intermission II

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牛島家には謎が多い のおまけ

・牛影+五影です


 引き続き、五色工です。白鳥沢学園高校1年生、16歳、人生の瀬戸際に立たされています。

「騒いだら次の試合サーブ全部お前狙うからな」
「の、望むところだ……!」
「そういう意味じゃねえよ」

 文化祭のさなか、使わない机や暗幕などの物置と化している空き教室に押し込まれ、「早鐘のように心臓が鳴る」を今まさに経験しているところです。初体験になります。ちょうど、馬が時代劇で走るのと同じような音が自分の心臓から聞こえています。その理由はというと、不可抗力ではありますが、影山飛雄になかば抱きつかれるような格好になっているからです。耳元で震える吐息、少し目線を下にやれば、衿元からのぞく隙だらけのうなじ。

「……行ったか」
「何なんですかいきなり!」
「るせぇな、わざとじゃねえよ」

 そういうんじゃねえから、と、影山飛雄が理不尽にも俺を押しのけます。廊下で行き会ったかと思ったらいきなり口を塞がれて空き教室に連れ込まれたというのに、影山は俺の被害者感を無視してきます。でも俺は上手く怒れません。影山がまた、また、また女装しているからです。

「あ? 何見てんだよ」
「ち、チンピラですか! せっかくそんな……」

 女性らしい格好をしているのに、と言いかけて俺はなんとか踏みとどまりました。絶対、怒るに決まっています。
 影山が着ているのは、昼過ぎに俺の占い部屋を訪れたときと同じ白地の小袖で、桔梗のような藍色の花がちりばめられていてとても上品です。着付けで体格をずいぶん上手くカバーしていて、立ち姿も様になっています。とても凛としている。

「何があったんですか」
「お前なんで俺に敬語使ってんの? うちの3年の先輩がそこ通ったんだよ。焦った」
「隠れないとマズいんですか、それ」
「キレそうな気がする。俺じゃなくて牛島さんに」
「そうだ、牛島さんは? 一緒だったんじゃ……」
「だから、烏野の先輩らが来てるからそっち出迎えに行ってんだよ。明日って聞いてたのに、今日来るとか……」

 はあ、と折角セットしてある髪を指先で乱しながら影山が溜め息をつきます。同い年のライバルの男と思い、対抗心を燃やしていたはずなのに、どうも調子が狂います。バレーもあんなに才能があるのに、外見もこんな反則レベルで綺麗だなんておかしいんじゃないでしょうか。優美な目元が、薄い唇が、勝手に俺の頭の中をぐしゃぐしゃにします。

「あー腹減った。1階に団子の出店あったよな。玄関のとこ」
「ありますけど……出歩く気ですか? 目立ちますよ」
「牛島さんといるよりマシだろ」
「そうかもしれませんけど、やめたほうが……そんな恨みがましげな目で見ないでください!」
「腹減ってんだよ」
「もう、そんな格好で何て言葉遣いをするんですか……」
「着られてるだけだろこんなもん」
「そんなことないですよ!!」

 思いがけない言葉に、つい両肩を掴んで声を荒らげると、影山は驚いた様子でぱちぱちとまばたきをしました。黒々とした睫毛が目を縁取っていて、まばたき一つすら神聖な仕草に見えました。

「否定されたいわけじゃねーっての……」
「ですよね……」

 のけぞってよけられて、俺はこっそり傷つきながら「団子買って来ます」と進んで使い走られに行ったのでした。



「よく会ってるんですか、牛島さんと」
「牛島さんだか、牛島さんの家族とだかよく分かんねーけど」

 不安に駆られながら全速力で三色団子を買って戻ると(みたらし団子もありましたが、着物にたれがこぼれては大変かと思い、やめておきました)、影山はちゃんと空き教室でソファーに腰かけて待っていました。
 手渡した団子を口に運ぶ仕草が、なんだか洗練されている気がします。女性的というか、品があります。

「何見てんだよ」
「またそんなチンピラのような……なんというか、所作が様になっているなと思っただけです」
「……めちゃくちゃ怒られたからな。牛島さんの母さんすげー怖ぇ」
「そ、そうなんですか」

