intermission II

【頂いたメッセージへのお返事⇒⇒23.8以降:「続きを読む」から、それ以前:スマホのリーダー表示かドラッグ反転でお読みください】

未来捏造(モブ影+千鹿影)

・(反省点1)名ありモブがかなり気持ち悪い
・(反省点2)千鹿谷の負担
・(反省点3)やたら長い




 前年の退団者が多かった関係か、今年の新入団選手は4人と例年より多かった。俺や影山が入ったときもさんざん言われた「イマドキの子だなあ」という感想をやはり彼らも持たれたらしく、この歓迎会の場でも、そういう側面ばかりが先輩たちの酒の肴になっている。

「時代なのかねえ、大人しい子が多いよなあ、なあ千鹿谷」
「しっかりしてますよね。僕らが入社したときよりずっと」

 俺は曖昧に笑い、肩をすくめた。
 すき鍋が看板メニューの居酒屋で、2階を貸し切りにしてもらい、総勢30人ほどが3つのテーブルに分かれて掘りごたつを囲んでいる。Vリーグチームを抱えるこの会社では、選手に大した業務負担はないものの、みんな一応営業部広報課配属ということになっている。新たな4人の選手を迎えての歓迎会は、その幹部社員とチームスタッフ、それから先輩選手が参加して開かれていた。
 普段、付き合いの悪さに定評のある影山もさすがに毎年この歓迎会にだけは出席する。1時間ほどがたち、俺のテーブルもスタート時と随分顔ぶれが変わっていたが、移動が面倒なのだろう、影山は俺の前でずっと壁にもたれ、眠そうにウーロン茶を吸い上げていた。22で入社して以来、影山が人前で飲酒するのを俺は見たことがない。

「はいはいそこ、盛岡くん入りまーす」

 ムードメーカーのコーチの明るい声に顔を上げた。「そこ」というのは、隣の先輩選手が移動し、空席になっていた影山の隣のことらしい。今年入った大卒ウイングスパイカーの「盛岡くん」が、グラスとおしぼりを手にスタッフの背後を歩いてやってくる。

「お邪魔します」
「おう、いらっしゃーい」

 190オーバーの長身をかがめ、周囲にひととおり丁寧な礼をしてから、新人スパイカーはようやく腰を下ろした。この「盛岡くん」は、大人しい新加入メンバーの中でも特に言葉数が少なく、「朴訥とした」という表現のよく似合う子だった。隣の影山にも頭を下げるが、若干顔が縦に動いたかな、程度のリアクションしか返さない影山とでは、どうにもコミュニケーションが成立しなさそうに見えた。
 聞けば、東京生まれ東京育ちらしいが、名前が岩手の県庁所在地と同じであるせいで、「影山と盛岡は東北だもんな」という、実に理不尽なくくられ方をされているのを何度か見かけたことがある。たぶん素朴な印象が「東北っぽい」と見なされ、誤解に拍車をかけているのだろう。
 この日までにすでに数回、練習に参加している新入団選手たちは、2年先輩で全日本でもスタメンで活躍している影山に対しどこか浮き足立った態度を見せるが、盛岡は例外だった。影山を囲む輪の中に入っていこうとせず、物静かなわりに要所要所で自己主張もする。影山のほうもドライだから、「いや、それはしない」とか「もう少し我慢しろ」とか、淡々と対応していて、周りは結構ヒヤヒヤさせられていた。影山は人柄の好き嫌いでプレーを変えることはないから、そこに関する心配はないけど、それはさておき仲よくやってほしいなあ、とも思う。

「盛岡くん、チームはどう? 少し慣れた?」
「そうですね、おかげさまで……。早く戦力になれるよう努力します」
「真面目だなあー。うちのスカウトほんと優秀!」

 周りのスタッフや選手たちが、赤ら顔で盛り上がる。ふと部屋全体に目をやれば、酒が一巡りしたのかみんなそんな感じで、大人しいと思われていた新人たちもカラカラ笑って鍋をつついている様子だった。

「顔覚えた? 隣の人分かる?」
「はい。影山さんには練習でもとてもお世話になってます」
「嘘つけー、影山が人のお世話できるわけないって、なあ?」
「いいえ、今日のスパイク練習でもとても……」
「盛岡くん、ジョークだからあまり気にしないで」
「……そうでしたか」

 どうにも真面目すぎるきらいがある。フォローに入った俺にも、「ありがとうございます」と頭を下げてくる始末だ。

「影山、盛岡どう? 活躍できそう?」

 ぼんやり盛岡を眺めていた影山は、ようやく壁から身を起こして、「いいんじゃないですか」と平坦な口調で言った。

「千鹿谷より全然使えます」
「ちょ、影山! できればもうちょいオブラートに……」
「はは、『ジョークだから気にしないで』って、さっきお前が言ったんだろー」

 影山はそれを否定も肯定もせず、自分の取り皿のポテトサラダをゆったりと口に運ぶ。俺は冷や汗をかいて影山の目を覗き込んだが、普段と全く変わりなくて、どうしていいか分からない。「ねえ」とテーブルの上の影山の手に触れても、影山はちょっと首を傾げるだけで何も言ってこない。

