intermission II

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原作軸未来(菅影)

・菅影未来(スガさん社会人)
・スガさんのサインネタが来る前に書いたものです…もろもろすみません




 昼休憩も終わってひと仕事終え、絶妙な眠気の襲ってくる午後3時半、コーヒー片手に書類に赤ペンを入れていた菅原は、「ヒッ」という同僚の短い悲鳴に驚き、無言で竦みあがった。

「しまった!!」

 声を上げたのは30代半ばの男性社員で、その両手はベタに頭を覆い、見事な「しまった!!」感が表現されている。

「ど、どうした」
「影山のサインもらうの忘れた!!」

 彼の簡潔な一言で、周囲の席の同僚たちが、「あっ」「あっ!」「あっ!!」と、短い悲鳴を上げ、波紋が広がるかのような焦りの連鎖に、菅原はぱちぱちと目をしばたいた。

「なんかあったっけ?」
「部長明日ゴルフだろ! 一緒に回るA社の専務が、影山の大ファンなんだよ」
「え、あの人そうなの?」

 菅原の所属するチーム統括部は営業本部に籍を置き、会社のバレー部「秀栄ウォリアーズ」の遠征サポートやブランドチェック、報酬管理や育成等々を担っている。1年前まで、同じ営業本部の中でも広報課でバリバリ仕事をしていた菅原だが、後輩である影山飛雄のバレー部への入団が決定するや、「いいの見っけ!」とばかり、選手との折衝の多いフロント職に異動となったのだった。
 もしかして影山も事務仕事をするのだろうか、あいつにパソコンを教える係とか絶対勘弁してくれ、と両手を握り合わせていた菅原だが、幸いにも、影山飛雄は鳴り物入りのホープ選手で、オリンピックを見据えた人材育成プランとやらとの兼ね合いもあって、バレー以外のほとんどの仕事を免除される契約となっていた。おかげで、会社で会うことはあまりなく、書類の提出などのためにたまに顔を出すくらいの「大事なお預かり選手」、という扱いである。

「色紙なら予備あるんじゃないの?」
「色紙はあんだけど、サイン入りのポスターが欲しいって前に言われてたらしいんだよ」
「ポスターってあのA2の?」
「そうです、ペラのやつ」
「ショップに貼ってあんの見たらしくってさ」

 あすのゴルフ接待を知っていたらしい数名が、苦い表情で菅原の問いかけに応じる。昨日ならすぐ近郊の体育館でチームが練習をしていたので、合間にでも簡単にサインを頼めただろうから、昨日思い出してさえいれば、ということらしい。今日、チームは完全休養日なのだ。

「……専務って60代のオッサンだよな」

 記憶をたどりながら、菅原はコーヒーをすする。
 ショップに貼ってあるポスターといったら、影山の契約するスポーツ用品店のモノクロポスターのことでおおむね間違いなく、公開当初から女子界隈にバカ受けだったシリーズのものである。「ほっそりしたイメージの影山選手だけどモノクロだと筋肉の陰影が際立っていてやっぱアスリートなんだなと再確認してキュン」という、菅原からすれば終始疑問符まみれの感想がSNSを賑わせていたことが記憶に新しい。 

「60代の小太りのオッサンですが何か?」
「写真が欲しいとか言うかあ? 色紙やっとけば?」
「菅原さん、ダメっすよ、自分の後輩見くびっちゃ!」
「そうですよ。去年ウチのグッズで一番売れた影山のマイクロファイバータオル、半分以上男が買ってたんですから」
「そーいや、びっくりした通販担当チームから問い合わせあったよなあれ」
「マイクロ……って写真プリントしたやつですっけ?」
「そうだよ。まあ、男から見てもシュッとしててカッコイイよね、影山」
「はあ……そうなるか……」

 影山が入団して以来、そして自分が異動して以来、「自社商品」と化した影山飛雄に向き合う機会が増え、菅原は予期せず、名状しがたい居心地の悪さに襲われるようになった。
 リーグの中堅チームだったウォリアーズは、長年チームの正セッターを務めていたベテラン選手の退団が決まりながら、後進の育成が進まず、フロントやファンの悩みの種となっていた。求めていたのは即戦力で、新卒ですぐにカラーになじんで主力として戦っていくのは難しいだろうからと、ファンも会社も、主に他チームのセッターの移籍獲得を目標としていた。そんな中、大学4年の途中からウォリアーズに加わった影山が、あっという間にチームの主力に化けたことは、ファンを巻き込んでの嬉しい誤算だった。
 大学や年代別代表で活躍していたとはいえ、年代も経歴もばらばらのVリーグチームの司令塔として、国内トップリーグで成功するのは簡単なことではない。可能性にあふれた年若いセッターを、「大事に育てていくぞ」と意気込む風潮が生まれたのは、当然の流れだったと思う。
 「次の試合で影山くん試すらしいぞ」、「まじか、思い切ったなあ」といった噂話が、「影山めちゃくちゃいいな!」「リーグでもトップクラスのセッターなんじゃないか」なんてものに変わっていくのが菅原は誇らしかったし、彼の人気が出るのも、最初のうちは、嬉しく感じていた。
 しかし、事務所に大量のファンレターやプレゼントが届くようになり、その中に、選手との距離感を見失ったようなものが交じるようになると、菅原はどうしても、不安を感じずにはいられなくなった。
 裏面いっぱいにびっしりと「影山選手の美しいところ」が綴られた手紙だとか、高価すぎて倫理にもとるようなプレゼントだとか、届いたことを影山に伝えるのをためらうようなものもある。見慣れた後輩の顔だのスタイルだのが、男女問わず世間にとって魅力的だという事実は、驚きつつも受け入れるしかない。けれど、まるで芸能人のように影山が他人のむき出しの感情にさらされるのは可哀想で、先輩として、いたたまれない気分になってしまう。