 この短期間でここまで仕上げるなんて、さすが牛島家としか言いようがありません。袖口からのびる腕の、日に焼けていない部分の白さにくらっときます。

「お前さ、占い屋やってただろ」
「ハイ!?」
「昼、俺と牛島さんが行ったとき、占い師お前だっただろ」
「なっ、違います! 俺は占い師じゃないですし!」
「知ってるっつーの」
「と、とにかく濡れ衣です!」
「俺は分かんなかったけど、牛島さんに普通にバレてたぞ。『なぜバレないと思ったんだあいつは』つってた」
「アーーーーー!!」

 俺は頭を抱えて自分の足と足の間に突っ込みました。占いの間、牛島さんはずっと気付いていないふりをしていたということでしょうか。ヤバいです。何がヤバいかというと、占いの結果を無視し私見謬見を織り交ぜて「相性最悪」と堂々言い放ったのがヤバいのです。俺は、これは死んだのではないでしょうか。

「お前なんで嘘ついたの」

 2本目の団子に取りかかった影山が真顔で問いかけてきます。

「言わなくても分かるでしょう……」
「嫉妬かよ」
「うっ」

 ばっかじゃねえの、と追撃を喰らい、俺は段ボールに向かってくずおれました。もののついで程度のノリで失恋までしているような、いえ、俺は別に影山に惚れているわけではないです。ちょっと気持ちがぐらついただけです。でもつらい。

「心配しなくても取りゃしねえよ」
「……はい?」
「お前のもんでもねーけどな」
「ま、待ってください」
「なんだよ」
「誤解がある気が」
「何が。お前、俺が牛島さんといんのが羨ましいんだろ?」
「ち、違う! いやそれも少しあるにはありますが」
「あるんじゃねーかよ」
「でも俺は、お前が!」

 気付けば俺はまた影山の両肩を掴んでいました。彼の座っているソファーにひざを乗り上げ、目を見開く彼の吸い込まれそうなほど大きな瞳を覗き込みます。

「影山……」

 俺を見上げる影山の耳元で、しゃらんと髪飾りが揺れました。俺の心臓はもういい加減おかしくなっていて、血の巡る音が俺をどんどんパニックに追いやります。

「何してんだお前」
「こ、これはその……なんというか……」

 気付けば影山をソファーに押し倒すような体勢になっていて、ますますもって後にひけない状態です。口紅を引いているわけでもないのに淡く色づいた蠱惑的な唇が俺の目をくぎ付けにして、頭が沸騰しそうです。

「そこ、牛島さん立ってるけど」
「うわぁああぁああぁああああああ」

 俺は叫びながらソファーから転げ落ちました。受け身を取れずにゴロゴロ床を転がると教室の入り口に立つ牛島さんの威圧的な姿がコンマ5秒おきくらいに視界に飛び込んできます。

「う、牛島さ、いつから」
「30秒くらい前からだ。何をしている、五色。影山も」
「俺は別に何も……」

 床に這いつくばったままの俺を後目に影山はソファーから立ち上がり、裾を払って教室を横切っていきます。

「あいさつ済んだんすか?」
「ああ、終わった。あとは適当に見て帰るそうだ」
「下手に動いたら会いそうスね……」
「下に車が来ている。いい加減その格好もきついだろう」
「ウス。じゃあ帰ります」

 二人並んで空き教室を出かけたところで、ふと牛島さんが足を止めました。地面に寝そべったまま顔を上げると、「先に行っていてくれ」と柔らかく影山の背中を押して、牛島さんの足だけが、俺のほうへ向き直ります。

「牛島さんは? まだ何かあるんですか」
「――俺は少し五色と話をしなければならないようだ。行ってくれ」

 築地のマグロのように床に伏臥したまま、俺は、全身の穴という穴から汗が噴き出すのを感じました。大事な大事な試合のマッチポイントで、ラインジャッジをミスったときのような、生死の危機に瀕した気分です。
 影山の足音が遠ざかると、牛島さんが一歩一歩俺に近づいてきます。