「トス、今日は特に……以前とまた違いました」

 大人しげな盛岡がいかにも謙遜に入りそうな局面で、しかし彼はまっすぐ影山を見て、関心の10割をそちらに向けた。やや面食らいつつその後ろ頭を見て、俺はそっとテーブルの上から手を引っ込める。

「どうしてでしょうか」
「……俺、お前思い出した」

 近距離で大きな図体の後輩に見つめられ、影山は全く臆せずそれを受け止めた。静かな語り口が、騒がしい居酒屋でしっとりと耳に入ってくる。

「インカレで見た。最初会ったときは思い出せなかった」

 そういえば初対面のあいさつのとき、出身高校や大学から名乗った盛岡に対して影山は「はあ、どうも」と素っ気ない対応で、春高やインカレで活躍していたのに知らないんだな、と俺は思っていた。どうやら、単純に忘れていたものらしい。

「次、やっぱアレかってなって、ビデオ見て『あー』って」
「はあ……」
「2回目の練習のあと、影山が過去のインカレの映像確認したってことね」
「そうなんですか」

 俺の解説を受け、盛岡が「全く新しい情報を得た」という反応をするので、こらえきれず隣の先輩が噴き出した。新人にはなかなか難易度が高いようだ。俺は最初のユース合宿のときから不思議と会話だけは成立していただけに、コツを問われても難しいところはあるのだけれど。

「なんとなくお前の趣味は分かった」
「そう、なんですか」
「だからちょっと寄せた。でも」

 影山はグラスを置き、前髪を少し払いながら、盛岡を見上げて言葉を続けた。

「全部は合わせねえから。譲れないとこは、俺も言う。ケンカはしょうがねえ。怒るけど、怒らねえから、ちゃんと言え」
「……はい」

 ひどい文章だ。しかし、相変わらず、盛岡の後ろ頭がこちらを向いているので、俺は補足に入るのを思いとどまった。つまり影山には盛岡の主張に耳を傾ける意志があるし、多少意見がぶつかったとしても突き放したりしないから安心しろという意味だと思うけど、伝わったのだろうか。心配だ。

「お、東北組仲よくしてんのかー?」

 俺の煩悶をよそに、影山の反対隣に別の先輩ミドルブロッカーがやって来て、影山の肩を抱きながら座った。周りを巻き込んで盛り上がるのが上手なその先輩につられて、話はすっかり逸れ、「今一番透明感のある若手女優は誰か」談義へと移行してしまった。イメージどおり盛岡はテレビをあんまり見ないようで、影山と一緒に「バレーと結婚する男」に分類されてしまい、俺はそれが可哀想でしょうがなかった。



 入社とともにチーム寮に入寮した新人選手たちは、オフの時間を共有するようになって、かぶっていた猫が脱げるようになってきたというか、クセがつかめて、面白い部分がたくさん見えるようになってきた。俺や影山を含む代表招集の選手が戻ってきて、リーグ戦へのチーム作りが進む中で、ニューフェイス4人も積極的に起用する方針が先日伝えられたところだ。

「影山、今年のチームどう思う?」

 都内のスタジオで一緒にバレー雑誌の取材を受けたあと、駅から寮までの10分ほどの道を歩きながら、俺は影山に尋ねた。取材のあと食事をとったのもあって、辺りはすっかり暗い。ブルゾンのポケットに手を突っ込んで歩く影山が田んぼ道で万一にも転ばないか気にしながら、俺は両手を擦り合わせて隣を歩く。

「優勝するしかねーだろ」
「そうだね。いや、新人どうかなって」
「使うだろ。コーチもああ言ってたし」
「時間足りるか不安」
「まあ、どうにかする……」

 眉根を寄せて、難しげな顔で言う影山を横目に、俺はつい頬を緩める。もちろん、新入団選手当人も頑張るんだけど、最終的な責任の部分を影山が当たり前に担おうとしているのがかっこいいと思う。そういう役割をチームから求められているし、求められているもの以上を返す能力と根性が影山にはある。コミュニケーション不全は相変わらずだが、バレーのバランス感覚は飛び抜けて優れているし、みんな心底頼りにしている。

「おまえが」
「はい? 何?」
「俺がお前に上げたトス全部決めれば、どうにかなる」
「……ハードル高くない?」
「プレー自体フォローするより、そっちのが助かる。あいつらの失敗はしょうがない」
「影山今かっこいいけど……俺がそんなにかっこいいと思わないで……」
「思ってねえよ。お前頭ブロッコリーだぞ」
「外見じゃなくて――ずっとブロッコリーみたいだなと思ってたの?」
「おう」
「出会って9年だよ。もっと早めに教えてほしかったよ」

