intermission II

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原作軸(ロメ影、薄く牛影)

・大会の組み分けなどが現実とは違う設定となっております
・2018年、ロメ影、うすーーーく牛影

 

 




 21歳になるという彼は、休日、パーカー姿で食事に現れるときには年端の行かないローティーンに見えたし、ボールを受け取り、サーブのためコートに向き直る数瞬には、百戦錬磨の大ベテランのような老獪な気配をまとう人だった。
 ロメロが彼の存在を知ったのは、リオオリンピックの前年の上期、今はネーションズリーグへと生まれ変わったその大会が、まだワールドリーグという名前だったときのことだ。影山飛雄という選手は、対戦相手のセカンドセッターとして登場した。ブラジルチームが2セットを先取し、さらに8点の差をつけた3セット目、彼はオポジットとの二枚替えでコートへ送り込まれた。連戦続きのリーグ戦も終盤、日本のスタメン選手は疲弊しており、翌日の試合に備えて早めに休ませるという判断だった。悪い言い方をすればそれは敗戦処理で、士気の高まるような起用方法ではないと感じたが、コートに現れた18歳の少年にとってはどうやらそうではなかった。彼は試合を取り返す気満々に、結局落とすことになるそのセットの15分ほどの間を、らんらんと目を輝かせてフロアを駆け回った。最初からセッターが彼だったら、試合のスコアは、もっと違う結果になっていたかもしれないとすら思った。点数差を逆手に取るような大胆なゲーム運びをロメロは小気味よく思い、少年の名を小さく頭に書き留めた。
 その後も1年に1回くらい日本チームとは対戦の機会があった。記憶が決して鮮明でない大会もあるが、影山飛雄は気づけば日本の正セッターになっていて、シュヴァイデンアドラーズという日本のチームがロメロに入団オファーを申し出たときも、日本最高のセッターがあなたにトスを上げる、というのが、殺し文句の一つだった。実際それは魅力的な提案だった。

 そして話は今日に至る。ドアをノックすると、目を丸くした影山が、今まさに外へ出ようとしたところ、という格好で、自分の部屋の扉を開けた。

「ニコラス」
「やあ、トビオ」
「な、なんで、ここ。昨日は駅でって」
「寮を見てみたかったんだ。寮という言葉、分かる?」
「分かる。それで来た?」
「うん。すてきな住まいだね。ここから駅まで一緒に行こう」

 ロメロの言葉に影山は大きな目を何度も瞬いて、こくんとうなずいた。
 合流後初めての顔合わせから数日経った昨日、練習が終わったあとのことだ。妻子をブラジルに残して単身日本に渡っているロメロは、チームがロメロ用に借りているマンションに帰るところで、影山はロメロのそばに小走りにやって来て、ぎゅっとTシャツのすそを握って言った。

「ニコラス」
「やあ、トビオ。どうしたの?」

 影山は傍目に明らかに、とても必死だった。思わず頭を撫でてしまうくらい、口ぶりはつたなく、全身がぴりっと緊張していた。

「俺はもっと、あなたのことを知りたい」
「ありがとう、いい提案だ」
「プレーとか、約束をチェックしたい。時間をください」
「……OK、分かった、歓迎する。それはとても重要なことだね」

 多分影山はロメロを引き留め、その場で10分や20分、確認を行うつもりだったのだろう。手にはタブレットを握っていた。だが、ロメロの頭には、もっと愉快なアイディアがあった。

「トビオ、明日の予定は?」
「明日? ……やすみ。予定はない」
「よし。じゃあ、明日一緒に出かけよう。日本のショッピングモールに興味があるんだ。駅前に大きな建物があるだろう? あそこでデートをしよう」
「デー、ト?」
「イエス。デートだ」

 二人の会話は、簡単な英語で行われていて、影山の頭には、「デートとは、自分の知っているデートのことなのだろうか?」という疑問が浮かんでいるのが見て取れた。ロメロとしても、影山の思うデートが、英語のデートと同じかどうか少し自信がない。日本には多くのオリジナルの英語があると聞く。

