intermission II

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日影パラレル※R-15

・日影パラレル
・ほんのりといやらしいR-15


 アイスは一律100円、良心的な税込価格。あと、夜だらだらテレビ見るとき用のスナック菓子か、気分でラムネの瓶を買って、だいたい、締めて200円から300円。地域の小さな商店にとっても、客単価の高いほうでない自覚が日向にもある。あるが、しかし、だからといって、この接客態度が許されるわけではないと思うんだけど、いかがですかそこのところ。

「230円」
「『です』とか付けろよ! はい、ちょうど!」
「……フン」

 夕暮れに染まるカウンターの向こうで、一日店長、ならぬ1か月店主が、尊大な態度で頬杖をつく。

「フン!? 『まいどあり』とか言わない!? 烏養さんは言うぞ!!」
「お前以外には言う」
「ぬぁんでそういうことするかな……」

 この8月、青年がワンオペで回している店は、名を坂ノ下商店という。本来なら、「烏養さん」という気のいい金髪のアニキが店主としてレジに座っているのだけど、親戚が病気をして畑を見なきゃいけなくなったそうで、田舎にいっとき帰ってしまった。そこで夏休み限定の代打として送り込まれてきたのがこの「影山」という、同い年の男なのだが、なかなかどうしてはちゃめちゃに、日向とは折り合いがよろしくない。もうこれは出会った初日から直感で、「あ、ダメ!」って感じだった。たぶん、お互いに。
 おかげで、大学のサークルで体を動かし、シャワーを浴びて、チャリをこぎ自然の扇風機で髪を乾かし、「烏養さん」とおしゃべりをしながらキンキンに冷えたアイスを店の円テーブルで頬張る、という日向の幸せのルーティンはこの夏終わりを迎えてしまった。それでもこの店に立ち寄ってしまうのはひとえに立地ゆえだ。大学から家まで、まだもうひと踏ん張り自転車で坂道を上り下りしないといけないから、どうしても、ここらで息をつくのがベストムーブなのだ。
 影山――影山飛雄という、烏養の知り合い青年も、日向と同じく大学生であるらしい。スポーツをやっているみたいで、Tシャツの袖口やハーフパンツから、よく鍛えられた手足がのぞいている。背が高くて羨ましい。正直顔も結構、きれいで、近所でちょっと噂になったりしている。そう、顔はいい。かなりアリ。顔以外がよくないので台無しだけど。

「なあお前、ほんとに烏養さんと仲いいの? どういう関係?」
「店ん中で食うな、帰れ」
「ここイートインだろ!?」
「いいから帰れ」

 ひぐらしの鳴き声の隙間を、つやのある声が凛と抜けて耳に届く。

「烏養さんとは、遠縁の親戚だ」
「へえ、あ、そうなんだ。似てねーな」
「似るかよ、何頭身離れてると思ってんだ」
「親等な。影山くんもしや、おバカなの?」
「う、っせえな」

 どうにも頭は残念そうだが、外見にステータスを振りまくっている影山は実際8.5頭身くらいありそうだった。背が高くて、顔が小さくて、足余ってます、という感じだ。椅子の上で膝を抱くしかめっ面の横顔も、なんだか知性的に見えるからずるい。もはや詐欺じゃんか。
 ほとんど毎日こうして顔を合わせ、悪態をつき合うこと約3週間。期間の長さの割に、二人はあまりお互いのことを知らない。少し冷房の効きの悪い店内で、日向はいつも、冷たいアイスで食道を冷やしながら、店番をする影山を見つめている。確か、こっちにいる間、この家で暮らしてるんだっけ。花火大会の日、表のシャッターを閉めたあと、家の中に入っていく姿を見た覚えがある。

「なあ、いつまでいんの」
「今週末」
「えっ?」

 目を丸くする日向をよそに、影山は袋菓子の入った段ボールを手に立ち上がる。そのまま、商品の補充作業に取りかかり、日向に背を向け腰を落としてしまった。

「来週までいんじゃねーの?」
「烏養さん、もう戻るらしいから。俺も大学始まるし」
「まじかよ」

 筋肉質な腕が、一つ一つ菓子の袋を取り上げて、賞味期限を確かめては、棚に戻す。影山の隣に腰を落とすと、夕焼けの陰になった顔から、きらりと光る瞳がこちらを見た。日向はつい、目を細める。
 あー、すげぇ、きれいな顔。

「かげやま」

 手首をつかむと、影山は薄い唇を閉じて、じっと日向を見つめた。その額を、たらりと汗が伝う。親しくもないのに腕なんかつかまれて、それでも影山は手を振りほどくことはなかった。彼がそういう反応を見せることを、どうしてか、日向は確信していたように思う。

「……だめ?」
「お前そっち?」
「うん」
「分かりづれぇ」
「うん、ばれたことない」
「だろーな」
「でも」

 手首から手のひらへ、指を這わせ、絡める。指の股を擦ると、影山はピクンと目尻を震わせた。

「おれ、影山のこと、初めからそういう目で見てた」

 恥じらいと、戸惑いと、怒りと期待と、さまざまな感情が影山の瞳に躍って、やがてそれが受容に落ち着くのを見届けた。まばたきとともに、ごくりと己の喉が鳴る。



 店じまいの夜8時まで、日向は店の奥の階段を上った先にある、畳敷きの部屋で過ごした。風呂を借りたあと、影山が沸かしたらしい麦茶を頂戴し、ちゃぶ台のそばで、もどかしい思いですする。氷はもう、半分ほど融けていた。
 家主不在の家に招き入れるのはいかがか、という懸念はあるが、もともと日向と烏養は親しいし、まあ、許してもらえるだろう。部屋の隅には布団が折り畳まれていた。影山はふだんここを根城にしているらしい。つい、そろりと手を伸ばす。

