うん、そう」
「食い気味かよ」
「最初に会ってから1年以上たつけど、いまだにしゃべってるとすぐ喧嘩んなる」
「へえ。それどっちが悪いの?」
「かげやま!」
「ハハ! じゃあ、もしかして日向大先生はヤキモチですか」
「やきもち!? って!?」
「影山がきゃーきゃー言われてんの、気に食わないんじゃねーの?」
「あ、あー、そりゃー気に食わねーよ! あいつばっかズルい!」
「じゃー影山のサイン日向に頼んだの失敗だったかあ」
「やー、それとこれとは」
「俺が何?」

 頭上から降ってきた聞き慣れない声に、俺は目を丸くしながら顔を上げた。
 いつの間にそこに立っていたのか、180センチはあろうかという長身の男が、机を挟んで語り合う俺と日向のすぐそばで小首を傾げていた。ひんやりとした薄青色の瞳が、つまらなそうに日向を眺めている。

「あ、うぃっす……」

 影山は、控えめにあいさつした俺に一瞥もくれず、日向に視線を注いでいる。
 気付けば、教室の中は彼を見遣ってさわさわと落ち着かない雰囲気になっていた。突然の「有名人」の来訪に、みんな、芸能人を前にしたような高揚感を漂わせている。

「影山、珍しっ」
「部誌次お前」
「おー、さんきゅー」
「人のいねーとこでごちゃごちゃ言ってんじゃねーよ」
「あっ、お前はそーやってすぐ人を威圧する! そういうとこだぞコワイ系! なっ!」
「イヤイヤイヤ日向くん! 『な』じゃないよ!」
「なんだコワイ系って」
「言ってない言ってない!!」

 言ってはいないが、今まさにそのような感想を抱いている事実を全力で伏せるべく、俺は大慌てで首を振った。
 日向に向けていた視線をちらりと寄越され、俺は無意識に唾を呑んでいた。テレビ越しにいやというほど眺めた小作りな顔が、ひやりと俺に向けられている。高画質の中継カメラで恐ろしいほどズームされても鑑賞に堪えていた怜悧な顔立ちは、目の前にするといっそう鋭さを増し、陽に透ける瞳にずるりと引きずり込まれそうになる。ほんのりと色味を帯びた目元のほの赤さが白い肌に映え、その異様な鮮明さが、雑誌の中の人物に覗き込まれているような、不可思議な錯覚を引き起こす。
 そりゃあ女子はきゃあきゃあ言うだろう、俺だって言いそうだ。天は二物を与えずと巷じゃ噂だが、あれはどうやらフェイクニュースだったらしい。

「なんだよ」

 影山は再び日向を見つめている。
 静かな瞳に見下ろされた日向は「べつに」と素っ気ない。本当にあまり仲がよろしくないのか、まあ、よく考えなくても、お年頃の男子二人だ。やれ全日本だイケメンだ、サインをくれとチームメイトがもてはやされていたら、舌打ちの一つもしたくなるかもしれない。

「あ、影山! まーた天気のとこ埋めてねえじゃ――」

 突然息を呑んだ日向に、教室の誰もが目を瞠った。中をぱらぱらとめくったのち、日向が突き返そうとした部誌が、影山の指先に小さく当たったのだ。

「影山っ」

 派手な音を立て、床へと転がり落ちる部誌に目もくれず、日向は影山の右手を掴んで目の前へと引き寄せた。瞬時に走った緊張した空気に身が竦む。

「ごめん。平気?」

 ぞっとするほど真剣な瞳が、握り込まれた細く長い指へと凝らされ、それから、わずかにつんのめった影山の顔へと注がれた。
 落ちかかった黒髪の向こうで、湖面のように澄んだ瞳が瞬く。

「どうもしてない」
「そっか。よかった」

 両手で影山の右手を握り込み、神に感謝の祈りでも捧げるかのように、日向がほっと息をついた。

 その一部始終の奇異を、どう説明したらいいだろう。
 野性を感じさせるほどの警戒を一瞬で張り詰めさせ、相棒の手を尊ぶ日向も、それを受け止める影山の静けさも、俺たち普通の高校生にとってはあまりにも浮世離れしていて、「チームメイト」なんて言葉では、二人を語るにはまるで説明不足だった。
 嫉妬とか、ひがみとか、俺の想像したそんな矮小な地平に日向はいなかった。影山を間近に見つめて感じるのとは、また違う意味で、俺は日向を遠くに感じて眩暈を覚える。




「影山さ、爪と指先、いつも完璧に手入れしてんだ」

 昼休みの終わりがけ、影山が自分のクラスへと戻ったあと、日向はぽつりとつぶやいた。

「やすり使って毎日、毎日。怪我したらテーピングするってセッターもいるけど、影山はしない。自分の指で直接ボールにさわらないとダメなんだって。それで、影山が上げたいトスってのは、おれたちが打ちやすいトスのことなんだよね。そのためにあいつは毎日毎日、努力を繰り返せる。何百回、何千回、何万回って、ひたむきに」

 ぽつりぽつりと言葉を継ぐクラスメートを前に、俺はふと気が付いて、サインの件を蒸し返した。

「もしかして、日向がサイン嫌がったのって、影山の手の負担になるから?」

 日向は黙って、ほんの少し、言葉を探した。
 そして瞬きを数度して、「いや」と笑って肩を竦めた。

「ただのヤキモチ」