intermission II

【頂いたメッセージへのお返事⇒⇒23.8以降:「続きを読む」から、それ以前:スマホのリーダー表示かドラッグ反転でお読みください】

原作軸未来(月影)

・拍手ログです
・月影




 1Kの賃貸マンションの8畳の洋室、キミが座るベッドの隅1メートル四方が、僕が高校の3年間のうちにキミにかすめ取られた心の一眼だ。
 キミの爪先が生白くシーツを這う。赤ピンク色の心臓の裡でふつふつと燃える怒りの正体を僕は正確に知ってはいないが、よほどのこととは分かっている。キミは「バレーが嫌いになった」と明瞭なSOSを発してこの家を訪れ、僕が「だから、バレーを辞める」とは言わなかったキミに安堵している隙に、僕のベッドの隅を奪っていった。
 今日で4日目。あと3日はキミを甘やかそうと思う。それで癒えない傷なら、この家では治してあげられない。キミはキミの太陽か、泥沼の古傷か、本能でしか交じり合えない狢に荒療治を求めるしかない。僕はそういう、俗っぽいものが嫌いだから、なるべく早々にキミとバレーとの喧嘩が終了するよう願っている。

「ねえそこのバレー馬鹿。ご飯食べたの?」

 僕の呼びかけと質問には、2つの否定と1つの命令が返ってきた。食べてない。馬鹿じゃない。名前で呼べよ。
 注文が多い。僕なんかにそんなに甘えて。何か、感情の渦の中でもがいているのだろう、キミが哀れで僕はほとんど投げやりな気分だ。意地悪をするのが今さら面倒くさいのだ。

「おなか空いてるの? ねえ。ねえってば。……影山」

 名前を呼ばれたら顔を上げるルールなんだろうか、ちっともおもしろくないけれど、ボクに名前を呼ばれたがるキミをかわいいと思う。抱えた膝から水面を窺うみたいにそっと僕を仰ぐ瞳は弱り切っている。僕はベッドに乗り上げ、ライオンにでもなった気分で四足歩行しキミの体を隅へ隅へと追いやった。
 「つきしま」。キミが囁く。逃げ場はない。高校のときのキミと僕なら互いを突き飛ばす距離だ。だけど今僕らはこの距離を看過の箱に入れ、問題にしないことにしてある。今僕が試みるのはバレー界の救世主を脆弱な19歳へと引き戻すこと。ちょうど、例えば、フリーズドライの味噌汁の具に、お湯を注ぐ感じだ。

「先にこっちがいい?」

 唇を近づけてやると、キミはまぶしさに眩んだかのように繊細に目を細めた。肯定、だけど、僕が先へ進めてあげなきゃキミは何もできない。奥手で無防備で無垢。こと恋愛に関して最悪の三拍子は天才的バレーの代償としてキミが持って生まれたもの。ずるいけれど、言いかえると、「僕の自由意思で奪っていい」ということにもなる。
 程よく溶けて食べ頃になったキミの唇に自分の唇を重ねた。肩がふるっと揺れる。その震えを塗り広げるみたいに僕は肩を撫で、首筋を掬い、頬から耳へと手のひらをすべらせる。キミの体はますます粟立ち、僕にファーストキスをくれたときのように、やはり新鮮に動転していた。

「キミ、慣れないね……」

 耳たぶをいじられ、キミは両足を擦り合わせる。足と足の間に入り込み、膝先をキミの感じる場所に意地悪く当てながら舌を差し入れてやると、簡単に、キミは理性を失って僕にしがみついてくる。
 どうしてお前と。
 そう悩む暇もなかった。
 キミは「僕に嫌われていない」その事実だけで多幸感に襲われ、思考を停止した。つまり、中学時代から引きずった人と交わることへの臆病をいまだ飼い馴らせずにいたのだろう。想像に難くない。
 そして僕はただ、恐らくキミが想像もつかないことに、ずっとキミを愛していた。

「こっち」

 枕のほうへ体を引っ張る。影山はやっぱり動揺したままぎこちなくベッドの上を移動する。僕たちはキスをする。
 当初唇を数回重ねるだけでぼうっとなり、酔いしれていたキミに舌を絡めるキスを教え、体に触れさせ、日を追うごとに僕らは危うくなっていく。もっと。もっと。本当は早くもっといろんなことがしたい。キミの裸が見たいし、悶えるキミとセックスがしたい。
 「理解できない、向こう岸の人間」。たかが部活で、いくら才能があっても、ほかのすべてを投げ出してまで没入するのは人間として間違っている。――この思いは今も僕の胸にあるのに、キミはその体一つで僕の価値観を矛盾させた。
 キミがバレーに全霊を傾け、与え、奪われる姿は、ある瞬間を境に「うつくしい」としか言い表せないものに変わった。あの取り返しのつかない一瞬一瞬を僕はチームメイトと立ち尽くし、なすすべもなく傍観するしかできなかった。
 僕はキミを失った。せめてもうちょっと早く気付いて驕る時間があったならと思う。人生でたった一つバレーしかできない閉じられたキミは、ある日その閉塞感のさなぎから翅を持って飛び立ち、世界をキミへと痛烈に目覚めさせてしまった。

「月島……」
「なに? うっとりしちゃって」
「だって」
「それ、喜怒哀楽のどれ? 喜?」
「お前が俺に興味……とか、あと、キモチイイことすんの……」
「……うれしいの?」
「すげぇ、頭フワフワして、溶けそう」

 僕はきっと最低な人間の顔をしていたと思う。キミの幸せを僕が埋め尽くしてる。キミは僕に夢中だ。ざまあみろ。

「何があったか知らないけど、考えるのやめたら? どうせキミの頭じゃ限界あるんだし」
「おい、馬鹿にすんじゃねえよ」
「そういうトコがかわいいんだから」
「へ……」
「影山、もうちょっと、エッチなことされたいんでしょ?」
「ちが……、違わねえ、けど……月島は?」
「僕? したいに決まってるじゃん」

 そこで幸せそうな顔をしてしまうキミが星屑を集めたみたいに眩しくて、ああ、キミはどこまでうつくしくなってしまうんだろうと不安になるほど。
 1Kの賃貸マンション、8畳の洋室、キミだらけになった僕の心は、ぽっかり世界を漂泊している。