intermission II

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原作軸(侑影)

・侑影がだらだらしてる話
・未来ないし過去
・2016年1月あたり

 



 もぉ、サインとかほんま勘弁。サービストークはもっと勘弁。
 出待ちの人波を無言で通り抜け、「侑、今日機嫌悪そう」なんて囁き声を背中で聞く。聞こえとるわアホ、ブタ。ブタは違います、言うてません、会社員てコンプラコンプラ面倒くさい。今度ムッチャ機嫌ええとき埋め合わせするから、今日は全員俺に構わんといてくれ偶蹄目。
 とにかく最悪な試合だった。歯車が狂い始めたのは恐らく先週のリーグ戦からで、その違和感が見事結実した土日の出来は先週を下回り侑史上最低を記録した。そんなことを言いだしたらオワリ、と治辺りにたしなめられそうだが、チームメイトも監督もコーチもみんなどっかおかしいと思う。サイドが決まらんからミドル使うとるだけや、俺は。文句あんなら決めてみろ。嘘です、俺やありません、そんな野次が聞こえました。
 これから、外に停めてあるバスで駅まで移動し、新幹線に乗り換える。一気に本拠地まで戻って、僅かばかりの休息だ。あと数時間は、誰かと一緒にいなければならないのが苦痛だ。ちゃんと人らしくしていなければいけないのが何よりしんどい。リュックを背負い直して、バスのステップに足をかけたところで、侑は視界の端を横切る黒い頭に目を奪われた。

「飛雄くん」

 フードとマスクで顔を隠し人目を避けていた自分の努力を盛大に無駄にしながら、侑は声を上げ、その丸い頭の主に向かって駆け出していた。焦っていた。なにせ、影山飛雄は今まさに、タクシーに乗り込むところだったのだ。車が走りだしてしまったら、遠く離れた場所に本拠地を置く彼とは、当面まともに会うことはできない。

「宮さん」

 声を上げたせいで警備の向こうのファンたちに単独行に気付かれきゃあきゃあと声が上がってしまったが、幸い影山本人の耳にも届いたようで、彼は歩を止め侑を振り返った。

「え、どうしたんですか」

 試合のあととは思えない、つるんとした頬が、薄曇りの中白々している。さっきまでコートに中であんなにも鋭く、険しかった眼差しが、今の侑に対しては随分不用意にゆるむ。これが、共に日の丸を着ける男の特権か。

「君こそなんでタクシーやねん、セレブか」
「違います、俺別行動で……何で押すんですか」
「ちょぉ乗せて、3分でええから」
「なんでですか、ちょっと」

 影山ごと侑がタクシーに乗り込むと、ありがたくも背後でドアが閉まった。運転手が気を利かせてくれたものらしい。助かるほんま、豚骨ラーメン1年分プレゼントさして。
 雑音を締め出した車内で、呆けた様子の影山と顔を見合わせる。見慣れた、でも会うたびに纏う雰囲気を変える影山の顔を、ずっと見ていられるような気がして、言葉を紡ぎそこねる。気を遣ったらしい影山が、「バス、大丈夫ですか?」と、声をひそめた。

「すぐには出ぇへんから……飛雄くんは? チームバス乗らんの?」
「俺、東京行くんで。駅行って新幹線」
「うそ、コッチ来んの? なんか取材?」
「テレビです」
「シーズン中やん」
「なんか会社が冠スポンサー? とかいうのやってる、でけー企画だからどうしてもって」
「そんなんあるんや」
「あの、宮さん。俺らすげー見られてますよね……。いちおう、さっきまで戦ってたどうしなんで、やっぱ」
「ええわそれは今。ええやろ、知らんけど。なあ、東京いつまでおるん」
「今日前泊で、明日収録です。夜なんで、もう1泊して帰ります」
「空き時間あるよなそれ。俺と会えるやん」

 提案するような言葉選びとは裏腹に、侑は影山に選択肢を与えてなどいなかった。

「ホテルどこ? 迎え行くで」

 有無を言わさぬ口調に、影山は、侑の瞳を見つめ返した。数回、瞬きをして、やがてシートに放り出していたスマホに手を伸ばした。

「ここ」

 昔IDを交換したきり、ずっと使っていなかった影山とのトークルームに、URLが飛んでくる。確認し、画面から顔を上げると、どこか心配げな影山の瞳に出会う。
 侑がなぜ影山を追いかけてきたのか、彼はきっともう分かっている。そう確信してしまった。

「ほんまに迎え行くけど」
「……どうぞ」
「原宿行こ」
「いいっすよ」
「デートやで」
「……はい。いいですよ」
「飛雄くん」

 何の前触れもなく、肩口に顔をうずめるように、侑は影山に体重を預ける。抱きついた体から、清潔なボディソープの匂いがする。

「やっぱ原宿行くんやめよかな」

 バレーの話がしたいし、でも、全然したくない気もする。明日、会ってから考えればいいのかもしれない。気を遣う相手でもない。お互い、心を丸裸にしながら共に戦ってきた戦友だ。

