intermission II

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パラレル(宮影)

・パラレル
・宮影(烏養さん視点)


 



 1時間1000円、と言われて納得感があるものといえば、例えば何だろう。
 布巾でグラスの曇りを拭うのに熱心なふりをしながら、烏養は自身の営む喫茶店の最奥の席で向き合う青年二人を気にしている。観葉植物に隠れた黒髪の青年の向かいで、金髪の青年が難しげに眉根を寄せている。
 週末深夜のカラオケなら、だいたいそんな価格帯だろうか。ネットカフェでそれだとちょっと高く感じる。マッサージで1時間1000円と言われると、安価ぶりがかえって恐ろしく、利用をためらうかもしれない。ご参考までに、烏養の店でナポリタンとホットコーヒーを頼むと1000円ちょうどで、だいたい1時間くらい滞在していただいて結構だが、この価格は「コーヒーお代わりご自由に」、という注釈つきで納得を得ているきらいがあるので複雑だ。安すぎても、高すぎても物言いがつくのであるから、世間というのは気難しい。
 では、本題だ。20代のとある青年の1時間が1000円で貸し出されていたとしたら、それは妥当といえるだろうか。

「えーっと、なんとなあ分かったような気はすんねんけど……。相手来るまでもうちょいあるし、一応値段とルールもっかい言うといて?」

 烏養の淹れたブレンドコーヒーをすすりながら、青年はスマホの画面に目を落とす。

「1時間1000円税別、で、君が借りられるんやな」
「そうです」
「何頼んでもええんや」
「はい。法律違反はダメですけど、だいたい何でも」
「ふーん、なんやユルいなあ。君、飛雄くんやったっけ? そんなんで大丈夫なん?」
「なにがですか?」
「エッチなこととか頼まれるんちゃう? って、あ、それはだめなんや。メールに書いとる」
「だめです、捕まるんで」
「はあ、つまり君の同意はなかったー言うことになるから、やらしいことしようとすると『法律違反ダメ』に引っかかってくるわけやな」
「そんな感じです」
「いや君ほんまに大丈夫?」

 二人が烏養の店を訪れてから、10分ほどが経っている。すでに金髪の男がレンタル青年――影山飛雄の時間を拘束しているので、いつものようにタイマーを回し始めてもいいのではないかと思うが、本日影山は暇なのか、スマホに触るでもなく、のんびり利用規約を説明している。

「これ、用件の途中で1時間経ってもうたらどうなるん?」
「1時間なった瞬間帰ります」
「ええっ、延長できんの?」
「はい。いや……宮さん、ネットで申し込むときに1時間にしてあったから、次入れてるんで無理です」
「嘘やん、次あんの! 売れっ子やん」
「延長って制度自体はあるんですけど、上の人に確認取ったり面倒なんで、申し込んだ時間に収めてもらったほうが無難です」
「はあー、なるほどなあ」

 ちなみに、影山青年のレンタル利用は要インターバルで、1時間借りたら、次利用するには1日以上空ける必要がある。時間は、レンタルの開始時刻から起算されるので、今日午後3時から借りた場合、翌日午後3時以降しか利用できないということになる。なお、2時間連続で借りたら2日、3時間借りたら3日、半日借りたら1週間、1日借りたら1か月と必要なインターバルは長くなっていくので、ご利用は計画的に、とサイトで但し書きがされている。ちなみに、1日より長く借りることはできない。

「よっしゃ、時計気にしとこ。飛雄くん、こっち来て」
「? はい」
「横断歩道の向こうにおるあのMILK女子がそうやねん」
「えっと、かのじょ」
「1時間以内に元カノにすんで。協力してや」
「……手伝います」

 「宮さん」の隣に移動した影山が、ようやくスマホのタイマーを起動させる。自分を見つめる男の視線に気付いたのか、影山は顔を上げ、烏養に向かって「じゅうご」と唇を動かした。おお、でしょうとも。分かってるさ、なにせ常連客だからな。




 洋服のブランドで呼ばれた「彼女」は、しゃんと背を伸ばし、小首を傾げて言った。

「宮くん、私のことバカにしてるの?」

 そら見ろ、とこぼしてしまいそうだった。というかちょっと声に出た。路上に出て、街を行き交う若者にインタビューしたら、10人中10人が「無謀」と答えるのではないだろうか? 店の客――宮というらしい、ツーブロックのいかにも女好きのしそうな青年は、正面に座す女性との交際を終わらせたいらしい。人にはいろんな事情があるだろうから、まあそれはいいとして、言い訳が「実は俺コイツ(影山)とデキてんねん」というのは、さすがに無理があったのではないか。その証拠に、見てみろ、その「MILK女子」、さっきから弩のつくストロングコーヒーをブラックでごくごく飲み干してるぞ。