「カップルが一緒に出かけることだね」
「カップル」
「恋人」
「え、だめ。ニコラスは結婚してる」
「くくっ」

 大きくかぶりを振り、真剣にロメロを止めようとしてくる影山に、こらえきれずに噴き出した。

「トビオ、君はいい子だね。冗談だよ。ただ、明日はそれくらいの情熱で、お互いを理解する日にしよう。そういう提案だ」
「う、ウッス」
「ふふ。ウッス」

 かくして、ロメロと影山は、翌日、朝から二人で出かけることになった。ショッピングモールの前のロータリーで待ち合わせることにしていたが、せっかく徒歩圏内に寮があるというから、中を覗きに来たというわけだ。

「影山おはよー、って、ええ! ニコラス!?」
「やあ、タツト。元気?」
「元気だけど、何? どうしたの?」

 廊下で行き会ったミドルブロッカーが目を丸くして、何もないところでつまずいている。

「今日はトビオとデートだよ。見てくれ、カップルなんだ」

 彼へのアピールに、隣の青年の肩を抱くと、ソコロフは左右を見回し、「事件だ!」と声を上げた。腕の中の青年は、ふいと顔を伏せてしまう。

「ちょっと、ニコラス。影山はうちのお姫様なんだよ。ちょっと口と目つきがわるいけど、人気者で、ピュアボーイだから、恋愛はご法度なんだ」
「姫、ち、ちがう」
「ハハ、俺はお姫様をたぶらかす悪い男というわけだ。一日きりだよ、寛大な心で許してくれ」
「日本人はワンナイトラブに厳しいんだ!」
「分かった。日が落ちる前に帰ってこよう」
「そういう問題じゃ……ニコラス、影山、そのまままっすぐ進むと、階段の途中で牛島と遭遇する。影山、――」

 ソコロフは続けて日本語で、影山に複雑な指示を与えたようだが、ロメロには聞き取れなかった。牛島――牛島若利に関する忠告のようだ、ということだけは分かった。

「やあ、噂をすれば、ワカトシ」
「ニコラス。おはよう。なぜここに」

 廊下の端の階段に差しかかる手前で、真正面から牛島と遭遇する。

「トビオを一日借りるよ。ショッピングモールでデートするんだ。」
「……そうか」

 牛島は「デート」をスムーズに受け入れ、その代わり、影山の顔を物言いたげにじっと見つめた。

「影山」

 二人は何事かを言い交わし、去り際、牛島が影山の頭をぽんと撫でて行った。

「ワカトシ、何だって?」
「えっと」
「ちょっと難しい顔をしてたね。浮気だって怒られた? 浮気……ええっと、つまり、裏切ったって?」
「え、ちがう。なんで」
「なんとなくさ」
「……ちがう。人ごみに気をつけろって」
「そっか。ワカトシは君を心配してるんだね」
「牛島さんと出かけたとき、少しトラブルがあったから」
「そうなの?」

 二人は、寮長にあいさつをしながら玄関を出た。
 5分ほど歩くと、すぐにモールのピンク色の看板と白い建物が見えてきた。人通りはあまりなく、聞けば、あまり人が多い街ではないのだと言う。

「……トビオ、君に恋人はいないの?」

 建物にたどり着き、相談の結果2階の家具店に向かいながら尋ねると、影山はエスカレーターの上でふるふると左右に首を振った。

「いる。ん? いない」
「ふふ、どっち?」
「恋人はいない」
「そうなんだ。どうして?」
「興味ない。バレー以外」
「君はとても魅力的なのに。惜しいね」
「俺はバレーしかできないから」
「『しか』なんて言う必要はないさ。事実、君はバレーができて」

 エスカレーターを上り切った影山に、ロメロは手のひらを差し出した。

「君はとても魅惑的なセッターだ。トビオ、手をつながない?」
「手……」
「セッターの指先に触れるのは特別な行為だ。俺にそれを許してくれるかい?」
「……いない」

 白く、すらりした美しい手が、手のひらの上に重ねられた。
 少しひんやりとした、すべらかな肌だった。

「あなたに、そう言われて断るセッターは、いない」
「君はとてもかわいいね」
「だめ。頭、混乱」
「行こう」

 影山はほんのりと頬に血を上らせて、ロメロの瞳をうかがうように見上げたあと、ぱっと目を逸らした。誘うように腕を引くと、影山はおぼつかない足取りでロメロの隣に並んで歩きだした。