「敷いといたら怒られっかな……」
「何やってんだよ」
「うぉあああっ、影山!!」

 低い声に驚いて、背中から見事にひっくり返った。さかさまの視界に、濡れ髪をタオルで拭いながら部屋に入ってくる影山の姿が映る。

「ふ、風呂入ってきたんだ」
「おー」

 三つ折りの布団が、膝を曲げて横たわる人間のように中途半端に開いている。
 ここからどうしようか。
 なんとか体勢を立て直した日向の前に、影山がどかりと腰を下ろす。夏だというのに、内腿が眩しいくらいに白かった。

「影山ってスポーツやってんの?」
「まあ」
「なにやってんの?」
「いろいろ」

 じっと瞳を見つめる影山から寄越される素っ気ない答えに、昨日までの日向なら怒ったかもしれない。でも今は、それが、面倒な駆け引きをスキップしようとする影山の誘い文句に思えてしまうくらい、頭を煩悩に占領されている。

「えーっと、その」
「ひなた」

 血をせき止められて、それから逆流しているかのような興奮が走った。
 名前を呼ばれた。初めて。たぶん。
 顔を上げると、澄んだ藍色の瞳と視線がぶつかる。どくどくと体の中を血が巡る。

「影山……」
「さっき言ったやつ」
「うん」
「『そういう目』で」
「うん」
「見ていい」
「……っと、待って、やべえやつじゃんお前」

 両手を伸ばし、Tシャツの肩を力まかせに押す。そのまま体重をかけて、馬乗りになった。よく鍛えられたしなやかな体は、風呂の熱を残して火照っていた。こんなやつ、相手に困るわけがない。そう思ってしまうほど雄弁に、端正な顔が色香を纏う。

「るっせえな」
「なんで受け入れんの……?」
「……分かんないけど、なんか、ダメだ」

 指先で輪郭をなぞるように頬をこすると、影山がまぶたを震わせた。

「さっきまでやっぱナシにしようと思ってたのに、お前の顔見ちまうと、どうぞってなる」
「エロすぎるだろ」
「何がだよ」
「存在レベルで」
「意味分かんねえ」

 そうつぶやいた影山の体から、ふっと力が抜けるのが分かった。来いよと誘われているみたいだった。唇を重ねると、影山は少し口を開いて、日向の舌を誘惑する。

「なあ、影山、エッチしたい」
「だから、していいって言ってるだろ」
「痛くて、やめろって言われても止まれないかも……てか多分無理」
「言わない」

 首の後ろにするりと腕を回され、耳元で、濡れた吐息が口を利いた。

「準備した、から、痛くない」

 目の前で、ばちばちと火花が散った気がする。ヒトの理性を突き崩す方法を本能で知っているみたいだ。頬に小さく口づけられ、ぐらりと視界が歪んだ。



 影山飛雄という男は恐らくこうした行為が初めてではなくて、日向に対してそうだったのと同様に、付き合っていなくても関係を持つことがあるのだ、と思う。

「そういうのよくねーと思います」
「ヤってから言うな」

 間髪をいれずド正論パンチを食らい、日向はアイスをくわえたまま、あえなく撃沈する。
 昨夜の出来事は夢だったのではないか。翌日夕方、無事そっけない態度を取り戻した影山に迎えられ、日向はまたイートインで正体を失っている。
 妄想だった説はあるにはある。筆文字のクソダサTシャツを着たこの男が、地球がどうにかなってしまうんじゃないかというくらいエロい顔で、エロい声で、日向に抱かれていたなんて嘘みたいだ。想像したとおり、いやそれ以上に彼の体は肉感的で、敏感だった。影山の中は、泥沼に溺れているみたいに気持ちがよかった。
 クソダサTとベストマッチな2本ラインのハーフパンツから伸びるしなやかな足に、日向が残したキスマークが見え隠れしていなければ、記憶の混濁の線を追う必要があったかもしれない。

「影山くん、モモ! モモ見えてるから!」

 例によって片足を抱き、売り物のジャンプをめくる不遜なレジ業務態度がゆえ、いやらしさが全身からあふれ出してしまっている。痕を残すんじゃなかった。エロティックさのあまりつい。

「俺の足とか見んのお前くらいだ」
「なわけねーだろ! なんでお前そんな自分の外見に無頓着なんだよ!」
「知るか、どうでもいい」
「もー、怖いよお前……」

 影山がこの店を離れ地元に帰ってしまうまで、今日を含めてあと3日しかない。場所を聞けばめちゃくちゃ遠かった。このまま帰したら、きっとそこで関係が終わってしまう。

「エッチしたあとに言うの何だけれども。おれと付き合ってほしい」
「なんで」
「好きだから」
「ふうん」
「『ふうん』!? そんな答えありえんの!?」
「好きとかよく分かんねえ」
「みたいだけどさ……。帰っちゃっても、また会いたいって言ってんだよー、分かれよ」
「まあ、いいけど」
「……え!?」
「お前は、なんか特別みてーだから」

 イートインの、木製のスツールに座る日向に、己の足を抱いた影山がにやりと笑いかける。その指先が、意図を持って彼の素足を這い、キスマークの上をなぞった。

「影山さん」
「なに」
「あと3日あるよな」
「おう」
「あと3日、ご予定は」
「ある。けど、夜はない」

 じゃあ、あと三晩ご一緒してから、正式に。そう言って日向が頭を下げると、影山は、「まいどあり」などとのたまい、理性を吹き飛ばさんとする扇情的な笑みを浮かべるのだった。