「急に話があるとか言うから心配しちゃった。そんなヘンな嘘つくために呼んだの?」
「嘘ちゃう。本気。俺言うてへんかったけど、男も好きなん」
「女好きで有名な宮くんが? 信じられるわけないじゃん! ていうかその人誰?」
「こいつは飛雄くんや。1個下で、合コンで知り合うた」
「待ってよ、私たち付き合ってまだ2週間でしょ? 合コン行ったの?」
「あ、しもた、えっと、ちゃうねん。男オンリーの飲みが、俺にとっては実質合コンやったっちゅう話」
「ねえほんとに何言ってるの?」

 修羅場とおぼしき光景を前に壁との同化を決め込んでいた烏養だが、宮の準備不足が気にかかり、そろそろコーヒーのお代わりのひとつでも聞きに行ってやろうか、なんて思う。そもそもなぜ宮が「レンタル青年」などというキナ臭いシステムを頼ったのか、そこからして疑問であるが、なんにしてもぶっつけ本番が過ぎるし、レンタルもタダではないのだから、もうちょっと活用方法を検討したほうがいい。1000円をドブに捨てることになりかねない。

「なあ、飛雄くんからも何か言うたって」

 それが、影山飛雄でなかったら、の話だが。

「――横取り、すみません」

 表情を覆い隠していた前髪をさらりと払いながら、影山飛雄が顔を上げた。

「え、なに? ……え?」

 舞台の上でスポットライトを浴びる役者のように、頬は白々と透き通り、青年から目を離せなくする。宮の彼女は、己を見つめる男の顔つきに動揺したのか、明らかな緊張をにじませた。

「彼女がいるって知ってました。でも、諦めるのイヤだったから」
「な、何言ってるの……」
「俺は宮さんが好きです。譲る気ありません。諦めてほしいです」

 それが演技か、と言われるとちょっと違うのだ。
 影山飛雄は、けっして芸達者なわけではない。今も、影山に恋愛症を見いだせるかというとそんなことはなくて、ただ逃げを許さない傲岸さと、不安になるほどに澄み切った瞳があるだけだ。それでも、嘘をついているようには見えない。人は普通、こんな透徹した瞳で自分を偽らないと、皆直感的に思う。こんなふうに自分を審査の目にさらすはずがないし、貸し出すわけもない。
 だったらこれは本当なのか?
 そんな逆説に縁取られた真実が、今まさにまかりとおろうとしている。

「宮くんと付き合ってるの私だから!」
「はい。でも俺がいいって、宮さんも言った。……ですよね」
「宮くん、ねえ、なんとか言ってよ……」

 恋人に話しかけられるまで、いや話しかけられても、宮は何かに魅入られるように影山を見つめていた。ああ、驚くよな、初めて見たなら。外野の烏養は、ただ見惚れる。影山飛雄という青年はずるいくらいにきれいで、どんな言葉にも好き勝手、おもりを付けて他人の胸に沈めることができる。ターゲットの女子にも、それから宮の心にも、抜き身の影山飛雄が翳される。

「言うたよ」
「宮くん?」
「俺、飛雄くんに全部持ってかれてん」
「嘘でしょ」
「嘘ちゃう。ほんま、悪いけど」
「おかしいよ、絶対信じない」
「なんで? 男やから? 関係ないよな、そんなん」

 宮の手が、影山の頬に伸びた。
 烏養が「あ」、と思ったときには、その手が強引に影山の顔を引き寄せ、覆いかぶさるように唇が重なっていた。

「んっ、」

 影山の細い眉がぴくんと震える。長い、ずいぶん、ちゃんとしたキスだった。
 見知らぬ青年を抱きすくめ、唇を開かせようと試みる男の前で、恋人――いや、元恋人の肩が震えた。

「さい、ってー!」

 果たして、彼女が引っ掴んだグラスの水は、影山の頭上にぶちまけられたのだった。



「なんで女子って、浮気した本人やなくて、浮気相手にキレるんやろな?」

 カウンターを飛び出してきた烏養が貸し出したタオルで影山の髪を拭いながら、心底不思議そうに宮がつぶやく。自分のせいで影山(および店の植木鉢)が被害に遭ったことについて素知らぬふうであるのが気に入らず、烏養の機嫌はあまりよろしくない。今日のコーヒーは悪くない、いや結構天才みたいな味がするが、それでも影山とその客を前に啜ると妙な雑味がまじる。

