intermission II

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原作軸(烏影)

・烏影卒業後

・2015年9月くらいのイメージです

 

 


 

 

 

 あの影山飛雄が、帰省ついでにふらりと烏野高校の部活に顔を出したのは、ひとえに後輩部員の熱心な勧誘の成果なのだろう。
 高校卒業後の進路としてVリーグのチームに進んだ影山は、間髪入れずに日本代表のトップチームに選ばれ、バレー界で一躍有名人となっていた。競技そのものの注目度があまり高くないこともあり、街中で顔を指されるほどではないそうだが、現役バレーボーラーにとっては間違いなく今最もホットなシンデレラボーイだ。「あの影山飛雄が部を見に来るよ」と聞かされた部員たち、特に初対面となる1年生たちのはしゃぎようといったらなかった。
 後輩に気を遣ったらしい影山は、コートに入ることは断ってきたが、烏養と並んで体育館の端に立っているだけで、後輩たちに覿面の影響力を発揮していた。

「なんか異様にキビキビしてやがんな……」
「はい。俺、半年前のこいつら知ってるんですけど」

 見知らぬ外部コーチが来たかのようなぴりっとした緊張感が漂っているのを、影山も感じていたらしい。今日訪れてから、目が合うたびに頭を下げてくる庄子につられて軽く会釈を返しつつ、「変なやつら」と影山が独りごちる。

「お前、テレビいっぱい出たしなあ」
「俺の周りは全然、変わらないです」
「マジか? ファン増えただろ」
「ファン……。でも、変わらないです」
「そうか」

 ファンと呼ぶべき存在が自分の周囲にいることは自覚しているようだが、どうも彼は、女性人気に浮つくなどというメンタルからは程遠いように見える。高校生のときから一定の知名度があり、3年目の春高のときには「プリンスとびお」「こっち見て」等々のポップ体の文字が躍るうちわを掲げられて平然としていたことを思えば、さもありなんだ。おそらく、うれしいとか嫌だとかじゃなく、「そういうものなのだ」と思っているのだろう。
 180センチ台後半まで背の伸びた影山は、立っているだけで様になっていて、実は彼はモデルなんです、と紹介されたら信じてしまいそうな出で立ちをしていた。影山が早々にバレー界に名を馳せたのはもちろんその能力がゆえだが、容姿端麗だったことも追い風になったと烏養は思う。高校入学当初の荒々しさは、彼がそのバレーの才能を研磨していく過程で、浮世離れした佇まいの中にするすると取り込まれていき、影山飛雄のただならなさを形づくる一つの要素となった。
 こんなに不可解な存在感を持つ少年だっただろうか。そんなことを考えながら、横顔をぼうっと眺めていると、影山は突然烏養のほうに向き直り、「あの」と切り出した。

「今日、坂ノ下行きたいんですけど、開いてますか?」
「あ? ああ、やってるけど、来てどうすんだ」
「カレーまん食いたいです」
「おま……。いいけど。なんか不安になんな」
「なんでですか?」
「お前、ほんとに変わってねーから。心配」
「なんでですか」

 同じ言葉を繰り返した影山は、目元を緩ませて小さく笑っていた。
 テレビの向こうの影山はほとんど笑うことがなくて、隙のない天才少年に見えるから、そのギャップが烏養をむずがゆい思いにさせる。

「しゃーねえ。カレーまん取り置きしといてやるよ」
「え、いいんですか。あざっす」
「うお」

 たかがカレーまん一つに大きな瞳がきらきら輝くのを見て、いつか食品のCMでもやらせたらいいのではないか、などと烏養は考えるのだった。



 練習に最後まで付き合ったあと、宣言どおり坂ノ下を訪れた影山は、ほかほかのカレーまんを手に、出会ったころから変わらない、まぶしい喜色をにじませた。温かいうちに平らげるべく、影山は軒先へ向かおうとしたが、久々に帰ってきた教え子に立ち食いをさせるのも何だ。手招きして、店の脇の通路から家の中へと上がらせた。

「烏養さんは」
「ん?」
「ちょっと変わりましたね」

 カレーまんを食べ終え、烏養の母親から頼まれたサインを書き終えた影山は、ぽつりとそうこぼした。
 影山がそんなふうに誰かや、烏養に対して切り込んでくるのが珍しくて、烏養は目を見張った。青みがかった瞳が、まっすぐ烏養に向けられている。

