intermission II

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禁じ手悪手(及影←牛)の牛影部分

時間軸本編以前のこぼれ話。拍手logです
牛影ですが牛影のハッピー度は薄いです



 顔を見ただけで、「ああ、及川と会ってきたのだな」と分かる自分が嫌になりそうだった。停滞している前線に向かって南から暖かく湿った空気が流れ込んだため、だっただろうか。聞き流した天気予報は大当たりで、外はひどい雨だった。
 ガラス戸を押し開けて寮に足を踏み入れた影山はやはり、ずぶ濡れだった。「誰にも見られないと思ったのに」とルビを振りたくなる顔をして、牛島から目を逸らす。

「影山」

 あからさまに牛島をよけて、影山が階段に向かう。彼の歩いたあとには水たまりができていく。ことバレーに関して完璧主義者の彼が体調管理をおろそかにする理由が、やっぱりあの男以外思いつかない。

「おい、濡れたまま歩くな」

 もっともらしいことを言えば、影山の足が数段を残してぴたりと止まった。大股に階段を上って追いつき、用意していたタオルを丸い頭にかぶせる。

「なんで」
「何が」
「何時だと思ってるんですか」
「こっちの台詞だ」
「見ないで」
「影山……」
「……見ないでほしいって、分かってて、待ってたんだろ。俺牛島さんのそういうとこ」

 「嫌い」と続くのだろうと覚悟を作っていたら、影山は残りの数段をうなだれたまま上って、居室のあるフロアで立ち止まった。牛島が追うと、タオルを顔の前にぎゅっと引き寄せた影山が小さく「ごめんなさい」と呟く。

「やつあたりです」
「……そうか」
「さーせん。タオル、洗って返しますね」

 自室に向かおうとする影山の腕を掴む。怖いくらいに冷えていた。

「風呂を沸かしてある。使え」
「なんでそんな」
「お前に風邪をひかれては困る」

 自分用の言い訳を使えば、影山が笑ったみたいに吐息を漏らした。あざっす、と泣いてるみたいな声がした。



 洗面所に押し込んでから5分もしないうちに物音がしなくなった。影山と、それから及川に若干の申し訳なさを感じつつドアを開ければ、浴槽から片腕だけだらりとはみ出していて背筋が凍る。

「影山!」

 それがよくある自殺の光景みたいに見えたと言ったらさすがに極端な発想を笑われるだろうが、事実牛島はそれくらい驚き、肝を冷やした。

「しっかりし――……寝るな、風呂の中で」

 頬を半分湯につけ、目を閉じていた影山は、乱暴に肩を揺すればゆっくりと瞼を上げた。影山の瞳の中で、とっぷりと日が暮れ、闇より深い藍が広がっていた。バレーコートの中なら、例えば20点差をつけられても、トスを5回続けてミスしても絶対にしない目だ。影山にこんな顔をさせられる人間は、この世に及川以外いない。

「何があったんだ」
「なんで牛島さん、そんな優しいんですか」
「……そうでもないだろう」
「そうでもあります、ウソだ、昔の牛島さんそんなんじゃなかったのに」
「昔のことは忘れろ」
「あのころの理不尽で、えらそうな牛島さん、きらいじゃなかった」
「初耳だ」
「バレー以外興味ないみたいで、分かりやすい気がして」
「普通に馬鹿にしているが、お前が言うなと皆口をそろえるぞ」
「ッスかね。確かに、俺今、めんどくせえ」

 またずぶずぶと湯に沈んでいこうとするので体を引き起こし、肩まで浸からせ、勝手に加温ボタンを押す。
 ボイラーが唸って、熱と小さな泡を送り込む。熱かったのか、影山は足を折り畳んで牛島を見上げ、また目を逸らした。

「影山。及川のことなんだろう?」
「……及川さんってか、今回のは、自爆」
「どうした」

 影山はかぶりを振る。気付かないふりすればよかったと、心の籠もっていない台詞を吐く。

「潮時なんです」

 その言葉の意味をちゃんと理解しているのかも怪しい抑揚で、しおどき、と影山が繰り返す。

「でも、最初じゃない。もう何度目か分からないしおどき。及川さんの卒業のときも、俺のときもチャンスで、今もチャンスで、及川さんがそう思ってたら……」
「不安か?」
「なんか思い上がってるみてぇな悩み。及川さんの負担になるなら……会わねえほうがいいのかも」

 抱えた膝に影山が額を預けようとするのを、手を差し出して遮る。頬を掬われた影山が、意図もなく牛島を見る。

「別れろ」

 影山はあまり、驚かない。

「楽にしてやる。及川と別れて俺と付き合え」

 大きな瞳がゆったりと細められた。

「好きだ」
「……しってます」

 浴槽へと身を乗り出し、唇を撫で、頬を引っ張る。濡れるのも構わず裸の体を抱き締めると、影山は牛島の肩口で小さく吐息を震わせて、知ってます、と繰り返した。

「理由は分かんねーけど」
「何度も話した」
「ぴんと来ねえ。でも、嘘じゃないのは知ってます。……あざっす」
「お前は及川とじゃなくても幸せになれるんだぞ」
「幸せになりてぇわけじゃねぇから……」
「馬鹿を言うな」

 探るように這わせた唇を、指先で押しとどめられた。

「ごめんなさい。……それはできない」

 影山の表情がざくりと音を立てて胸に刺さった。
 及川の代わりになれないことくらい分かっていた。それでいい。人生において一番重大な人間と結ばれなければいけない理由はない。
 いくらでも勝手に奪ってやれる気でいたのに、影山があまりに哀しい顔をするから、牛島はそこで前に進めなくなる。

「ごめんなさい……」
「勝手に」

 行き場のない唇をこめかみに落とす。

「許可なく、お前を哀しくさせるな。決めるな」

 答えの代わりに、ぬるいしずくが唇に伝い落ちてきた。

「そう生まれたんです」

 そう出会った、と。
 及川が影山の人生に刺さって抜けない。どこにも行けない船のように。

「俺が俺でいられるように、会った」

 そう、牛島の分からない言葉で喋る。


(2015/12/16)