「ああ、どうしようかな……」
「私、代筆しましょうか?」
「ムリムリ、影山のサイン難しいって」
「はぁー」

 協議が行き詰まる中、菅原が心の中で「うら若い青年のポスターを欲しがるオッサンなど捨て置け!」と理不尽にうなったそのとき、机に置いていた私用のスマホがピロン、と通知音を鳴らした。画面に浮かび上がるラインのメッセージに、菅原は数瞬、目を瞑る。

「……カネモトさん」
「ん? どうした?」
「ラッキーなことに。影山、今から来るそうです」
「え!?」

 今日事務所いますか?
 画面には、そう綴られていた。
 会社を訪れるとき、必ずあらかじめ菅原に連絡を寄越す礼儀正しい後輩が、この窮地を救うことになってしまいそうだ。




 30分ほどして、スーツにリュック姿の影山が臨時パスをぶら下げて事務所に現れた。

「お疲れさまです!」

 軽やかな足取りで事務所を闊歩する背の高い青年を誰もが振り返り、ほんのりと、相好を崩す。

「菅原さん、俺、タクシーの領収書持ったまんまで」

 あちらこちらに頭を下げつつも、まっすぐ自分のところへやって来る影山を前にすると、菅原もなんだか、癒やされた気分になる。社内の人間は総じて影山に弱いけど、菅原も結局そのクチだ。

「もしかして先月の、別便で合流したときのやつ?」
「そうです。立て替えてたんですけど、精算してもらうの忘れてて、すみません!」
「分かった分かった、落ち着け」

 「ガバッ」と効果音がつきそうな勢いで頭を下げる後輩をなだめつつ、菅原は衆人環視の中、パソコンを持って立ち上がる。

「あー、えっと。こういうのはスグ出せよ」
「はい! すみません!!」
「あっちのブース行こう。俺が個別に処理するから。あと……悪い、別件でさ。サインを1つ頼まれてほしいんだけど、いいかな」
「え、はい、ゼンゼン」

 こくんと頷く影山青年に、「ありがとう!」「ありがとう!」と、災害救助の現場もかくや、という、感謝の声がこだました。



「すみません、手間かけて」

 商談ブースに移動し、精算の処理を進める菅原の向かいで、影山はポスターに銀ペンを走らせる。

「ぜーんぜん。お前が思ってるほどおおごとじゃないよ」

 本当は、こんな簡単な精算ひとつ、やり方を教えて影山にやらせることだってできるのだ。それをしない理由は、こうして影山と過ごす時間を失うのが惜しいから、以外の何ものでもない。影山と過ごした学生時代はわずか1年。この会社でのキャリアは今年で4年。それでも、影山と一緒にいるときのほうが、菅原は素の自分でいられるから不思議な話だ。
 影山のゆるぎない敬意と近しさに、安堵を覚える。菅原には同じポジションの後輩は影山しかいなかったから、今でもどうしても、特別かわいい。

「菅原さん」
「ん?」
「なんかすげぇ久しぶりな気がします」
「……うん、俺も。まあこっちはテレビで散々見てんだけどなぁ」
「今日、仕事遅いですか?」

 うかがうような目線で、影山が菅原を見つめている。一緒に夕食をとりたいな、と思っているのが、全身から伝わってくる。

「いーや、全然。影山時間あるなら、メシ行かね?」
「ウス! 俺、外で待ってます!」

 人付き合いのけっして得意でないこの後輩が、こうして自分と過ごしたがって、控えめに誘ってくるのが、愛おしい気がする。世間の思う、「カッコいい影山くん」でも、「きれいな影山くん」でもない。菅原以外誰も知らなくていい、素直で不器用な後輩の姿だ。

「可愛いなーお前」
「えっ?」
「もういいや。早退しよ」
「え!?」

 パソコンを閉じ、焦る影山を伴って菅原は廊下を進む。

「菅原さん、俺待ちますよ、1時間くらい」
「うん、お前は待ってくれるだろうけど、俺が待てそうにないんだよ」
「ど……どうしたんですか?」
「デートだべ、デート。車回してくるから待ってて」
「で、デートっすか……?」

 うん。
 だめかも。俺。このままドライブして、夜景の見えるレストランとかで、影山のこと、ベッタベタに甘やかしたいかも。

「ちゅーしたらゴメンな、影山」
「へッ!?」

 ほらもう。そういう可愛い顔すんだよな、お前。