intermission II

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がちょう@WT

すでに記憶のかなたすぎるかもしれないワートリの連載…
何がどこからどうイフなんだと頭が痛いのですが
「ほもな時点でイフだよ」という真理にケツを蹴られながら
次の更新の頭のとこをちょこっとだけ公開します。
出水に背後霊くっつけるの、9話めにして初。でした…。




 見慣れない天井を見上げる出水の耳に蘇るのは、ボーダーの食堂で聞いた東の声だ。

「3倍だ」

 明るい窓際の席だった。
 ちょうど東は3回コーヒーの中でスプーンを回して、溶けきらないミルクが渦を巻くカップに口をつけた。

「攻撃する側は、防御する側の3倍以上の戦力が要る。現代の戦術理論の通説だな」

 出水は東の向かいの席で、みかんジュースのストローをゆるく噛む。
 隣には確か米屋がいたっけ。でも、寝ていた気がする。出水も小難しい戦術論をノート片手に聞くほど座学好きなたちではなかったが、太刀川隊で理論武装を多少なれ受け持つとしたら自分だろうと思っていて、だから時々東を捕まえて話を聞いていた。そういう出水を東がどう思っていたのかもう、分からないけれど、東はいつも学校の先生のようで、分かりやすくて親切だった。
 麻の布に似た目の粗いシーツ、持て余すほど大きなベッドの上で確かめるように爪先をすべらせる。
 太陽が昇れば勝手に体が起きだすような日当たりのいい居室で数度目の朝を迎えた。どこでも寝られる取り回しのいい自分の体に感謝しながら、同時に「賭け」で2敗目を喫した事実を悟って溜め息がこぼれた。

「よく寝たようだな。玄界の射手よ」
「……くっそが」

 いつの間にか入り口の辺りに大柄な男が立っていた。
 すっかり朝の身支度を終えたらしい男に愉快げに言われ、出水は渋面をつくる。

「混ぜただろ、薬、どれかに」
「寝がけのミルクだ」
「はぁ!? 結局入ってたのかよ!」
「まさか飲むと思わなかった。おもしろいやつだな。本当に兵士か?」
「副業なんだっつーの!」

 ベッドで胡座する出水を眺め、男――ハイレインは笑って見せた。それがいやに柔らかく、本心らしく見えて、出水はやりにくさを覚える。人心掌握術の1つだろうか。ストックホルム症候群なんて絶対にごめんだ。

「残りは5日だ。賭けに負けた場合は俺の手足になってもらうぞ」
「おれが勝つから、そんときゃ言うこと聞けよ、まじ」

 精いっぱい睨んでもハイレインは愉しげに笑うだけだ。
 ――賭け。出水はこのハイレインのベッドで寝泊まりをしている。7日以内に、出水よりハイレインが先に眠りに落ちること、それが出水の勝利条件だった。



 基本的に、防御は攻撃よりも有利である。攻撃には資源や知略、仕掛けの面で準備が必要であり、そのいずれかに生じた綻びはすべて防御側の勝率を高めるから失敗が許されない。また、攻撃側は補給に不利があり、さらに防御側は有利な地形を選択することも可能だ。
 東の口から語られた大規模侵攻は出水にとっては彼の講義の復習だった。
 有利といっても防御の側はいずれかの段階で攻撃に転じなければならず、敵を追い払わないかぎり防衛戦に終わりは訪れない。その際には、敵将の目的を知ることが大切になる。占領か、拿捕か、優位な講和か、戦闘の中にあっても常に思考し、戦術ではなく戦略を読み解くこと。

「今回は玉狛支部の雨取隊員が標的になったけど、『なぜ彼女を欲したのか』を正確に知らないと危険だ」
「危険?」
「戦闘の結果は絶対ではないから。あの大規模侵攻で『終わったこと』と『終わっていないこと』の区別はきちんとつけないとな。――出水」
「はい?」
「お前のような優秀な隊員は特に気を引き締めていけよ」
「えっ、ちょ、なんすか。褒めても何も出ませんって」
「そういうんじゃないよ、ただ出水は敵の大将ともやってるだろう。で、気に入られてしまったと聞いた」
「何でも知ってますね東さん……惜しい駒だとかなんとか、あ、『捕らえて部下に加えたかった』って言ってたって、人づてに」
「そうか……」

