intermission II

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原作軸(牛影)

・2016年9月~10月、牛影with遠隔日向
・<書き文字>で表記しています。

格納済み


 

 大変なことになった、助けてほしい。
 数か月前、IDを教えてもらったきり音沙汰のなかった牛島からだしぬけに舞い込んだラインに、日向は「んん!?」と声を上げてスマホをのぞき込んだ。日向のいるブラジルから時差12時間の日本では、今、夜の9時ごろを迎えているはずだ。こんな時刻に非常事態とは何事か。
 先般のリオデジャネイロオリンピックで、影山とともに若手選手として活躍した牛島は、大会が終わって以降、テレビに雑誌に引っ張りだこと耳にする。ネットニュースでもよく名前を目にするし、今まさしく人生上り調子というところだろうにと日向は首を傾げつつ、素早くメッセージを送り返した。

<どうしたんですか!>
<何かありましたか?>

 ちなみに、牛島のラインIDは、及川とのツーショットを送った際に影山とのやり取りの中で教えてもらったものだ。プロフィール写真が数年前のチー顔の写真そのままで、なんというべきか、絶妙に偽物くさい。本当に牛島さんだよな、と眉根を寄せているうちに、1分と待たず返信が来る。

<とある事柄について知見を求めている>
<できればビデオ通話等で相談がしたい。今、時間はないだろうか?>

 きりりと眼光鋭い牛島のアイコンが、思いもかけぬ提案を口にする。
 ちょうど今日は配達のアルバイトが休みで、朝のトレーニングもひととおり終わったところだ。牛島の求めに応じることは物理的には可能だが、牛島とビデオ通話をする心の準備が整っているかと聞かれると、それはまったくノーだった。だいたいあの牛島に、何の意見を求められることがあろうか。牛島が高校時代の月バリで、「最近の悩み」の欄に「なし」と答えているのを見たことがある。

<いいですよ!>
<俺で力になれるか分からないですけど!!>

 うーんと首を傾げながら書き送ると、すぐに牛島から着信があった。
 日向は慌ててノートパソコンを広げ、モニターにスマホを立てかけながら、受話ボタンを押す。

「もしもし!」
「悪いな。朝も早くに」

 ラインのアイコンと金太郎飴のように同じ顔をした牛島が画面の向こうにいた。背景は、どうやら牛島の寮の自室のようである。

「イエ全然! 何かあったんですか?」
「あった。いろいろ考えたが、お前に聞くのが一番だという結論に至った」
「俺で大丈夫っすかね!?」

 まさかバレーボールのことではあるまいし、ブラジルについて尋ねるなら、もう数か月前、オリンピックが始まる前のほうがタイミングがよろしかっただろう。日向は少し考えて、それからはっと気が付いた。

「もしかして影山のことですか?」
「……いかにも、そのとおりだ」
「あー! そっか、それなら役に立てるかもしんないです!」

 日向はようやく合点して、ばっち来いとシャツを腕まくりする。なるほど、影山に関してなら、確かに日向は一家言あった。日向の手には3年かけてこしらえた影山飛雄のトリセツがあり、各部の説明に主な特長、便利な機能や、「故障かな? と思ったら」の対処方法等々、ひととおりの知識が備わっている。あの不規則に訪れる「穏や影山モード」でさえ、ある程度意図的に起動まで持っていける自信がある。

「影山のヤツ、牛島さんに何かしでかしましたか?」
「いや……そういうわけじゃない。ただちょっと」
「ちょっと?」
「ケンカをした。今日で丸2日、練習以外会話をしていない」
「ええ!?」

 あの影山が、先輩とケンカ。にわかには信じがたい話だった。影山には「対年上セーフティーロック機能」が搭載されていて、基本的に目上の人間とマジゲンカはしない。多少ピリつく場面があったとしても、なるべくその場で話し合って解決する、という手法を影山は知っていて、丸2日も口を利かないなどということは少し考えづらかった。練習中は対話する辺り影山らしくはあるが、それでも違和感は拭えない。

「それ、牛島さんとだけですか?」
「ああ、そうだ」
「えー! アイツ、何考えてんだろ!」

 牛島はいささか参っているらしく、長く息を吐き出し、けだるげな様子で口元を手で覆った。影山のためにそんなに悩まなくても、と日向は思うが、あちらはあちらでもう1年半チームメイトをやっていて、Vリーグでも日本代表でもずっと一緒に過ごしているわけだから、影山の喜怒哀楽が牛島の生活に影響を与えるのも致し方のないことかもしれない。

