intermission II

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炊飯器盗むんジャー(及影)

・岩ちゃん視点原作軸未来及影(大学生)
・一方そのころ私も何を書いてるのか分かっていなかった





「岩ちゃん聞いてよ!」

 ドアの開閉音とともに放たれた声に、岩泉一はげんなりとし、しかめっ面を作った。自分の後ろ姿を発見した腐れ縁の幼馴染みが講義室の廊下を小走りにやって来る。岩泉一は振り返らない。及川がこの手のせりふ(「ねえ岩ちゃん、これ信じられる!?」、「ビッグニュースだよ岩ちゃん!」「岩ちゃん岩ちゃん岩ちゃん!」等)を開口一番言い放ってくる場合、岩泉にとってそれは死ぬほどどうでもいいか、あるいは面倒極まりない話題だと相場が決まっている。
 岩泉は長机の一番端の席で正面の黒板を眺めたまま無視を決め込んだが、こうした態度に慣れ切った及川が力業で岩泉を内側に押しやってきて、座席をぶんどりながら畳みかけてきた。

「聞いてよ岩ちゃん。炊飯器が盗まれたんジャー!」
「ハァ? 頭カチ割るぞテメェ」
「脊髄反射で殺さないでよ、ねえ、炊飯器が盗まれたんだってば!」

 席を移動させられた岩泉は不本意ながら机上の教科書とペンケースを回収し、及川から距離を取るべくさらに1つ内側にずれる。するとやはり及川がそれを追ってきて、岩泉の心底迷惑そうな顔を全面的に無視して熱弁をふるってくる。

「ねえどう思う! 通帳とか金目のものは全く手も着けずに、これどう思う!」
「どう思うじゃねーよ。盗まれるわけねーだろボゲが」
「って思うじゃん! 俺も思ったよ、でもないの、家じゅうどこ探しても見つかんないんだって!」
「ああそう。じゃあ捨てたんだろ」

 及川の威勢に、収容人数50名ほどの小講義室にはちらちらと視線を投げる学生が現れていたが、及川は目もくれず主張を続ける。

「大学入るときに買った、こんな、3合炊きの炊飯器だよ。ちょうどボールくらいのさあ」
「何が哀しくて炊飯器盗むんだよ。お前、親父みてぇになってきたな。うちの50超えた親父が電話でよ、家に泥棒が入ってるっつうんだよ。何かと思えば、トイレの暖房便座の温度が勝手に下がってることがあるんだと。直しても直してもまた下がるってんで、『空き巣がウチのトイレ使ってってるんだと思う』ときた。そろそろ歳か、うちの親父も」
「岩ちゃん話逸らさないで、俺のはそういうんじゃないから! ホントに持ってかれたんだってば!」
「アホかテメェは。どこの世界に大学生の一人住まいに空き巣に入って炊飯器だけ盗んでく馬鹿がいるんだよ」

 シャーペンの尻をノックしながら、本日初めて及川徹の顔を見て、岩泉は反論した。今や周囲のほとんどの学生が手を止めてこのやり取りを見守っており、その恥ずかしさと言ったらなかった。

「おら、言ってみろ」
「……心当たりの馬鹿が一人いるんだよ」
「はあ?」
「昨日家に泊まったヤツが。仮に名前を『炊飯器盗むんジャー』とするけど」
「ゴレンジャーみたいに言ってんじゃねえよ、歯食いしばれクソ川」
「やめてよッ、だから、その、知ってるでしょ岩ちゃん……俺と岩ちゃん共通でよくご存じのお馬鹿といえばアイツしかいないでしょ……」