「そろそろ起きないか。制服が汚れるぞ」
「は、はい」

 起き上がると、やはり、牛島さんと目が合います。牛島さんはこれといって怒っている様子ではないのですが、それはそれとして生きた心地がしません。無意識のうちに足を折り畳み、正座してしまいます。

「五色、一応言っておくが、あれは烏野の影山飛雄だぞ」
「しょ、承知しています」
「……そうか」

 事態が事態で、自然とこのような展開になっていますが、そもそも俺は牛島さんと2人きりで喋った経験すらあまりありません。憧れの――いえ、尊敬する牛島さんとこうして向き合っていること自体、俺には非常に画期的なことなのです。やっぱり、心臓がどきどきします。牛島さんが俺を認識し、話しかけてくれる。選手として対等でありたいと願いつつも、やはりそれは記念碑的な出来事なのです。ああ、牛島さんが引退する前に、もっともっとバレー論を戦わせることができていたなら。
 このような機会を前に、俺は自分が影山にのしかかっていたことを全力で悔いています。あのまま牛島さんが来ていなかったら自分が影山に何をしていたか、自分でも分かりません。

「お前が影山をライバルのように思っていることは知っている。瀬見や天童から聞いた」
「い、いえその……」
「確かに、同世代の中でお前たちが抜きん出た才能を持っているのは分かる。意識するのも道理だろう」
「あ、は、はあ」

 誠に遺憾ではありますが、バレーの話が始まって困惑しています。

「しのぎを削る相手がいるのはいいことだと思う」
「あの、はい」

 俺の頭にある考えが浮かびます。――牛島さん、気付いていないのでは。
 さっきのやつ、なんか上手いことこう、胸倉をつかんで喧嘩を吹っ掛けたみたいな形に見えて、「しのぎを削るのはいいが程々にな」といさめられてるのではないか。

「ポジションが違うのが残念だが、まあそれが良い方向に作用することもあるだろう」
「はい、そうかもしれません」
「距離もさほど遠くないし、公式戦以外で顔を合わせる機会もあるだろうしな」
「そのようなこともあるかもしれません、はい」
「で、相性最悪と言ったか」

 さあっと、頭のてっぺんから一気に血の気が引いていきました。

「占い結果は無視していたようだが、まあ、事実だろう。最悪でも俺はいっこうにかまわない。ただお前が嘘を言った理由を、今俺は無視できない」

 顔を上げると、ほんの少しだけ迷いを孕んだ牛島さんの瞳と目線がかち合いました。

「五色。俺は、お前に諦めてもらったほうが都合がいい」

 真剣すぎる牛島さんの表情に頭がくらくらしました。「お前は影山が好きなのか」、そう聞かれると思ったのに、牛島さんは途中を全部省いて、俺に最短で強打を打ち込んできました。それなら今度は俺が、後輩という立場をわがままに利用して聞く番です。

「牛島さんは影山が好きなんですか」

 聞かれると分かっていたけど、聞かれたくなかった問いなのだと、顔を見ていて分かりました。
 牛島さんはゆったりと時間を使いました。そして、「はっきりと言葉にできるほどのものは何もないが」と断って、こう続けます。

「俺はあいつをそばに置いておきたい」

 俺は黙ってしまいました。

「まだ何にも自信がない。居心地のよさの理由も、なぜあいつに他人が触れると苛立つのかも」

 俺のわがままだ、聞かなくてもいいと言い残し、牛島さんは踵を返しました。先に車で待っているだろう影山を追い、これから一緒に帰るのでしょう。そう思ったら勝手に口が開いていました。

「う、牛島さん」
「……何だ」

 俺の声に、牛島さんが足を止めます。こんなときでさえ、そんな些細なことが嬉しいし、やはり俺はこの人に認められたいと思ってしまいます。

「影山はたぶん、バレーが上手いほうが好きですよね」
「知らないが、そういう気はするな」
「以上です」
「……そうか? なら帰るが」

 牛島さんを超える最強のエースにならなければ。正座のまま牛島さんの背中を見送り、俺は決意を新たにします。
 五色工、16歳。きっと誰よりも強く、誰よりもセクシーな男になってみせます。

(2015/1/6)