intermission II

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原作軸(治影)

・2017年3月
・治影、ややモブ影





 なんやと思います? 柴田さん、当ててみてください。
 年若い店主は、カウンターの向こうでいたずらっぽく笑いながら、男に問いかけた。筋肉質な腕が、手際よく雪平鍋の中をかき混ぜている。ごま油の香ばしいにおいが男の席まで漂って、しょうのない取り繕いを試みる稚気を奪っていく。

「やっぱり宮さんは知っとるんですね」
「ええまあ。もう4年くらいの付き合いになるもんで」
「はあ、そんなに」

 夜10時を回った店には男と店主の宮、2人きりである。本当はお一人様の客がもう一人、2つ空席を挟んだ向こうにいたのだが、電話が入ったようで、今は表に出てしまっている。月に2、3回この「おにぎり宮」に通う男は、たいていの常連と顔なじみになったものと思っていたので、初めて見かける青年が宮と親しげに話す様子に驚いた。
 横顔を向ける彼を一目見て、何か特別な立場にある青年に違いない、と男は確信した。チャコールグレーのモヘアニットに、スリムなシルエットのデニム、髪はセットされるでもなく、飾り気のない様子である。だが、一目見れば忘れられない、凛と洗練された佇まいが青年にはあった。白い肌に映える黒々とした長い睫毛、端正で、隙のない顔立ち。ありていに言えば、青年はとても美しかった。

 ――見過ぎとちゃいますか?

 青年が席を外したあと、宮にさらりと指摘された。男より一回り以上若いのに、腕が確かで、分別の冴えた店主に男は一目も二目も置いており、そんな彼に邪心を見抜かれたことに焦った。客どうしのささいなもめ事や秋波には、一歩さがったところから目を配っているのが常の店主である。入店時に軽くあいさつをしたきり、素知らぬ顔で日本酒を傾けていたつもりだったが、宮に口出しをされるほど関心が態度に出ていただろうかと、男は気恥ずかしくなった。

 ――不思議な雰囲気のひとやなぁ思て。学生さんと違いますよね?
 ――ええ。ああ、なんや。そうか、柴田さんは仕事一筋やもんなあ。
 ――どういうことです?
 ――彼、結構有名人なんですよ。てっきり、それで見とったんかと。
 ――ああ、僕、テレビ見んからかな。有名な人やったんか、分からんかった。
 ――はは、ほんならクイズしましょか。おっしゃるとおり彼、社会人なんやけど、仕事何やと思います?

 それで、話は冒頭に戻る。
 男はおにぎり宮の近郊で、大きくはないが、明治から代々続く酒蔵の当主を務めていて、よく言えば職人気質、悪く言えば世間知らずなところがある。黒髪の青年に、男は親近感に似たものを感じていたので、何かの職人や、文化人に分類されるような仕事をまず想像した。

「なんやろ。茶道のお家元とか……」
「ふふ、大胆な発想やなぁ。おもろいわぁこれ」
「さすがに若すぎますよね。でも、なんや背負っとるような、責任ある立場の人に見えたんですよね」
「うん、鋭い。それは合うてます」
「そうですか。ほんなら、なんやろなあ。あ、日舞の先生とかどうやろ。えらい……その、きれいな人やったから」
「……顔のこと?」

 男の言葉に、店主はふと手を止め、目尻を少し細めて笑った。
 なぜと問われると困ってしまうが、何かを警戒するようなしぐさと、男の目には映った。

「顔っちゅうか、全体かな。そこに座っとった雰囲気が、なんや端麗やなぁて」
「柴田さん、ああいう子好きなんや」
「へ、変な意味ちゃいますよ」
「フッフ。あ、戻ってきた」

 ガラガラと音を立てて、長身の青年が再び店内に姿を現した。身震いし、寒さをふるい落とすようにしながら、足早に席に戻って腰を下ろす。

「おかえり。電話へいき?」
「はい、全然。業務連絡でした」
「外まだ冷えたやろ」
「寒かったっす。昼間あったかかったから、ナメてました」

 うん。せやから、ジャケット持っていきって言うたやろ。嗜めるような台詞を、店主は独り言のようにおっとりと言う。青年を見つめる眼差しは柔らかく、まるで鳥籠の雛鳥でも見守るようだった。