 影山は「まあ、そうだな」と言い、ミックスゾーンでの「応援ありがとうございました」くらい、心無い様子で頷いた。虚しくも、まあどうでもいいかという気になる。影山はそういうやつで、変わってほしいとも思わない。

「先輩っぽくなってきた……よね」
「なってねえよ。俺は最高のセッターになれたらそれでいい」
「そっか」

 まあそうだな、と俺も頷く。



 新入団選手の内訳は、ウイングスパイカー2、ミドルブロッカー1、リベロ1だった。新しいコミュニティーが生まれると昔から台風の目になりがちだった影山を心配して、俺はそれとなく探りを入れつつシーズンを過ごしてきたが、人間関係はおおむね良好と言ってよさそうだった。メディアでのツンツンした印象より実物のほうがよほどとっつきやすかったというのが専らの評価だし、ポジションの関係上、ライバルではなく「頼りになる先輩」として捉えることができるのもチームの平和の要因であるらしかった。
 唯一例外があるとすれば、盛岡の存在くらいだろうか。砕けてきたほかの新人たちと違い、それが本質なのか、きちきちっとした態度を崩さないし、私生活もあまり見えない。趣味はトレーニングと自室での読書らしく、「真面目なアスリート」像を地で行くような男だった。バレーへの真剣さは影山に似ているとも言えるが、影山よりもずっと「自分を律して行動している」という印象が強い。


 あるオフ日の午前中、俺が寮のウエイトルームのドアに手を掛けようとすると、ちょうどのタイミングで影山が中から出てきた。

「あ、おはよ」
「おう」
「上がり?」
「水飲みに来ただけ。もう少しやる」

 肩に掛けたタオルで額を拭い、影山は作り付けのテーブルに置かれたペットボトルを取って窓際のソファーに腰を下ろした。シャツが汗で肌に張りつき、結構な時間ウエイトをやっていたらしいことが分かる。

「今影山だけ?」
「盛岡いる」
「へえ、早いなあ」
「俺より先にいたのにまだやってる。あいつそろそろ筋肉で首なくなるんじゃね」
「なくなりはしないと思うけど……」

 額に張りつく髪をタオルで荒っぽく拭い、影山は水を呷った。影山のこめかみを、汗がつうっと流れていく。

「影山と盛岡って会話あるの?」
「ねーよ」
「あ、そう……いや、影山、一応先輩なんだから」
「先輩だから何だよ」
「話しかけてあげたらいいのに、と思って」
「俺にそんなことができると思うのか」
「思わないよ……」

 情けないせりふを躊躇いなく言い放った影山は、ペットボトルから口を離して、トレーニングルームの扉に視線を向けた。防音扉なので物音は聞こえないが、その板一枚を挟んだ向こうには、せっせとウエイトに励む後輩がいるのだろう。

「嫌だろ、あいつも」
「ん? 話しかけられるのがってこと?」
「俺に話しかけられるのが」
「影山と仲よくできてうれしくない選手とかいるかなあ」
「あ? 何言ってんだオマエ、いねーわけねーだろ」
「自己評価低くない?」
「別にケンソンしてるわけじゃねーよ。人間なんてそんなもんだろって意味だ」
「ああ、うーん、哲学かなあ……」

 俺も、トレーニングルームのほうへ向いていた足を窓側へと向け、影山とL字ソファーの角を挟んで座る。少し上気した影山の横顔に、明るい秋の朝の日ざしが注ぐ。

「俺は」
「うん」
「あいつがどういう人間かとか、よく分からない」
「そっか」
「キモチを理解するとか、上手くねえ」
「うん」
「そういうの、セッターとして絶対必要ってわけじゃねえと、思ってる……。でも、あいつがどういうバレー選手かは、すげー考えてる」
「うん、そうだと思ってるよ」

 「他人のキモチがよく分からない」という影山の言葉はきっと本音で、影山の人生に深々刺さった課題のような、あるいは宿題のようなものかもしれない。それができればセッターとして役に立つかもしれないと俺も思う。だけど俺は、影山のことを、今まで出会ってきた中で一番のセッターだと思っている。それは、コート外での対人スキルとセッターとしての観察眼をきちんと区別して、後者について正しい努力を重ねているからだし、いずれにせよ苦手ではあるのだろうけど、影山は真面目で、苦手なことでもバレーのためならとちゃんと頑張っているからだ。

