intermission II

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もしもし事故ですこぼれ話

・もしもし事故です(烏影)のこぼれ話です。
・烏影




 相談があるから、ちょっと会えないか。携帯に烏養から入っていた留守電メッセージを聞いて、武田はてっきりバレーに関することだと思っていた。自分でいいのかとは思いつつ、2年一緒に烏野バレー部と向き合ってきたこともあり、顔を合わせるとやっぱり、ほっと安心するようなところもある。転任先の学校での仕事もようやく少し落ち着いていたから、武田は二つ返事で了承した。

「よかったら、新しいバレー部顧問の先生も一緒に3人でどうですか?」

 武田は何気なくそう付け加えた。しかし、即既読即返信(烏養には珍しい)で、「それだけは絶対なしで」と一言。
 予想しているのと違う毛色の話題なのかもしれない、と武田はラインの画面を少し不安な思いで見つめていた。



「先生は、あの数学教師のことをどんくらい知ってる?」

 居酒屋で投げかけられた問いに、武田は目をしばたいた。
 烏養はビールのジョッキを半分くらい空けていて、彼はそのくらいで酔う人ではないのだが、すでに顔が赤く目が据わっていた。

「僕は噂程度にしか……。授業も部活も熱心な方と聞いていましたが」

 それを聞いて、烏養は「そうか」とやりきれないような顔をする。熱意が足りないのだろうかと思えば「確かに熱心だけどな」と烏養はビールを呷った。

「影山がいいかげん限界だ」
「え? 影山くんが?」
「正直俺も限界だ。気ィ抜いたら殴りそうだ」
「う、烏養くん!? いったい何が?」

 人を教えることに関して、教職でもないのに本当によくできた人物である烏養の唐突な暴力宣言に武田は目を剥いた。烏養はそんな人ではない。影山にしても、この2年で驚くほど人間的に成長したと思っていたのだが。

「バレー観が合わないとかでしょうか?」
「それならいいよ、全然いい。けど今回の件は影山には何の落ち度もねえ話なんだよ」
「先生が影山くんに何か……?」
「特別扱いすんだよ」
「……なるほど、そっち系ですか……」

 入部当初から頴脱した才能を持っていた影山だが、年次が上がるにつれその才幹の飛びぬけ方は目の離せないものになっていき、試合会場に彼が姿を現せば突き刺さるような視線が集まるようになっていた。これからの日本バレーを担っていく人物になるだろうことは武田にも分かったし、そんな子が当たり前に学校に通い、そばで部活をやっていることに舞い上がってしまう気持ちも、少しなら分かる気がした。

「影山くんは本当にすごい選手に成長しましたからね。僕も影山くんが彼なりの言葉で語るバレー論を聞くのはとても好きでしたが……」
「そういうんじゃねえ。いや、元はそういうのが理由だったのかもしれねえけど、影山が困ってんのは先生にセクハラされてるからだ」
「……ハイ?」

 眼鏡がずり落ちた。

「もう一度?」
「身体触んだよ。意味なく。俺の見てる前でもあるし、この前なんか車ん中で押し倒されたっつってた」
「……なんですって……?」

 烏養はビールジョッキをぐいっと空にし、酔いのまわった顔でテーブルに荒っぽくぶつけながら「チクショー」とうなった。
 思いもかけない話の展開に、武田は眼鏡の位置を直すことも忘れ、呆然と口を開けていた。

「それは、烏養くんから見ても偶然とかじゃなくて……?」
「ぜってぇ違う。影山が強く出ねえのをいいことにヤラしいことばっかしやがって、クソが」
「それは確かにクソですね……」
「先生のボキャにクソとかあったのかよ」
「必要を感じて今取り入れました」
「そうか。クソだぜ、まじで」

 烏養の荒れっぷりにもようやく納得がいった。彼はまじめで公平な人間だ。自分の部員、それも2年間ともに一生懸命バレーに取り組んできた大事な部員がそんな目に遭わされるなんて理不尽を許せるはずもない。影山が我慢強い少年であることは武田もよく知っている。周りの人間が事の全容を把握できていない可能性も大いにある。

「あの影山が、イヤだって、俺に言ってきた」
「……そうですか……」
「先生から預かった大事な生徒、ちゃんと守れなくてごめん。アイツを影山から遠ざけてえんだ。方法を教えてくれねえか」
「烏養くん、教えてくださってありがとうございます。僕も一度影山くんに会います。それから学校に掛け合って事態を把握してもらって……君にも協力してもらうことになると思いますが、1週間以内に解決してみせます」
「せ、先生」
「絶対に許しません。――顧問が代わっても問題ないですよね?」
「お、おう、ハイ」

 疲れ切った様子だった烏養が、いつものペースを少し取り戻した様子で「先生無理すんなよ」なんて言ってくる。気遣い屋の烏養だから、随分身に堪えただろう。

「あとは任せてください」

 自分がどんな顔をしていたのか分からないが、それに頷いた烏養は若干青褪めていた。



 そのすぐ翌日影山に会った。武田の顔を見るなり影山が安堵の表情を浮かべたので、改めて事の深刻さを思い知ることになった。

「つらい思いをさせてしまいましたね」

 坂ノ下商店のテーブルで、影山は首を振った。数か月見ないうちに彼はまた大人びていて、見違えるようだった。

「平気です。バレーには影響出てねぇし」
「ううん、君らしい発言で安心したけど、もう少し怒ってもいいんだよ」
「大丈夫っす。烏養さんいたから」

 武田は不意をつかれてぱちぱちと瞬きをした。

「烏養さんに愚痴結構言いました」
「ああ、そうなのか……よかった」
「烏養さんすいません」

 影山は急にぐるりと首を回して、商品の陳列中だった烏養を真顔で見遣った。

「い、いや、気にすんな……」

 烏養の手からチキンラーメンがぼとぼと落下した。
 慌てて拾う。挙動不審だ。それを穴が開きそうな勢いで影山が見ている。

「二人ともどうかしましたか?」
「はい」
「いや」

 影山の肯定と烏養の否定がバイリンガル放送で聞こえた。

「あの……大丈夫ですよね?」
「大丈夫です」

 今度は影山のみのソロ音声だった。
 固まっている烏養を背景に影山が拳を握り、武田に向かってゆっくり頷く。

「これから頑張ります」
「何をだい……?」

 遠景の烏養は、やっぱりどんよりと青ざめていた。

(2015/10/5)