「せや、おでん食う? 今日な、近々始めよー思て、試作品仕込んであんねん」
「えっ!? 食います! すげえ、おでんいいっすね」
「せやろ? どうです、柴田さんも」
「ぜひ頼みます。おでん大好きやわ」
「よかった。大根とこんにゃくと卵、牛スジ。あと俺の趣味でじゃがいも。嫌いなもんないです?」
「全部好きや」
「俺も」

 宮の問いかけに頷いた青年が、共感を示して男を振り返り、ばっちり目が合う。横顔も端正だったが、正面から向き合う顔も、くらりと酔いが回るほど美しい。

「飛雄くん、そちらの常連さん、柴田さん言うねんけど。飛雄くんのこと、茶道か日舞の先生ちゃうかって」
「……俺が? っすか?」
「宮さん、あかんよ、オフレコで頼むわ」
「ふふ、すんません。柴田さん、こちら影山飛雄くん。正解はな、バレーボール選手でした。日本代表の選手なんですよ、すごいやろ」
「え!? あ、ほんなら、宮さんの双子のご兄弟とおんなしやないですか」
「そうですね。俺が知り合うたんも、バレーの大会でやったんです。飛雄くん、リオオリンピック出とったんですよ。CMもやっとるし、ほんまに知らん?」
「そういわれてみたら、なんや覚えがあるような気ぃしてくるけど……えらい失礼なこと言うて、ほんまにすみません」
「そんなことないです。全然、俺バレーやってるだけだし……顔指されんのも、まだ慣れなくて。気にしないでください」
「いや、世間に疎くて本当にお恥ずかしい。僕のクイズの答えは大外れやなあ」
「飛雄くん、柴田さんな。飛雄くんがべっぴんやからって、えらい迷っとったんやで」
「べっぴん……? 何がっすか」
「ケツがべっぴんなことあらへんやろ。顔や顔」
「もう、宮さん、全部言うやないですか。むっちゃ恥ずかしいわ」

 宮の説明を聞いても、影山青年はまだ話がのみ込めていない様子で、自身の見てくれによほど興味がないようだった。それからしばらく試作品のおでんに舌つづみを打ちながら、宮を挟んで3人で盛り上がったが、自分の立場を鼻にかけることもなく、男の話にも物珍しそうに耳を傾けた。

「ほな、僕も今日はこれで」

 閉店まで30分ほどを残して、影山青年は店を後にした。彼を見送り、看板照明を手に宮が戻ってきたところで、男も財布を取り出し腰を浮かせる。

「おいくらですか?」
「今日は4000円ちょうどです。いつもありがとうございます」
「こちらこそ、今日は影山くんにも会えたし、おでんもごちそうになってもうたし、ほんま楽しかったわ。店にはよう来るんですか、影山くん」

 機会があれば、ぜひまた同席したい。どこかふわふわとした気分で男は尋ねた。

「いえ、東京住まいやから、こっちに来るんはたまのオフくらいで。年に2回……3回くらいかな」
「へえ、ほんなら今日はホテルにでも泊まるんやろか」

 男が五千円札を差し出すと、店主はまた目を細めて、いやにゆったりとした動作で紙幣を受け取った。

「ホテルちゃいますよ」
「あ、そうなんですか?」
「俺の家です」
「え?」
「柴田さん。飛雄くんはだめですよ。俺が今、必死になって口説いとるんやから」

 男はあっけにとられて、差し出された釣りの千円札を手に載せたまま、ぼうっと店主の顔を見つめる。

「宮さんが」
「はい」
「必死!」
「はは、そこですか?」
「意外や。びっくりした。そうですか、そら、大ごとや」
「ええ。大ごとなんです。飛雄くん、清純派と鈍感派のハイブリッドやから、俺も頑張らな、なかなか気持ちが伝わらへんし。可愛いけど、ほんまに厄介で」
「なんやどきどきするなあ……」

 少女漫画みたいで、と男が頬をかくと、宮はまたふふ、と笑って「はよハッピーエンドで完結せんかなあ」と楽しげにぼやいた。

 ほどなくして、宮は影山青年を口説き落とすことに成功したらしく、めでたいような、ほんの少し残念なような、不思議な心持ちになった。

「ほんで、どうやってOKもろたんです?」
「せやなあ、なかなかの口説き文句やったなあ、あれは。柴田さん、当ててみてください」
「ええ、また?」

 年若い店主の、惚気まじりの意地悪なクイズに、男は再び頭を抱えるのだった。