「お前は分かりやすい」
「え? そう?」
「どういう思考回路でトスに注文つけてるか読める」
「そっか……あの……俺喜んだほうがいいかな……」
「盛岡は、『それお前のやりたいことと違うんじゃねーの』ってことを、教科書読むみたいに言ってくる。打ちやすそうに打ってたのに、『無理して俺に合わせないでください』とか言う」
「無理してるの?」
「してねーよ。舐めてんのか」
「舐めてないよ。でも、影山は『無理じゃない』範囲が異常に広いんだよな。俺から見てもそうだし、後輩からすると、自分の分の皺寄せを影山が食ってるみたいに感じるのかも」
「食ってねえっつうの。――あいつ、F大だろ」
「うん」
「あそこシステム細けぇんだよな……。強ぇけど、やるプレーやらないプレーがはっきりしてる」
「じゃあ、人ありきでチーム作るウチとは真逆かもしれないね」
「かもなってくらいだけど」
「そこまで考えてるのになんで『影山に話しかけられるの嫌』説が出てきたの?」
「それはそれだし……そんなもん、なんとなくだろ」
「適当じゃん――あ、戻らないの?」

 立ち上がって、出てきたドアではなく階段のほうへ向かう影山の背中に俺が声をかけると、「あと部屋でやる」と淡々とした返事が返ってきた。猫並みに気まぐれだなあ、と思いながら、階段をリズムよく上っていく後ろ姿を見送った。影山はトレーニングのあとよく昼寝をするし、一度寝込むとなかなか起きないから、部屋のほうが都合がよくなったのかもしれない。
 トレーニングルームに入ると、件の後輩はせっせとエアロバイクをこいでいた。俺に気付いて、ぺこりと頭を下げる。

「おはようございます」
「おはよ。はかどってる?」
「いや、いつもどおりです」
「そっか。なーんか、デカくなったよね、盛岡」
「そうでしょうか」
「入団のころに比べてね」

 エアロバイクにまたがる盛岡の背中はずんぐりと大きく、熊とは言わないが、熊一歩手前まで来ている。首がなくなる心配はさすがになさそうだが、影山のアレは、俺を巻き込んでの「あわよくば止めろ」という趣旨の発言なんだろう。他人の体なので良いとか悪いとかをむやみに判断できないのが難しいところだが、試合中のチームメイトの怪我などにも目敏い影山の言うことだから、多分それなりに妥当な懸念なのだと思う。

「今影山と会ったんだけど、アイツはいつから?」
「30、40分くらい前からだったと思います」
「ふうん……」

 エアロバイクというと、テレビを見たり、音楽を聞いたりしながらやる選手が多いが、盛岡も影山もそうした「ながら」をやらないタイプだ。この密室に二人でいて、トレーニング器具の軋む音だけが30分も40分も聞こえていたのかと思うと、想像するだけで息が詰まりそうだ。

「影山ってその……話しづらい?」
「え?」
「あ、いや、うーんと……。影山、盛岡が嫌がるんじゃないかって思って、話しかけられないみたいだからさ」
「――影山さんが?」

 ひっそりと静かだったジムに、低く、声が響いた。
 盛岡の足がバイクのペダルから離れ、モーターの回転する単調な音が不自然な言葉の間を埋めたあと、やがてそれは止まった。俺は面食らい、入り口の扉のそばに立ち尽くしたまま、「そう」となんとか絞り出す。
 だが顔を上げれば、さっきから少しも前に進めていなかったらしい盛岡が、目を瞠ってぽっかり口を開けていた。

「影山さんが」
「う、うん。どうかした?」

 何かを噛みしめるように唇を結んで、やがて足元に目線を落ち着けた後輩は、のそりとバイクから降り、脱力したようにベンチに座った。ため息ともつかない吐息が漏れ、俺は喜怒哀楽、どの感情に直面しているのだか分からなくなる。

「影山、ああ見えて結構気ぃ遣いなんだよね。繊細っていうか。チームをすごく大事にしてるし……」
「はい。知っているつもりです」
「つまりえっと……思い悩んでるとかじゃないと思うよ」
「違うんです、――そうじゃなくて」
「ん?」
「俺は、だって、影山さんが望むなら何だってできるのに」

 予測不能な言葉が、流れ弾のように、俺に突き刺さった。

「影山さんが望まないことだって、俺にはできるのに」
「どういう意味……」

 熊に似た男の腕は太く、歴戦の兵士のように引き締まっている。口元を両手で覆い、ドアの向こうを見遣る男の視線の先に、俺は影山の姿を想像した。どうも、縮尺が合わない。こいつの目の前で、影山はいったいどのくらいの大きさだっけ。記憶の中の影山の肉づきが急に頼りなく思えてひやりとする。