「知るかそんなもん。お前、ペナルティーな、ペナルティー。ルール違反で一生レンタル禁止!」
「ええ、そんな殺生な! っちゅうか、アレやんな、サ店のオニイサンもグルやってんな飛雄くんレンタル」
「烏養さんは関係ないです」
「こいつがウチよく使って商売やってるだけ」
「あ、そうなん? ふーん、なんや怒っとるみたいやけど」

 MILK女子の反撃を一人受け止めた影山は、艶めいた黒髪をしとどに濡らしたが、ようやく少し乾いてきたようだ。二人を別れさせるという目標は見事達成され、怒りの矛先が影山に向かったことからみても、宮の今後は、恐らく安泰だろう。レンタル時間を10分ほど残してのミッション完了で、利用後アンケートで星5つを付けなければならない、なかなかの仕事ぶりだったと思われる。

「怒ってねえよ別に。けどマジで、宮だっけ? お前、悪くすると社会的に抹殺されるぞ」
「ええっ、何ですそれ。……あ。まさか飛雄くん、ヤーさん関係……」
「違いますよ」
「やんなあ」
「違うけど、素人がヤのつく自由業の皆さんより怖くない保証はねーからな」
「ええー……」
「烏養さん、大丈夫っす。俺報告しねーから」
「ぁあ? やめろよお前、そういうの。甘いんだって」
「甘いっつうか、めんどくせーだけです」
「身の安全のためだろ、めんどくさがんな」
「なあ飛雄くん、このあとほんまにあかんの? むっちゃ気になるわ君、ほんまに俺のこと好きなんかなあ思たもん」
「……きらいじゃないですけど」
「え」
「おい」
「でもだめです。時間なんで」

 計ったように、甲高い電子音が鳴った。聞き慣れたスマホのタイマーの音だ。これが鳴ったら、客にできるのは、影山との短い問答に応じることだけだ。

「最後に1つだけ。宮さんは、どうして俺を借りたんですか」
「――彼女と別れたくて、やけど……?」
「……そう、ですよね。ありがとうございました。レンタル終了です」
「ええ!?」
「ほーら、帰った帰った! コーヒー2名で800円な!」
「なんやスッキリせーへん! ええ、なんなん飛雄くん今の。むっちゃ気になるやん!」
「ホレおつり、200円! 出口はあっち」
「なんなんー!?」

 烏養に追い立てられる宮を見送り、影山は席でじっくり残りのコーヒーを味わっている。淡々としていて、関心なさげに見えはするが、あれで実際、宮が嫌いじゃないというのは本当なのだろう。あいつはあからさまな好意に弱いし、あと結構メンクイなのだ。

「なあ、マスターの兄ちゃん、あの子帰らへんの?」

 追い出した硝子戸の外で、窓越しにコーヒーカップを傾ける影山を見やり、宮青年はぽつりとつぶやいた。

「次あるて言うてたんに」
「ここで仕事なんだろ。ほっとけほっとけ」
「……しゃーなしかぁ。また借りるしかないんやろな」
「次があればな」
「フッフ。やっぱちゅーはあかんかった? でもなんや慣れてたなあ、あの子」
「そりゃ、あのツラだし、おモテになるだろうよ」
「んー、まあ、せやねんけど。えらく受け身やったんよな。おもろ」
「知るか、とっとと帰れ」
「へいへーい」

 宮が駅へと向かったのを確認して、烏養はエプロンの紐を結び直しながら店に戻った。時計を確認すると、当初の約束を18分過ぎていた。

「今からでいいよな」
「うす」
「どうする?」
「ナポリタンセットで」
「はいよ。こっち来いよ、カウンターでって注文だろ?」
「うっす」

 スマホを手に、影山が烏養の前へとやって来る。カウンターの左から3番目、窓の外からよく見えるこの場所が、影山の指定席だ。

「これ、本当に意味あるんですか?」
「あるある、にぎわってる風って大事なんだぞ、まじで」
「俺以外客いつもゼロじゃねーっすか」
「バカ言え、これから増えるんだよ、たぶん」
「だといいんですけど」

 そう言って影山は肩をすくめた。この青年のレンタル、1時間1000円也。ナポリタンセットと等価交換でコイツをここに座らせることができるなら、なかなかお買い得なのではないか、と常連の烏養は思うのだった。