intermission II

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原作軸未来、海外話(牛影)

・牛影未来
・異国にて



 世界であなたと二人だけになっても、あなたとは付き合わない。
 日本から送ってもらったバラエティー番組のDVDで、タレントの女の人が、ある芸人に向かって言っていた。面食らったその芸人が、「俺だってお断りだ!」と応戦し、小さなスタジオはがちゃがちゃの大騒ぎになって、収拾のつかないまま番組は終わった。
 心配性の山口らしい。この秋から海外で一人暮らしを始めた俺を心配して、日本で放送されている番組を録りためて山口が送ってくれるので、見るようになった。あまり興味はないし、要らない、とは言ったものの、せっかくなのでと再生してみると、案外よかった。日本にいたころ、テレビなんて積極的に見ているつもりはなかったが、寮の食堂とか先輩の部屋とか、意外に目にしていたらしく、異国の言葉に埋め尽くされた暮らしの中で垂れ流す日本のバラエティーは、影山に癒やしと郷愁をもたらした。
 タレントがしゃべる言葉になんて、注意を払ったことはなかったけれど、冒頭の台詞はなんだか気になった。コミュニケーション不得手を自覚している影山でも、例えば「このチームでやっていけ!」と命じられれば、それなりに頑張る。世界で6人きりのチームメイトであるなら、例えば月島のように性格のひねくれたヤツとでも、俺はバレーをやっていくだろうなと影山は思う。が、件の女性タレントは、そんな究極の状況でも、最低限、選り好みをしたいのだという。そうか。そういうものかと考えた。
 バレーはともかく、恋人や、家族、友人なら、それが普通かもしれない。ほかに候補がいないからと言って、嫌いな人間と無理やり付き合う道理はない。確かに。

 そういうわけなので、影山は、今自分が置かれている状況を、どう解釈すべきかと頭を悩ませている。牛島が左手に持った箸でエンガワの寿司を挟み、口元に運ぶのを、イカを咀嚼しながら正面で見つめているこの状況を、である。

「ここ旨いっすね」
「ああ。海外の日本料理屋も馬鹿にできない」
「はい」

 時を同じくし、まったく偶然に、影山と牛島はさらなるバレーの高みを求めて異国の地へ渡った。所属チームはもちろん、代理人だって別だし、示し合わせたわけではないのだが、そういう巡り合わせが起きてしまった。
 つい先ほど、影山のチームは牛島のチームと移籍後初めての対戦を迎えた。体育館で顔を合わせ、軽く目礼。試合をする。二人はそれぞれ、半分ほど出場した。試合後、日本から来ていたファンの対応をしていたら、彼女たちが牛島を見つけて声をかけた。隣り合い、巻き込まれた牛島とともにファンサを終えると、彼は唐突に、「バスには乗らなければいけないのか?」と言った。意味が分からず首をかしげる影山に、「時間はあるか?」と言葉をかえた。その日は牛島のチームのホームゲームで、影山の本拠地はそこから約70キロの距離にあるので、チームバスで会場にやって来ていた。何もなければ、影山はそれに乗って本拠地に戻り、それからジムに停めた車で自宅に帰る予定だった。
 「一応、もう解散です」と返事をしたところで、二人に気付いた影山チームのスタッフがそばに寄ってきて、「ディナー?」と尋ねてきた。慣れない異国の地で日々を過ごす日本人を気遣ってくれたらしい、「一緒に食事でもするのか?」あるいは、「すればいいじゃないか」という意味だったのかもしれない。牛島と顔を見合わせたのち、影山が「ヤー」と答えると、彼は親指を立てて、影山を残し、チームバスへと乗り込んでいった。
 そして今に至る。牛島の住む町は影山の本拠地に比べて結構都会で、日本食レストランがあるというので連れられて来た。車で20分ほど。牛島の車の助手席に座るなんて、半年前なら想像もしなかったことだ。