「千鹿谷さん、年末は実家に帰るんですか?」
「え? あ、ああ、うん。帰るよ」
「そうですか……」

 男は何かを考えていた。正体不明のことを、追い詰められた獣のような瞳で。



 シーズン半ばで迎えた年末年始には、ねぎらいとも手詰まりともとれる、少し長めの休みがあった。
 正月を実家で過ごし、土産を手に地元を出た俺は、新幹線への乗換駅へと接続するローカル線に揺られながら、ポケットの中のスマホを探った。短い帰省とはいえ、なにか連続してピンと張りつめていたものが一度リセットされる感覚があり、これからチームに戻ってあの日常に帰っていくのだと思うとそわそわと落ち着かない気持ちになっていた。
 思い浮かぶのは影山の顔だ。俺にとって、影山は「ミスターバレー」で、彼がいると、いつでも傍らにバレーの存在を思い出した。「あけましておめでとう」くらい送ってみようか。こまめにメールを返してくるようなやつではないけれど、生存確認程度のレスポンスは見込める。
 ところが、電源ボタンを押すと、ラインのアイコンとともに「影山飛雄」の名前がそこにあり、俺は目を見開いた。「お前今日来んの」。素っ気なくて味気ない、けだるげな仕草の思い浮かぶメッセージに、俺は一瞬頬を緩めた。疑問符すらつけない文章は、筆不精な影山らしい。今日の午後には練習始めるよ、そう送ろうとして、ふと手を止める。
 本当に影山らしいか? 影山が自分の戻り時間を気にしたことなど今までにあっただろうか? いいや、答えはノーだ。

「影山」

 タイミングよく辿り着いた乗換駅のホームで、俺は電話のアイコンをタップする。5秒や10秒が信じられないほど長かった。

「なに」

 やっと聞こえてきた声に、俺はほっと胸をなでおろす。

「影山、どうかした? 俺今帰ってるとこ。12時過ぎには着く」
「……なに焦ってんだよ」
「え? あ、あれ? お前がラインしてきたんじゃん」
「電話くるとか思わねえだろ」
「いや、だって、影山からラインとか珍しいから……」
「先輩が土産配るって。なま物だから、数」
「あ、そ、それだけ? お土産か、なるほど」
「いちご大福みたいなやつ。1時までに来なかったらお前の分ねえから」
「なんでだよ! たぶんそれ、『今日中にお召し上がりください』じゃないの?」
「細けえこと言うな」
「言うよ、食べたいじゃん! ……影山、もう寮なんだ」
「おう」
「ねえ、やっぱ……何かあった?」
「なんで?」
「なんとなく」
「何もねえよ」
「そっか。……あとで行くから、そっち」
「おう」

 違和感の理由については、「勘」としか言いようがない。
 このあと、大急ぎで戻った俺の焦りをよそに、影山の振る舞いは至っていつもどおりだった。そうやって拍子抜けする羽目になるのも頭の隅では分かっていた気がする。きっとそれは、目の前に元気な影山がいるという安堵感で、難しい思考を押し流そうとして。
 無事にクリームいちご大福にありつき、寮生活に戻った俺は、影山のサインを見逃さないよう逐一注意を払い始めたのだった。



 異変は、意外なところに意外な形で表れた。
 カード頭のその日、見込みより道が空いていたとかで、俺たちは試合前の準備の時間を持て余していた。ロッカールームで音楽を聞いて集中を高める者もいれば、一度外に出て気分転換をする選手もいた。俺はぼんやりとベンチに座り、常より人の少ないロッカールームを見渡していた。

「そういえば影山さん、昨日のことなんですけど」

 聞こえてきたのは盛岡の声だった。俺の場所からはロッカーが邪魔をして姿が見えない。いつの間にかコートの外でも会話をするようになったんだな、そう喜んだのも一瞬だった。

「触んな」

 凍てつくような声が、ざわつくロッカールームの中、はっきりと俺の耳に届いた。

「触る必要あんのか」
「――ないです」
「バレーの話か」
「違います」
「だったら試合に集中しろ」

 あまりの言い草に、俺は自分の耳を疑った。影山が、厳しい言葉を言わない人間というわけではない。だが、ああして遠慮なく物を言う相手は限られている。盛岡は違ったはずだ、少なくとも、先月末の解散までは。
 少し乱暴にロッカーの扉を閉じる音がして、顔を上げた俺の目の前に影山がやって来た。目がばっちり合う。疑問を口にするか迷った俺を見下ろして、影山は一瞬足を止めたあと、すぐに顔をそらして部屋から出て行ってしまった。
 フロアはエアコンががんがん効いているが、廊下は1月の寒さそのままだ。影山がジャージ1枚の姿だったことを思い出し、俺は二人分のウィンドブレーカーを手にその背中を追いかけた。影山のロッカーをあさるとき、件の後輩がちらりと視線を投げてきたが、「こっちはあとだ」と、そのときなぜか俺は思っていた。

