intermission II

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日影温泉小咄log

・日影
・温泉に行く

 別におれだって、影山が恋愛マスターだと思っていたわけじゃない。あの性格じゃ女の子を上手にエスコートとかできるわけがないし、お洒落なお店でプレゼントを選ぶのだって苦手そうだ。ただ、おれは身長163センチ(小数点以下切り上げ)で、影山は身長180センチ(小数点以下切り捨て)で、この身長差によって、恋愛力の優劣に関係なく影山くんのほうがおモテになるという事実は歯ぎしりしつつも受け入れていた。
 つまり、女子と付き合うチャンスは影山のほうが多かったはずだ。だからもしかしたらボケっとしてる影山のこと、「付き合う」って言葉の意味もよく分からないまま女子の告白に「おー」とか返事して、彼女がいた経験があってもおかしくないと思っていた。それがたまたま積極的な女の子で、ボケっとしてる影山と積極的に手をつないだり、キスをしたり、それ以上のことをしてるってことも、究極ありえないことではないと思っていた。だが現実は違った。

「なにしてんだ」

 影山は童貞だった。キス未経験だった。影山のファーストキスを奪ったのはおれだ。
 おれは、考え過ぎていて、訳が分からなくなっていた。だけどそのときどうしようもなく影山とキスがしたくて、当然のように、もっとスゴいことだってしたかった。
 で、そういう、絶対に影山の合意を得ずにやっちゃいけないはずの口どうしのキスに対して影山は「なにしてんだ」と言い、「嫌だった?」というずるい質問に「嫌ではなかったけど」と答えたのだった。
 そこからおれは、影山の想像を絶する恋愛小学生――いや、幼児、いや、新生児っぷりに直面することになる。影山はキスをすることの意味がよく分かっていなかった。エッチって言葉も多分その、ヤラシイって意味しか知らなくて、さらには「オカズ」という文化もない驚愕の純真っぷりだった。影山は体育の前の女子の着替えに関心がないし、すれ違う美女の胸元にも目がいかなくて、AVまがいの動画を見てさえ、「これ見せて、だから何?」とか眉をひそめちゃうんだ。
 恋愛の細胞が死んでる。恋人って文化がインストールされてない。恋愛原始人だ。だからこういうことを平気でする。

「影山くんは何してるんですか」

 おれが商店街のガラポンで当てた温泉旅館にせっかく二人でやって来たのに、影山は頭に畳んだタオルをのっけて、むちむち絶妙に引き締まった上半身を濁り湯の上で露わにして、あろうことが雑誌を広げている。

「見りゃ分かんだろ。月バリ読んでる」
「見りゃ分かるから言ってんだよ!! 影山くんのおバカ!!」
「はあ? 分かってんなら聞くなよ」
「聞いてねーんだよ!」
「聞いただろーが」

 不毛だ。影山が恋愛原始人なのは、影山がバレー限定超進化型人類だからで間違いない。バレーの代償にヒトっぽい部分、子孫繁栄とかに関わる超重要な部分を食われちゃったんだろう。生まれてくるとき。
 とはいえ、おれはこのことについて、文句ばっかり言うわけにはいかない。影山の性に無垢すぎてむしろルーズっていう、そのびろびろにゴムが伸びた部分につけ入ったのはほかでもないおれだから。しかも、おれ以外はそこに加わらないよう、きっちりゴムを縛っておく周到ぶりだ。
 最初にキスをしたのは部室でのことだった。嫌じゃないというゲンチを取って、なし崩し的におれは影山を畳の上に押し倒して、なぜか全然抵抗しない影山のシャツをめくってキレイな身体をべろべろ舐めた。これ以上やるともう最後までやらざるをえんぞ、という、ピアノ線みたいにほっそいラインをぎりぎり踏み越えたその瞬間、部室のドアが開いて、そこに、キャプテンと菅原さんがいた。おれはとっさに、なぜか影山の顔を隠した。
 その場はいったん解散になり、次の日になって改めて呼び出されたのがなんというか、リアルだ、と思った。昼休みにおれだけ屋上に来るよう言われ、まあ座んなさいと日陰のスペースを勧められ正座した。どうしておれだけなのか菅原さんからすぐに説明があり、要約すると影山に聞いても埒が明かないと思ったのだそうだ。「ですよね」以外にコメントの余地がない。影山イコール恋愛原始人というのはどうやら大正解、二重丸のもらえる模範解答だったみたいだ。

「お前らの仲が良いっていうのは歓迎するよ」

 たしか大地さんはクッショントークとしてそんなことを話した。かなり微笑ましさに欠ける状況だってことはよく分かってるみたいだったけど、あの状況、おれが影山を組み敷いて今まさにズボンを引き下ろそうとしていた状況を最大限まろやかに表現するとそうなるのだと察しておれは頷いた。