「……寒くなってきましたね」
「ああ。雪が降っていないのが不思議なくらいだ」
「こっちけっこう積もるって聞きました」
「ああ。だが雪かきは得意だ」
「俺も……」

 テーブルの上は、寿司に吸い物に香の物にと和の風景だが、窓の外は一変、見慣れぬ背格好の建物が立ち並ぶ異国の景色である。空は重く白く、ほの暗い。それがこの時期ずっと続く。

「次当たるの、いつでしたっけ」
「……忘れた」
「俺はともかく、牛島さんがそういうの意外です」
「そうか? 大抵目先の1、2試合のことしか考えてないぞ」
「まじかよ、……ですか」
「ミーティングも何を言っているかあまり分からないしな」
「英語ですよね?」
「英語が分からない」

 牛島は真顔だ。まるでこちらにやって来て初めて「そういえば、俺は英語が分からないようだ」と気付いたかのような、現状への消化不良を孕んだ物言いに、影山は笑いそうになった。

「お前は?」
「俺もです。勉強ちゃんとしとけばよかった」
「そうか。セッターは特に大変だろうな」
「はい、まあ。今久しぶりに日本語喋ってるから、懐かしいです」
「そうだな……」

 ずず、と緑茶を啜り、牛島はほうっと息をついた。周りを見渡せば、日本人が半分、現地の人が半分、といったところだ。談笑しながらゆったり食事を進める彼らを途中びゅんびゅんと追い越してしまったようで、テーブルの上のものを平らげるまでに、互いに30分とかからなかった。
 影山は、再び考える。
 俺と牛島さんは、浮いているな。
 どこか違う。この街に馴染んでいない。俺たち、たった二人だけ。
 日本にいたころ、牛島という男とあまり親しくならなかった事実と、今日、自分を牛島が呼び止めた理由を考える。
 ――世界に二人きりになったら、この人は、俺と友達になる、ということだろうか。

「牛島さん、もし」
「影山」

 少し会話が途切れたあと、互いに喋りはじめるタイミングが見事に重なってしまった。

「どうした」
「いえ、すみません。何ですか?」
「大したことではない。明日も練習かと聞こうとした」
「あ、はい。午後から」
「そうか」
「牛島さんは」
「俺も午後から」

 そうですか、と頷きながら、影山は頭の中で、家に帰るまでの算段に思考を巡らせた。食事も終えたことだし、駅までこのまま車で送ってもらおううか。幸いにして、下車駅と本拠地の体育館は程近い。
 そんな思考を遮るように、ゴトンと音がし、スパイカーらしい大きな両手が湯呑みをテーブルへと落ち着けた。

「……家に来るか?」
「はい?」
「ここの近くに、一軒家を借りている。あまり片づいていないが」
「い、行きたいです」

 目を瞠って頷いた影山に、「では、出るか」と牛島が応じ、財布を手に立ち上がった。不思議な気分だった。
 ――牛島さんは、もしかして寂しいのだろうか?
 考えかけて、やめた。自分が今、寂しいと感じていることに気付いてしまいそうだったからだ。



 結局雪の降らなかったその日、牛島の家を訪ねて少し寛ぎ、電車で帰宅した1週間後、影山はなぜにか、再び牛島の家を訪れていた。街なかはクリスマス一色の時期で、そうかクリスマスかと物思いにふけっていると牛島から電話が鳴り、「うちでケーキを食べるか」と誘われた。フックだらけの、ジャンフロのような問いかけをファンブルしつつも、影山は間髪入れずにイエスの返事をし自分の車を転がした。
 牛島の家は件の日本食レストランからほんの少しばかり足を伸ばした、しんと静かな住宅街の一角にあり、こちらに越してからの期間を考えれば、あまり生活感のない暮らしぶりだった。
 前回同様案内されたソファーに腰を下ろすと、牛島が飲み物を手にやって来て、隣に腰を下ろした。近いなあ、と思う。例えば代表期間中に、この距離感で影山のそばにいるのは牛島以外の人間で、避けているわけでもないのに、隣り合う機会はあまりなかった。