「待てよ、影山!」
「……お前かよ」

 トイレの隣の給湯室に身を隠すように滑り込んだ影山は、俺の顔を見るなり、ふっと短く息をついた。

「お、俺だよ。ホラ。体冷えるって」
「……おう」

 素直にパーカーを羽織る影山は、いつもどおりの影山に見えた。不機嫌なわけじゃなかったのか、と俺は不思議になる。そういえば今朝食堂で会ったときも特段変わったところはなく、見慣れたぼさぼさの寝癖頭で箸を動かしていた。

「盛岡になんか冷たくなかった?」
「……まあ」
「何かあったの?」
「べつに」
「……言ってよ。チームメイトなんだから――いや、っていうか、影山の友達として聞きたい」
「友達かよ。初耳だろ」
「流してよそこは。とにかく、チームのためにとかじゃなくて俺が聞きたいだけだよ。何があったの」

 影山は俺を難しい顔で見てくる。「試合終わってからのほうがいいと思う」と、まるで他人事のように続けた。

「どういうこと? 逆に気になるだろ」
「お前ほんとしつけーよな、こういうの……」

 言葉とは裏腹に影山の声音は柔らかく、それこそ、友達じみた気安さを感じさせた。
 観念した様子で溜め息をつき、影山が口を開こうとしたとき、俺ははっとして背後を振り返った。俺の動きを見て、影山も顔を上げる。

「盛岡……」

 煌々と明かりがついているのに、俺には彼が大きな黒い塊に見えて、不恰好にも肩がびくりと跳ね上がった。

「何の用だよ」

 給湯室の入り口を塞ぐようにして立つ男に、影山はつっけんどんな口調でそう言い放った。随分刺々しく、俺は冷や汗をかく。聞き慣れた耳に心地のいい声は、辛辣な言葉を吐いてさえ甘さを残していたが、影山が盛岡の登場への不服を憚りなく表明したことに変わりはなかった。

「用はありませんでした」
「じゃあさっさと戻――」
「千鹿谷さんに言うんですか」

 影山と盛岡に挟まれ、逃げ場のない俺に、矛先が向く。

「俺はかまわないですが、でも、千鹿谷さんはきっと分かってくれませんよ」
「……黙れよ」
「ま、待って、何があったんだよホントに」
「俺は俺の神様が欲しくてしょうがなかった。だからこのチームを選びました」
「は……ぁ?」
「でもおかしいですよね。神様にさわれるなんて。背も俺より低いし、体は小さいし、俺と2つしか変わらない」
「お、お前、影山に何かしたんじゃ……」

 俺を肩で押しのけ、盛岡は一歩ずつ影山へと向かう。影山は唇を引き結び、ほんの少しだけ自分の背後を窺った。

「来るな」
「冷えますよ、影山さん、ロッカー戻りましょう」
「離れろ、盛――」
「影山さん」

 目の前の出来事が、まるでスローモーションのようだった。影山に手を伸ばす大男と、衝撃が過ぎ去るのを待つかのように目を瞑り、縮こまって身を固める影山。太く大きな腕が影山に巻きつき、素肌の太ももから腰にかけてをぬるりと撫で上げた。

「夢みたいだ。なら、手に入れるしかないじゃないですか」

 「ね」と、俺に何かを教えるように盛岡は言った。「神様」、その不似合いな響きに俺は「なんだそれ」と首を振る。確かに影山はすごい選手だ。「神がかり的」としか言いようのないプレーをすることもたくさんある。でも、盛岡の目が言わんとしているのは、そういうことではなかった。

「いかれてる」

 盛岡を突き飛ばし逃げ出した影山の足音が消えたあと、そうつぶやいた俺に、男は「何が?」と首を傾げたのだった。



 その夜、影山が熱を出した。
 トレーナーから風邪ではないとの判断が下り、寮の自室で休むことになった影山の部屋を俺はこっそりと訪れた。
 部屋の戸を叩いたのが俺だと分かると、影山は部屋に招き入れ、俺の背後ですぐに鍵を掛けた。突っ立ってそれを眺めていた俺は、違和感を口にする。

「鍵、掛けてたっけ」
「掛けるようにした」

 説明を付け足す気はないのだと分かる足取りで大股に歩き、ベッドのへりに荒っぽい仕草で腰掛ける。熱で体がだるいだけではなく、神経が立っているのが傍目にも分かった。

「座れば」
「うん。……あ、いいよ、座ってなくて。寝てなよ」
「いや、いい」

 俺が床に置かれたクッションに腰を落とすと、影山は熱っぽい息を吐き出しながら、据わった瞳で俺を見据えた。

「お前さ」
「うん」
「男好きになったことある?」

 また、湿った吐息が漏れる。発熱で汗をかいたのか、上気した肌に前髪が張りついている。俺は生唾を呑んだ。

「ない、けど。でも、そういう人もいるのは分かるよ。なんで?」
「俺もお前と同じような感じだった。別に、だからって、何とも思わない」
「……そうだね」
「でも、アイツはそういうのとも、全然違う感じだった」
「盛岡? 何があったの?」