 ――「飛雄」、と及川が呟いた直後、なぜ彼の頬に拳を入れてしまったのかはいまだにうまく説明できない。が、たぶんもう一度あの瞬間に戻ってもやっぱ殴る。



 順を追って説明しなければいけない。大学3年にもなって小学生みたいな、あるいはオヤジみたいな発想に囚われている及川に怒りを溜めたのは間違いないが、岩泉はそもそも、及川と影山の間に現在交流があるなど露ほども思っていなかったのである。それが、及川に向けて放った拳の、加速度の、もう公式忘れたけどなんか変数的な何かを、上方修正したのである。「よくもまあまた会えたものだな」という呆れ半分の驚き、「俺の知らないところで?」という寂しさ交じりの驚き、「そんで泊めたのかよ」というシンプルな驚きとが、いっしょくたになって去来した。
 次に考えたのは「大丈夫かこいつ(ら)?」だ。中学時代のあの殺伐とした他人事の距離、そして高校時代の幾許か健全な敵対関係を経て、今二人が向き合い何について会話をするのか全く想像がつかない。何を食べ、何を着て寝るのかさっぱりだ。
 及川と影山のねじれきった関係ほど意味深長なものではないが、岩泉と影山も一応先輩後輩の関係である。この辺りの事情について、岩泉は直接影山に会って尋ねることにした。

 待ち合わせのファミレスには、上下関係にマジメな影山らしく、5分前にやって来た岩泉よりさらに一足早く彼の姿があった。風除室で座っていた影山を伴って席につき、注文を終えたのちしばらくどうでもいい会話でアイドリングをする。記憶の中の影山より大人びた彼は、数パーセントの「何で急に呼び出されたんだ?」という疑問を体育会系的思考停止によって頭の隅に追いやり、岩泉の問いかけに素直に応じた。
 及川徹の一人暮らしの家には、確かに炊飯器があった。かなり小さめだったが、男の一人暮らしには十分な大きさで、ワンルームで忽然と消えるサイズ感のものではないはずだった。岩泉は先の会話以降及川の家を訪ねていないので、本当になくなったのかをまず疑っていた。酔っぱらって家電を通常ありえない場所に仕舞って、そこを探しもしていないとか、そういう可能性のほうが絶対に高いと思った。
 まさか、「炊飯器盗むんジャー」という全方位的に不名誉な容疑とあだ名を押しつけられているなどついぞ考えもしないだろう影山が不憫だった。

「影山、お前、及川と会ってんのか?」
「……及川さんですか。この前一回だけ」
「ああ、やっぱな、うん。だよな。偶然会ったとかか」
「あ、そうっす。駅前のドンキでたまたま。大学近いの知らなかったんでビビりました」
「だろーなあ。影山と連絡取ってるとか聞いてなかったし、泊めたって聞いてなんだそりゃってな」
「連絡は全然取ってなかったです。なんか、成り行きであの日家に行きましたけど」
「ふうん。あのな、及川の野郎がよ、炊飯器がなくなったっつうんだよ」
「……はあ……」
「お前が泊まった日から。で、影山が持って帰ったのかもしれないとか真剣に言いだして」
「はあ……」
「失礼な話だよな。あいつ、頭どうかしてる」
「あ、でも俺、炊飯器は確かに持って帰りました」
「おおそうか。まあそれはいいとして――――持って帰った?」
「持って帰ったって言うと、ゴヘイありますかね。許可取ってないし」
「……お、おう?」
「盗みました。及川さんちの3合炊きマイコン炊飯ジャー」

 岩泉の思考はそこで停止した。
 アルバイトらしいウエイターが、元気よくハンバーグカレードリアとデミオムライスを持ってきて、会話が中断される。湯気がもうもうと立ち上り、パーカーにジャケット姿の後輩、影山飛雄の境界線を指で延ばしたように曖昧にして、岩泉の意識は「影山ってこんなヤツだっけ?」と迷子になり始める。

「盗んだ?」
「はい。及川さん寝てたんで。こう、バッグみてぇに腕に通して、始発で帰りました」
「……お前、家に、なかったのか?」
「炊飯器すか? あー、いや、持ってます。及川さんちのよりちょっとイイやつ」

