・原作軸牛影。
・2015年10月くらい(影山くん社1)
皆さん、緊急事態です。本日練習30分前にウエイトルーム集合。注、ただし影山には絶対に気取られるな。
キャプテンの昼神からそのような通達がラインで届いたのは、前日の夜、牛島が影山と寮で夕食を共にしているときだった。
「む」
「どうしたんですか?」
気取られるな、と言われたそばから当の本人の前でリアクションを取ってしまい、牛島はじわりと冷や汗をかいた。しかし、影山飛雄は牛島に対してバレー以外のことでしつこく食い下がることは通常なく、この日も「なんでもない」と返すと、「そうですか」と首を傾げて追及をやめた。寮のローテーションメニューの中で、影山以外に不評と噂のカレー風味ポテトサラダに関心を戻す姿にほっと息をつく。
しかし、突然、ルーキーの影山をのけ者にするような指示は、いったいどういう意図だろうか。昼神のこと、陰湿ないじめの線は100パーセントありえないのでよけいに困惑する。だいたい、寮から体育館に直行する場合は、いつも牛島の車に影山を乗せて一緒に通っている。さてどうすればいいのだろうかと顔をしかめた矢先、昼神から個別ラインが届いた。「影山本体は石原トレーニングコーチが適当な理由をつけて別途回収予定。牛島は一人で来られたし」。ずいぶん周到だ。
「あした」
ますます眉間にしわを寄せてチキンソテーを咀嚼していると、影山がぽつりと口を開いた。
「ん?」
「いつもの時間でいいですか?」
待ち合わせ、と、影山が長いまつげをぱちぱちと瞬きながら言う。キャプテン命令VS影山の期待のまなざしの勝負は影山の口の端についたジャポネソースのあどけなさを理由にほとんど影山に振れかかっていたが、すんでのところで牛島の社会人としての規範意識が機能した。
「さっき聞いたんだが」
「? はい」
「石原さんが、お前と話したいことがあって、明日寮に寄るそうだ。あとで連絡があると思う。そのまま体育館まで送るそうだから、明日は別々だ」
「え、そうなんですか。分かりました」
それで、影山の表情が少し曇ったとか、そういうことは全くないのだが、牛島はなんともいえないもどかしい気持ちになり、自分のキャプテンの顔を恨めしく思い浮かべた。
*
「期待のルーキー影山飛雄くんに恋人がいるそうです」
果たして翌日、両手の指を触れ合わせ沈鬱な面持ちでそう切り出すキャプテンを前に、牛島の表情は無になった。
「え!」
「マ、え? マ?」
「意外」
一堂に会した影山を除く先輩選手らが動揺の声を口にする。
「どこの情報筋からですか」
平和島が手持ちのスケジュール帳を掲げ、刑事ドラマの捜査官のように尋ねた。
「俺だ。俺が本人から聞いた」
「まじすか。確定じゃないすか」
「影山、いい人がいるなら教えておいてよ、って言ったら」
「いい人って。昼神さん古いっすよ」
「影山相手だと俗っぽい言葉出ないんだよ。とにかくそれで、『あ、はい、います』といいお返事があったわけだ」
「マジか……」
「人は見かけによらねえな……」
「いや、悪いことじゃないんだ。もちろん。でも我がシュヴァイデン社の方針は、『彼女の存在は結婚まで隠すように』です。さまざま意見はあると思うけども、まあ人気商売だからしょうがない部分はあるよね。別れろってんじゃなく、隠せだからな」
「まあ、俺も渋々従ってはきましたけど」
「彼女いた風やめろ」
「いやうるせぇわ。いたかもしれんだろ」
盛り上がり始めた選手たちを昼神はジェスチャーで制し、「静粛に」と威厳のある声を発した。
「もうすぐファン感あるだろ。恋愛系の質問とかルーキーは毎年絶対あるじゃん」
「そうっすね」
「影山ぽろっと言いそうじゃないか?」
「ああー」
「確かに隠しごととか苦手っぽいなありゃ」
「そう。あんまりウソつくの得意じゃなさそうだろ。でも、影山の顔を思い浮かべてほしい」
「はあ」
「実力も折り紙つきなんだ。絶対に女子人気出るぞあれ」
「あの顔ヤバいっす……」
「顔めっちゃカワイイっすよね」
「そうだ。だから、影山にはぜひとも恋人の存在を隠匿してほしい。よって、有事の場合、俺たちがフォローに入れる体制を整えておきたい」
「なるほど」
「手始めに、影山の恋人について知見のある者に情報提供を求めたい。心当たりのある人は手を上げてくれ」
昼神は自身が模範となって手を上げ、チームメイトたちの顔を見回す。しかし、選手らは顔を見合わせ、挙手する者はいなかった。
「誰かいないか」
「俺昼神さんに言われるまで全然知らなかったし、気配ないっすよね」
「うん。浮ついた感じないし」
「あー……俺あります。たぶんそれ、高校時代からの知り合いです」