「ただその……まず、部室はやめなさい」

 おれはこっくりと首を縦に振る。

「で、お前らはその、そういう関係なの?」

 今度は首を左右に振った。前の日からおれの声帯は活動を休止していたからすぐに声が出なかった。

「そのー、ああいう感じになったの初めて? あ、初めてなんだ」
「勢い。勢いか。そうか」
「殴り合いよりマシかもな、うん、ハハ、そう、どうかな……」

 おれは勇気と声帯をふるわせなんとかかんとか事情を話した。影山はずっと受け身に回って、無抵抗におれを許していただけだということはちゃんと説明しないといけなかった。

「なるほど。うん……。ねえ、影山はなんでなすがままだったの?」
「分からないです……」

 おれもそれが、本当に訳が分からなくて、謎を共有して首を傾げたところでチャイムが鳴り、このお咎めは散会になった。なんでだろう、不思議だね。ちょっと持ち帰って考えてみます、みたいな、おかしなことになった。
 この疑問の答えを、おれは後に菅原さんから間接的に得る。

「日向に逆らえない、って」

 影山がそう言っていたと菅原さんは困り顔で話した。

「俺はそういう人間みたいですって言ってた」

 嫌だとか嫌じゃないとか、もうそういう次元じゃなかったらしい。影山という人間は、おれに対して無防備に明け渡されていた。それでいいと影山は思っていた。この事実はヤバかった。
 結局、ギリこらえたはずのラインをブチ切って先のステップへ進むのにそう時間はかからなかった。今のおれと影山にとって、「泊まりがけ」というのには特別な意味がついてくる。合宿しかり、互いの家しかり、もちろん、福引きで当たった温泉一泊旅行しかりだ。

「やっぱ牛島さんのストレートやべえな」
「ハイ!? 影山くん今何言ていました!?」
「見ろこれ。試合の写真で、牛島さんのが載ってんだよ」
「なん……なんで……」
「シニア入りも近いって期待されてんじゃねーか? まじ空中姿勢すげーなこの人」
「じゃなくて!! ウシワカの話をなぜ今!!」
「しかたねーだろ載ってたんだから」
「見なきゃいいし言わなきゃいいと思います!」

 影山にはデリカシーがない。付き合ってるおれと一緒にいるのに普通にほかの男の人、しかもバレー選手を褒める。特にウシワカ率高いのがめちゃくちゃむかつく。おれがもっと強く言えたらいいんだけど、付き合ってるってのも、それこそ勢いで認めさせた感じだから複雑だ。付き合うってどういう意味があんだよとか影山くんが聞いてきて、ほかの人とちゅーしないってことだよって言ったら「分かった」「付き合ってもいい」ってあっさりOKしてきて、雑にもほどがある。

「影山さん」
「あんだよ」
「前に付き合おうって言ったじゃん」
「言った」
「お前認めたよな?」
「認めた」
「お前ほかの人とちゅーしてない?」
「してねえよ」
「ほんと? ちゅーしないっていうのはちゅー以上もしないってことだぞ、分かってる?」

 影山が雑誌から顔を上げた。やっと雑誌から手を離し、軽く首を傾けた。

「ちゅー以上?」

 ぞっとするくらい無垢な無表情だった。おれは温泉につかっているというのに血の気が引いていくのを感じる。

「ちゅー以上って何だ?」
「影山先生……そこからですか……」

 おれとあんなことやこんなことして、空前絶後のいやらしい顔で喘いでおいて。口元を押さえる指の角度まで全部計算し尽くされたエロの権化みたいだったのに今影山は何にも知らないかのように清らかな顔をしている。

「抱き合うのはキスより上か下かどっちだよ」
「下かな……でもやんないでください……」
「はあ? お前言ってることめちゃくちゃだぞ」
「影山おれのこと好きじゃないの? おれ以外とちゅーしたいの? やらしいことしたいの?」

 湯に浮かべられたアヒルさんを掻き集め抱き寄せながらおれはしおしお萎びながら言う。分かってる。影山はそういうんじゃないんだ。誰かとしたいんじゃなくて、誰ともしたいわけじゃないってだけ。そういう文明がないんだから。

「別にしたくない」
「でしょうね」
「なんなんだよ。じゃあ全部指定しろよ。ハグ禁止とかキス禁止とか。言わなきゃ分かるかよ」
「……言ったら聞いてくれんの? 二人で出かけるのだめとか」

 そんな馬鹿な。ってつもりで言ったのに影山は軽く「いいけど」と言い放った。

「え……い、いいの?」
「俺よく分かんねえし。お前が俺にそうさせたいなら、する」
「お前Mなの……?」
「ちげーようっせーな。先上がるからな」
「あ、影山……」

 タオルで体を隠すこともせず正々堂々全裸で脱衣所に向かう影山のきれいな尻を見送る。
 影山はおれに逆らえない。そんな馬鹿な。

「おれがガチでやばい変態だったらどうすんだよ……」

 むくむく湧き上がる願望に絶望を感じて、おれはアヒルの波間に沈む。

「おれウシワカに勝ってるかもしんない……」

 世界には誇れないけど、それは、おれを贅沢すぎる気分にさせた。