 影山の顔色はどんどん悪くなる。再度横になるよう促したが、影山は頑なに首を縦に振らなかった。

「去年、お前が帰ったあと、確か、29日くらい。昼寝してたら、体重くて、目が覚めた。目開けたら、あいつが俺の上にいた」
「……上にいた?」
「馬乗りになって、俺の顔見ながら――」
「影山!」

 頭を押さえた影山の体がゆらりと傾ぎ、俺はその体を支えるため慌てて立ち上がった。肩を抱いて隣に座ると、影山はぐったりと俺に体重を預け、長い睫毛を伏せて「クソ」と悪態をついた。額を汗が伝う。抱き止めた体はしっとりと熱を帯びている。

「俺の上で、腰押しつけて、セ、ックス、するみたいに、腰振ってた」
「はぁ!?」
「俺と目が合っても、あいつすげぇ、なんでもねえような顔で全然やめねえし、けど服は着たまんまで、何してぇんだか分かんなくて」
「もういい、影山ごめん。無理するな」
「今は我慢する、まだしないって言いながら、ずっと」
「これ以上は危ない。チームにちゃんと話そう」
「……けど、そんなことしたらあいつの人生、終わるかも」
「言ってる場合かよ!? ちょっと休んでて。俺コーチ呼んでくる」
「千鹿谷」

 立ち上がりかけた俺のジャージを、白い手が握った。うつむいた影山がかぶりを振って、吐息だけで「待て」と呟く。

「いつ戻る」
「……すぐだよ」
「いい。行く必要ない」
「でも……」
「行くな」
「影山……」

 唇をかんで、影山は顔を上げた。目尻が、顎先が震えていた。あの鈍感で、強くて、意地っ張りな影山が、今にも泣きだしてしまいそうな顔で俺を見上げている。

「上に言う前に、本人に言わねえと」
「……先輩だから?」
「チームメイトだ」
「ごめん俺……影山みたいに優しくないよ」
「俺だって優しくしたいわけじゃない」
「影山は“仲間”に甘いんだよ……。寝てろよ。顔、真っ青になってる」
「千鹿谷」
「……マネージャーさんにだけは話す。それをどこまで広げるかは影山も一緒に明日以降相談しよう。これ以上は譲れない」
「千鹿谷……」
「手遅れにはできない。俺が出たら鍵掛けて寝てて。また戻る」

 困り顔の影山はまたかぶりを振ったが、俺は影山の手を引いてドアへと向かった。

「閉めてね。寝ちゃったらそれでもいいから」
「ちが……」
「そんな顔すんなよ。お前は何にも悪くないだろ」

 ふらつき、壁にもたれる影山の肩を軽く撫で、俺は鍵を開けて外に出た。哀しげな顔をする影山を置いて出て行くのは忍びなかったが、一応こちらの注文を聞き入れて内鍵を掛けたのを確認し、俺は寮泊まりのマネージャーの部屋を目指して階段に向かった。

「どこへ行くんです」

 踊り場に辿り着いたとき、背後から声がした。――そうだろうと思った。きっと、俺が影山の部屋に入ったのを見ていたに違いないと。振り返れば、階段の最上段に熊のような男のシルエットがあった。

「マネージャーの部屋」
「こんな時間に何の話ですか」
「聞いてどうすんだよ」
「あなたに邪魔されたくないので、止めようかと」
「もう遅いだろ」
「まだ間に合います」

 男は階段を下りてくる。逆光に縁取られて見えるのはいつもどおりの無表情で、俺をじっくりと見ている。

「どうしてあなたがそこまで」
「馬鹿みたいなこと聞くな」
「それじゃあ、あなたはさっき、影山さんに嘘をついたんですね」
「さっき? ……盗み聞きかよ」
「ずるいじゃないですか。あなただけ、友達のままでいるなんて」

 ――お前さ、男好きになったことある?
 ――ないけど。

「お前がこんなことしなきゃ、俺だって目ぇ逸らしてられたんだ。余計なことすんなよ」
「残念です、千鹿谷さん、残念です……」

 口の端で、ほんの少し笑っただろうか。一歩また一歩と、男が階段を下りてくる。









 憧れも友情も盲信も、「好き」の一つには違いない。
 俺は影山をチームメイトであると同時に友人だと思っていて、バレー人生を左右するような大金星や、光の見えない絶望的な連敗、苛烈な批判への憤懣や絶頂的なスパイクを共有している影山との間で、その「好き」の色合いが多少ふらついても、それは誤差として見過ごされると思っていた。
 だから、目の前で「好き」を振りかざす男に対して、それをもっとコンパクトな、日常サイズの好意に見せかけることはできないのかと苛立った。
 それ以上やったら、影山が行動を変えなければいけない。あんなに鈍感で、「好き」に弱くて審査の甘い影山に、わざわざどうして異常を突きつけるのだろう。そういう共感を孕んだやるせなさがあった。