 出かける前、牛島が気にしていた「トラブル」の正体はすぐに知れた。
 どの店に行っても、影山は道行く人たちの注目の的で、遠巻きに指をさされたり、声をかけられたり、写真を撮られたりするのだ。ロメロのことを知っている人はそう多くないようで、自分もまだまだだな、などと思うが、影山と一緒にいることと背丈から、バレーボール選手だと認識されてはいるようだった。

「トビオは本当に有名なんだね」

 一息つこう、と隣り合って腰を下ろしたカフェで素直な感想を漏らすと、影山は居心地悪そうに「オリンピックがあったから」とストローを噛んだ。影山の座るスツールの背もたれに手をかけ、表情を探るように、ロメロは彼をのぞき込む。

「コマーシャルでも君を見たし」
「カレー?」
「うん」
「映ると、なんか落ち着かない」
「フフ、そうか。君は本当にバレーに一生懸命で、ほかにはあまり興味がなさそうだ。トビオはどんなプレーが好き?」
「恐れないこと。俺がスパイカーを自由にする。互いを必要とする。共に戦う。ごめん、もっと詳しいプレーの話?」
「……いいや。コンセプトだ。細かいプレーの合意を作るのは互いに得意なはずだ、なぜなら、俺たちは共に優れた選手だから」
「……イエス」

 きめの細かい肌の上で、ほんの少しためらい、長いまつげ揺れた。

「トビオ。共に戦おう。昨日は声をかけてくれてありがとう。俺も、君を理解するために努力を惜しまない。付き合いたてのカップルよりも真剣にね」

 黒髪の隙間からのぞく耳に指先で触れると、影山はぞくりと身体を震わせ、「ニコラス」と声を揺らした。

「……トビオ、君は本当に早く恋人を作ったほうがいいな。きっと、自分にも望みがあるんじゃないかってチャンスをうかがっている人がたくさんいるよ」
「まさか……」
「本当さ。たとえば、君のチームメイトとかね」

 耳元に小さな声で囁き、ついでにかすめるように唇で触れると、影山はびくりと飛び上がって、顔をすっかり真っ赤にした。

「ニコラス」
「なんだい」
「それはだめ」

 両耳を押さえて言い募る影山に、ロメロは「まいったな」と口元を覆って笑った。



 果たしてカフェを出た瞬間、ロメロと影山のデートは突如、終わりを告げた。

「そこまでだぞ、ニコラス!」

 FBIだ、とでも言いだしそうな様子で、店の外で仁王立ちしていた男が両手を腰に当ててのたまった。

「ふむ、タツト、ワカトシ、トシオ。どうしてここに?」

 ロメロと影山の目の前にはソコロフがいて、その後ろには牛島と、平和島の姿がある。ショッピングセンターの一角に大男がそろい踏みした異様な光景に、買い物客たちが目を丸くして通り過ぎていく。

「こーんな写真が出回っている! 影山は恋愛ご法度って言っただろ!」
「ワーオ、日本の市民ジャーナリストはずいぶん優秀みたいだな」

 ソコロフが突き出したスマホの画面には、今日一日のロメロと影山の仲睦まじげな写真が大量に表示されている。あちらこちらで写真を撮られ倒していたらしい。

「ニコラス、あなたには妻子がある。こういうことは、非常によくない」
「誤解だよワカトシ。気安いボディータッチだ」
「だめです、影山は、ぼんやりしているから」
「わ、分かったよ。姫と二人きりになるのは、なるべくよそう。なるべくね」
「俺は姫じゃない……」

 結局、帰りはチーム5人、仲よく連れ立って帰ることになり、この様子もまた、市民ジャーナリストたちの手によって日本全国を駆け巡ったそうである。
 寮を目指す道すがら、牛島が熱心に影山に語りかけているので、隣にいた平和島の腕をつついて「通訳を」と頼んでみた。

「問いただしている」
「何を」
「いったいなぜ、混み合ってもいないショッピングモールの中で手を繋ぐ必要があったのか、と」
「なるほど。いい着眼点だ」

 ふふ、と口元を緩めて、ロメロは笑った。