「何か、思い当たるきっかけはないんですか?」
「きっかけ……。そうだな、きっかけと言っていいか分からないが……」
「些細なことでもいいですよ。思いつくことじゃんじゃん挙げてみてください!」
「おとといの練習前に、ロッカールームで」
「はい」
「影山の胸を揉んだ」
「……はい?」
「あくまで軽くだ。あいさつのように、つまり、スマートに」
「スマートに胸を……?」

 日向は、突如宇宙に投げ出されたような思いで、スマホの向こうの男を見つめた。仏頂面の男は、ますます眉のキリッに磨きをかけている。
 スマートに胸を揉む? そのような概念はこの世に存在するのか?
 こめかみに冷や汗を感じながら、日向は「いや」と自分の雑念を振り払う。もしかすると、牛島の言語体系が少し、一般的な感覚からズレているのかもしれない。胸元をポンと叩いて、「よし、今日も頑張ろう」と語りかけるような、気安いボディータッチのことを指して、「揉む」という動詞を選択した可能性はある。牛島はその行為によって影山の機嫌をそこねたかもしれない、と考えているのだから、きっと影山の受け取りようを斟酌したのだろう。

「胸元を軽く触ったってことですか?」
「いや揉んだ」
「揉んでました。なぜ」
「これには前提がある。最近、影山は胸筋を育てている」
「……えっと……。え?」

 今日イチのパンチラインに日向は頭を抱える。牛島はさっきからずっとコロケーションがおかしい。

「栄養バランスやサプリメント、トレーニングを検討し、熱心に。最近、効果が出始めているようだ。俺はかねてより、その動向が気になっていた」
「はあ……」
「それで、たまに、さりげなく触れるなどしていたんだが」
「うん……はい」
「次第に影山が俺の手をよけるようになってきた」

 さぞかし、さりげなくなかったのだろうと日向は考えた。

「よけられると、こちらも『なにくそ』という気持ちになってくるものだ」
「そうですか、どうですか」
「とうとう先週、力強くいった」
「何してるんですか」
「すると影山に頬をはたかれ、『次やったらもう口利きません』と言われた」
「当たり前ですよ! ほんと何してるんですか!?」
「それで、おとといだ。おとといは、本当に軽くだったんだが、手を払われ、『俺、やめろって言いましたよね』とぴしゃりと一言くれたあと、今の状態に陥ってしまった」
「……なんでまた揉んだんですか」
「欲に負けた」
「なんて!?」

 日向はもう、顔を覆うしかない。影山のトリセツ保有者を自負する日向をもってしても、「胸を揉んでしまった場合の対処方法」など知る由もない。なにせ、誰も揉まなかった。

「……同業者のボディメイクって気になるものですか?」
「ん? まあ、多少。なぜだ?」
「え? だから、気になったんですよね? 筋肉の付け方」
「いや」
「いや?」
「そうじゃない。影山に限った話をしている」
「ど、どういうことですか」
「なんだ、話していなかったのか。数か月前……そうだ、ちょうどお前が連絡を寄越したころだな。俺から影山に交際を申し込んだんだ」
「え……えええ!? 交際!? あの、恋人どうしになるって意味の交際ですか!?」
「ああ」
「あ、へ、へえー! そういう……はぁ、なる、なるほど?」

 突然の急展開に大パニック状態ではあるが、ここに来てようやく、終始意味不明だった牛島の行動原理が少しひもとかれた。つまり二人は恋人関係にあり、すべてはじゃれあいの一環だったというわけだ。牛島と影山が付き合うのか、それはいろいろと大丈夫なのか、だいたい、付き合っていれば胸を揉んでいいわけではないだろう等々、懸念点が無限に湧き上がってくるものの、ひとまず交際関係にあることを考慮して対応を検討せねばなるまい。暴挙は暴挙だが、前提が変わってくる。

「じゃあ、えっと……付き合ってて、い、いちゃいちゃしようとしたら、影山が照れちゃったってことですね?」
「ああ、いや付き合ってはいない」
「……なんですって?」

 話の腰がポッキーくらいポキポキ折れる。

「交際を申し込んだんだが、保留されたんだ。そうだ、そちらもぜひ聞きたい。あいつの『保留』はどういう解釈をすればいい?」
「保留って……?」
「交際したいと言ったら、『どういう意味ですか』『分からない』と言われた」
「それは、さもありなんというか……」
「恋人になりたいという意味だと説明しても、あいつは腑に落ちていないふうだった。俺のことは嫌いではないし、どちらかといえば好きだが、恋愛というものがよく分からないから、オリンピックが終わるまで待ってほしいと言われた。という、保留だ」
「オリンピック前に何してるんです」
「それで、オリンピック後にまた協議の場を設けたが、あいつはやっぱり分からないと言う。もどかしくはあるが、こういうものはあまり急かしてもしかたがないだろう。俺は気長に答えを待つと言った。ただその代わり、待っている間は付き合っているつもりで過ごすことにした」
「いや保留した意味!!」
「最近の俺は、影山にグイグイいっている」
「真顔で言うことじゃないですよ!」
「大抵のことは許されているが、人前だと、あいつは審査が厳しい。どうすればいい」
「大抵のこと許されてるのがアレかなって思うんですけど……ひとまず、人前はやめたらどうでしょうか……」
「やはり、そうなるか。外堀を埋めようと思ったんだが……」
「埋めないであげて」