ミドルブロッカーの選手がおずおずと手を上げ、記憶を手繰りながら答えた。
「本当か。宮城の人なのかな。どういういきさつで聞いたんだ?」
「たまたま電話してるの聞きかじりました。帰省したときにどうのって。あ、敬語でしたよ。こっちも冗談半分でからかってたんですけど、影山からじゃなく、告白されて付き合いだしたみたいです。なんか照れてたんで、胸がきゅんとなってしまい、それ以上は聞かなかったです」
「年上の、積極的な人なのかな。分かった、ありがとう。質問を変えようか。誰か、好みのタイプなんかを聞いたことはないか? 特定の誰かを想定しているような」
「好きなタイプなら聞いたことあります」
「はい平和島」
「バレーが上手い」
「いや違うだろそれ。ん? 女バレか? 影山って共学だっけ?」
「共学ですね」
「なるほどな。ありえるな。バレーの高みで分かり合っていくパターンか。ほかは?」
「あ、俺も聞いたことあります」
「じゃんじゃん挙げてくれ」
「ちょっと強引なタイプがいいらしいです」
「そうなのか。影山は恋愛奥手っぽいし、やっぱり積極的な相手なんだな。ほかは?」
「じゃあ僕も」
「結構出るな。話してくれ」
「相手、たぶん左利きです」
「詳しく頼む」
「牛島とメシ食ってるときに、まじまじ牛島見ながら、『箸も左なんですね』って、なんか愛おしげに言ってました。あれは多分、そういうことだと思います」
「なるほど。有力な情報だな」
「ちなみにそのとき牛島の目がめちゃくちゃ泳いでました」
「牛島ぁ」
「影山と一番仲いいのお前だよな。そもそもなんでお前から情報出ないんだよ」
「当時から知ってたんじゃないか?」
チームメイトたちの視線が、一挙に牛島に向けられた。大いにわざとらしく、ではあるが、なじるような視線を向けられ、牛島はじっくりと時間をかけ、決意を固めた。
「俺です」
「ん?」、と、問い返す間が生まれる。牛島は言葉を重ねた。
「俺が影山と付き合っています」
「牛島?」
「どうした?」
「付き合ってる?」
「付き合っています。俺は影山が好きです」
トレーニングルームは静寂に包まれ、うんうんとエアコンの回る音だけが響いて、会話の隙間を埋めた。
「え?」
「ん?」
「お?」
「本当ですよ」
会議の輪の一番外側にいた星海が、表情をぴくりとも動かさずに言い、「本当に付き合ってます」と繰り返した。
「め」
平和島の声が短く漏れた。
「名案じゃね? 牛島、バレー上手いし、宮城出身だし。全部条件満たしてるもんな。何かあったら、牛島と付き合ってることにすればいいんじゃないすか」
「なるほど。名案だ。明暗修吾」
他チームのキャプテンの名前を軽率に相槌に使いながら昼神がうなずく。
「キャーって盛り上がって場が収まりそうだな。いい。牛島、それでいってくれ」
「はあ」
「待って、さっき牛島『影山が好きです』って言ってなかった?」
「いいか、牛島と影山は付き合ってる。悪くない。受け入れていこう」
昼神のキャプテン権限で強制的にこの打ち合わせの着地点が決められた。パンパン、と手をたたいて、昼神が解散を宣言する。
「牛島、頼むぞ」
「俺はあまり状況についていけないのですが」
「お前が影山と付き合ってる。これで万事解決だ」
「そうでしょうか」
「頼むな、任せたぞ」
「……ええ。幸せにします」
「うん? うん、そうだな。その意気だ」
肩を組み、ハッハッハと乾いた笑い声を上げながら去っていく昼神と平和島を見送り、牛島も首を傾げながらウエイトルームをあとにする。選手ロッカーに向かうと、先に着いていたらしい影山に、みんな不自然に朗らかな様子で声をかけていく。
「お疲れさまです」
「ああ。今朝は悪かったな」
影山に声をかけられ、彼を省いてミーティングをした釣果があまりがなかった気がするせいで、別行動となったことをつい詫びてしまった。「いや、全然」とかぶりを振る影山の上目遣いがこの上なく愛らしいなと思う。
「帰りは……」
「大丈夫だ。一緒に帰ろう」
「うす」
「夜、時間はあるか」
「あります」
「ビーチの大会のDVDをもらった。お前、興味あるんだろう?」
「う……まあ」
「部屋で一緒に見よう」
「あざっす。行きます」
「ああ」
練習用のTシャツに着替え、少し乱れた影山の前髪に牛島が触れると、波打つように周囲がざわついた。
「え? なんですか?」
自分に集まる視線に、影山が首を傾げる。
「気にしなくていい」
頭を撫でると、きらきらとした大きな瞳が再び牛島に向けられる。
「俺への気持ちに変わりがないなら」
途端に、影山の頬にふわっと血が上り、「ひとまえです」と小声でこぼすのがやはり愛おしく、交際が公然と認められてよかったな、と牛島は満足を覚えるのだった。