intermission II

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日影小咄log

・日影小咄
・原作軸未来


 レストランのドアに吊り下げられたベルが揺れる軽快な音と、店内の女の人の浮ついた表情で、おれは自分の待ち人がやって来たことを確信した。マスクと帽子を着けなさい! と口を酸っぱくして言っているのにヤツは聞く耳を持たず、「芸能人じゃねえんだから」のひと言であっさり拒否する。確かに芸能人じゃない。高1のころのおれに聞いても、「芸能人じゃねえんだから」って言うだろう。でも、である。

「わりぃ、遅くなった」
「……いやゼンゼン」

 向かいの席に影山飛雄。身長187センチ、全日本のバレー選手にして、おれの元同級生。店内でチラチラ目線を寄越してる女の人たちのうち、影山だって気付いてるのが半分、残りはシュッとした背の高い男が入ってきて思わず目で追ってしまった組だろうと思われる。

「お前まだ食ってねえよな」
「おう。コーヒー飲んでた」
「そーか。ん? 前とメニュー違わねぇか」
「変わったみたい。でもお前が好きなやつ、こっちのページある」
「おー、あんのか」

 ボロネーゼの意味を知らない影山が、根菜のぼろねーぜと店員さんに注文するのを見届け、おれはほうっと息をついた。
 女の人の目線を一身に集める影山は、別におしゃれをしているわけじゃない。影山のバレー以外への無頓着さは22になった今も全然変わらなくて、春用のアウターの下に着ているのは、首元がV字になっている以外何の工夫もないトップスだ。ほぼ胸筋で服を着てる。

「影山彼女できただろ」
「……できてねーよ。つか、毎回やんのかこの会話」
「この前テレビで彼女いるかって聞かれてはぐらかしてたじゃん。お前のファンがネットで荒れてた。『今までははっきりいないっていってたのに』って」
「彼女じゃなくて『好きな人いるか』って聞かれたから誤魔化したんだろ」
「そうだっけ」
「そうだ。……ひなた」

 テーブルの上にだらりと上半身を倒しながら、影山はおれの手に指先を絡めた。

「つかれた」
「……お疲れ」

 目の下がほんとにちょっと隈みたいになってて、影山くんはお疲れのご様子だ。頭をぽんぽんと撫でてやりたくなって手を解こうとしたら影山の指先に力がこもって、手が抜けなかった。

「影山痛い」
「我慢しろ」
「なぜに……」
「いいだろ、手、暇だろ」
「暇ですけども……」

 はっとして周りを見ると、がっつりこちらに顔を向けている人はいないものの、ちらちらおれたちのテーブルを気にする視線が飛んできていて、頬がじわっと熱くなってきた。

「なんかあったんですか影山くん」
「なんかって」
「嫌なことなど」
「……引退」
「引退?」
「烏野バレー部からの引退」
「ここで4年も前の話!?」
「しなくていいならしなかった」
「しなくてよくねーよ、バカ山くんかよ! ……なあ、見られてんだけど」
「何が?」
「手だよ! この手!」

 影山は左手で俺の手をつかんでいるからいいかもしれないけど、おれは右手が塞がってしまったままではパスタが食べられない。振り回して逃れようにも、この影山の手がものすごーく大事な手だと分かってるし思ってるからあまり乱暴なことができない。
 昔はもっと力任せでよかったのに。ぶつかり合って喧嘩して、殴って殴られて。体格差は当時からもちろんあったけど、喧嘩の勝敗はいつも五分五分だった。ああいうのが今は懐かしいし、取り戻したい気もするんだけど、それができないのはおれたち大人になっちゃったからか。

「いいだろ、見られたから何だよ」
「何だよって、いろいろアレだよ」
「酒も煙草もなんもしねーしメシも節制してるし365日ウエイト欠かしたこともねえ。結果もついてきてる。これくらい、何が悪ぃんだ」

 影山がおれの手首の辺りまで手のひら全体で握り込んでくる。胸がきゅっとなる。
 大人になっちゃったからか。そうじゃなかったら、別の理由だ。

「悪くない」

 ――好きだって、思っちゃったからだ。

「おう」

 おれの手なんか握って、ちょっとぬくいかもしれないけどそれだけだろうに、影山は離そうとしない。おれは、手を握り返して、このつながったとこから影山におれの持て余してる元気がいっぱい送り込まれるよう念じた。献血みたいにこうやって、おれの何かが影山の中で息づいて、心臓を動かして、影山が生きるのにおれが絶対必要になっちゃえばいいのにと妄想する。
 中3で出会って、初めは大嫌いだった。だけどおれの人生を振り返ったとき誰より強い眼差しで影山がおれを見つめて、縋るみたいに見送ってる気がしてしょうがない。影山はおれの人生を変えてしまって、おれも影山の生き方を根本からひっくり返してしまった。離れたら自分の半身を引きちぎられるようで、それなのに人生はおれと影山の別れを当たり前に用意していた。

「カニのトマトクリームパスタに、根菜のボロネーゼです!」

 例えばこんな別れ方を。パスタを食べる10分間の別々を。
 先輩も後輩も月島も山口も、おれたちが離れるのをたくさん心配していた。最初はバレーのことだと思ってたけど、時間がたつほど違うんだと気付いた。もう限界だと思ったとき、同じくもう限界の影山が目の前に現れた。

「影山、手、食えない」
「お前左手で食えよ」
「無理だよ! おれ右利き!」
「お前の利き手は顔だろ? レシーブ、顔が一番うまかったよな」
「こういうときだけ『うまい』とか使いやがって……!!」

 おれは左手でぎこちなくフォークを握り、オレンジ色のパスタに突き立てた。回してみるけど全然麺がひっかからない。右と同じことをしてるつもりなのにつるつるすべって、全く口に運べず、お腹がギュルっと鳴った。

「へたくそ」
「うまいわけないだろこんなの!?」

 マジ離せよ、って言いながら、おれは影山の手を握り返したままだった。ソースが飛び散る。きたねえなって、影山が笑っている。