「宮さん」
「ん?」
「俺は好きです」
「……そお?」

 何をとは言わなくても分かってしまった。影山が好きなものなんて、自分のバレーくらいしかないからだ。



「今から原宿ですか?」
「では、ないわさすがに」

 ホテルを訪れると、戸惑うほど不用心にドアが開き、影山は侑を部屋に招き入れた。原宿へ行くわけもない――のは、気分が乗らないからとかではなくて、単に夜だからだ。

「明日って言いましたよね?」
「言うた。ええやん」

 チームが解散してから、時間を持て余してしまい、結局無予告で影山の宿泊先を訪れてしまった。寮の部屋の中にいると、それだけで塞いだ気持ちになってしまうから困る。

「だめやった?」
「そうじゃないですけど」
「なん」
「宮さん、前に俺の格好ダサいって言ったじゃないすか」

 ツインルームの、手前のベッドに腰掛ける侑を横目に、影山がキャリーバッグの中をあさっている。

「言うたかも」
「だから、明日はちゃんとしようと思ってたんです。来んなら着替えりゃよかった」
「飛雄くん……」
「なんですか」
「むっちゃキュンとさしてくるやん、て思て」
「はぁ?」
「あ、いや、確かにちょいダサい、かな」
「……むかつきました」
「いや、まあええねん君は。無地着ていい顔やから、別にそれでも」
「よくわからないです」
「分からんでええよ。なあ、ちょお、こっち座り」

 布団を叩いて隣を示すと、影山は手を止めて、ゆっくり侑のそばにやって来る。

「無地着ていい顔って何ですか?」
「イケメン無罪って話」
「……褒めても何も出ませんよ」
「出さんでええわ」
「でも、泊まっていいですよ、今日」
「ふはっ、ほんまに? なーんてなあ、元から泊まる気満々や」

 腕を引くと、明日お金ちゃんと払ってくださいね、と言いながら影山が隣に腰を下ろした。

「なあ飛雄くん」
「はい」
「バレーしんど」
「そうですか」
「飛雄くんトコええなあ、むっちゃバランス取れとるやん」
「うちは昨シーズンの終わりのほうヤバかったんで、その反省で」
「あー、確かにプレーオフひどかったな」
「ですよね」
「なん受け入れてるん。悪口やで、怒りや」
「ほんと手の施しようねーくらいひどかったんで」
「ハハ……毒吐く飛雄くん、わりと好き」
「そっすか」
「なあ、飛雄くん。俺下手なってる?」
「なってないです」
「即答すんのかい」

 思わず吹き出し、ベッドに背から倒れこむと、影山が侑の顔を見下ろし「なってないから」と畳みかけてきた。

「ほんま? 上手い?」
「上手いです」
「やば。好きになりそうや」

 影山がベッドについていた腕を引っ張り、隣に倒す。その勢いのまま、影山の体の上に乗り上がると、彼はいやに穏やかに、侑を見上げた。

「寝ますか?」
「どっちの意味?」
「どっち?」
「あ、ごめん分かった」
「眠くないですか。今日試合したし」
「そやったわ。むちゃくちゃ疲れとる、思いのほか」
「寝ましょう」
「えぇ、もったいないやん、なんか」

 侑に半ば押し倒されているような体勢も気にならない様子で、影山の瞼はうとうとと落ちかけている。

「ほんまに寝るん?」
「はい」
「変なヤツやなあ、君」
「変なのは宮さんです」
「なんで」
「宮さん、イケメンで、女の人にすげーモテるのに」
「なぁん、それ? まあモテるなあ」
「今日みたいな日に、俺のとことか来る」

 吐息をシーツに沈めながら、丸く大きな瞳で影山は侑を見上げる。
 きみのほうこそ、イケメンで、女子にくっそモテんのにな。なに、俺の抱き枕担当で満足してもうてんの。

「それは、……せやな。うん。ちょい変かも」

 顎先に触れる髪に顔をうずめ、少し高めの体温にまどろむうち、侑も眠りに落ちていた。




 シャワーの音で目を覚ました。
 断続的な水音に意識を撫でられながら、ベッドの上に起き上がる。
 時計を見遣れば、7時過ぎで、先に起きだしていたらしい影山の健全すぎる生活リズムに呆れた。
 いつ脱ぎ落したのやら、まるで覚えのないジャケットを床から拾って、昨夜から着通しのTシャツの裾に手をかける。

「あ、はざっす」

 侑の首がシャツの襟から抜けたところで、シャワールームのドアが開いた。
 下着のほかは、バスタオルを羽織っただけの格好で、影山は「存在を忘れていた」とでも言わんばかりに気まずげに髪を拭った。

「めちゃくちゃエッチやん」
「……元気そうでよかったです。風呂どうぞ」
「どーも……」

 背を向けて、すっかり白んだ窓際へと向かう影山に、「なあ」と侑は口を開く。

「タピりに行くで、今日」
「タピオカ? 飲むってことですか?」
「おん、そう。ようできました。タピオカはちゃんと噛んでな」
「……はあ」
「一日デートや。ほんで、テレビ局まで送ったる。君方向音痴っぽいし」
「あざっす、すげえ助かります」
「ほんで……」

 腕をつかむと、バスタオルが肩をすべって、まぶしいいほど白い肌が目の前にさらされた。

「夜、また会いたいねんけど」

 己を窓際へと追いやる男を見つめて影山は頷き、ほんのりと頬を染めるのだった。