「牛島さん、年末日本帰るんですか?」
「いや。帰らない。帰れないと言うべきか」
「日程的に?」
「ああ。お前は?」
「俺も、こっちで年越しです」
「そうか」

 目的のない会話はふっつり、ふっつりと途切れる。年下の自分が気を遣って話題を繋ぐべきなのかとも考えるが、その途切れた間が嫌ではなくて、まあいいか、と沈黙にひたってしまう。
 掃き出し窓の外では、今度こそ雪が降りだしていた。積もるだろうか。積もったら、本当に雪かきが必要だ。

「締まりのない年末年始になりそうだな」
「そうすね……」

 互いにケーキを食べたがる性分でもないが、一応今回の目標であったのでケーキを食し、無事やることがなくなる。牛島も影山もバレー以外に趣味と呼べるものがないのが致命的だ。間をもたせるべく山口制作のDVDを持ち込み鑑賞したが、互いに何を面白がるでもなかった。
 沈黙がしばらく続いたところで、ポケットの中のスマホがブルっと震えた。朝、山口から「クリスマスの予定は?」とメールが来たので、「牛島さんに会う」と返事をしたところ、理由は不明だが一挙に情報が拡散したらしく、なぜか祝福のメッセージが断続的に届き続けているのでたぶんそれだろう。面倒で、無視していたら、代わりに隣の牛島さんが自分のシャツのポケットを探った。

「すがわらこうし……」
「はい!?」

 思わぬ台詞が飛び出して目を剥く。

「から俺にメールが来た。烏野の菅原か?」
「です……」
「お前はうちに嫁入りするのか?」
「は!?」
「『本日は影山をお招きくださいまして感謝申し上げます。本日はお日柄もよく、この良き日がお二人の門出となることを幾久しく幾久しく以下略影山よろしくお願いします』……今日は仏滅だがな」
「何考えてんだ菅原さん……」

 絵に描いたように頭を抱えてしまう。単身海外へ渡ったことで、烏野OBにはどうやらかなり心配をかけているようなので、そのせいなのだろうが、「だからか」と納得できる内容でもなかった。

「大事にされているんだな」
「いや、たぶんそういうんじゃ……なんかさーせん」
「かまわない。少し面白かった」
「そうですか」

 牛島の笑いのツボはよく分からないものの、怒らせていないことにひとまず安堵する。そもそもそんなに怒りっぽい人物ではないのだが、なにせ初対面のときにキレていたためアレは避けたいなと影山は思うのだ。

「ああ、そういえば」

 ほうじ茶をすすりながら、牛島は記憶をたどるような表情を見せた。「この前、寿司屋を出るとき」

「はい?」
「お前が何か言おうとしたのを遮った。何を言おうとした?」

 唐突で、自由な人だ。影山は半ばあっけにとられながら記憶を手繰る。
 心当たりはあるのだが、気恥ずかしくなり、「忘れました」と濁してしまう。

「思い出せ」
「大したことじゃなかったんで」
「思い出してるだろう、それ」
「……本当にしょーもねーことですよ」

 薄く目を閉じて、あのとき言いかけ、言いさした言葉をたどる。
 つい先ほど、再び聞いた「世界にたった二人になったら」という問い。それより間口が広く、だというのに、牛島に尋ねるなら、ずっと難しく勇気を消耗する問いだ。

「世界が6人きりになったら、牛島さんは、俺にセッターをやれと言いますか」

 言ってしまった。横目でちらりと表情を窺えば、案の定、牛島は驚いた顔をしている。

「って、考えたんです。変なこと言ってすみません」
「12人要るんじゃないか。試合をするんだろう」
「確かに」
「それに、できればリベロも欲しい」
「じゃあ14人……いやそういうことじゃねーっす」