「……あれ?」

 気が付くと、俺は硬くて弾力のあるジャージ素材の太ももを枕に、自分のベッドの上で寝転がっていた。

「……影山?」
「おせえよ、馬鹿。心配させんな」

 影山が俺を見下ろしている。つまり、この筋肉の詰まった太腿は影山のだ。

「全然やわらかくない……」
「文句言うならどけ。お前が勝手にしがみついてきたんだからな」
「……っご、ごめん! あ、影山お前体調……!!」

 飛び起きようとすると、体に鈍く鋭い痛みが走った。顔が勝手にゆがみ、がくりと肘をつくと、バランスを崩した俺を影山がまた自分の体で受け止めてくれる。共用のシャンプーの甘い香りがして、くらくらと頭が泳いだ。

「治った。血の気引いてついでに熱下がった。何やってんだお前」
「俺、どうしたんだっけ……」
「覚えてねえのかよ。盛岡と取っ組み合いしてたって。先に手出したのお前って聞いたけど、どこまでほんとだ」
「先に殴ったかもしんない……」
「はあ? 馬鹿じゃねえの」

 おっかなびっくり、今度は慎重に身体に力を入れて、俺はなんとか影山の太ももの上から這い起きた。口の中と、脇腹がひどく痛む。殴られたのだか倒れて打ったのだか、今は痛みが散らかっていて、後輩の残像がよぎるばかりで細かな部分が思い出せない。

「お前、それでもバレー選手かよ。しかも後輩相手。ご法度だろ」
「ごめん。盛岡の怪我は?」
「全然、かすり傷程度。想像つけよ。お前が勝てるわけがねー」
「だね……」
「首ねえんだぞあいつ」
「首はあったよ」
「……お前さ」

 不意に言葉が途切れる。不自然な間が、「ちゃんと聞け」という影山の意思表示を雄弁に語り、俺は知らず居住まいを正していた。

「お前、俺の部屋出るときもっと落ち着いてただろ。やめろよ。もっと分かりやすくキレとけよ、止めるから」

 うん、と俺は頷いた。俺を見つめる影山の澄みきった瞳を前に胃がきりりと痛む。アスリートとして、それからチームメイトとしては反省しなければいけない。分かっている。だけど俺は、俺の中に、特別な相手のためにだけ自分のモラルを取り払う仕組みがあるのを知っている。それが決して異常な現象などではなく、誰かに対し一線を越えた感情を抱く者が等しく経験しうるものなのだということも。

「影山」

 正座をした足の横にだらりと置かれた影山の手に、俺は指を伸ばす。二の腕に触れ、発熱の名残をうっすらまとった肌をそっと撫でる。

「……まだ話せてないんだ、誰にも何も。行く途中で会って喧嘩したから」
「まだ言う気かよ。お前が殴ったから、俺結構すっきりしてんだけど」
「お前にあんな顔させたアイツを許せっていうのかよ」
「……お前、どうしたの」

 柔らかくなった声音に驚いて、俺は顔を上げる。
 背筋を伸ばして座る影山が、気忙しげな瞳で俺を見下ろしていた。
 ――どうしてそんなふうに、ありえないほどの無垢さを残していられるのか。盛岡が神様とまで言った影山は、表情まで意味もなく非現実的だ。俺には訳が分からない。
 俺は、自分が盛岡とは違うのだと思いたい。これから先ずっと、ただのチームメイトでかまわない。そのはずだった。

「俺の代わりに怒ってんなら、もういい。あとは俺とあいつの問題だから、自分でケリつける」
「違う……」
「千鹿谷?」
「影山、ごめん」

 腕を引き寄せ、俺は自分より一回り小さい影山の体を抱き締めた。影山の体が温かい。この子どもじみたぬくもりがまだ誰にも奪われていないことに安堵する。

「ごめん。俺、アイツを許すことはできない。お前には、ずっとお前でいてほしい。汚いもの見ないでほしい」
「千鹿谷、痛い……」
「ごめん。頼む、あんなの許さないで。影山はそんなの知らなくていいはずなんだよ」
「何言ってんだよ……」

 どのみち、すぐに俺は後輩を殴った咎で呼び出され、理由を質されるだろう。嘘をつく理由はない。影山のバレーを邪魔させはしない。

「千鹿谷、お前――」
「俺の顔見ないで。目、閉じてて……」

 ――目をつぶっていても歩けるように。不用意に歩いてさえ、足を踏み外すことのないように。後ろ歩きで先を行き、道を造って均すのだ。

「ごめんね、影山」

 ああ、そうだ。そのためなら確かに俺は、お前が望まないことだってできるんだ。