intermission II

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牛島風邪話(牛影)

・拍手ログ
・牛島さんが風邪をひいてうっかり牛影


 回想は、鼻先に触れた素肌のひやりとした体温から始まる。 
 寝入っていたところを揺り起こされたみたいに五感が突如復活して、牛島は、自分が目の前の人間の背中にしがみつき首筋に顔をうずめていることに気が付いた。
 「へっ」と間の抜けた声を発し、腕の中のジャージ姿の男が体を緊張させる。彼が手にしていたもの、恐らくバインダーのファイルやペンの類が床に落ち、誰もいない体育館でバタバタと尖った音が響いた。
 牛島の手は彼の体の前に回っていた。そうしないとまっすぐ立っていられない状態だったからだ。具体的に言うと、牛島はそのとき人生史上最大と言ってもいい猛烈な眩暈と寒気に襲われており、要するに多分風邪による発熱まっさかりだった。

「な、何ですか」

 影山飛雄は牛島にのしかかられながら、体を硬直させたままそう質した。

「俺なんかしたか……ぼ、暴力はなるべく反対っす……」
「動くな」
「はぁ、マジか、イヤでもさっきの今のだよな……」

 回想の中で牛島は回想し、コーチ陣に呼ばれた影山が他メンバーより一足先に練習を切り上げ、軽めのミーティングへと向かったのを思い出した。直前まで牛島も含めて普段どおりフォーメーション確認の練習をしていて、影山が荷物を取りに戻って来たときには解散済みで、牛島以外はすでに姿がなかった。
 改めて考えると、この流れで影山が「暴力」という発想に至るというのは人間関係としてどうかしている。高校時代に多少因縁がある仲とはいえ、牛島は影山をそんな、あしざまに扱った覚えはないのだが、必要以上に警戒されている様子だ。
 すでに練習を終えてから1時間以上たっている影山の体は季節柄もあってか、ひんやりしていた。頬に触れるしっとりとした肌が心地いい。
 しかし、なんとか落ち着こうと深く息をつくと、影山は訝しげな声を上げ、シートベルトでも確かめるみたいに牛島の腕に触ってきた。

「牛島さん、なんか熱くないですか?」
「……問題ない」
「あるでしょ、え、あっつ」

 牛島の額に手を宛がい、影山が身をよじる。支えのバランスが悪くなり、牛島の体はぐらりと傾いで天地がひっくり返った。自分の体の重みを感じながら硬いフロアに突っ込む心の準備をしたが、予想に反して牛島の上半身は柔らかいものに抱き止められていた。

「あっぶね……」

 頬はまたすべらかなものに押し当てられていた。影山に頭をかばわれたらしい牛島は、いつの間にか、正座した影山の太腿を枕に体育館の床に寝そべっている。

「熱あんじゃないすか思っきし。何やってんですか」
「うるさい……」
「……っ、ちょっとっ」

 冷たさを求めて顔を動かすと影山の声が焦りを帯び、ぼんやりと遠のいた思考の中、牛島はそれを無視した。短いハーフパンツから伸びる足が、頬や額に触れると冷感シートのようで気持ちがいい。

「こうなる前に言えよな……」
「大したことはない」
「マジで大したことねえならブン殴りますからね、この状況。ほんとバカ」

 反論しようとしたところで、太腿より少しだけ温かい手が、牛島のこめかみをそっと撫でた。口調とは裏腹な柔らかい手つきに、反抗心がしゅんと消える。

「あ、もしもし。影山です」

 声につられて顔を動かし、そろりと目線を上に向けると、影山がスマホを左手に持ち通話していた。右手は相変わらず牛島の顔の上にあり、無意識のように小さく頬を撫でている。

「……ウス。今第2体育館なんですけど、ちょっと誰か手貸してもらえないっすか。……はい。今牛島さんが倒れて、あ、そうっす、いや、多分風邪とかだと思います。はい。お願いします」

 画面を叩く音がし、どうやら通話はすぐに終わったようだった。スマホをポケットに仕舞った影山が、感情の読めない表情で牛島を見下ろしてくる。

「すぐ来てくれるって。もうちょっと待っててください」

 影山は牛島に怒るのをやめたらしい。無償で膝枕を提供しながら、なんでもないような仕草でそっと影山がハーフパンツの裾を引っ張るのがなんだか気になった。



 それから再び、少しの間記憶が飛ぶ。牛島の頭が正常に働き始めたのは、医務室を経て辿り着いた自室のベッドで目を覚ましてからのことだった。
 この合宿期間中、牛島は一人部屋を割り当てられていたが、瞼を上げると自分の体をまたぐ腕と上半身があり、牛島は息を呑んだ。

「あ、起きた。おはようござ……そんなびっくりします?」
「いや、近かったので」
「『ので』?」
「少し驚いただけだ」
「そうですか」

 影山は相変わらず、提携メーカーのパーカーにハーフパンツという出で立ちだった。牛島のベッドの端にぽすんと腰掛け、まっすぐな視線を寄越す。熱で頭がぼうっとする中、情けない姿を見られていることを急に自覚して、牛島はいたたまれない気分になった。

「何時だ?」
「今? 9時過ぎです」
「そうか。……もう自分の部屋に戻れ」
「はあ」
「悪かったな」

 多分結構、迷惑をかけた。影山も影山で、体調が悪くてもぎりぎりまで隠そうとするタイプのようだから(そういえば彼も過去、練習の途中で突如姿を消したことがあった)、あまりうるさく言ってこないのだろうけれど、もろもろ自分のミスだなという部分は感じる。

「俺もうちょっとココいましょうか?」
「いや、いい。もう寝るだけだ」
「でも……」
「お前がいてもどうにもならん」
「……とは、俺も思うんですけど……」

 影山があいまいに言葉を濁し視線を落とすので、それを牛島も目で追い、絶句した。
 自分の手のひらが実にさりげなく影山の太腿にのっかっていた。

「冷たいですか?」
「イヤ違う、ん? 違わない、違わないほうがいいのか」
「落ち着いてください。膝枕要ります?」
「い、要らない」

 影山は小首を傾げつつ、牛島の手の上に自分の手を重ねた。それがまたヒヤリと心地いい。

「いいっすよ。どうせ俺もあと寝るだけだし。あんた本当にキツそうだから、このまま寝れば」

 ルームライトのつまみに手をのばした影山がそれをひねり、部屋はじんわりとした暗さに包まれていく。
 万一今後影山が体調を崩すことがあった場合に彼を完全看護するか、今自分の手を退けるか2つに1つだな、と思っているうちに牛島の瞼は下り、ぱったりと意識が暗転してしまったのだった。



 完全休養日を1日挟んで、牛島は無事練習に復帰した。影山に風邪をうつしてしまったのではないかと少し不安に思っていたが、影山は至って健康で、快復後部屋を訪れた牛島の謝辞に対してもどうにもピンときていない様子であいまいにそれを受け入れた。

「それから、その、他意はなかった」
「……タイって? 別に何も気にしてませんけど」
「そうか。いや、そういう問題じゃないんだが」
「風邪だったんでしょ。治ってよかったっすね」
「……そうだな……」

 牛島の話にさほど興味がない様子で、影山は日課のストレッチに励んでいる。内腿が白いな、と思ったが、今はそのタイミングではなさそうだったので、牛島は言葉を2、3呑み込んだ。