「お、俺か? 何が!?」
「ここ」

 すうっと白い指が宙を漂い、烏養が目を丸くしているうちに、その指は烏養の頭をさした。

「プリンがあります」
「プリンはねーだろ」
「これプリンって言うって、前黒尾さんに聞きました」
「うんまあ。まあ、そうだけど」

 この黒尾談は、おそらく孤爪あたりの髪を説明してのことだろう。そういえば、この界隈では珍しい金髪仲間だった彼も今やすっかり黒髪部分が面積を増し、元・金髪と呼ぶべき状態になっているのを、少し前に動画サイトで目撃した。彼に影響されたわけではないが、烏養も今ちょうど、色を抜く手が遠のいている。

「髪、染めてたんですね」
「お前は俺を何人だと思ってたんだよ」
「日本人だと思ってました。でも金髪以外の烏養さん見たことなかったから」
「なんとなく、大学のときから続けてたんだよな。意味はねーけど」
「黒にするんですか?」
「んー、たぶんな。黒染めはしねーで、じわじわ戻す」
「想像つかねえ」
「どこにでもいるアラサーになるだけだよ」
「金髪だめとか言われるんですか? 俺は、会社でするなって言われましたけど」
「いや、自営業だからいいんだけどさ。春高見てた親戚とかに言われんだよちょくちょく。それでまあ、よくはねーかなと思ってた」
「……そうなんですか」
「ってかお前、すげー注目してくるじゃねーか。俺の髪のことなんてどうでもいいだろ?」
「気になります」

 影山の指が、前触れもなく、烏養の髪に触れた。指先がおそらく、黒と金髪の混ざり合った、境目のあたりに触れている。
 影山に触れられるのは嫌ではなかった。今に、日本一の称号をほしいままにするセッターの指先だ。心臓はぎくりと脈打っている。彼の才能と努力が生み出す清らかな何かが、触れ合った場所から流れ込むようにすら感じる。

「なんだよ」
「烏養さんじゃないみたいです」
「俺だよ……」

 どうやら影山は、金髪部分を手で隠して、黒髪の烏養を想像しているらしい。長いまつげが、すぐそこで頬に影を作っている。

「烏養さんって、いつもすげぇ、落ち着いてて」
「ん? そうかあ?」
「完成されてる? っていうか、ぶれない人に見えてました」
「なんだその俺観は。まあ、こっちは教える立場だし、そのほうがいいんだろうけど」
「甘えてた」
「はあ? お前が? ねーよねーよ。言っとくけど俺、終盤大っ概お前ら3年頼りにしてたぞ。特にバレーに関しちゃお前に」
「そうは感じなかったです」
「マジだっつーの」

 影山は、社会人になったから、そんなことを考えるのだろうか。お互いに社会人で、大差ない立場だと思い至ったからこその発言のようにも感じる。そう考えると、18歳で社会に出るというのはずいぶん早いような気がする。

「バレーで飯食うのは大変か?」
「バレーで飯食えるだけいいです。ほかのことできないし」
「割り切ってんな。お前らしい」

 そっと手をつかんで髪からはがしてやると、影山は烏養を見つめたまま、不意に小首を傾げた。

「うおう」
「烏養さん?」
「あのな、お前」
「はい」
「あんまこういうことすんなよ」
「こういうこと」
「世の中にはいろんなヤツがいる。勘違いさせたら何されるか分かんねーぞ」
「……大丈夫です、それ」

 なんとなく、といった様子ではあるが、影山が烏養の意図を察しているふうであるのが意外で、烏養は図らずも動揺してしまった。卒業後、屋外でのトレーニングが減ったせいかいっそう白くなった肌や、赤みがかった目尻の色合いが、妙に意味深に思えてくる。

「勘違いさせたことあんの?」
「ない……です」
「ほおー……」

 頬杖をつき、余ったほうの指先で、わずかに影山の顎先に触れる。
 卒業したのだし、このくらいのプライベートトークはいいんじゃないか。などと、自分基準のアウトラインの内側に立ったつもりになり、爪の先で顎の下をそっと持ち上げた。見下ろすようなこの角度はなかなか、目に毒だ。

「勘違いしそうですか?」
「いや、しねーけど」
「したら教えてください」
「教えるか。じゃねえ、しねーよ勘違い」
「俺社会人です」
「なんの説明だよ!」

 大きくため息をついて烏養がうなだれると、影山の指がまた近づいてきて、ヘアバンドで留めた烏養の髪に触れた。そしてまた、髪色の境目をなぞり始める。

「ハゲねーように祈っててくれよ」
「ハゲてもいいですよ」
「よくねーよ!」

 そうして微笑まれると、俄然、非常によくない。
 勘違いしてはまずいし、それ以上に、勘違いでなくなってしまったときが最高に。