 だから今、2台持ちっスね。もぐもぐ。特に役には立ってないです。もぐもぐ、ごくん。意外と邪魔です。
 岩泉は、とてもデミオムライスに手をつける気にはなれなかった。
 影山は悪びれもせず、軽快なペースで昼食を進めながら、岩泉の目を見て問いかけてくる。

「及川さん困ってましたか?」
「……3日連続朝パンだって。……飽きたって」
「ああ、そうっすよね。じゃあそのうち返さねえと……」

 今じゃねえのかよ。でも返すのかよ。何なんだよ。
 岩泉はその日ことごとく正しいツッコミができず、目の前の「炊飯器盗むんジャー」にただただ圧倒されるばかりでその会食を終えたのだった。



 この「炊飯器盗むんジャー」と「炊飯器盗まれたんジャー」の静かな諍いは、なんと、岩泉の全く知らないところで解決し、解決後しばらく経ってから――すなわち二人が交際を始めてから数か月後に、ようやく岩泉の耳にその顛末が入ってくることとなる。

「飛雄の訳分かんない供述を、訳分かんないまま話すから。岩ちゃんもたぶん訳分かんないと思うけど、そういう仕様と思って、諦めて」

 そう断ってから、及川は影山の複雑怪奇な心理状態を語り始めた。
 ――飛雄は、俺との関係があれっきり終わるのが嫌だったんだって。
 馬鹿野郎め。よく別々にいられる気になってたもんだよお前たちは。いろいろ言ってやりたかったが話が長くなりそうだったので黙って聞いた。



 「なかったことにしないでください」。影山飛雄の主訴はそれに始まって終わる。
 子どもだったからはやめてください。天才だったからはもっとやめてください。このまま遠くに離れたらきっと、及川さんとは会いたくなくなる。会うと苦しいから。たぶん、及川さんが、苦しいんだろうなって思って俺が逃げるから。
 炊飯器盗んだのは、さーせんした。でも電子レンジはでけぇし。スマホは困るでしょ。ティファール? あれは持って帰るとき腕通すところないじゃないですか。
 及川さんが気が付くものがよかったんです。すぐ気が付きましたか? あ、そうなんすか。まあ一瞬分かんないですよね。そうか。チッ。
 太腿に炊飯器載せて、電車で帰りながら、すげー考えました。
 どうして会うとケンカになんだ、とか、俺及川さんにすげー嫌われてんの分かってんのになんでこんな往生際悪ぃんだろうとか、及川さんは、なんでちょっとだけ俺に優しいときがあんのかとか。あ、往生際悪いのそのせいか。
 及川さん。
 及川さんは、ちゃんとした及川さんだけ見せた人と、幸せになるんですか。俺は、ちゃんとしてなくたってよかった。だせぇ及川さんも、意地悪いとこも、全部見ても、忘れたい及川さんとか一個もねえ。かっけえとこも好きなとこも忘れたくねえから、それでいい。
 及川さんが信じてくれるまで炊飯器返しません。ずっとパン食ってろ。一生食ってろ、バーカ!





 だそうである。及川は目元をしおしおさせ、口の端で笑う器用な表情で回想を終えた。

「そんでお前の供述は?」
「俺? なんで供述? 俺盗難の被害者だってば!」
「8年分の反省の弁だよ。どうせお前、影山が行動しなかったらジクジク古傷にしてたんだろうがよ」
「そんなことない」
「あんだろ」
「ないってば。……もしそうなら、最初から、家に連れて帰ったりしないから」

 気まずそうな顔で及川は口をモゴつかせる。顔はだんだん赤くなってきていた。

「テメー、影山をなんつって連れて帰ったんだ?」
「『部屋でDVD見ない?』……」
「バレッバレの誘い文句じゃねえかよ!!」

 レコーダーも盗まれちまえ馬鹿。
 岩泉の罵り文句に、及川は「やぶさかでない」と顔を覆って自分の膝に突っ伏した。