intermission II

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今なら影山飛雄~のおまけ(モブ影)

・「今なら影山飛雄もらえる」のおまけ小咄2
・モブ変態→影山(若干えろい表現あり)



 一般の職員を選手と間違えるというのは、男にとってはずいぶん珍しいことだった。もっとも、当時の彼はまだセッターとして部活に顔を出していたらしいから、あながち勘がなまっていたとも言えない。バレーができそうな雰囲気が青年にあったのは、男のみならず多くの現場スタッフが認めるところだった。

「大学生?」

 廊下ですれ違ったパーカー姿の青年の素性を質すと、烏野電機レイヴンズ――バレーチームの親会社である烏野電機の社員は、そうなんです、と笑顔で頷いた。

「アルバイトかい?」
「立場的にはそうですね。ネックストラップ、オレンジだったでしょう」
「ああ、だから、選手でないならてっきりチームスタッフだと」
「彼、都内の大学生で、来年ウチに入社するんですが、チームに帯同させてるんですよ」
「大学生をかね?」

 会議室のドアをカードで開錠しつつ、その社員は少し困った顔で肩をすくめて見せた。

「彼――影山飛雄といいまして、大学ではセッターをやっています。選手としてはまあ、先を期待するほどではないのですが――ただ」

 こめかみの辺りに人さし指を当て、彼は男に向かってかぶりを振った。

「非凡です。明らかに飛び抜けている。目の前の試合を読み解く力、あらゆる知識のストック、それらを組み合わせる戦術の展開力。もし彼がそれをみずから体現する技術を持っていたなら、今ごろ天才セッターとして全国に名を馳せていただろう、というくらい」
「そこまで烏野に言わしめるか」
「彼が正式にチームスタッフに加わって2か月ほどですが、開幕して、ここまで貯金を作ってきています。影山の貢献度は計り知れない」
「……『影山飛雄』か……」

 会議のテーブルにつきながら、男は今しがた目にした影山の顔を思い返していた。大きな瞳が印象的で、それから年齢に似合わず、妙に禁欲的な雰囲気のある青年だった。



 男が影山と会食の機会を持ったのは、それから2週間とたたないある平日の夜のことだった。得意先の役職者と食事、という程度にしか用件を聞いていなかったらしい彼は、二人きりだと知って隠しもせずに面食らって見せた。

「烏野に帯同していると聞いたが、学業のほうは大丈夫かい?」
「あ、ハイ。なんか、インターン? とかってので、単位もらってるんで」
「ああ、烏野で働いている分をね。なるほど」

 薄暗く、多少高級店らしい雰囲気はあるが、庶民的なメニューの多いその店は彼の舌に合ったようで、影山はよく食べた。大学4年生、21歳の青年と言うと確かに食べ盛りだが、細身の彼のどこにそれが収まっているのか、男には見当がつかない。顎はシュッと尖り、顔のパーツのどれもが整っているのに、全体を見るとどことなくあどけなさを感じる。けっして豊かでない表情の端々に、見ている者をぎくりとさせる隙があった。

「選手に未練は?」
「ないわけじゃないですけど……俺の体、俺が期待するとおりに動かねーし。選手はすげーっすよ。俺の予想より、全然上で応えてくれます」
「そうか。好きな選手はいるかい?」
「好き……烏野で?」
「それ以外でも」
「あー……白鳥沢の牛島さん」
「意外だな、セッターを挙げるかと思った」
「それももちろんあるけど、……ここんとこ牛島さん対策ばっかやってて、先週末試合だったから。すっげー大変で、知れば知るほどあの人やべーなって」
「なるほど、アナリスト目線というわけだな」

 影山は曖昧にうなずいて、黒々とした睫毛の広がるまぶたを伏せた。

「こっちのブロックに割く人数とか移動距離とか、あと向こうのテンポとか局面……、そういうのと、牛島さんの決定率見比べても、あんまソレっぽい数字が出ないんですよね」
「相関関係が見いだせないということかい?」
「ハイ。なんか、考えるの馬鹿らしくなります。牛島さんがノってれば無条件に決まる気ぃする」
「はは、随分豪快に匙を投げたな」
「まあ、よくないんスけど。ああいう人見ると理屈じゃねーなって。バレーって、だからおもしれぇんだよなって思うから、困ってますけど、好きです」
「そうか」

 その表情は、嘘偽りなく純粋なバレー少年のそれだった。「好き」は恋愛の意味など孕みようもなかった。それを尊く思うと同時に、男の胸には黒々とした欲望が湧き出してくる。
 けがれなく、まだ、誰のものでもなく、不自然なほどに清廉だ。

「影山くんは21歳だったね」
「はい」
「彼女は?」
「……いません」

 やはり、そうだ。影山には似合わない。きっと大学に入ってからはバレー漬けだったのだろう。それを侵すすべてに対して距離を置き、潔白なまま、4年を終えようとしている。マリンブルーの澄んだ瞳も白く浮き立つ頬も優美な横顔の稜線も、女性にとって魅力的である以上に、男の支配欲を誘う完璧な造形だった。アスリート特有の禁欲を持つ男たちにとって唯一許される欲望の出口になりえる。彼は理不尽を受容し、浄化してしまう。

「影山くん、飲み物はどう? 酒は苦手かね?」
「俺あんま強くないんで……」
「メニューの右のところ、これなら口当たりもいいし、度数も弱い。社会人になるんだから、こういう機会に練習しておくといい」
「はぁ……大丈夫っすかね……」

 首を傾げながら、届いた酒を二口、三口と彼は飲んだ。飲み口が爽やかで、倒れるほんの直前まで、彼はその酒の強さに気付かなかったに違いない。抱き止めた男の腕の中で一瞬浮かべた絶望の眼差しが、目を覆うほどに美しかった。



 その夜以来、青年は男を見るたび嫌悪と侮蔑、そして諦めを浮かべるようになった。一人きりのベッドで機械に弄ばれ乱れる姿は男の想像を超えていやらしく、美しく、男は数限りなくシャッターを切った。相変わらず烏野の現場ではその頭脳を遺憾なく発揮しているようで、彼への評価は高まるばかりだったが、不意に見せるしぐさや表情が周囲の男を戸惑わせているのを何度も間近で見た。

「影山くん、君に1つ、大事な頼みがある」
「手、ほどいて……、外してください」
「ある選手の健康管理を君に任せたい」
「健康管理……? なんで、俺……そういう仕事じゃない」

 濡れた瞳が男を見上げる。妖艶だ。美しくあどけない。

「牛島若利」

 その名前を聞いた瞬間、青年の目はびくりと正気を取り戻した。

「彼を頼む」
「牛島さん……?」
「君の力が必要だ。彼の力になってほしい」

 牛島若利に恐らく、虚飾は通用しない。本心から彼を肯定する影山にしかきっとできない仕事になるだろう。影山は意味も分からず、ただ困惑の表情を浮かべていた。

「代表合宿中の話だ。もう少し先になるが……」

 苦く笑いかけると、影山は眉根を寄せて唇を噛んだ。心を閉ざしきっていた彼が、牛島の名に揺れているのはどうやら間違いなかった。