 東はそこで、出水が少しぎょっとするくらい心配そうな色を瞳に浮かべた。
 だいじょぶですよ、と場を和ませようとして、ついさっき「気を引き締めろ」と言われたことを思い出し口を噤む。

「出水。その言い方なら、敵将――『ハイレイン』は、お前のトリオン量だけに惹かれたわけじゃなさそうだ」
「惹かれたって東さん」

 「大袈裟な」という出水の言葉を遮って、東の人さし指が出水の眉間をそっとつつく。

「出水の聡さや性格も含めて欲しがられたんだとしたら本当に厄介な話だよ。出水は誰かをサポートするのが上手いから、捕虜じゃなく部下にっていうのもいやに現実的だし」
「そ、そうかな……」
「出水はボーダーの大事な隊員だ。特に太刀川にとってはいろいろと代えが利かない。くれぐれも自分を大事にしてくれよ」
「はぁー……」

心配性だなと思ったし、ハイレインの出水への評価を高く見積もりすぎているのではないかとも感じた。けれどそのすぐあと、自分がハイレインに攫われるという予知を迅から聞かされることになるのだから、まったく東という男は恐ろしい。
 ハイレインに殴られた衝撃で朦朧とする意識の中、ワープ女ことミラの開けた窓が閉じていくのを見て、出水は思いがけず絶望的な思いに襲われた。迅の気遣いで心の準備をする時間を与えられ、やれるだけのことは全部やったつもりでいたのだ。修は下手くそなりに一応バイパーが使えるようになったし、本部や玉狛を往復してばかりの生活は充実していて楽しかった。ヤラしい本は処分したし、あと、太刀川さんとキスもした。まるで完璧だった、まるで、完璧みたいだった。


 ハイレインに横抱きにされ窓をくぐったあたりまではなんとか覚えているが、遠征艇の中ですぐに気を失った出水が意識を取り戻したのはアフトクラトルに到着してからだった。途中何度か目覚めはしたようだが、そのたびに眠らされたらしく記憶がない。
 アフトクラトルにやって来て、驚いたことがいくつかある。
 1つは、アフトクラトルにおけるハイレインの地位が想像していた以上に高かったことだ。国を支える4つの大きな派閥のうち1つの家の当主というのがまず驚きで、ふだんの仕事ぶりを見るかぎり彼個人に与えられている権限も相当大きい。一応「家」の重要人物による合議の制度があり、そこでの決定を執行するという形式ではあるが、ハイレインに意見できる人物はほぼおらず、議長として最終的な裁定権も持っている様子だ。このいびつな仕組みに至ったのは、家柄はもちろん、ハイレインが「アレクトール」に適合したことがとにかく決定的だったようだ。純粋な戦闘力だけでなく、「欠損は回復できない」ことが当然の通念であるトリオン体を任意に再構築できるというのは、宗教的ともいえるカリスマ性をハイレインに与えているようだった。「玄界」の一兵卒にすぎない出水をみずから回収に出向く独断専行が見過ごされているのも要はその一例だろう。
 アフトクラトルに連れてこられてから出水は誰からも干渉を受けておらず、ハイレイン以外の人間と会う機会はほぼない。食事や衣服、寝る場所も与えられ、自分の身分がいわゆる「捕虜」なのかさえ自信が持てないほど待遇がいい。しかも迅の予知によれば、ハイレインは出水の命を奪うつもりはないし、記憶も消されないという話だ。
 だが、大切にされているとは思わない。
 本当に大切にされるというのがどういうことか出水は知っていて、それは確かに、この場所にないものだった。


(つづく)