 影山は本当に大丈夫なのだろうか。
 あの不器用な口にも、イヤなことをイヤと言う機能はちゃんと付いているはずなのだが、いかんせん、まっすぐな好意にあいつは弱い。高3のとき入部してきた、影山フリークで猪突猛進型の後輩のことも、なんだかんだ可愛がっていたし。
 日向は深く長く、息をついた。

「胸揉んだことは」
「ああ」
「ちゃんと謝ったほうがいいと思います」
「……分かった。それは確かにそうだな」
「そんで、あいつ、バレー特化型っていうか、あんま……多機能なヤツじゃないんで、バレー以外のこと期待するなら、ほんとゆっくり待ってやってほしいです。あいつがちゃんと自分の意思で選べるように、外堀埋めちゃうとか、そういうのナシで」
「……ああ。アドバイス恩に着る」

 牛島は画面の向こうで軽く目を閉じ、頷いた。

「俺も、影山にバレー以外のことを強いるつもりはないんだ」

 眉間のしわを緩めて目を細める牛島に、日向は小さく動揺する。

「バレーのことだけ考えていてくれてかまわない。俺が勝手に隣にいて、勝手に大切にする。それでいい。影山がいつか、孤独を感じるかもしれないたった一日や、一瞬を、あいつから拭い去れたならそれでいい」
「牛島さん……」

 どこまでも一途な、無償の愛だ。分からない、知らなかった。牛島若利とは、こんな柔らかな表情をする人だっただろうか。日向は込み上げる得体のしれない感情をこらえてぐっと唇を引き結んだ。影山がこの人を変えたのだろうか。この人を選んだら、影山は本当に幸せになれるのではないか。

「あれ?」

 そこで日向はふと気づく。

「でも牛島さん影山の胸揉みたいんですよね?」
「揉みたい」



 果たして、その翌月。日向と牛島は再びビデオ通話を繋いでいた。

「牛島さん! 俺、外堀埋めるなって言いましたよね!?」
「待て、日向翔陽。誤解だ。あれは決してわざとではない」

 日本ではつい先週、Vリーグが開幕していた。さて開幕カードはどうなったかと日向がニュースサイトにアクセスすると、思いもかけない見出しが目に飛び込んできた。
 ――AD日本代表名コンビ、ついに結婚秒読み!?
 何事かと記事を開けば、記事の一番上に、1枚の写真が大きく表示されていた。試合会場でぼうっと立ち尽くす影山と、その両手を胸の高さで捧げ持つ牛島、その背後には、巨大な「ゼクスィ」の文字。皆様ご存じ、某有名結婚情報誌の広告である。

「なんなんですか! プロポーズの瞬間ですか! 結婚が決まったんですか!」
「違う、たまたまだ。たまたまあの瞬間、壁のデジタルサイネージが、シュヴァイデン社のそれから、ゼクスィに替わってしまったんだ」
「表紙飾る気ですか! 全国から祝福の声が相次いでいるそうですが、何してくれちゃってんですか!」
「だから、わざとではない」
「じゃあこれ何の瞬間なんですか!?」
「セットを褒めていただけだ」
「影山のぼせてるじゃないですか!」
「俺だって分からない。俺がバレーを褒めると、あいつはそうなる!」

 日向と牛島のオンライン相談会、もといスキャンダル糾弾会はひとしきり続き、大声に驚いた影山と星海が乱入して話が逸れてしまうまで、1時間余り続いたのだった。

 その後日向が影山に尋ねたところによれば、この1か月ほどの間、牛島の硬軟両様のアプローチが続いていたようで、「決断を急がなくていい」と留保が付いている一方で、ほとんどだいたい、全部のことをこなしてしまったらしい恐ろしい状況だった。
 長らく大エース様の恋慕にさらされた影山は、まさに「故障かな? と思ったら」というありさまで、日向が思いつくかぎりのあらゆる手段を尽くしても、とうとう「ボゲェ」のひとことすら発することができなくなっていたのだった。