 最初に出会った日から、影山は、自分が牛島にとっての最適解でないことを知っている。教えられた。それが悔しかったし、同時に、「今のままではいけない」という、当時目を逸らしていた事実に否応なく向き合わされもした。
 答えの出ないもやもやとした闇の中でもがいていたとき、何人かの人に出会い、いくつもの、セッター人生を変えるヒントをもらった。だから、少しは牛島の欲しがるようなセッターに近づけたのだと思いたかった。牛島が頷けば、きっとそれは影山にとって、自分というセッターを肯定するための重大なしるべになるはずなのだ。

「67億」

 ぽつりと牛島が呟いた。

「……はい?」
「67億の人間がこの世にはいるが。俺は、お前にセッターをやれと思っている」

 今度は影山が驚く番だった。

「もしある日お前がバレーを辞めて、どこかで畑を耕し始めたとしよう」
「は、畑ですか」
「たとえばだ。――もしそんなことになったら、俺はお前を探し出して、鍬を取り上げて、『バレーをしろ!』と怒鳴るだろう」

 俺は鍬を持っているのか、どうしてだろうかと影山は思ったが、言わなかった。

「Vリーグを辞め、プロになってみて自分を省みたが、俺にはこういう生き方しかできない。そして、同じときにお前がプロの道を選んで海外へ飛び出してきた事実にも、納得した。お前がどう思い、行動するのであれ……お前はバレーをすべき人間だと俺は思う」

 眉根が勝手にぎゅっと寄り、下まぶたの皮膚が、引き攣れるのを感じた。なんだ、これ。

「そして、セッターをするといい。それで合っている」
「なんですか、それ」
「なんだとはなんだ」
「ふいうちっす……」

 手で顔を隠し、顔を逸らす。それは、ずるいんじゃないか。
 俯く影山の手首を牛島が握る。顔を覗き込まれそうになり、さらに顔をそむけたとき、二人同時に窓の外の景色を認識し、息を詰めた。

「――雪、激しくなってきたな」
「やべえ……」

 いつの間に、そんなにも荒れもようになっていたのか。窓の向こうで、細かい雪の粒が風に舞い一面を埋め尽くしていた。

「牛島さん、俺帰ります。高速止まる!」

 目をしばたいている牛島をしり目に影山は立ち上がり、ハンガーラックのコートに手を伸ばした。

「影山、そう慌てるな」
「って言っても、これまじで積もるやつっす!」
「だからそう慌てるな」

 おもむろにソファーから立ち上がった牛島が、コートを胸に抱える影山を壁際に追い込むように一歩一歩、歩み寄ってきた。
 自分よりずっと上背のある男に目の前に立たれ、影山は仰け反るように、逆光の顔を見上げた。

「泊まっていけばいい」
「え、お……はい?」

 俺が? と影山が聞くと、牛島は頷いた。牛島さんの家に?と尋ねると、牛島は再びこっくり首を縦に振った。

「無理して帰るな。お前一人くらい泊められる」

 背後には壁があり、目の前には、10センチ自分より背の高い大男が立っている。脇腹の横には、たくましい腕が壁につかれており、結果、逃げ場がない。

「牛島さん、あの、寂しいんですか?」
「別に寂しくない。どうしてそうなる。そう言うお前こそ心許ないんじゃないのか」
「こころもとなくないです」

 至近距離での泥仕合の予感に、互いに早々、嫌気がさしている。
 もう、降参でいいんじゃないか、と影山は思い始める。

「――寂しくないが、泊まっていけ」
「じゃあ、寂しくねーけど……泊まります」

 もういい。今日はクリスマスで、外は大雪で、家は結構遠く、牛島さんが、セッターをやれと言うんだし、しかたがない。
 国境を越え、遠く離れたこの国に、あの北国で過ごしたバレー選手は俺と牛島さんしかいなくて、それは世界に二人きりであることに似ていた。そのくせベッドが1つしかないことなんて、きっと、大きな問題ではなかったのだ。